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短編・童話集

サヨナラホームラン――タイム・クエイクに巻き込まれた男――

 タイム・クエイクが発生したとき、男は打席の中にいた。


 タイム・クエイク――その時空震動現象は、巻き込まれた人を一定期間、本来の時間の流れから隔離する。

 そして隔離される時間の分だけ、タイム・クエイクに巻き込まれるまでの過去を追体験させるという現象だった。

 そのとき発生したタイム・クエイクの期間は十年間だった。

 すなわち十年の間、タイム・クエイクに巻き込まれた人間には行動の自由はなかった。


 その男がタイム・クエイクに巻き込まれたのは、ワールドシリーズの七戦目、九回の裏ツーアウト満塁の場面だった。そして三点のビハインド。カウントはフル・カウント。

 男はその打席に立っていた。

 すでに二球ファールで粘っており、次の一球こそが勝負を分けると思われた。

 このシリーズでまだ失点していない抑えの投手の手から、鋭い投球が放たれた。

 タイム・クエイクはそのとき起こった。


 時空震の震源は球場の中である。

 その現象が確認されたのは、世界ではじめてのことだった。ちなみにその後は、局地的に様々な場所で観測されることとなる。

 しかし、世界ではじめてのタイム・クエイクはその後一度も起こらないほどの大規模なものだった。

 何しろ、球場が丸ごと飲み込まれたのだ。

 そうして、球場内と外の世界との異相はずれた。


 球場内にいた人間たちの意識は、ほぼ別の時空と呼んでいい、過去の時代へ回帰した。

 ビデオの巻き戻しのような、時流を遡る妙な感触が彼らにはあった。


 ふと気づくと、男は野球をはじめたその日に戻っていた。

 彼が野球をはじめたのは、一流のプロには珍しく、かなり遅かった。十九歳の誕生日に、はじめてバットを握ったのである。

 ほかのスポーツには親しんでいて、しかし彼にはどのスポーツも一流になるセンスがなかった。

 身体能力だけはいつも褒められた。だが、どこまでいってもせいぜいが有能な控え選手だった。

 どのスポーツの監督も首を捻り、最後には彼に別のスポーツに挑戦するようアドバイスを送った。

 彼の才能は認めているものの、所詮は控え選手にしか過ぎない。

 その身体能力が、どこかもったいないように感じていたのである。


 そうしてバットを握り、はじめての試合に出たその日、彼は指名打者だったが、二本のホームランをスタンドに叩きこんだ。

 最初の打席に立った瞬間から、彼にはわかっていた。これが天職だと。これこそが、自分が従事する競技なのだと。

 そして相手のエースの投球に合わせて軽くスイングをしたその打球は、悠々とフェンスを越えていった。その次の打席でも、彼の打球はスタンドに飛び込んでいった。

 最初のホームランを打ったときには、周囲は偶然だと考えた。しかし二本目のホームランを境に、周りは彼を主力と見るようになる。


 こうして彼は、一流のプロへの道を、あっというまに駆け上がったのだ。

 ルーキーリーグ、シングルA、ダブルAとあっというまに進んでいく、その追体験の最中、彼は、あと数年後にあるべきはずのタイム・クエイクからの復帰を頭の中で考え続けた。

 これから自分がどうなるかは、もう確定している。

 あの舞台へは行けるのだ。野球をはじめたときから夢見ていたワールドシリーズの舞台。その勝負を分ける一瞬に。

 問題は、その結果だ。

 あの一球が如何なる結果をもたらすのか。

 まだスイングははじめていなかった。どう振ればいい。

 あらゆることを追体験させるこの妙な時間の流れはさして気に留めず、ワールドシリーズの最後の瞬間だけを彼は考え続けた……。


 一方、球場の外部は、この現象にいかなる対処を取るべきか決めかねていた。

 タイム・クエイクの外部は、普段と変わらず時を刻んでいた。

 その時空震動現象が収まるのは、調査の結果、はじまってからちょうど十年後であるという結論が出ていた。

 そしてそれは正しかった。


 問題は、タイム・クエイクにいかなる対処をするかだった。

 しかし長きに渡る議論と研究の結果、手のつけようがない、ということになった。

 タイム・クエイクに飲み込まれている人たちには何の危険もない。過去の十年を追体験するのみだ。

 その後、彼らは現実世界に戻ってくる。

 ただし、その現実世界は彼らの知っていた世界からは十年の時が過ぎている。


 弊害は大きい。

 球場にいた人間の家族たちは特に悲しんだ。

 無事とはわかっていても、少なくとも十年は会えないのだし、そして十年後、彼らはタイムトラベラーとなった家族と顔を合わせるしかないのだ。

 だが、いまとなってはどうしようもない。


 助けようがないことが確定すると、現実世界は、タイム・クエイクの中の彼らを取り残して、再び時計の針を進めはじめた。

 そして時代が流れた。タイム・クエイクの中の彼らを待つために、本来の時間の流れを止めておくことは、何人にも叶わないことだった。


 ワールドシリーズは、タイム・クエイクの発生で中止されたその年を除き、その後十年、問題なく開催された。

 ただしリーグの球団数は二つ減っていた。

 大切な選手たちを一挙に失った、ワールドシリーズで対戦していた二つのチームは、その後の運営を続けていくことが叶わなかったのだ。


 そして誰もがその日を待ち望んでいた。

 タイム・クエイクに飲み込まれた人間の家族たちも、十年前にワールドシリーズをテレビ観戦していた人たちも、失われた二球団のファンたちも。

 期待と不安がない交ぜになった気持ちで、その瞬間を迎えようとしていた。


 その年のワールドシリーズは、すでに別な場所で第一戦が行われていた。

 十年前のシリーズはもはや中止と結果が定まっている。

 けれどもまだ、あの瞬間は時空のどこかで、そのときが訪れるのを待っているはずだった。

 それは、試合の勝敗などとはまた別のものなのだ。

 その最後の瞬間に訪れるはずのドラマを、世界中が息をひそめて見守っていた。


 タイム・クエイクがはじまったのと同様、終わるそのときも唐突にやってきた。

 球場の周囲を囲んでいた時空震動現象が生み出す亜空間がしぼみはじめ、やがて球場の姿が現れた。

 亜空間の残滓が宙へと消えた。


 その瞬間、抑えの投手の手から白球が放たれ、そして、十年間そのときを待ち望んでいた男は考えつくしていたコースに投球がやってきたことを知った。

 体を引き絞り、全身の筋肉を躍動させ、スイングを開始した。


 快音を響かせたその打球は、球場の外へと消えていった。

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