寝息と利き手
「舞韻? 」
俺は、舞韻の胸を刺激しないように、上を向いて口元を解放して言ったが、返答はない。
真上を向いて、舞韻を確認すると、既に舞韻は眠っていた。
舞韻を起こさないよう、細心の注意を払って、舞韻の腕の中から抜けると、横向きに眠っている舞韻を仰向けにして、布団をかけてやった。
俺は、自分のベッドに寝直そうとしたが、布団を抜けようとした瞬間、舞韻の手が俺のパジャマの裾をしっかりと掴んだ。
起きているのかと思って見たが、舞韻はしっかりと眠っている。
つまりは、無意識の行動なのだ。
俺は、彼女の手から逃れることを諦め、舞韻の隣に横になり、布団を被った。
舞韻は、身体も、心も女性なのだが、体力は兵士のそれで、この手を解くには、相当の力が必要となる。
そうなると、舞韻は目を覚ましてしまう。
横になりながら、舞韻の事について考えた。
今日の舞韻は、ここ数年で見たことがないほど、荒れていた。
余程、緊張の糸が切れてしまったのだろう。
舞韻の事を、そこまで追い詰めていたのは、俺だという事を、今日ハッキリと知った。
舞韻は、自分の事を女として扱ってくれていない俺に対して、不満があったのだ。
俺が初めて舞韻と出会った時、彼女は、自分が女として、性的な目で見られることを極端に嫌っていた。
それは、彼女が捕虜となり、部下が次々と目の前で殺されていく様を、敵兵の慰み者にされながら、成す術もなく見ているしか出来なかったことへの、激しい後悔の念から来ているものだった。
舞韻はセックスに対して激しい嫌悪感を持っているのを知っていたので、俺は努めて彼女にそれを思い出させないようにするべく、舞韻を自分の弟子として見るようにしてきた。
当初は、俺の愛弟子として、また、部下として全幅の信頼を寄せられていることに、とても喜んでいた舞韻だっだが、いつの間にか、彼女の中で何かが変わったのだろう。
今日の舞韻の行動にも驚いた。俺は、初めて出会ってから7年間で、エッチな言動をする舞韻を見たのは今日が初めてだった。
今までの舞韻は、そういう事を意図的に避けてきていた。
例えば、大学の友人が、酔ってエロ話をしようとすると、かなり強引に話題を変えたり、そういった内容のテレビ番組は、一切目にしないようにしていた。
舞韻が学生の頃、何人もの男から告白されても、一切OKしなかったのは、そういう理由からなので、俺は、舞韻の友人から話を訊いた時も驚かなかった。
舞韻にとってセックスとは、過去の思い出したくない苦痛を蘇らせる行為でしかないのだ。だから、それをイメージさせるような言動を自分からすることは、一切なかった。
以前は、舞韻と海に出かけていたのが、4年目を最後に行かなくなったのも、舞韻が嫌がったからだ。
舞韻は、可愛らしい顔立ちで、スタイルも良く、胸も大きいので、水着や軽装をすると、周囲の男の目を大いにひいてしまう。
舞韻は、そうやって見られる事が苦痛だったのだが、海に行くことは嫌ではなかったので、それでも毎年海に行くことを楽しみにしていたのだ。
しかし、20歳の夏に海に出かけた際、俺が飲み物を買いに離れた際に、3人組のナンパ男に囲まれて迫られる、という事件が起こった。
舞韻の実力であれば、素人のチャラ男など7~8人で掛かってきても瞬殺なのだが、この頃既に日本の社会に順応していた舞韻は、暴力に訴える事も出来ず、俺が戻って来た時には、涙を見せる寸前まで追い詰められていたのだ。
そんな事があったために、舞韻は以降、海へ行くことは無くなってしまった。
翌年に誘った際には
「フォックスが、私に四六時中ついて、守ってくれるんだったら行きます。約束できますか? 」
と言われて、俺は答えられなかった。
すると、舞韻は乾いた笑いを浮かべながら
「でしょう。出来ないですよね? 」
と言うと、暗い表情になってしまったのだ。
あの日の舞韻と、今日の舞韻は似ている。
俺が返答に困ることを投げかけて、期待通りに俺が返答できない事を暗に責めている。
今日の舞韻の言動は本気なんだろうと思う。
今日の舞韻は、海から戻って以降、俺の事を『フォックス』と呼んでいる。
基本、舞韻に店を貸すようになってから、対外的には、俺の事を『オーナー』と呼ぶように決めているし、舞韻の口癖である『~系』という言葉が出てこないのだ。
俺は、横を向くと、静かに寝息を立てている舞韻に、そっと腕を回して、肩を抱くようにした。
すると、次の瞬間、舞韻がその腕を掴んで言った。
「う~ん……フォックスぅ……」
語尾の方の言葉が聞き取れない程、ごにょごにょとしているところから、寝言だと思われるが、一体何を言っているのかが分からない。
そして、不意に舞韻が、俺のパジャマの裾を掴んでいた手を放して、その手をパジャマの襟から突っ込んで、ごそごそと胸をいじり始めていた。
「フォックスぅ~……ぁん……そんな……激し……」
後半は、やはり聞き取れなかったが、舞韻は恍惚の表情を浮かべていた。
そして、今度はその手を下半身の方へと伸ばそうとしたため、俺はその手を捕まえて、優しく握ると、舞韻は
「フォッ……クスゥ」
と、言って再び穏やかに眠り始めた。
俺は、もう片方の手で優しく舞韻を抱きしめると
「お休み、舞韻」
と、耳元で囁いた。
すると、舞韻は眠りながら満足したような笑顔を浮かべた。
俺は、舞韻の過去の言葉を思い出していた。
『フォックスが、40歳になっても独身だったら、私が結婚してあげる系よぉ』
この言葉の真意を考えつつ、舞韻に対し、今まで封印していた女として接する事への必要性を感じ、同時に、父親代わりとして、娘に女を感じて接する事への計り知れない罪悪感に苛まれている自分への狭間に悩みながら、いつの間にか眠りに落ちていた。
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