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第13話 元勝ち組女子の幸福



それから朝食は二人で食べるようになった。

夕飯も、二人で囲むようになった。


バイト先に迎えに来るようになった秋人と二人、ご厚意に甘えて店で食べて帰ることもある。

どうやら秋人は以前から店の常連らしい。小さく会釈した秋人に「まあ」と驚いて招き入れた老夫婦のはしゃぎように目が点になったのは冬子の方だ。


「最近顔を見せないから心配してたんだよう」

「なんだって、冬子ちゃんの弟!? そうかい、そうかい!」


にこにこした老夫婦が「いいから食べていきな!」と、空にする端からわんこそばのように秋人の茶碗に米を盛っていく。


「もう大丈夫なのかい?」

「……はい」

「そうかい、そうかい。そりゃよかった」


なんてことのない、そんなやりとりに胸が痛んだ。

やたらと、無力感と悔しさが募ったと言ったらおかしいだろうか。

なにに対してかは、自分にもわからなかった。

記憶がないことにか、過去の所業にか、あるいはいまさら過去の彼に何もしてあげられないことだろうか。


「いきなり二人も孫ができたようだ」

とはしゃいでいる老夫婦に「姉弟ともどもお世話になっております」とお礼を言いながら、絶対に秋人を幸せにしてやろうと固く心に誓う。


そんな秋人には冬子が毎日続けていた母への一言メモを強制的に書かせることにした。

普段から二人ともまったく接点がない上に、放っておくと積極的に関わろうとしないコミュニケーション問題児たちだ。

この強制には意味がある。……と思う。


「めんどくせえ」と文句を言いつつ、彼は逆らわなかった。

微笑ましく思っていたのがバレたのか、その後、秋人は数時間ほど不機嫌になって口をきいてくれなかった。かわいい。


「なあ、俺も食器くらい洗うけど?」


居間でのんびりテレビを見ていた秋人がそのうち台所を片づけてくれるようになって、朝のゴミ出しもしてくれるようになって。

相変わらずあまり姿を見ない母は毎朝家中のカーテンを開けて、自分の布団をしまってから家を出るようになった。


「……うちって、こんな明るかったっけ?」


寝癖をつけたまま寝ぼけ眼で朝食の席についた秋人がぼそりと呟く。

冬子はくすくすと笑った。


「お母さんにありがとうって伝えてね」

「『母さん』に、……ねえ? まあ、いいけど」

「なによ、不満そうね」

「べっつにぃー?」


その言い方はなんだと叱ったけど、すでに秋人はご飯に夢中になって聞く耳がぱたりと閉じていた。


「もう!」


諦めと怒りと一言で表した冬子に、くつくつと肩で笑う弟。

聞こえてるじゃないかと、冬子はもう一度「もう!」と文句を言った。




§    §    §




とある日。

冬子は前もってバイトの休みをもらい、学校帰りに急いでスーパーに飛び込んで、さっさと買い物を終えて走って家に帰った。


台所をひっくり返してどったんばったんと作業していたら、なぜか部活で遅いはずの秋人も早々に帰ってきた。

目を点にしていたら「はは」と笑われた。


「ふんふん♪ ふん、ふん~♪」

「……おい、もういいだろ? どんだけやらせんだよ。いい加減、腕が疲れたんだけど」

「どれどれ? ……混ぜ方がぜんぜん足りないわよ。その筋肉は飾りなの?」

「あ゛あ゛?」


一緒に大騒ぎしながら豪華な夕食を作り、久々にケーキを焼く。

正直一人でやった方がよほど効率がよかったけれど、楽しかったからこれでいい。これがいい。

カレンダーに〇がついている今日は特別な日なのだ。ちなみに冬子が書き込んだ。


「秋人、上の棚の中に入ってる大きい方のボウル取ってくれない?」

「ああ? ねえぞ、んなの」

「って、その手に持ってるやつ! なんで使ってるのよ!」

「別の使え、別の。先に取ったもん勝ちだろ」

「大きいのがよかったのにい!!」


秋人はまだ一人で外食ばかりだった頃、どうしても食べたくて挑戦したという鶏のから揚げをレンジで作ってくれた。


「やっぱり姉貴に作ってもらった方がよかったかな」


少しべっちょりした完成品をつまみ上げて秋人が苦笑していたけれど、冬子はどうしてもそれが食べたかった。

捨てられないように慌てて抱え込んでいたら秋人が「別に取らねえって」と呆れ顔をする。


「ま、いいか。思い出の品ってことで食べてもらうのも。たまには、悪くない」


まあ、味は保証しないけどな。

くしゃりと笑う秋人に、くしゃりと笑い返した。


お腹はすいたけどつまみ食いもせずに、二人居間でくだらないテレビを見ながら帰りを待つ。

帰宅時間は常に読めない人だから仕方がないけど、夜半を過ぎるとさすがにうつらうつらしてきた。


「ちゃんと起こしてやるから、とりあえず寝たら?」

「起きて待ってるー」


見かねた秋人に言われたけど、頑として譲らない。

言いながらすでに半分寝ている冬子に掛ける、「しゃーねえなあ」という声は随分と柔らかだ。少しくすぐったい。


秋人の鼓動は心地いいし、ぬくい。

頭上から聞こえるあくびはあいかわらず獣の威嚇みたいで強そうだ。安心するからよけいに眠くなる。


睡眠導入剤より強力だなと悔し紛れに全体重を預けてやった。

びくともしない。やっぱり安心だけが残った。


寝入ったのは多分一瞬。

玄関の開く音で冬子ははっと目を開ける。


同じく半分寝ていた秋人の腕を叩き、二人で慌てて玄関に顔を出したら驚いた顔をされた。


「なに、あんた達まだ起きてたの!?」

「うん、今日は特別。ね?」


秋人を見上げれば「まあな」と澄ました顔で返された。


「えへへ、お母さん、お誕生日おめでとー!!」

「おめでとう、母さん」


うっかり寝ている間に日付は変わった。

一日遅れになってしまったけど、まあ自分たちらしくていいのではないだろうか。


「へ?」


母は目をぱちくりと瞬いた。驚きすぎて理解が追い付いていないらしい。

冬子の後ろで「驚き方が姉貴そっくり」と秋人が声を上げて笑っていた。


「今日は一緒にご飯食べようよ。我慢して待ってたの。それから秋人とケーキも焼いたのよ。久しぶりだから美味しいといいんだけど」

「俺も一品作ったんだぜ。いや、たぶん美味(うま)くないと思うけど」

「……へ?」


頭を掻きながら照れ臭そうに笑う秋人と、今日の準備を嬉しそうに話す冬子と。

何度も視線が行き来して、最後に「うそでしょ」と呟いて母がぽろぽろと涙を流した。


「なんで泣くんだよ!!」


いつもみたいに秋人が怒る。

気が動転すると強い口調になる秋人の癖。きっと内心はオロオロだ。

その背をばしばしと叩いてやった。


「ちょっと、秋人。これでいいの! もう! 全然心の機微がわかってないなぁ!」


母はくしゃくしゃな顔で、化粧もはげ落ちて、お世辞にもきれいじゃなかったけど、サプライズバースデーは大成功。


冬子は母の手を引いてはやくと急かした。


その日の夕食は生まれてから今までで一番おいしかった。

母も少女のようにはしゃいでいた。


「なにこれ、おいしい! 食べ過ぎちゃうし! 嬉しすぎて死んじゃうぅー!」

「お母さんに死なれたら悲しいから、たくさん長生きしてね」

「ぜっっつたい死なない!」


母が断固として宣言した。

秋人が隣で大笑いしている。


「それからさ、できたらたまにはお休みとって、三人で出かけたりしようよ」

「あ、俺部活あるからそういうのパス」

「ちょっと、秋人、空気読んで! そういうとこだよ!? あんたのダメなとこ!」

「だめってなんだよ。ただ本当のこと言っただけだろ」

「……ふふ、いいわねえ、お休み。なら今度、冬子とお弁当作って秋人の試合の応援に行こうかしら」

「げ!!」

「げってなによ! 光栄に思いなさいよ」


わいわいと騒いだ。

楽しすぎて、始終笑いっぱなしだった。

文句を言う秋人も、声が笑ってて優しかった。

母は目を細めて、やっぱり幸せそうに笑っていた。


今日は母には特別に缶ビールじゃなくてシャンパンを用意した。

それを開けて乾杯したら、疲れていたのかすぐに酔いが回ったらしい。


「……生きててよかった」


しみじみと彼女はそういった。


「お母さんってば、大袈裟ねえ」

「――ばーか」


冬子が言えば、なぜか秋人から罵声が返ってきた。

なぜだ。理不尽すぎる。

秋人を睨むとやっぱり「ばーか」と繰り返された。


「姉貴も全然わかってねーじゃん。ココロのキビってヤツ」


秋人が指さした母はうつらうつらと、ほとんど寝ながら独り言のように呟く。


「がんばってよかったあ」


ダメな母親で、頑張ってもから回ってばかりで。大事なものが手の中から零れ落ちていってることに薄々気付いていたけれど、それすらどうにもできなくて。

頑張る以外に出来なくて。がむしゃらに働いて、日々のお金を稼ぐだけで精いっぱいで。


それでも、


「いま、しあわせ」


冬子にはわからないたくさんの思いがそこには込められているのだろう。


グラス片手に撃沈してしまった母は、いい夢を見ているのか口元が笑みの形を作っている。

冬子は秋人と顔を見合わせて忍び笑いをした。


「仕方ねえ母親。姉貴と一緒で手がかかる」


よいしょとジジ臭い掛け声をかけて、秋人が母を布団に運ぶ。


「一言余計なのよ、秋人は。女の子にモテないわよ!?」

「別にモテたいとか思ってねーし。こっちは姉貴と母親の面倒で手いっぱいだよ」


うははと秋人が眉間に皺を寄せて笑う。

他人には獰猛に見える笑いも、冬子にとっては満面の笑みに見えた。


背中をいくら叩いても、頑丈な秋人は母を抱えたまま悠然としている。――冬子はそんなこと、とうに知っていた。


冬子は、幸福の形を見ている。

どこにでもあって、何一つ同じものはない。

けれど、それはいつだって嬉しくて、優しくて、暖かで、とめどないもの。

生まれた時からずっと、彼女を包んでいたもの。

際限なく与えられたから、少しでも返そうと生きてきた。



――いまも、そうして生きている。




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