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狼の詩  作者: ゆうなぎ
狼編
26/44

第十二夜‐前

 二〇××年 六月三日


 アトルとその家族はそれからしばらく、平穏で幸福な日々を過ごしていました。

 歩けなかった子どもたちも、すぐによたよたと歩けるようになり、やがて平原を駆けることができるようにもなりました。

 春のような喜びに満ちた日々でした。

 子どもたちは日に日に大きくなり、コルンにはアトルの、アイルにはアルバの面影が濃く見えるようにもなりました。

 「子どもたちにも狩りや遠吠えを教えなくては」

 外で駆けまわる子どもたちをみつめながら、父親らしいことを言うアトルです。

 「そうね。あなたから教えて」

 「どっちも君の方が上手じゃないか」

 「まあ、そうかもしれないわ。昔からね」アルバがいたずらっぽく笑うと、

 「ああそうとも。君には敵わないさ。勝っているのはからだの大きさくらいか」

 と、アトルも首を振ってあきらめたように返します。

 「父さん!」と、外から息子のコルンが呼ぶ声が聞こえます。

 「どうした、コルン」

 「もうこのどうつくの辺りで遊ぶのはあきたよ。もっとあっちいってもいい?」

 「どうくつ、だ、コルン」

 「うん、どうくつ。それで、いい?」

 「だめだ。まだお前たちは小さいんだから」

 「そうよそうよ、コルンのおばかさん」

 コルンの後ろで、そう言ったのは娘のアイルです。いまのところ、どちらもからだが黒く、すくなくとも僕にはなかなか見分けがつきにくいのですが、からだがやや大きい方がコルンのようです。

 「なんだと、アイル!」

 「ほんとうのこといっただけよ!」

 コルンは父親が止める前に、妹に飛びつき、草むらに押し倒しました。アイルも必死に抵抗して、前足で何度も兄の顔をたたいています。

 「やれやれ」

 「元気なのはいいことよ、お父さん」とアルバ。

 「ふん、そうだな」

 アトルは洞窟からさっと跳び出ると、息子の方に静かに駆け寄り、その小さなからだを優しく噛み、娘から引き離しました。

 「けんかはやめるんだ、コルン」

 「だって」地面におろされた後、すがるように言います。

 「おまえたちはたったふたりの兄妹、助け合って生きていくんだ」

 「そうよそうよ、おばかさんコルン」と、アイル。

 「お前もだ、アイル」と父が軽くにらみつけると、

 「はぁい、ごめんなさい」とアイルも謝りました。

 このころになると、アトルの内面の不安や悩みはほとんど感じられなくなり、日々を家族とともに生きていくことを中心に考えているようでした。

 もちろん、それは、僕の望みでもありました。

 せめてアトルには、ありふれていても良いから幸福になってほしいという願い。しかし、同時に、彼の孤独の種は完全に死んでいないことも分かっていました。孤独の種はだれのなかにも存在していますが、そのおおきさ、かたち、いろは千差万別なのです。アトルのそれは大きく、歪で、僕のものとよく似ていました。

 あるとき、家族を集めて、アトルは一家の長らしくこう言いました。

 「コルン、アイルが大きくなると、そろそろ、ここも手狭になってくるだろう」

 「てざま?」と、コルン。

 「てぜま、だ、コルン」

 「ほんと、おばかさん」と、アイル。

 「おやめなさい」と、ケンカが始まる前に止めたのはアルバです。

 「お父さんが大事な話をしてるの。静かになさい」

 「はぁい」ふたりともしゅんとします。

 「そうだ。だから、引っ越しをしようと思う。ずいぶんと長い間、ここにいたからな」

 「ひっこし!」と、耳をピンと持ち上げながら、コルン。

 「ひっこしだ!」アイルも続きます。

 「わーい!」ふたりそろって跳びあがらんばかりです。

 「はいはい、まだ話は終わってないわよ」

 と、喜びのあまり駆けまわる子どもたちを咥え、元の位置に戻しながら、アルバが優しく言います。その様子を微笑ましく眺めながら、

 「そういうわけで、明日、夜が明ける前に出発だ」と、一家の長は力強く話しました。

 それを聞いた、アルバと子どもたちは、抱き合うように喜び、新しい家はどんなところにあるのか、希望に満ちた想像をしました。家族の様子を眺めるアトルはほんとうに幸せそうでした。

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