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第11話 元勝ち組女子の認識



「せんせーい! アイロンの使い方教えてくださいー!」


最近は何をやっても大して驚かれない。

勇んで飛び込んだ職員室でも、「また鈴代か」程度の反応しか返って来なかった。


体育祭の衣装制限について学年全員で職員室を囲んだせいか、それともクラスメイトのカンニング疑惑事件で泣き落としにかかったせいか。はたまた、冬子が関係ないはずの美術部の制作物保管場所について直談判にきたせいか。


「あら、鈴代さん。今度は何を始めたの?」

「クリーニング代の節約です!」


熱意みなぎる拳をぐっと握ると、家庭科の教師はからからと笑った。


鈴代冬子は教師が知る中でもっとも学校を活用している生徒の一人だった。

かつてキラキラと目を輝かせながら小躍りしていた彼女が教師を前にして言ったのだ。


「学校って、いろんなことを聞けてすごいですよね! 自由に調べることも出来て、その環境もあって。

それから誰かに頼れば、誰かが知ってるんです。わからなければ一緒に調べて考えてくれて。

で、ちゃんと教えてくれるって、ほんとスゴイ!!」


こうなると教師としては教えないわけにはいかない。

出来る限りをやらねばと思ってしまう。

特に家庭環境にそう恵まれていないことを知っているだけに、この前向きさを応援せざるを得ない。


冬子が今回教師に泣きついたのは、母のブラウスを洗ってあげようと思ったら思いのほかしわくちゃに仕上がったせいだった。


母は毎日出かける時にクリーニングに出して、特急料金を払って翌朝引き取り、前日着た服を代わりに出す。という、弟を見ているかのようなギリギリのルーティーンをこなしているらしい。


捨ててあったレシートを月に換算するとちょっと愕然としたので、冬子は新たな課題に取り組んだというわけだ。


「本当に鈴代さんはしっかり者ね。これは教え甲斐があるわ!」


優し気なおばあちゃん先生は自分の時間を使って懇切丁寧にしっかりと教えてくれた。

思いのほかスパルタだったけど、愛の鞭と思うことにする。

なにせ、おかげでアイロンのイロハは完ぺきだ。あとは実戦で精進あるのみ。


クリーニング屋に寄らなくてよくなった母は少し家を遅く出られるようになったと大喜びしていた。心持ち程度の話なのに大袈裟だ。


実は冬子は少し前からアルバイトを始めていた。

つまりお金を稼ぐ苦労を身をもって知って、節約により一層励んでいるという経緯だ。

クリーニング代を安く済ませようと四苦八苦している理由の一つもコレだ。


いちおうバイトをしようと心に決めた切欠らしきものはあった。


それは夜の日課であるランニングをしていた時。

かつてはどすどすと大いに道幅を占領していたが、いまは膝に負担もかからないから長時間一定のペースで走れるようになった。

軽やかとまでは言い切れないけど、スピードも他の人たちと遜色なく出せようになったので、今では運動が好きだった頃と同じように気持ちよく続けている。継続は力なり。(サボると便通が悪くなるという切実な理由もある)


そんな折、冬子はとある人物を遠目に見かけてさっと道の影に隠れた。

部活帰りらしい弟が、仲間たちと歩いていたからだ。


身内としては、こんな姉がいることを知られるのはかわいそうだと思ってのとっさの行動。

考えれば秋人がわざわざ声をかける義務などないので、自分が無視して通り過ぎればいい話だった。

長身の強面とダイエット中のデブなら、間違っても姉弟なんて見た目からはわからないのだから。


だがそのせいで、

「秋人お前さ、いいかげんバッシュくらい買い替えろよ。ずるっずるじゃねえか。そのうちマジで怪我すんぞ」


という会話を聞いてしまったのだ。


秋人は「ん~……」と曖昧に答えていたが、冬子にはわかった。

彼にはそれを買うお金なんてない。


よしきた、お姉ちゃんの出番じゃないか。


そんなわけでバイトを始めた。

別にそれだけが理由ではないとだけは言っておく。


冬子だっておしゃれをしたいし、自由に買いたいものもある。

要するに物欲は金でしか満たせないという話だ。


「あと、揃えたい調味料も。それから試してみたい、ちょっとだけ値の張るお野菜も。

実はどうしても買い替えたい鍋があったりもする!」

「結局それじゃん」


友達にはあきれられたが、いいのだ。


「あんたって傍から見たらただの苦労人なんだけど、本人が楽しそうだからそうは見えないのよね。あとバイタリティにあふれ過ぎてるせいで全然悲壮感がない」

「え、待って! なんでわたし突然貶されたの!?」

「誉め言葉よ、誉め言葉」

「本当に褒めてる?」

「あんたいつも言ってんじゃん。明るく、楽しくって。ちゃんとそう見えてるって事よ。ね、褒めてるでしょ?」

「ふうん? なら、いっか」


うん、いいか。

人生は、楽しい。嬉しいことがたくさんある。

深山遥の時と同じくらい、冬子の世界は優しさであふれていた。


「――冬子って、ほんと冬子だねぇ」


沙絢が仕方なさそうに笑った。




§    §    §




バイト先の条件はシフトの融通が利いて、近場で、徒歩か自転車で通える場所。できれば食べ物関係。

そんなわけで家から少し歩いた最寄り駅の商店街にある定食屋を選んだ。


食べ物関係の職場を希望したのは当然「賄い」と、「余りもの」目当て。

本当に、実に、とっても、助かっている。


大食い王秋人なんて、冬子がここの総菜や一品を持ち帰るのを待ちわびている節がある。

ちゃんと夕飯を用意しておいても、冬子がバイトだとわかってる日は食べないで待ってたりするのだ。

帰ってきたとたん「今日はなに持って帰ってきた?」とくるもんだ。


お姉ちゃんの手料理はなにがご不満でした?

さめざめと泣いたふりは全然通じなかった。見向きもせずに夕飯にがっつかれた。

色気より食い気とはこのことか。


「冬子ちゃんは、真面目でよく働いてくれるから助かるよう」

「お客さんからも評判いいし。冬子ちゃんの笑顔はとっても素敵だからねえ」


小さな個人経営の定食屋。

年老いた夫婦にはよくしてもらっている。


「ほら、冬子ちゃん。もう上がる時間過ぎてるんだから、はやくお帰り」

「そうだよう。冬子ちゃんみたいなかわいい女の子があんまり夜遅くになるのは危ないからねえ」


重労働を見かねてついついバイトが終わっても手伝ってしまうのはそのお返しであって、別にタダ働きをしているわけではないのだ。


なにせ味付けのコツや下処理の仕方なんかは実地で教えてもらわなければ身につかなかったものだろうし、簡単で日持ちする作り置きレシピなんてリピートの嵐。

品数が多いだけで食卓を豪華に見せる便利な一品として、最近では八面六臂の大活躍だった。


少しは還元せねば逆に罰が当たる。

あと老夫婦には重労働かもしれないが、自分にはそうではない。一石二鳥(win-win)というやつだ。


「ご心配ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、この見た目ですから! 不審者の方が逃げていきます。だからもうちょっとだけ。これ片づけたら帰りますね」

「あんれまあ。冬子ちゃんこんなに可愛らしいのにねえ?」

「うふふ、ありがとうございます」


ご老人特有の孫をかわいがるようなものだろう。笑って受け流す。


そんな収穫の多いバイトだが、とは言え最近冬子には悩みがあった。

老夫婦には言えないし、ちゃんと彼らも冬子に注意をしてくれる事柄について。


冬子自身がそんなわけがないと自分に言い聞かせて、結局放置していた出来事。


――変な客が一人ばかりいるのだ。


別になにをされたわけでもない。

ただじっと定位置の端の席から見つめてくる。なにか用かとオーダーシート片手に近づいても特に何もないと慌てて席を立つ。

そのくせお会計には時間がかかるし、出ていってからもなぜか軒先でウロウロ。

他のお客さんを送り出すときに見つけてしまったのだが、帰ったと思っていても道の角に立っていたりする。


普通に怖い。


深山遥の時にも何度か経験したことがあるので心当たりはあるのだが、いまの自分は鈴代冬子である。

重ねて言うが、鈴代冬子なのである。

最初のインパクトはやはり強烈で拭いきれない。


「……たぶん、自意識過剰ってやつよね」


確かに真っ当な生活サイクルと食生活の改善でニキビなんてあっという間に消えたし、地道なダイエットのおかげで体重も人並みの範囲には収まるようになった。

清潔感にだってかなり気を配ってるつもりだが、贅肉がなくなったせいであらわになった生来の顔立ちは、思った通り少しきつめ。


冬子は誰かに見た目だけ(・・・・・)で好意を持ってもらうには、自分は色々と足りないと思うのだ。




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