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狼の詩  作者: ゆうなぎ
狼編
19/44

第七夜

 二〇××年 三月十六日

 

 あくる朝のことでしょうか。

 もしかすると、もう何日か経っているのかもしれません。

 とにかく、ふたりは連れ立って森の中を歩いていました。並んでというよりは、アトルが先を歩いて、そのあとをアミトがついていくような感じでしたが。

 森はやはり、春や夏のような装いで、たくさんの鳥や虫の鳴き声が聞こえましたし、草花や木々も生き生きとしていました。

 「お前はどこに行くつもりなんだ」アミトがたずねます。

 「一応、狼ノ山というところを目指しているつもりだけど」

 「どこだそれは」

 「君も知らないの。ぼくにもわからないんだ」

 と、ジャイアントが話してくれた伝説をかいつまんで伝えました。

 「変なやつだな」それを聞いたアミトは小さく笑います。

 「君はどこへ行くのさ。どうしてついてきてくれたの?」

 「さあな、今更行くところなんてないが、死ぬ前に見ておきたいものはある」

 「それって?」

 「さあな。とりあえず、しばらくは一緒に行こう。俺も、お前が俺の住処に来たことに意味を感じていないわけじゃないんだ」

 「それはありがたいことだね」

 アトルはともかく森を抜けようと提案しました。

 ここにいては、山も見えないと。アミトも同意しました。

 ふたりは森の中で時々狩りや採集を行いながら進んでいきました。

 そこでアトルはあることに気づきました。

 アミトはほとんど肉を口にせず、植物や果実などをとくに選んで口にしていたのです。アトルも狩るという行為に違和感があり、それでも生きるためには仕方がないと必要最低限の狩りをしてきたつもりでしたが、アミトはそれ以上に他の動物を口にしようとはしませんでした。

 これはオオカミとしてはあり得ないことです。まるで草食動物のようでした。

 「きみは肉を食べないの?」

 アトルは期待を込めて尋ねました。自分の違和感のこたえが彼のなかにある気がしたのでしょう。

 「もともとはよく食べていたさ」とアミト。

 「人を襲ったこともある。けどな、ある出来事があってやめたんだ。別れってのは辛いことさ。考えてみれば、みんながみんな別れたくないんだ。それぞれに別れたくないものがあるんだ。狩るというのは、だれかをだれかと別れさせるってことだ」

 「ぼくもそう思う」アトルが友の横に並びながら言います。

 「でも、ぼくは狩るということ以外の生き方を知らなかったんだ。はじめてウサギを狩った時のことを思い出すよ。怖いことだった。気持ち悪いことだった。でも、それに慣れていく自分がいて。そうするしかないって言い聞かせてた」

 「牙がえものに食い込むとき、俺は命を喰らう意味を直観する。いのちの連鎖は善悪を超えたところにあって、だれが何をどう喰らったとしても自己満足にすぎない。だが、俺にはだれかを昔のように喰らうことはできない」

 アトルはその理由を再び問おうとしましたが、すんでのところでその欲を抑えました。

 『アミトは話すべき時に必要なことを話すだろう』

 「今度は俺からの質問だ。なぜ、狼ノ山に行こうとする」

 「正直、確かな理由があるわけじゃない。ただ、ぼくは群から追放されたはぐれ狼で、もともと行くところがないんだ」

 「追放?」アミトは怪訝そうに尋ねます。

 「うん。ぼくのからだ、まっくろで珍しいしょ。ぼくがいた雪の国では、この黒いからだが目立つんだ。目立つと人間に狙われる。ぼくが狙われると、ほかのみんなも狙われる。だから」

「そんなことで追放されたのか。群は皆で皆を守るためにあるのに」

 アトルはその言葉にやや驚きながら、

 「みんな人間が怖いんだ。ぼくたちでは敵わないんだ。群には長の家族がいる。ぼくよりも優先させるのは当たり前だよ」と返します。

 「それでは群に未来はないな」アミトは言います。

 「どういうこと?」

 「お前を切り捨てた群に未来はないってことだ。何かを切り捨てて問題が解決することはない。お前の長は判断を間違えた。ほんとうに群のことを考えるなら、お前も含め、住むところを変えるとか、いろいろできたはずだ」

 「そうなのかな。ぼくは別に怒ってはいないんだけど」

 「そうだとも。おまえの群はおまえも含めての群だったんだ。俺たちは食べるものがあるから生きていけるだろう。もし、あるオオカミがある草食動物を過剰に狩って、滅ぼしてしまったら、今度はそのオオカミも生きる糧をなくしてしまう。それと同じだ。おまえを追放したことで、群が困るときがきっとくる。お前に怒りが芽生えるかどうかは、お前自身の問題だ」

 それを聞いたアトルの頭に浮かんだのはアルバのことでした。

 アルバは大丈夫だろうか。群の中できちんと守られているだろうか。

 もしや、自分を追いかけて来やしないだろうか。いつの間にか自分のそばにいるのがアルバという存在だった。そのアルバがこのまま群の中で暮らし続けるだろうかと。その思いには不安と期待が混ざり合っていました。

 「そういえば、きみもひとりだね」アトルは思い出したように言います。

 「ああ、俺ははじめからひとりさ」

 「だれもいなかったの」

 「そうだな。だれもいなかったら俺もいないはずだが、気づけばひとりだった。幼いときは何とか生き延びようと必死だった。食べられるものは何でも食べた。こそこそと隠れまわって、オオカミらしからぬ暮らしだった」

 アトルには尋ねたいことがたくさんありました。

 このアミトという孤独な狼には自分にないものがたくさんある、と感じたのです。

 それでも、すべてを一気に尋ねることは避けるべきでした。

 彼は孤独な分、簡単に入ってはいけない場所をこころのなかに持っているように、アトルには思われたのです。その場所に土をつけるわけにはいきませんでした。せっかく得ることができた友情でしたから。

 「おい、アトル」

 「なに?」

 「出口だ」とアミトが茶色の鼻先で方向を示しながら言います。

 つられるようにその方向へ顔を向けると、確かに、すこし遠くに森の出口らしいちいさな光が見えました。

 「あ、ほんとうだ。ねえ、アミト、あの先にはお互いの目的地があるかな」

 「あるかもしれないな。俺の目的地は遠いし、お前の目的地はあるかどうかさえも分からないんだろう。

 それでも、目指す意味はあると思いたいな。

 だって、そうだろう、俺たちがこうして出会い、話し、進んでいることに意味がなければ、俺たちにとっての意味がなければ、生きていること自体に意味が見いだせなくなるだろう」

 「生きていることの意味?」

 アトルはよくわからずに尋ねました。ただ、それが前兆と瞬間という言葉と関わっていることは直感的にわかりました。

 「そう、意味だよ。こうして生を受けた意味のことだ。そんなこと気にせずに、ないもののように生きている奴も多いが、違うんだ、意味はあるんだ、必ず。実は俺には少しだけ意味がわかっている。お前に出会ってから、その確信が強くなった。俺がずっと寝ていたことにも意味はあったのさ」

 アトルはますますついていくことができなくなり、口をつぐみました。

 ただ、彼には完全に理解ができない事柄でもないようでした。アトルの頭の中がうごめいているのを僕は感じていたからです。

 彼は記憶をたどっていました。

 記憶から、前兆と思われるものを引っ張り出そうとしていました。

 それは前兆の前兆の前兆…といったように無数に連なるものでした。が、彼にはまだそれらを充分に引き出すことができませんでした。つまり、すべての前兆をきちんと引き上げることができなかったのです。いまの彼が、現実にぴったりと合うと思われた出来事は、自分がウサギを狩った時に気持ち悪さを覚えた記憶が残っているうちに、アミトと出会い、話をしたことだけでした。

 それはひとつのつながりでした。時間ということでした。

 生きるということはこのつながりを保持していくことなのかもしれません。

 ふたりの静かな森の旅に終わりが近づいていました。

 僕はここであることに気づきます。雪や森などの、アトルを取り囲む環境の変化が、僕にとって何かを意味しているのではないかということに。

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