拉麺と練習
この話で行われている事は、友人が実際に父親に言われて体験したことをベースにしています。
この話を聞いて、「これは使える練習法だ」と思ったので今回、書き加えました。
今日は平日だが、有休を年間5日以上使わなければならないとかいう法律のおかげで、俺は、休むこととなった。
舞韻の店も、前から調子の悪かった設備の工事のため休みで、燈梨も家にいた。
ちょっと遅い朝食を食べながら、俺は、急に発生したこの余暇を有効に使う案を思いついた。
「燈梨、今日の昼なんだけどさ」
「うん……」
燈梨は、急に俺に呼び止められて不思議そうな表情になっていた。
「ラーメン食べに行こうぜ。美味い所、知ってるんだ」
一瞬、何が起こったのか分からないような表情をしていたが、ニッコリした。
「うん!」
「じゃぁ、さっそく準備しよう。燈梨の運転で頼む」
「え!?今から?だって、今、朝食食べたばかりじゃん」
「いいからいいから、行くぞ」
と、半ば強引に押し切る形で、準備をして1階へと降りた。
1階に降りると、舞韻がいて、燈梨に
「あら、どっか行く系?」
「コンさんが、ラーメン食べに連れてってくれるって言うんだけど……今、朝ごはん食べたばかりなんだよね」
舞韻は、ニヤッとしながら俺を見た。
「ああ……ラーメンね。大丈夫、ちょうど良い頃合い系よ」
燈梨は、不思議な表情を浮かべながら玄関を出て、自分のシルビアに乗り込んだ。
俺は、助手席に乗り込むと出発した。
俺は、道案内しながら訊いた。
「燈梨は、ラーメン食べるの久しぶりか?」
「そだね……実家を出て以降はないかな。元々、向こうにいる頃もあまり外食ってしたこと無かったから……」
「そうか……」
「でも、好きだよ。ラーメン」
燈梨は、前を向きながらも笑顔で言った。
「そこの信号、左な」
「うん……って、え!!」
「コンさん、ここって高速じゃん。ラーメン食べに行くんじゃないの?」
俺は、ニヤッと口角を上げた。
「そうだぞ。でも、一般道で行くとは言ってない」
「私をどこに連れてく気?」
「ラーメン屋だ。但し、昔の職場の近くにある都内のな」
「うう~!騙された。コンさんの詐欺師!サディスト!」
「別に騙してなんてないぞ。……おい、ちょっと遅すぎじゃないか?ここは高速だぞ」
シルビアのスピードは、明らかに一般道を走るそれ並みだったので、指摘すると
「こんなにスピード出したことなんてないよ~」
「なかったら、今日から出すんだ。ここをそんなゆっくり走ってると逆に危ないぞ」
今は、3車線区間なので、左端を走っているシルビアの脇をビュンビュンと後続車が追い抜いていっているが、以降の2車線区間でこんなことをしていては本当に危険だ。
「こんな速度で5速に入れてチンタラ走るな!4速でもっと加速しないと、後ろから来たトラックにどつかれるぞ」
燈梨は、4速に落とすとアクセルを踏み込んだ。同時にブーストがかかり、加速力が段違いに強くなってようやく流れに乗ることができた。
やがて、2車線区間に入り、暫くするとETC車載機のチャイムが鳴ったので、俺は
「燈梨、ここからはお前が習ってきた常識が常識でない区間に入るからな。心しろよ!」
燈梨は、震える声で尋ねた。
「常識が常識でない区間って……何?」
「首都高だ!」
「コンさんの鬼!」
燈梨は、悪態をつくが、余裕がないのは見れば分かる。
まっすぐ前を見たままで、表情も硬い。
唯一の救いは、しっかりシートの背もたれに背中をつけて肩の力が抜けた運転姿勢だ。
「ほら、これがスカイツリーだぞ」
「知ってるし」
余裕がないのは、返しでも分かるし、言葉とは裏腹に燈梨はツリーの方を一瞥もしていない。
電光表示板を見たが、区間に渋滞はないので、本線のスピードのアベレージは高めだ。
その余裕のない燈梨の横を次々と車が追い越していく。……すると、燈梨は余計に左へと寄り始めた。
環状線に合流すると、燈梨の常識は崩されて頭がパニックになりかかる。
……右車線に合流したからだ。
左のミラーをしきりに見て合流しようと窺っている燈梨に
「このまま右車線を走るんだ」
「どうして?」
「出口が右側だからだ」
「え~~~~~!!」
燈梨は、脱力したような表情で言ったが、だからと言って運転はやめられずにそのまま右車線を進行した。
目的地の出口付近で、ヨタヨタしながら左車線の進行を止めて右に行こうとして、後続車から猛烈なクラクションを浴びているタントがいた。
「訳も分からず左に貼りついているとああなるんだ」
「そんなこと言われても知らないものは知らないし」
燈梨は、憮然としながら言うが、車線変更してきた観光バスに後ろに貼りつかれて悪態をつく余裕もなくなっていた。
シルビアは首都高を降りると、通りに入り東京駅の前を曲がって茅場町方面へと向かった。
「ほら、燈梨、東京駅だぞ」
「知ってるって!」
余裕のない燈梨は、つっけんどんに返答してきた。
都心の一方通行に苦労しながらも、目的地のラーメン屋の前に到着した時は午後1時半だった。
シルビアを路上のパーキングチケットのスペースに止めると店内に入った。
平日のオフィス街という事もあり、1時を過ぎると飲食店の店内には余裕ができるので、並ばずに入ることができた。
俺たちはそれを利用してテーブル席へと案内された。
目的のラーメンを食べながら、俺は訊いた。
「どうだ?」
「うん、おいしいね。結構麺にコシもあるし、スープのコクが絡んでて」
燈梨は、笑顔で食レポ風に言った。
……正直、最近の燈梨は凄く自然な感じで笑顔を見せるようになった。
最初の頃は、明らかに作ったような笑いを浮かべていて、ちょっと不快だったが、今の燈梨の姿を見ていると、ホッとするし、この笑顔をずっと見ていたいとも思える。
そして、それを守ってやりたいと心の底から湧き上がってくる思いがある。
……それを押さえて
「それもだけど、ここまでの道、走り方に慣れたか?」
燈梨は、ちょっとムッとした表情になった。
「それだよ!いきなり首都高なんて通らせてさ、何が目的なの?」
「そこが重要なんだ。最初から真っ直ぐで道幅の広いニュータウンの道路で運転を慣らしてしまうと、古い街並みや、都心を走れなくなっちまう。だから、初心者のうちに首都高と都心の道路を走っておくことが必要なんだ」
燈梨は、それまでの、むぅ~っとした表情からちょっと考え込む仕草になって
「確かに……勉強にはなった……かな?」
「俺は、日本に戻る前に世界中の色々な所で運転してきたが、日本に来て都心と、首都高を初めて走った時が一番怖かった。それくらい、独特なんだ」
食事を終えると、休憩に近くの公園に行った。
都心の公園なのだが、結構子供も多く、かと言ってサラリーマンも多いという独特の雰囲気を持っている。
「運転に慣れる意味でも、都内には結構来てみるといいと思うぞ。都内のスポットも平日なら結構空いてるしな」
「うん……でも、私は、あんまりこの人の多い感じが好きじゃないかな……それに、東京に来ると……その、コンさんに出会う前の事とか思い出しそうだし」
「そうか。でも、東京を嫌いな場所にはするなよ。今の燈梨なら、きっと、変なことを思い出す事もないんじゃないか?」
俺は、燈梨を覗き込みながら言うと、燈梨は振り切れたように上を向いてニコッとした。
「そだね。私、苦手は作りたくない。……でも」
「でも?」
「行く時、コンさんもついて来てくれる?」
と、俺を覗き込むように振り返って言った。
「ああ、燈梨が、それが良いって言うなら行ってやるぞ」
「ありがと」
燈梨は再び笑顔で言った。
シルビアに戻ると、再び燈梨の運転で出発した。
「どこか行くか?」
と、言うと、燈梨は次の瞬間
「もういいよ!さすがに今日は初めてのことばっかで疲れちゃった」
と、言うので
「じゃあ、帰りは違う道から帰ろう」
シルビアは再び環状線に入り、半周したところで台場線へと入った。
途中で
「ほら、燈梨、東京タワーだぞ」
と、言うと燈梨は少し慣れたのか余裕ができていた。
「うん。でも、行ったことないんだよね」
「俺もないな。正確にはあるらしいんだが、物心つく前でな」
「今度、行ってみようよ」
「ああ」
などと会話を楽しむこともできた。
やがて、燈梨が
「コンさん、ここって?」
「ああ、レインボーブリッジだ。折角だから通って帰ろうと思ってな」
「初めて通るよ」
「そうか」
運転しながら嬉々とする燈梨を見て、俺もとても嬉しかった。
燈梨も、遂に心も体も自由へと羽ばたけるように思えた。
……ただ、それは同時に俺の役目は終わるという事でもあるのだ。
彼女が羽ばたけるようになった時、ここから巣立っていくことになるだろう。
舞韻での経験はあるのだが、嬉しくて、そしてちょっぴりだけ哀しいあの思いをする時が、もうすぐやって来る。
俺は、胸にチクりとくる思いを抱きながらも嬉しかった。
家に戻ると、今日の特訓がよっぽどこたえたのか、燈梨はソファにぐてっと崩れ落ちた。
「はぁ~……どっと疲れたぁ~」
「言うと思ったよ。今日は、俺が何か作ってやるから、テレビでも見てくつろいでな」
こうなることは最初から予想しており、俺は予め冷蔵庫の中身をチェックしてメニューを考えておいたのだ。
「いや、家事は私の担当だし……っていつもなら言うけど、今日はさすがに無理っぽいからコンさんに甘えるね」
さすがの燈梨も、これだけの疲労には勝てなかったようだ。
俺は、キッチンに向かい、下ごしらえを始めると、燈梨がこっちを向いた。
「コンさん」
「なんだ?」
「疲れたけど、やっぱり車運転するのって楽しいね。私さ、世界が広がったみたいだよ」
「大袈裟な奴だな」
「それで、コンさん」
「なんだ?」
「ありがと。……お礼、言えてなかったから。免許を取らせてくれたことと、車のこと。コンさんと出会ってなければ、私、こんな世界があることを一生知らないままだったと思うし」
燈梨が言ったことは、本当の事だろう。
自分の意のままになる乗り物を手に入れた時、世界が開けると同時に、これさえあればどこまでも行けるような気分になったのは俺も同じだ。
だからこそ、自由への翼と表現したのだ。
……などと考えていると不意に
「コンさん……」
「……お……おう、どうした?」
柄にもなく、どもってしまうと
「やっぱり……なんでもない!」
と、顔を逸らしながら真っ赤になっていた。
「なんだよー!気になるだろ!」
俺は、指をワキワキさせながら、意地悪く燈梨の方へと歩み寄っていくと
「なんでもないって!……それより、お腹空いたんですけどー!」
と、言われて俺は渋々キッチンへと戻った。
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