約束と小江戸
フォックスと舞韻の過去に少しだけ触れます。
『約束』の正体とは?
日本に連れ帰った頃、舞韻は俺には従順なものの、その他には敵意を剥き出しにする、手の付けられない暴れん坊だった。
それが、兵士としての彼女の強みでもあったのだが、ここは戦場ではなく、平和な日本だ。
電車やバスに乗れば、目的地に着くまでに、周囲の客と、もめ事を起こして、手前で降りるハメになり、エレベーターに乗っても同様なため、暫くは、舞韻とエレベーターに乗る時は、彼女を奥の角に追いやって、その前を俺が体でブロックして、舞韻に外の世界を見せないようにしていたのだ。
帰国後すぐに、舞韻の服を買いにアウトレットに行った際も、舞韻は試着室にまで俺に来てくれと言ってきて、それはルール違反だから出来ない。と俺が言うと、喚き散らしたために、俺が舞韻に手を上げるハメになってしまったのだった……。
その後も、舞韻は人を拒絶するような生活を送っていた。
朝から、必要以上に外へと出ようとせず、テレビを見るわけでも、ネットをするわけでもなく、部屋の隅で、暗い表情で体育座りをしているだけなのだ。
その頃の俺は、バーテンダーの修行で、都内の店に勤めていて、昼夜逆転の生活を送っていたこともあり、俺の昼間の関心が、舞韻よりも睡眠に行ってしまっていたのも、舞韻にしてみれば不安と不満を加速させていったのだと思う。
ある日、帰って来てから眠りについた俺は、寝付いたところを舞韻に盛大に蹴られたことがあった。
プロと言えども、食事や睡眠など本能の行動を阻害されると、冷静沈着ではいられず、その時は、舞韻を取り押さえ、簀巻きにして再び眠った。
夕方、目を覚ますと枕元で、簀巻き姿の舞韻が泣いていたので、問いただすと
「何故、日本になんか連れてきたの? 日本には、私の居場所なんてないのに! 生きているのが辛い」
と、言ったため、俺は言った。
「逆に尋ねるが、舞韻は、日本で何がしたいんだ? したいことに対して努力もせず、部屋に座ってる奴が言う言葉に、何の重みがあるんだ? 」
「……分からない」
まぁ、考えれば仕方のない事だろう。舞韻の置かれていた環境と遭わされてきた境遇からすれば、それも当然なのだ。
しかし、俺は彼女に、世界はこんなに素晴らしいところなんだ。という事を教えたくて日本へと連れ帰ったのだ。
こんな絵に描いたような、引きこもりを製造したかったわけではないのだ。なので言った。
「まずは学校に行け! 」
「えっ!? 」
「日本には、義務教育というものがある。それも受けてない奴が、一丁前の事をほざいても、ただの雑音としてしか認識されない。お前は、年齢的に義務教育は終了しているから、大学を目指せ」
「でも、私は学者になりたい訳じゃない」
「学者になれとは言ってない。学校に通っているうちに、やりたいことが見つかると、言いたいんだ。勿論、学者になるのも、なりたいと思ったら、選択肢の1つだがな」
それから舞韻には、ボーっと体育座りをすることを禁止し、家事と勉強を徹底的に行って、最初の目標は高卒認定試験、そして、その先に志望大学を設定させての大学受験までをセット目標にした。
当時住んでいた川越のワンルームで、朝から家事をこなし、昼頃に起きてきた俺と勉強をする。そして、社会情勢と、雑学を身につけるために、情報番組とニュースを見させ、新聞も読ませていくうちに、舞韻の表情に色がつくようになっていった。
舞韻は、社会から隔絶された自分という存在の不透明さに焦っていたのだ。
それが分かると、俺は勉強の合間を縫って、舞韻を外へと連れ出すようにした。
駅前のデパートや、駅前のクレアモール、そして、自宅から徒歩10分程度だった小江戸川越は、舞韻のお気に入りで、しょっちゅう足を運んだ。
外の世界が、暖かな世界であることが分かると、次第に舞韻の表情や態度にも変化が表れてきて、平素から人でも殺しかねないほどだった鋭い目つきが、元々持っているパッチリした可愛らしいものへと変わり、異様なまでに発していた殺気も、すっかり影を潜めて、凶暴な女マッドソルジャーだった出で立ちも、小柄で可愛らしい女子へと変身した。
そして、外的環境も変化し、高卒認定試験に合格し、約半年の勉強の末、舞韻の志望大学への入学を果たしたのだ。
ほぼ同時に、ワンルームから、戸建ての借家に引っ越した。
春から舞韻は、元気に大学に通い始めた。特にサークル活動等には参加しなかったようだが、友人も複数人できて、すっかり俺の心配は消えて行った。
秋には、自宅兼店舗が完成し、ほぼ同時に念願だった独立が出来て、俺は、自分のバーの経営を軌道に乗せることに専念した。
次の春が来る頃、バーに舞韻の友人が2人連れでやって来た。
どうやら舞韻には内緒で来ているらしく、しきりに舞韻が来ないかを気にしていたが、舞韻は営業時間内には絶対立ち入らない事を伝えると、安心して飲み始めた。
この2人は俺もよく知っている。
舞韻と仲の良い2人で、家に遊びに来たことも何回かあって、俺とも顔見知りである。
やがて酔いの回ってきた1人が声をかけてきた。
「ところで、藤さん」
呼び方は人それぞれだが、それだと、日本一の山みたいじゃないか、というツッコミを噛み殺してニコニコと応対すると
「藤さんと、舞韻の関係は何だね? 」
あぁ、絶対に出てくると思ったこの手の下世話な質問にも、笑顔で答えた。
「花嶋さんは、私の先輩でね。私にジャーナリストのイロハを教えてくれた恩人なんですよ。その娘さんが困っているというので、親代わりを買って出たという訳です」
舞韻の両親が、特派員と、そのカメラマンであったことは、以前に調べていたので、俺と舞韻の中で、他人から下世話な質問があった際には、こう答えるという設定はしっかり出来上がっていたのだ。
すると
「舞韻はね、今年だけでも、もう3人も告ってきた男をフッてる訳。舞韻に訊いても、『タイプじゃない系だから』としか言わないんだけど、絶対好きな男がいると思うのよねぇ」
と、言って、俺に顔を近づけて、クンクンと匂いを嗅ぐと
「私はね、藤さんが怪しいと思うのよぉ! ぶっちゃけどうよぉ……舞韻と、そういう関係なんじゃないの? 」
と、俺を指さしながら叫んだ。
ああ、やっぱりそういう下世話な想像をしていたのね。
そういう風に想像されてしまうことも織り込み済みではあるが、こればかりは、どう申し開きをしたところで、信じて貰える可能性は、ほぼゼロに近いだろう。なので
「まぁ、私と舞韻の生活を24時間体制で見て頂ければ、私達の関係が爛れたものでない、親代わりと娘の関係だと分かると思いますよ」
と、ストレートに事実をズバッと告げた。
すると、2人は一瞬ぽかんとしていたが、すぐさま笑い出し
「ゴメンなさい! コイツ酔って、とんでもないこと言って、でも、藤井さんの事、信じます。そこまで自信持って言われると、素敵なパパ過ぎて、ちょっと妬けちゃうなぁ」
「くそぉ、舞韻は、なんでこんな藤さんが近くにいながら、味見とかしないんだよぉ! マジ勿体ない」
等と言って帰って行った。
以降、舞韻と俺の事が、友人の中でとやかく言われることは無くなった。
それから3年が過ぎ、舞韻は就職と同時に1人暮らしを始めた。
舞韻は大学4年間で、フードロス問題への着目から、食品業界へと興味を持って、大手の食品会社に就職した。
更に1年が過ぎた時、例の舞韻の友人2人から相談を受けた。
舞韻に、言い寄ってくる上司がいて困っているという事だった。
しかも、不倫関係をだというのだから、開いた口が塞がらない。
今の舞韻は、以前のような、歩く殺人兵器ではなくなっていたが、そうなると、世間一般の人たちと同じ事に苦しめられるようになる。つまり、セクハラを訴え出ようにも、訴え出られない事に苦しんでいた。
一計を案じた俺は、お節介な友人2人と共に、舞韻と上司を俺のバーに誘い込んで、証拠をバッチリ押さえ、動かぬ証拠として、奴を社会的に抹殺しようという計画を立てた。
計画は上手くいき、証拠の音声や画像も、充分に手に入ったところで、奴が、舞韻が嫌がっているにもかかわらず、過激な事を始めて、遂には舞韻が泣き始めてしまった。
次の瞬間、俺の中で“ブチッ”という音がしたかと思うと、俺はカウンターを超えて奴をブッ飛ばしていた。
「いたた……なにをするんだ! バーテン風情が」
奴は、よろよろ立ち上がると吐き捨てたので
「職業は関係ない。それに俺は経営者だ。俺の店の中で、婦女暴行は看過できん! 」
と、一喝した。
すると
「誰の店の中だろうが、俺の女をどうしようが勝手だろうが! こんなことをしたからには、それなりの代償を払うことを覚悟しろよ」
と、身の程もわきまえない発言をして、マウントを取ろうとするため、俺の中で再び“ブチッ”と、何かが切れたような音がすると、次の瞬間
「ほう、お前は、俺の嫁になる女と、付き合ってるってんだな! 婚約者のいる女を寝取ると、どういう目に遭うか……分かってるよな? 」
と、言いながら、奴に詰め寄っていき、舞韻は、奴と目が合うと
「うん! 俊哉、やっちゃって! 」
と、オーバーアクション気味に言った。
すると、奴は大慌てで逃げ出していってしまった。
実は、舞韻はこの頃酔っ払うと
「フォックスぅ~、私を育てるのに、人生を棒に振った系よねぇ。……だからさ、フォックスが、40歳になっても独身だったら、私が結婚してあげる系よぉ」
等と、よく言っていたので、つい咄嗟にこのネタを使って、ダメ上司に制裁を加えてしまったのだ。
その時の舞韻を見ると、耳まで真っ赤になりながら、下を向いてしまっており、舞韻らしくないなぁ……と、思ったものだ。
結局、狙いは上手くいき、上司は左遷でセクハラしようのない倉庫担当に異動し、この件は、一件落着した。
そして、これ以降、酔った舞韻が口にする例のフレーズもすっかり聞かれなくなってしまい、このことは俺の中で忘却の彼方へと行ったハズなのであった。
しかし、今夜ハッキリ分かったことがある。
舞韻はあの約束を覚えていた。
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