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狼の詩  作者: ゆうなぎ
狼編
39/44

第廿夜‐後 

 二〇××年 十二月二十五日

 

 ふたたび安楽から遠ざかる時期が近付いているようでした。

 アトルには歩き続ける必要があったからです。

 クウもそれを察しており、あるとき、寂しそうにこう言いました。

 「アトル、あなたが旅立つ前にひとつ言っておかねばならないことがあります」

 クウは樹の上で、アトルは樹の下で。いつもの位置で、ふたりは言葉を交わします。

 「なんですか、クウ」

 「意味の話です。我らの意味が意味付けでしかないことはお話しましたね」

 「ええ。ですから、私たちはいま生きている世界を基にして、私たち自身にとっての意味付けをしなければならないし、またそれを必要としています」

 「ええ、しかし、そこには罠があります」

 「罠?」驚いたようにアトルは返します。

 「我らが意味を膨らませてしまうということです。

 我らは言葉を交わします。言葉を交わすことによって多くのものをみることができます。しかし、言葉そのものに多くの意味が含まれ過ぎていて、我らがそれを上手に操ろうとすればするほど、それによって意味付けをしようとすればするほど、その意味が事実よりも大きくなってしまうことがありえます」

 「しかし、我らには、何も持たずただ歩くということは難しいのではありませんか。何かを支えにしなければ」

 「おそらく。ですが、それを必要とせずにただ己の存在に従って生きていけたら、それほど素晴らしいこともないでしょう」

 『遊戯とはそのことなのか、父さん』とアトル。

 「ただ、そこに至るには私もあなたも遠い位置にいます。

 アトル、わが友よ、私たちが交わした言葉は、私たちにとって意味を持ちます。それを否定してはなりません。ですが、言葉は言葉です。我らの意味付けは言葉によって達成されるものではありません。

 どうか、わが友よ、言葉を必要以上に操ることなかれ。

 意味を与えることができないものにまで、言葉によって意味を与えることなかれ」

 クウはやはり落ち葉のようにアトルの元へと下りてきて、そのくたびれた布のような両の翼で友を優しく抱擁しました。

 重みのない、けれど深い温かみのある不思議な抱擁。クウの存在そのものがこの抱擁に顕れているようでした。

 アトルの瞳には、知らず知らずのうちに涙が浮かんでいました。

 「アトル、どうかお元気で」

 「クウ、あなたの言葉を胸に刻みます。私はこれから最後の旅へ向かうでしょう」

 「ええ、ですから、私の知っている最後のことを教えましょう」

 「なんです」

 「狼ノ山は、どこにもありません」

 ふたたび驚いたように、アトルはふと温かみから離れ、友の顔をじっと見つめます。

 「そうかもしれない、とはじめから思っていました。かつての群の長からその話を聞いた時ですら疑っていましたから。ただ、かつての私には必要な目的でした」

 「ええ、分かっていますとも。ですが、心配することはありません。

 この空の下を、大地の上を、目的なく歩いていきなさい。子どもが遊びを楽しむように、歩いていきなさい。我らは歩く、飛ぶという行為すら純粋に成しえないのですから。

 もっと素直に歩いておゆきなさい。

 ふと、昔の思い出が頬をなでるように、あなたの道の果てが見つかるでしょう」

 アトルは何も言わずに小さくうなずきました。

 クウは再び友をその翼のなかに抱き、一粒の雫をその頭の上に落としました。

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