捕虜と2人目の女
……どのくらい時間が過ぎたのかは分からない。
気が付いた時、私の視界には天井が見えた。
次に体に感じる違和感が襲った。
二の腕が痛むし、口に異物の存在を感じる。
体を起こそうとするが、動かない。
手が頭の後ろで固まっているようだし、足もぴったり合わさったままビクとも動かない。
私は辺りを見回した。
見たことのない部屋に置かれたベッドの上にいるようだった。
壁には制服のブレザーがハンガーにかけて吊るしてあった。
両足を高く上げて寝たままの姿勢でその状態を見た時、私は自分の置かれている状況を理解した。
「私、誘拐されたんだ!」
両足首はロープでしっかりと結ばれていた。
手は頭の後ろなので見えないが、恐らく同じようにロープで縛られているのだろう。
左右を見回すと二の腕にロープが巻き付いている。
口の方を見下ろすと何か黒い物を咥えさせられている。
声を出せないように猿轡を噛まされているのだろう。
私は、とにかく縛られた手足をどうにかしようともがき始めたが、その時、ふと以前に舞韻さんが言っていた言葉を思い出した。
「拘束されたら、闇雲に暴れるよりも状況を把握して危険がないかを確認してから動くの。犯人がいたら従順なふりをして隙を窺う、いなければ拘束のどこに弱点があるかを見極めるのに時間を割く。今の燈梨は拘束している側にとっては思うつぼになる系」
そうだ、今の私は犯人の思うつぼなのだ。
舞韻さんに最初に会った日に何度も縛られるハメになったが、暴れてもロープは全く緩まなかったばかりか、喰いこんで余計痛くなったりした。
なので、私は目を瞑って眠ったふりをして大人しい捕虜を演じながら手足の拘束の状況を探った。手首は頭の後ろ、足首は体の正面で固定されている。それぞれのロープはベッドに結び付けられて逃走できないようにされている。
大体の概要を掴んでこれからの対策を考えようとした時、隣の部屋から足音が聞こえてきた。
体が動かない最中に犯人と対峙する気もないため意識を集中させつつ、眠ったふりを続けた。
……しばらく沈黙が続いた後、
「寝たふりしてるでしょ……あの量の薬だともう目覚めてるハズだし……」
と、声をかけられて私は驚いた。
犯人は女性のようだ。
……興味はあるが、反応したらこちらの負けだ。きっとハッタリに違いない。
私は、そのまま眠ったふりを継続した。
……次の瞬間、右胸を優しく揉みしだかれ、私はビクッと反応してしまった。
「ほぅら……やっぱり狸寝入りだ。あたしを相手に寝たふりで乗り切ろうなんて甘いのよ」
と、言われた次の瞬間、今度は両胸を激しく掴まれた。
あまりの痛みに私の口から声が漏れた……が、猿轡に遮られてまともな声となって出てこなかった。
「どうせ舞韻あたりに入れ知恵されたんでしょうけど……ムカつくわね。大事な人質だから殺しはしないけど、ふざけた真似したら容赦はしないからね!……覚悟しなさい!」
……こんな荒っぽい真似をするのでそうだろうとは思ったが、やはりコンさんや舞韻さんがいたのと同じ世界の人間だったようだ。
……ただ、私を攫ったこと、舞韻さんに対する口ぶりから好意的でないことは確かなようだ。
髪は明るめの茶髪で腰くらいまでの長さ、更に左でサイドテールにしている。
顔は美人だ。目は切れ長なのだが目尻がやや垂れ気味で、色気が感じられる。
舞韻さんとは対照的な印象を受ける人だ。
ファッションは顔の印象とは対照的に崩れ気味で、肩をはだけたワンピースの上に薄いピンクのカーディガンを羽織っている。
髪留めも派手な柄のライトグリーンのシュシュ。
……女子高生のファッションのまま大人になった。そんな印象を受ける。
……その女が、ベッドに寝かされた私の顔に自分の顔をピッタリとくっつけて
「あなた、携帯は?」
……私は首を横に振った。家を出る時に置いてきてしまったのだ。
喋れないのでこれしか伝える手段がない。
……すると、女の表情が見る見る怪訝なものになり
「持ってないわけないでしょ!……出さないと酷い目に遭うわよ!」
さっきと同様、私の胸を掴もうとするため、私は
「ううううううーーー!!むむむううううーーー!!」
と、目を瞑って必死に首を横に振り続けながら本当であることをアピールした。
……それを見た女は、口に咥えさせられている物に手をかけて外すと、口に人差し指を当てて「しぃー」のジェスチャーをした。
私は頷き、黙っていると女は私に近づき、ボディチェックの要領で携帯を探し始めた。
……くすぐったいが、恐らく声を出したりするとそれを理由に制裁を受けそうな気がしたため、唇をぎゅっと噛んで我慢した。
そして、一通り調べ終わると鋭い目つきに戻り
「どこなの?言いなさい!」
優しく、ゆっくりとした口調で、それだけに期待に外れたことを言うと恐ろしい目に遭うこと請け合いな雰囲気で訊いてきた。私は
「本当に持ってないの。家に置いてきたんだから」
と、震える声で絞り出すように言った。
……それを見ていた女は嘘を言っているわけではないことを悟ったのだろう。目を瞑ってため息をつくと
「分かったわ……それじゃぁ、あなたにもう用はないわね」
と、言ってまた私に近づいてきた。
……私は恐ろしくなった。
この手の世界に生きている人間から用なしと言われたら、それは即ち、命が無くなることを意味しているのではないかと考えたからだ。
私は目を瞑り、縛られた体を必死に捻って彼女から遠ざかろうと暴れたところを取り押さえられ、何かを叫ぼうと思って開いた口にさっきと同様黒い棒状のものを咥えさせられ、頭の後ろでギュッと結ばれた。
……さらに彼女は私に馬乗りになってベッドに押さえつけると
「安心しなさい。……用はないと言っても大事な人質であることには変わりないから。大人しくしてれば怪我させることはないわよ。取り敢えず、静かになさい」
と、微笑みながら言って顔を撫でてきた。
私は静かに頷くと、彼女はベッドを降りてポケットからスマホを出した。
……電話がかかってきたようだ。
彼女は隣の部屋に行って電話に出ようとしていたが、着信元を見るなりニヤッと笑いながら歩みを止め、こちらへと戻りながら電話に出ると
「もしもし……これはこれは花嶋舞韻さん。お久しぶりね。あたしに何か御用?」
と、私に聞こえるように言ってきた。
相手は舞韻さんのようだ。
……私は何とか舞韻さんに監禁されていることを伝えたいと思ったが、女はもう一方の手に銃を握り、私の方に向けてきたためにただ黙って聞いているしかできなかった……。
「フォックスの家?……行く訳ないでしょ。……まぁ、あんたにしてみればあたしが生きてる事自体が不愉快でしょうけど、言いがかりはやめてもらいたいものね!」
と、目の前の女は舞韻さんに個人的な感情が強いようで、私のことそっちのけで話に夢中になり始めた。
私はその隙に手足の拘束を何とかできないかを探ったが、ロープが緩む様子はなかった。
……しかし、頭の後ろに回された手に何かが触れた。
猿轡の紐だ。
さっき慌ててつけたために結び目の紐が私の手に届くようになっていたのだ。
唯一出来た隙だった。
私は指を伸ばして彼女に見つからないように紐をほどくと、口を動かして猿轡を外すことに成功した。
……でも、声を出せばあの女に気付かれて銃で撃たれるかもしれない。
今も本来の目的を忘れて舞韻さんに感情をぶつけていて、捕虜である私への注意がお留守になっている状態なのだ。
下手に刺激すれば急所は外しても腕くらい撃ってきかねない。
この女はプロなのに……と、思ったその時、以前に舞韻さんに聞いたことを思い出した。
舞韻さんは確か、雑音の中で敢えて小声で話したことを聞き分ける能力に秀でていると。
戦場で雑音の中から空を切って飛んでくる銃弾や刃物を避ける訓練の中から会得したことだと言っていたが、試してみる価値はあると思った。
私は、敢えて音を出さないように努めながら
「舞韻さん、燈梨です。この女に誘拐されたの。助けて!」
と、2回続けて言った。
本当に聞こえているのか分からなかったので、3回目を言いかけた時、女の声がヒートアップしてきた。
恐らく舞韻さんが挑発したのだ。
私は、舞韻さんには聞こえたと確信した。
聞こえたからあの女の注意を引き付けたのだ。
それを悟った私は落ちている猿轡を口で拾い上げて元通り咥えた。
そして紐を緩く結んでおいて平静を装った。