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第8話 元勝ち組女子の奮闘



家の方も順調だ。

埃と汚れ的な話。


地道な掃除が功を奏してやっと湯船に安心して浸かれるようになったし、台所の救出も終わった。廊下の端も歩けるようになった。

あとはこれを維持していくだけだ。


だからというわけではないが、部活もやっていないから暇な放課後に学校の図書室で料理本を読み漁って、ついに自炊に挑戦し始めた。


正直、失敗もあれば成功もある。

もちろん無駄に出来ない食材故すべて腹の中に収めているが、苦痛を伴わず食べられる献立、すなわち成功といえるものは確実に増えていた。


冷蔵庫の中には最低限、モノが入るようになった。

たまごと、キャベツともやしくらいのものだが、冬子は冷蔵庫に常備されている食材があることに殊更満足感を覚えている。


元々は自分たちが各自飲む用の500ml(冬子)か大型(秋人)のペットボトルか缶ビール(母)が時々ぽつんと入っているくらいしか活用されていなかったのだから驚きだ。

無用の長物というのだ、そういうものは。電気代の無駄ではないか。


最近は常時麦茶を作って用意している。安くて大量に作れるのはありがたい。

毎回ペットボトルを買っていたら、かなりの出費になるのだ。


このお値段でこの量が!? と通販番組のように大いに歓喜した日が懐かしい。今では飲料の王様と崇めている。


ついでと言ってはなんだが、発掘した水筒に毎日麦茶を注いで弟の名前を張り付けて置いておくのだが、秋人はいまだに持っていってくれたことはない。


「家族の溝は深いなあ」


呟きはすれど、冬子はぜんぜんめげていなかった。


最近は低予算故にあまりレパートリーが増えない(増やせない)のが悩みだ。

買える食材に限りがあり過ぎるし、自分一人分の自炊というのも案外効率が悪い。


そこで考えたことがある。


「そう、勝手に横領作戦!」


聞こえは悪いが、手段も悪いが、……まあ聞く耳持ってくれない弟が悪いのである。

いや、そもそもは彼のお小遣いを勝手に使い込んでいた姉たる冬子が悪いのだが、そこは一つ置いておいて、なんにせよ変化というのは無理やり始めなければ起こらないことだってある。


作戦としては単純で、

自分一人分だった朝食を、二人分作る。

そして勝手に五百円徴収する。


「ん、どうにも言い方が悪いな」


冬子は仕切り直す。

作戦名に『横領』と付く時点でだいぶ聞こえが悪いので、言い直しにあまり意味がないことには気づいていない。


「秋人の二千円の内、千五百円は残して、置いておく」


これで意図は伝わると思うのだ。

一食のご飯。半分に減った千円。


「ちょっと、怖いけど」


怖いのは『勝手に』の部分だ。

だが許可なんて得られるわけがないから勝手にやるしかない。


あの体格のいい弟に激昂されるのはとても怖い。


怒ったらやめよう。

だから怒るなら普通に怒ってくれることを切に願う。


「殴られたらホントに死んじゃう」


そんな子ではない、と思いたい。

体格のいい自分より、デブな姉に二千円を残してくれていた彼だ。性根の方は信じてもいい、……はずだ。


ちなみに自室が和室の冬子は襖に自力工作で鍵を取り付けていた。なかなかに器用な出来で感心したものだが、一応現冬子になってからはオープンマインドを示すために一度も使っていない。


ちょっとだけ「明日は鍵をかけておこうかな……」なんて思ったが、ぶんぶんと頭を振って弱気な自分を追い払う。

あと、どうせあの弟が本気で怒ったら襖なんて紙切れ同然だ。意味がない。


せめて、目一杯おいしい精一杯の料理を作ろう。

自分にできる努力はそれだけだ。


ドキドキしながら決行した日。

朝から心臓は大忙しだ。

緊張に負けずに作った朝食は我ながら美しく仕上がったと自負している。


弟が起き出す前に作り終わり、さっさと退散。


息を殺して弟の動向を自分の部屋から探っていた冬子のもとに、彼が殴り込みに来ることはなかった。


玄関を閉める音を合図にそっと台所に行ってみれば、キレイに空っぽになった気合の入れた朝食たち。


――が、二皿。


思わず額に手を添えた。


「……お姉ちゃん(わたし)の分まで食べたわね?」


いやがらせなのか、足りないという意思表示なのか、とても悩むところだ。


でも、まあ、いいやと冬子はくすくすと笑った。

拒否されなかったのだから、なんにせよ一歩前進と言っていい成果だ。


「明日はもっと量を増やしてみましょ」


もちろん怒られなかったのだから作戦は続行。


そして少しずつ量を増やし続けた朝食は、やっと一週間で冬子の分も残るようになった。


「……あの子、胃袋四つあるんじゃないでしょうね」


米粒一つ残さず平らげられた皿を眺めながら思わず呟く。

『呆れ』成分が多分に混じっていたことは言うまでもない。


彼の満足する量ときたら、軽く冬子の三倍はある。

ちょっと、同じ生き物だと思えなくなってきた。

たぶん食欲魔人だ。あるいは大食モンスター。


そうこうしているうちに、ついでとばかりに長らく置き去りにされていた水筒も持って行ってくれるようになった。


なんなら、ある日突然、別の水筒がおいてあったくらいだ。


これもまた掃除した折、出てきていたもので。家族のピクニックで持っていくような巨大な水筒だったので、いつか家族三人で出かけることがあればいいなと思いながら、願いを込めて捨てずにしまっておいたものだ。


「足りない、と。はいはい、了解」


すぐに察しはついた。


だが苦笑には呆れの他に喜びが混じる。

主張をしてくれることは、嬉しいことだ。

こんな些細なことだって、コミュニケーションと呼べなくもない。


弟はとにかく姉が嫌いなようで、なにがなんでも顔を合わせることを避けていた。

遭遇してしまった際には、冬子の挨拶に返ってくるのは舌打ちと決まっていたのだから、これを前進と言わずして何と言う。


「継続は力なり!」


頑張ろう。

こんな小さな変化でそう思えるのだから、自分は案外簡単な女なのかもしれないと冬子は思った。






そんな毎日の中でのこと。

ある日『うっかり』が発動した。


自然光で目が覚めるタイプの冬子()は、天気が悪い日だとたまに寝坊をする。昔からのことで、一年に二度、あるかないかの頻度。

遥には起こしてくれる母がいたが、残念ながら冬子にはいないことが敗因だった。


アラームもかけてあるのだが、こちらは登校時間を知らせる用にセットしてあった。スヌーズ機能を使って、家を出るまでのカウントの目安にしている。

その音で目が覚めた冬子は、瞬時に覚醒して思いっきり叫んだ。


「しまった、朝ご飯!!」


がばっと飛び起きて、慌てて弟の部屋に直行したがやはり姿はない。

もう出て行ってしまった後らしいとがっくりと肩を落とす。


「やっちゃったなあ」


反省しきりだ。

せっかくコツコツ積み上げてきた信頼が水の泡かもしれないと思うとさすがの冬子もちょっとは凹む。


ぺたぺたとスリッパの音をさせながら台所に向かって、冬子の日々の努力によりきれいに片づけられた静かなダイニングテーブルに一人悄然と着く。


ここから自分一人の朝食を作る気にはなれなかった。


「……あれ?」


だがあるはずのないものが目に入って、冬子はそれをまじまじと見つめた。


テーブルの上に冬子の分の千円札が一枚と、――コインが一枚残っていた。

銀色のコインを拾って目の前に掲げる。


「五百円玉だ」


紛れもなく本物。

別に最初から疑っていたわけではないけれど。


それはいつも朝食に変えて、秋人から勝手に徴収していた500円。


「用意も出来てないのに……」


それの意味するところを噛みしめて、大事に手の中にしまい込む。


「あの子ったら」


笑いながら、思わず泣いてしまった。


少し落ち込みはすれど、最初からこんな失敗程度で諦めるつもりはなかった。

それでも、


「明日も頑張ろう」


もっと、頑張ろう。

これだけでずっと、頑張れるかもしれない。

そう思えた。



手の中のコインは冬子のお守りになった。




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