第廿一夜
二〇××年 一月八日
次に目覚めたとき、この目に映った雪原は、ついこの前の夜と何も変わっていないように見えました。やはり、アトルの道の上には何もなく、目指すべきひとつのものすらろくに見えないのでした。
変わったことと言えば、あの巨大な樹の下で過ごしていた頃はたびたび聞こえていたクウの鳴き声と、目覚めたアトルに対する挨拶がなくなってしまったことで、彼は友と別れて初めてのこの目覚めのときに、こころの片隅に占める寂しさを感じました。
アトルはゆっくりと年相応に立ち上がり、洞穴を出て歩みはじめました。
ただ歩むことしかできませんでした。彼の目標はなくなってしまったのです。
あのクウの樹までは続いていた道も、いまでは見えなくなりました。
前に進むたびに雪に沈んでいく自らの足。
雪の冷たさも、湿っぽさも、雪を踏み固める感触もどこか味気なく感じました。まるで、とてつもなく寒い国で砂漠の上を歩んでいるようで。
この最中であっても意味を何とか見いだそうとする自分のこころを、アトルはどこか一歩引いてみていました。まるで、そのこころを持っているのが自分ではないかのように。
アトルよ、それはもはや意味ではないんだ。
そう言い聞かせるように。
時は進みます。時が進むということは、どんなかたちであっても前に進むということ。
この何もない冷たい雪原を前に進むにつれ、アトルには、いままで自分が考えたこと、感じたことのすべてがただの作りものであったように、中身のないように思えてきました。それに合わせて、愛しい思い出たちと、その思い出たちを切り刻む自らの醜い罪が、次第に時の彼方へと遠ざかっていくようでした。
僕らはどこから来たのでしょうか。
僕らは何ものなのでしょうか。
僕らはどこへ行くのでしょうか。
僕らそのものは、どんな姿をしているのでしょうか。
すると、アトルが口を開きました。
「〝そのもの〟なんて、きっとないのだ。そんなものを突き詰めようとすればするほど、私たちは言葉になっていく。だが、クウの言うように私たちは言葉ではないのだ」
『じゃあ、君はこれからどうするんだい』
「歩いていくさ」
『どこへ?』
「いままで時間を経たこのからだとこころが向かうところへ」
『それは今までの君を否定しないかい』
「見かけでは否定されるだろう。だが、知っているように、私たちは時間なのだ。時間は否定も肯定もできない。ただ、それらができるように見えるだけだ。
なあ、私には会いたいけれども会えないものがいる。
かつて手に入れたが、もう手に入らないものがある。では、今よりも昔の方が良かったか。そんなことを言うことはできない。
私は老いて弱くなった。長い間孤独で、連れ添うものもいない。
では昔の方が、私の生は輝いていたか。
そんなことを言うことはできない。すべてはつながっているからだ。時間は分けることができないからだ」
『じゃあひとつながりの僕らの先には何があるの』
「死がある。終わりがある。いま確実に言えることはそれだけだ」
そう言いながら、彼はどこへ行くでもなく歩き続けました。
その先に、見えてくるものがありました。あの巨大な山々はありません。
小さな丘のように見える、青々とした山でした。
そこに向かって無機質な雪原が終わりかけていました。
雪原の先が徐々に青く色づいていき、失われていた僕らの世界の色彩が、取り戻されようとしていました。




