遠慮と携帯 その3
携帯ショップを出ると、舞韻は自分の車に向かって歩きながら言った。
「オーナーはあと30分後に家に向かってください。私が先に家に行ってますから」
「折角なんだから一緒に行けばいいじゃないか」
と、俺が言うと舞韻はやれやれ……といったジェスチャーをしながらため息をつき
「オーナーは本っ当に女心が分からない系ですねぇ。……私が選んだものと、オーナーが選んだものでは、燈梨の喜び方が全く違ってくる系なんです!今日、私はさっき起きたばかりでここにはいませんでした!……いいですね!!」
と、念を押すように口に人差し指を当て“しぃー!”のジェスチャーをして言った。
「ああ……分かった」
「必ず30分以上後で、ですよ!取り敢えずそれでも読みながら、そこで何か飲むなりして時間を潰してください!」
と、言われて週刊誌を渡され、手を引っ張られて近くのハンバーガーショップへ放り込まれ、舞韻は並ぶところを見届けると、去って行った。
……仕方なしにハンバーガーとポテトLとシェイクを頼んで、店の隅の方の1人席に陣取り、週刊誌を読みながら時間を潰すこととした。
ポテトLとシェイクは、少しでも時間が稼げるように頼んだものだ。
……ハンバーガーをゆっくり1口かじりながら、さっきの舞韻の言葉を考えた。
……燈梨は、俺から携帯を貰った方が、舞韻から貰うより嬉しいものなのだろうか?
……むしろ、同性で年齢も俺よりはるかに近い舞韻が選んだと分かった方が、変なものでないという安心感があるのではないだろうか……と、思うのだが、記憶が無くても舞韻のその手の勘がとても鋭いのは分かるので、彼女の言ったとおりにしようとは思うのだ。
やはり、理解できない。
……舞韻に言わせると『本っ当に女心が分からない系』なんだろうが……。
週刊誌に適当に目を通しながら、買ったものを全て食べる頃には50分ほどが過ぎていた。
俺は、荷物を持つと駐車場に止まるマーチのドアノブのボタンを押してロックを解除し、エンジンを始動させて家へと向かった。
……この車は小回りの利く便利さと、エンジンの吹け上がりの楽しさが味わえる面白い車だ。
……舞韻に訊いたところによると、前のオーナーから処分を依頼されて引き取った数日後にエンジンとATが同時に故障して、エンジンとMTを探してきて載せ替えたそうだが、外観は深い小豆色で、グリルやバンパーがメッキの変わった造形のちょっとクラシック的なお洒落さが感じられるのに対し、走りがカミソリのように切れていてギャップも楽しめるのだ。
前のオーナーに役立たずと見捨てられていたと聞くこの車も、手間暇愛情をかければまだまだこんな面白い車になるんだな…と、思うと前のオーナーも勿体無いことをしたなぁ…と、可哀想に思ってしまう。
家に帰ると、燈梨と舞韻が店の中にいたので、俺も店の中に入った。
「コンさん、おかえり」
「オーナー、仕込みに来ました」
と、迎える2人を見ると、舞韻からジェスチャーで『さっさと渡しちゃいなさい』と、せっつかれたので、舞韻が、俺の飲み物を用意している間に紙袋をカウンターの燈梨の前に出すと
「これ、使いな」
と、言った。燈梨はぱちくりとまばたきをすると、ぽかんとした表情で
「なに?」
「まぁ、中の物を見てみなって」
と、言うと、燈梨は中から箱を取り出して開ける。
……その様子を白々しくも興味深く眺める舞韻の姿があった。
「あっ!!」
「携帯だ」
「へぇー!……オーナー自身は随分前の機種なのに、出たての最新機種ですか」
と、舞韻がまた白々しく口を挟む。
……すると、燈梨が言った
「本当だ!コンさん。『使いな』って?」
「燈梨がだよ。それ、買ってきたから使いな」
「えっ!?」
燈梨は目を白黒させて驚きの表情を浮かべた。
「なんで?」
「必要だからだ。一応、俺の元の職業は知ってるだろう?」
燈梨は携帯を抱きしめながら頷いた。
俺は続けて
「この家のセキュリティは万全らしいから大丈夫なんだが、万一という事もあるし、それになにより、連絡がつくという事が安心できるんだ」
と、言うと燈梨はへらっと笑って俺を妖艶な表情で見ながら
「なるほど、大事な私のためだね。もしかすると、コンさんは私を愛しているとか?」
「アホか!!これがあれば夕飯の時も時間が分かって安心だし、色々と調べごとも出来るしな!俺のパソコン使っていいって言ってるが、どうせ使ってないだろ?」
と、言うと、燈梨は俺を上目遣いで見ながら言った。
「本当に……貰っちゃっていいの?」
「ダメだったら、買って来ないよ。冗談でやるには、手間がかかりすぎだろ」
と、言うと、再び上目遣いで
「コンさん」
「ありがと。……大事にするね」
「コンさん。……まずは連絡先、交換しよ」
と、言われたところで、俺は固まった。
……俺は、記憶が無くなってから自分のプライベートの携帯の番号をすっかり思い出せなくなっていたのだ。
……そして、スマホになって以降は自分の番号の呼び出し方を全く知らないのだ。
……それを見た舞韻が
「オーナーは、記憶が無い上に、デジタル機器は初代アンドロイドでストップなの!」
と、言うと、燈梨はそれを察して俺の携帯を受け取ると、ちゃかちゃかと連絡先を交換した。そして、メッセージアプリと、電話帳のそれぞれを開けて見せて
「ほら、私の携帯、コンさんが一番乗りだよ!」
と、ニコニコしながら嬉しそうに言った。正直、これからいろいろと増えていくだろうに、と思って
「これから、どんどん増えていくだろ」
「一番乗りだっていうところに意味があるの!!」
と、ちょっと不機嫌そうに言った。
舞韻の方を見ると、ジト目で口パクをしている……その口の動きから
「本っ当に女心が分からない系」
と、言っているのは間違いないようだ。
俺は、携帯をとても嬉しそうに操作する燈梨を見て
「若い女の子の考えてる事なんてわからねぇなぁ」
……と、思いながら、携帯ケースを見つけて無邪気に喜ぶ姿を見て、燈梨のこういう素直に笑い、喜ぶ姿をもっと見たいと心から湧き出てくるように思った。
ふと、気付くとそんな俺の表情を舞韻がニヤニヤしながら眺めていた。
俺は、それを振り切るようにコーヒーを飲んだ。