銀狼と記念館
今回は、フォックスのお話です。
燈梨が、美羽と会った初日、師匠の件で出かけた先の別荘での出来事です。
沙織と、杏優を連れて師匠の墓についての打ち合わせをしに来た。
当人は、不要だというのだろうが、残された者にとっては、必要なものなので、やはり、しっかりしたものを作りたいと思うのだ。
杏優は
「ダディは、ここからの眺めが本当に好きだったの。だから、ここで眠ることを望んでいたの」
と、譲らなかった事もあり、場所は、周囲の山々を見渡せ、眼下に街が一望できるここで決定した。
残るは、墓石の形状と、師匠の彼女と、子供の記載をするか否か……というところだったが、そこは沙織が
「師匠はね、『俺は家族も捨てている。だから、フォックスと、お前たちは、俺の息子と娘だ。その他には誰もいない! 』って言ってたの。だから、本人の思いは別として、要らないかな……と思う。特に、子供は名前がついてなかったと思うし」
と、言うと、杏優が
「彼女は、実家のある九州で荼毘に付されてるって言ってた。ダディは、会う事も許されてなくて、結局、死ぬまで墓参りにも行けず終いだったらしいの。だから、戒名も分からないみたい。……でも、塔婆に名前くらいはあっても良いと思うの」
と、喰い下がった。
恐らく、杏優は、末期の師匠と一番長く過ごしているため、師匠の彼女に対する思いが一番理解できているのだろう。
俺は、考えた末、最終的に、墓石には、師匠と彼女の本名は刻んでおくことを決めて、後のレイアウト等は、2人に任せる事とした。
庭のベンチに寄りかかって目を瞑り、ウトウトとしながら、俺は思っていた
師匠は、きっと満足している……と。
実の子は、産まれてこなかったが、あなたの育てた息子1人と、娘2人は、立派に成長しました……と、下の娘の問題も、色々、ゴタゴタはありましたが、解決しましたよ……と、胸を張って報告できる。
そんな、今だ。きっと、師匠の企み通りなんじゃないかとは思う。……あの人は、人にそうと思わせずに、自分の思った通りの事をさせることが得意なのだ。
後から、師匠が学生運動に関わっていたと訊いて、納得した。そこで身につけた人心操縦術のノウハウを使ったんだろう。
業者を呼んでおり、デザインや、書く文言を伝えて、全てが終了した頃には、午前11時を少し回っていた。
一仕事終えて、別荘の掃除等に中に入っている時に、杏優が
「地下2階の入り方、知ってる?」
と、俺達に訊いてきた。
俺も、地下2階があることは、訊いていたので知ってはいるのだが、師匠は、そこへのアクセスを教えてくれなかった上
「俺に何かあるまで、入るな! 」
と、言っていたくらいなので、尚の事、入り方は知らなかったのだ。
とは言え、師匠も亡くなり、掃除と整理を行いたいし、燈梨の部品取りのS14を運び込みたいと思っていたので、俺自身も知りたいところではあった。
「むしろ、俺が知りたいくらいだな。これから、試してみるか」
と、言うと、杏優は
「はい」
と、白い封筒を渡してきた。
俺が不思議そうにしていると
「ダディが、フォックスに見せれば分かるって言って、随分前に渡してくれた。一応、中身のバックアップは取ってるけど、私には分からない」
取り出すと、アルファベットの羅列が、走り書きされたメモ書きが出てきた。
……俺は、見た瞬間に思い出したことがあった。
俺が、師匠と部隊で一緒に暮らしていた5歳の頃、英語の読み書きを教えられていたが、当時の俺は、bとd、aとe、gとq、hとnなどの区別がつかずに、よく間違えていた。
すると、師匠はすぐに鉄拳制裁で、俺の身体に教え込むのだが、毎日複数回間違えるために、殴りようが無くなった。また、殴ってばかりでは、俺が覚える気にならなくなってしまうために、一計を案じて、これらを暗号化して、ゲームのようにして覚える方法を思いついたのだ。
当時覚えた法則で、これを読み解いていくべく、俺達は地下に降りた。地下から降りる方法としては、シアタールームのテーブルを、部屋の隅に移動させ、その上でテレビの裏の壁にあるタッチパネルに、師匠の設定した暗証番号を打ち込むと、テーブル下の床が階段になった。それは、以前に師匠の寝室のクローゼットから地下に降りた際の隠し階段に似ていた。
階段を伝って、下に降りると、電気をつけた。
地下2階は、ほとんど仕切りが無く、地下1階以上に広く見えた。
その広い空間で目を惹いたのは、幾台かの車とバイクだった。
端には、シルバーのホンダN360が、隣には、赤いダットサン・フェアレディ2000SRが綺麗な状態で止まっていた。フェアレディには、俺は見覚えがあった。
師匠が若い頃、憧れた車で、こっちに来た際に乗るために、別荘と共に購入したものだ。
確か、数年前までは、年間を通じて乗っていたのだが、最近は、夏が暑くて乗ってられないとか言って、春と秋にしか乗っていなかったと思う。
N360については、杏優から訊いた、師匠の認知症のエピソードの中に、自分の車のN360が消えていて、暴れた……という話があったことから、これが、若かりし日の師匠が最初に手にした車と同じものなのだろう。
中を覗くと、助手席のシートの座面に色の褪せた、チェックのブランケットが置かれてあり、恐らく、当時亡くなった彼女の持ち物で、いつも車の中にあったものだろうと、思われる。
そして、逆サイドには2台車が止まっていた。
手前側にあるのは、白い、マツダファミリア・カブリオレで、師匠が日本に帰ってきて、最初に乗っていた車だったはずだ。俺が、日本へと脱出した際にも、迎えに来た師匠が乗っていて、俺も一緒に乗ったのを強烈に覚えている。
師匠は、4駆をいつも1台は持っていて、サファリ、ダットサン、レンジローバーと、乗り継いだが、それとは別にいつも持っているのがオープンカーだ。
確か、このファミリアの後にも、RX-7カブリオレ、フェアレディZロードスターと乗り継いでいたが、そう言われてみれば、ファミリアは査定ゼロと言われたので下取りに出さなかったと言われた記憶がある。
そして、その隣に置かれている車に、俺の目は釘付けになった。
シルバーの、パルサー・ミラノX1ツインカム。
俺が最初に乗った車だ。……しかし、俺のパルサーは、BMWにぶつけられて全損になっているはずなので、違う個体だと思う。
試しに、ボンネットを開けて車体番号を確認すると、俺の乗っていたものではないので、ホッとしたが、それにしても、よく似ている。
サンルーフのついたシルバーの車体と言い、赤いスパルコのホイールと言い、適度にダウンスプリングで下げられた車高と言い、貼られたステッカーの種類や位置に至るまでそっくりだ。
すると、沙織も同じ感想を持ったらしく
「なんか、このパルサーって、フォックスが乗ってたのを再現してると思うんだけど……」
と、素直に漏らしていた。
そして、パルサーの奥に置かれていた原付バイクを見て、沙織が興奮したように
「これ! あたしのビーノなんだけど」
と、色めき立っていた。
確か、沙織が家出をした際に、乗っていた原付で、静岡のスタンドのおじさんに貰った物だったと訊いている。
他にも杏優の自転車や、制服なんかも置かれており、この空間は、師匠と、その弟子たちの思い出の物を残しておく記念館的な空間になっていた。
師匠にとっては、離れて暮らす弟子たちと、常に繋がれる空間がここだったのだろう。特に沙織は、遠く沖縄に行ってしまったので、師匠にとっては心配の種だったであろう。
なるほど、師匠の性格なら、こんなところを見られたくないから、生きてる間は入って来るなと、いう事にしていたんだと思う。
……正直、可愛らしいなぁ、とは思うが、師匠という人の昔は、怒っていても、照れ隠しでも、すぐ殴ってくるので、存命の頃なら、そんなことは口には出せないなと思った。
そして、杏優から貰ったメモの隅に書かれている通り、パルサーのグローブボックスを開けて、中の物を取り出してみた俺は、その内容に驚愕すると共に
「師匠……あなたって人は、そこまで見通してたんですか? 」
と、思わず口に出してしまった。
これで、師匠の企みが、ようやく、全て分かった。
同時に、俺は、あの人を超える策士には、なれないな……と、素直に思った。
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