第二話
優の母、美江はとても愛情深く、母親として欠点らしい欠点の見つからない人ではあったが、どこか、他の人から見た自分というものを強く意識する傾向があった。だから、優や咲の学校での素行や成績をとても気にした。もしテストの点数が悪いものなら、一、二時間の説教をするのは当たり前で、解けなかった問題はきちんと復習させた。
なぜなら、美江は、もし子どもの素行や成績が悪ければ、何よりも母親としての自分の尊厳が傷つけられると考える人だったからだ。
「こんな点数をとってきて! お母さんは周りに恥ずかしいわ!」
というのが、彼女の口癖だった。
そのたび、優は周りって何だろうと疑問に思う。
『周りっていうのは、社会のことで、社会っていうのは、個人の集まりじゃないか』
なるほど、確かに社会的に見れば、彼女は〝良い母親〟だ。優もそれは認めている。ただ、きっと彼女は純粋に優たちのことを考えた上で言っているのではなく、どこか子どもたちを自身のステータスの一部のように扱っていて、それを少しでも良く見せようと必死になっているのだ。例えば、子どもたちが良い大学に行けば彼女は鼻高々にそれを周囲に話すだろう。おそらく美江も意識的ではないのだろうが、少しだけ寂しい気がした。そしてそんな寂しさを覚えること自体、優の生来の性質が影響していたに違いない。きっと咲はそんなことを感じすらしないだろう。
「あなたたちのことを考えて言ってるの!」
そう言われれば、そうかもしれないとは思う。彼女の言葉に感謝できないわけでもない。ただ、釈然とはしないのだった。
その母は、いまアパートの二階のベランダで布団をたたいている。
優は帰ってきたのだが、家には入らず、彼女を外から見上げていた。
「あら、お帰りなさい、優」
「ただいま、母さん」
優は、自分でも母に対する感情を間違って作り上げてはいけないと考えている。つまり、母に対する不満ばかりを大きくとらえて、母を嫌いになってしまうということだ。それが間違いであることは分かっていた。だから、母の良いところもきちんと見るようにしていた。良いところを見れば、母を嫌いになれるはずもなく、むしろ好ましく思えた。彼女はやはり良き母であった。
優にはそれができた。が、咲にはできなかった。
咲は母への不満を思いきりぶつけた。それは思春期ゆえの行動かもしれなったが、ともかく、ふたりの仲はあまり良いとは言えなかった。彼女たちは事あるごとにいさかいを起こし、優を辟易させた。それでも、優には見ることしかできなかった。彼にできることと言えば、ときどき妹をなだめることと、両親を困らせないように、自分だけはそういった不満を表に出さないようにすることだけだった。
だからこそ、優は〝良い子〟だったのだ。
「なにしてるの。早く上がってらっしゃい。今日はケーキを焼いたの。それを食べたら、ピアノの練習をしなさい」
「うん、分かった」
ピアノの練習が、優と咲の日課だった。
大学時代に専門的にピアノを学んだ母は、近所の子どもたちを家に招いてピアノを教えている。コンクール出場などを目指しているわけではなかったが、優たちもその生徒というわけだった。
「この前、ブルグミュラーのアラベスクが終わったわね」
うん、と優は無言でうなずく。
「今度はショパンの夜想曲第二番を弾きましょう」
「この前CDで聴いた曲?」
「そうよ」と、美江はアップライトピアノの上に積んである無数の楽譜から『ショパンピアノ作品集』を取り出す。
「この曲はとっても有名で、テレビなんかでもよく流れるわね。曲のテンポは速くないけれど、ペダルを効果的に使って、ロマンティックな感じが途切れないようにね。まるでラベンダーの花畑を歩いているみたいに」
美江のレッスンは、優たち兄妹に対してはやや厳しい。
レッスンは一週間に一回。毎回レッスン中に課題を出されて、翌週までにそれを修正してくることが求められる。優たちは、当然、家にあるピアノで練習をするため、毎日母に自分の演奏を聴かれることになるが、練習中にミスが目立つと、台所から怒鳴り声が聞こえてきたり、美江が『ピアノの部屋』(黒澤家ではレッスン室とは呼ばなかった)に来て、そこから臨時レッスンが始まることもよくあった。だから、毎日がレッスンと言ってもよかった。
優はクラシック音楽が好きだったこともあり、母のレッスンが多少厳しくてもなんとか付いていった。自分の技術の向上は目に見え、音に表れるので、それが嬉しかったのもある。曲に内包されている感情をいかに表現するか。ロマン派の曲を弾くことの多かった優は、それを自身のひそかな課題にもしていた。
一方、咲はあまりレッスンが好きではなかったようで、練習をさぼっては美江に怒られることが多かった。けれども、そうやって素直に感情を表に出せるのは、やっぱり優にはうらやましかった。
「あなたは私が教えた生徒のなかで一番上手よ」
「ありがとう、母さん」
優は自分に才能がないのをきちんと分かっていた。
プロの演奏を聴けば、また天才たちの逸話を知れば、自分がそれに遠く及んでいないこと、及ばないであろうことは嫌でもわかる。それでも、才能についてはあまり気にならなかった。曲の感情を表し、かつ自分の想いを音にのせるのは楽ではなかったが、それを達成したときの喜びは才能云々では語ることができない。自分の想いは自分だけのものであり、才能というのは結局のところ他人との比較でしかないからだ。優は比較によって自分を過信したり、卑下するのが嫌いだった。
「来年は受験ね」と、美江が楽譜の隙間に、演奏上の注意点を書き込みながら言う。
「うん」と、優は微笑みながら応える。
「そのせいかしら。あなたの音は、最近、悲しみを帯びているみたい」
「そうかな」
優にとって、それは〝最近のこと〟ではない。
いつも、漠然とした悲しみや憂いは感じている。
それらが何によるのか分かれば、これほど楽なこともないが、結局は生きていること自体に対する感情なのだろう、と思う。
学校生活、それに伴う受験、学校外、家族内における孤独感、才能の有無、などはあくまで表層にすぎない。それらは悲しみの本質ではなく、ロボのように気高く、自分を生きているのかという問に満足にうなずくことができないことこそがほんとうの悲しみだった。それこそが生きることの真の苦しみだった。
こんなことを話せる人も周りにはいなかった。
以前、近所の自転車屋さんのおじさんに少しだけ胸中を打ち明けたことがある。
おじさんはこう言った。
「それは考えなくていいことだよ。優くんは若いから、いろいろ悩むこともあるだろうけれど、おじさんのように働きはじめたら、そんなことを考えてる暇なんてなくなるよ。人生ってのは案外単純なものさ。それをあえて難しくしようとしなくていい」
「そうですかね」
と、そのときの優は笑顔を作って、納得したようにうなずいた。
そんなことをする自分も嫌だった。自分の考えを主張して、おじさんと意見を戦わせるくらいするべきだった。でも、おそらく、おじさんにそれは望みえなかった。頭の良さの問題ではない。考えたことがあるか否かの経験の問題だった。事実、
「おじさんはこの年までそんなことを考えたことなかったな。ほら、凡人だからな。平々凡々、って言うだろう?」
と、笑顔で言ったのだ。
もちろん、優には納得できなかった。
凡庸だとか非凡だとか、何かを基準にした言葉とは別に、それぞれの人生があり、それぞれの死があるはずだった。優の周りには、自転車屋さんのような生き方や考え方とそう変わらない大人であふれていた。両親も例外ではない。
誰も眩しくはなかった。誰も輝いていなかった。
太陽のように痛いくらい眩しいひと、月のように静かに輝くひとはいなかった。
『そう感じてしまうのは、ぼくも輝いてはいないからだ』
それが辛かった。音に表れているとしたら、その辛さが表れているはずだった。