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第3話 勝ち組女子の悲哀



通学定期券で行ける範囲だったのはとてもありがたい。なにせ財布の中はすっからかんだった。


「この時間だと、まだ学校かも……。でも、もしわたしと同じ状況なら混乱して学校どころじゃないかもしれないし」


とにかく行ってみなければわからない。

「彼女」が学校に行っているにしろ、自分のように混乱して家に居ようと、行きつく先は家。


『会って、話をする』

それが目的だった。

会わなければわからないこともあるだろうし、話さなければ始まらないこともきっとある。


当事者二人で相談すれば、現状把握でも、解決の糸口でも少しは前進できると思うのだ。

少なくともこの特異な状況を経験している(であろう)たった一人の仲間だ。一人ではないとわかればきっと心強い。


とにかく全ては会ってからだと、遥は決戦に挑むような気分でずんずんと歩く。

その圧で通行人があからさまに道を開けるので、途中からは少し小さくなって歩くことにしたけれども……。


乗りなれた電車は少しだけいつもの日常を取り戻したような気がして遥を安堵させる。


だが外に出てすぐに感じた、遥が経験したことのない空気はここでも始終付きまとう。居心地が悪くてつい身じろぎをした。


遥の知らない世界がそこには広がっている。


注目されることには慣れていた。けれど好意的な視線ばかりを受けてきた遥が初めて向けられた種類の視線は随分と鋭く肌に刺さる。

くすくすとこちらを見て笑う人々の嘲笑は見ないふりをした。




「着いた!」


ぱっと笑顔がこぼれた。

たった一日だというのに、見慣れた門構えが随分と懐かしく感じてしまう。


家はちゃんとあった。

異次元に消えたりしてないないし、表札を見る限り家族はみんな存在している。


超常現象はいまのところ彼女と自分の身にだけらしいと思いながら、家の前で遥は思わず涙ぐんだ。


インターホンを押す指は震えていたと思う。


チャイムに応えて、明るい声がインターホンから返ってくる。


「はーい、どちらさまでしょう」


母だ。

機械越しとは言え、母の声だ。


思わず「助けて!」と何もかもをぶちまけて縋りつきたくなる自分を叱咤し、遥はあえて平坦な口調で聞いた。


「……こんにちは。深山遥さんはご在宅でしょうか」


自分の口で自分のことを尋ねる。

あり得ない状況を改めて突き付けられたような気がした。


「すみません、娘はまだ学校から帰っていなくて」


深山家のインターホンはカメラ映像も映す。あちらから遥の姿は見えているはずだ。

娘と同年代の姿に母の警戒も薄いのだろう、そんなことを教えてくれた。


――彼女はきちんと学校に行っているらしい。意外だ。


「遥のお友達? ちょっと待っててね」


娘の友達だとしたら姿を見せないのも失礼だと思ったのだろう、しばらくすると母が玄関から顔を出す。

ほっそりとした、たおやかな美人だ。一人娘がいるとは思えない若々しさと可愛らしさを同居させた、娘とよく似た笑みを浮かべる女性。

二人で出かけると年の離れた姉妹に間違われることもある、遥の自慢の母親だった。


「もうすぐ帰ってくる時間だと思うの。もしよければ、家の中で待つ?」


娘と同じ年頃の相手にもフレンドリーに話す母からは少し甘い匂いがした。

ケーキでも焼いていたのかもしれない。

――本来なら自分と、一緒に。


そこが限界だった。

一日我慢してきたものがどっとあふれ出す。


「お母さん! わたしよ! 姿が変わっちゃってわからないかもしれないけど、わたし娘の遥なの!」


号泣しながら、門扉の鉄柵を掴んで必死に叫ぶ。

隔てるものがなければその胸に迷わず飛び込んでいただろう。


「なにが起きたのかわからない! でも気づいたらこの姿で! 昨日からわからないことばかり!」

「……ええ?」


一歩後ろに後退りながら発された戸惑いの声には、紛れもなく――警戒が滲んでいた。

当たり前だ。

娘とは似ても似つかない、しかも見たこともない人間が突如家にやってきて、娘だと叫ぶ。信じる方がおかしい。

頭ではわかっているけれど、解決法が思いつかない。愚直に話すことしか今の遥にはできなかった。


「信じて! 多分、体が入れ替わったのよ。自分でも荒唐無稽な話だってわかってる、でもそうとしか説明できないの! どうしよう、どうしたらいいの? 助けて、お母さん!!」


鉄柵の間から手を伸ばす。

母がさらに一歩後ろへ下がる。


「待って、お母さん! いかないで!」


伸ばされた手と遥の顔を交互に見ながら、心底困り果てているのが手に取るようにわかった。


「ねえ、どうしたら信じてくれるの!?」


不審者と断じず、即座に拒否されなかっただけマシな状況も、遥には救いにはならなかった。

くしゃりと歪む顔が悲観に染まる。


「わたし、どうしたらいいの?」


だばだばと涙を流す少女に、どうしたらいいのと問われて答えを持ち合わせている者は少ないだろう。母も例に漏れず。

おかしな少女の対応に苦慮している母を見かねたのか、運命の神とやらはもう一人の当事者をようやく登場させた。


「……鈴代さん?」


咎める色合いを含んでいるというのに柔らかな声は、大騒ぎする遥の耳にも不思議と届いた。


別に呼ばれたから振り返ったわけではない。そもそもこの体の、……自分の名前など忘れていた。

ただ聞き覚えのある声だったからそうしただけ。


視界の隅に、遥の視線が外れたことによってあからさまにほっとした顔をした母の姿が見える。

仕方のないこととはいえ、少しばかり傷付いた。


遥が顔を向けた先には予想通りの姿が。

いつもと変わらない顔。表情。声。すがた、かたち。

ぼんやりと目に入れてかすれ声で呟く。


「……わたしの、顔」


あれが、自分だったはずなのに。

なぜ自分の意志と分離して存在しているのか、心底不思議でならない。


学校から帰ってきたところだったらしい遥が軽やかに駆け寄ってくる。

ぐしゃぐしゃな顔の遥を恐れもなくのぞき込んで、くすりと笑った。


「ひっどい顔ね。ホント不細工」


そう耳元で告げられた言葉はきっと、母には届かなかっただろう。


暴言に反応する暇もなく、すっと体を引いた彼女が体の前で手を打ち鳴らして微笑んだ。

今度は母にも聞こえる声で。


「あ、やっぱりそうだ。こんなところでなにやってるの? またいつもの遊び? ダメだよ、仲間(ウチ)だけのお遊びでしょ? 他の人に迷惑をかけるのはルール違反だよ」

「え、なに? なんのこと、」

「ママ、ごめんね。ちゃんと言って聞かせておくから! もうこんなこと二度としないように。すぐに帰るから、先に家に入ってて! ほら、鈴代さん。いこ」


目を白黒させている間に腕を取られて引っ張られる。


「い、いた」


にこにこと顔が笑っている割には、力が異様に籠っていた。

腕に跡を残すほど強く掴んだ彼女の指は、まるで痛みを与えるかのように皮膚に爪を立てている。

痛みに耐えかねて思わず遥はその行動に従って足を進めた。


「待って、お母さんとまだ話が……」

「それって先に私と話すことじゃないの?」


さっきまでの明るい声はどこへやら、低く静かな声が遥を責めるように問いただす。

言われて遥ははっとした。

そうだ、そもそもの目的は彼女と、今は深山遥の姿をしている彼女と話をするために来たのだ。


母の顔を見てうっかり感情の波にのまれてしまったが、なんにしろこちらと話し合わなければ解決の糸口すら見えない。

なにも知らない母に泣きついたところで、このこんがらがった紐をほどけるわけがないのだ。せめてヒントなりを携えて、共に答えを探してくれと頼むべきだった。


後ろ髪を引かれつつ、遥は成り行きについていけていない母に謝罪とひとまずの退散を会釈で示す。


娘の言動から仲間内のちょっとした悪戯だと結論付けたらしい母は、口を出すわけでも引き留めるわけでもなく二人を黙って見送った。


「どこに行くの。ねえ、あなた。ええと、鈴代さん? でいいのかしら」


たたらを踏みながら、引き摺られるように歩く間に、彼女の背に喋りかけたが反応はない。


手を掴まれたまま道を曲がり、人目がなくなったあたりで痛いほど握られていた腕を離される。

離される、というよりどんと壁に向かって突き飛ばされた。

地味に痛い。

だが食いこんでいた爪が外れたのでホッともした。多分この腕が太すぎるだけで、わざとではないのだろうけど。


一応抗議と共に、他の誰かの手を掴むときは注意するように伝えようと顔を上げたが、彼女の目が鬼のように吊り上がっていたので思わず言葉を飲み込んだ。

自分の顔だというのに怖い。こんな迫力を出せることを自身が知らなかった。


「なにやってんのよ、アンタ。まじ迷惑なんだけど。人の生活脅かすのやめてくれる? まさか直接乗り込んでくるなんて想定外にもほどがあるっての!」



「――え?」




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