第六夜
二〇××年 三月十五日
僕らは鮮やかな緑の中にいました。
ついさっきまで見ていたような白はどこにもない、青々とした世界です。光は強く、影は濃く、まるで夏のようでしたが、暑さは感じません。木の葉たちが遮ってくれているのでしょう。その分、どこか土臭くてじめじめしている。僕もよく知っている、森の中というのがふさわしい場所でした。
ここは冬の森ではないの。僕はアトルに問います。
君は一体あれからどうなったの?
群をでて、アルバを置いて行って。
僕の声はアトルには聞こえません。それはわかっていたことです。だから、僕はなにも考えないようにし、アトルに意識を集中しました。
「群をでてどれくらい経って、どれくらい歩いただろう」
アトルは少し疲れているようでした。
いつもよりも呼吸は荒く、足取りが重いように感じられました。
『ぼくはどこへ行くんだろう。いまぼくが目指せる場所というのは、狼ノ山だけだ。だからこうして歩いている。けれども、それがどこにあるのかも、本当にあるのかもわからない』
ふと、視線の先に何かが銀色に光ったように見えました。
アトルはそれが気になったようで、疲れも忘れ、そこに向かって駆けていきます。
もしかすると、ジャイアントの前兆という言葉が、彼を、瞬間に対して敏感にさせていたのかもしれません。
『あれはなんだろう。もしかして』
走りながら、疑問が浮かびます。
光ったと思われる場所との距離はぐんぐん縮まっていきます。
僕は岩や川か何かが反射しているのだろう、くらいにしか考えていませんでしたが、鼻の良いアトルはそれが何か既に見当がついていたようでした。
光の元にたどり着いたアトルは「やっぱり」と言いました。
銀色に光ったもの、それはあるオオカミのからだでした。彼はつやのある銀色の毛皮をまとっていて、それが反射した光が僕らの目に届いたのでした。そのオオカミはある大樹の下にできた浅い穴の中に寝ていました。
「なにが、やっぱり、なんだ」銀のオオカミは目をつむりながら言います。
「いや、やっぱり仲間がいたと思ったんだ」とアトル。
「仲間?」と彼はゆっくりと瞼を開きます。
「はっ、ずいぶん大きいやつが来たものだ。なにか用か」
「用はないけど。そんなところで何してるの」
「寝ているんだ」
「ずっと?」
「ああ。ずっと」
「どこにもいかないの」
「行く必要を感じていないのさ。生きる必要も」
「ふうん」とアトルはさも興味がなさそうに言いましたが、このオオカミに少し興味がわいたようでした。
「ねえ、君、名前は」
「そんなことを聞いてどうする」
「いいから教えてよ」
「アミトだ」
「ぼくはアトル、君もアから始まるんだね。ぼくの大切なアルバもアから始まる」
「どうでもいいだろう、そんなことは」
「そうかなあ」
アトルはしばらくそこに座って、アミトを眺めることにしました。
アミトは再び目を瞑っていました。まるで、世界を見たくないとでもいうように。
彼は決して大きくはないオオカミでしたが、その毛つやは誰にも引けを取らないだろうと思われました。小さな光でさえ、彼の毛皮に当たれば、きらきらとした明るい銀色に変わるでしょう。アトルの群にいたシルベンも銀色のオオカミでしたが、彼の毛皮がどちらかというとくすんだ色をしていたのに対し、アミトのそれは無数の星の集まりのように明るく輝いていました。
「おまえ、いつまでそこにいるんだ」
しばらく経って、アミトがそう言いました。
「ちょっと疲れたからここで休んでいるんだよ」
「そうか」と言って、アミトはまた目を瞑りました。
またしばらくして、
「まだいるのか」とアミトが問うと、
「友だちを待っているんだ」とアトルは答えました。
それから、日が暮れて、もう夜が深まりはじめたというときに、
「明日だ」とアミトはうんざりしたように言いました。
「明日、夜が明けたらお前と行こう。道がたがうまで」
「それはよかった。だって、もったいないもの、そんなにまぶしい君がここでずっと暮らしているなんて」
「どういう意味だ」
「そのままの意味だよ」アトルは笑いました。
その日はすばらしい星月夜でした。
昼間、日の光が差しこんでいた梢の隙間から、今度はまぶしい星の光が入ってきて、ふたりをやさしく照らします。僕はアトルの足とアミトのすがたを交互に見ました。アトルの黒はより濃く、アミトの銀はよりまぶしく、光っていました。
そのとき、アトルの胸に浮かんだのはやはり友という言葉でした。
『ぼくらはこんなにもちがう。でも、似ている』
アトルにとって、アミトはアルバ以外ではじめて純粋にひかれた存在だったようです。彼に出会って、アトルのこころがすこし軽くなったような気がしましたから。




