第1章 異世界に転生する物語
木々に囲まれた道の中、僕らはそれと対峙していた。
「そんな……」
「どうして、ここに……!!」
目の前には鳥のような羽を持った人型の存在が立っていた。
それは本来、このような場所にいるはずのない者だった。
「こいつは僕が足止めする。ドルフとリューリは先生を呼びに行って」
「馬鹿か!? 四天王だぞ!? 一人で相手できるわけない!!」
「殺されちゃうよ!!」
「あぁ、そうだ。お前たち全員でかかってこないと勝てないと思うぞ? ——ま、三人でも勝てないと思うがな」
そう言うと、四天王”ヴィドフニル”の手から四色の光が生じていた。
僕らは訓練学校 (剣術や魔術などの戦闘に必要な技術を教える学校を指している) の実践訓練の途中で、森の中の低級魔物を退治する簡単な訓練を行うはずだった。
魔物とはこの世界の人間たちが戦っている、人と姿形の異なる存在だ。
弱い魔物のことを低級魔物と呼び、強くなるにつれ、中級、上級と呼ぶ。
そして、四天王と僕らが呼んでいるのは、その上級よりも強い四体の魔物のことで、今目の前にその一体がいるのだった。
その四天王がこちらに手を向けると、四色の光が直線状に僕らへと伸びてきた。
とっさに鞄の中から瓶を取り出し、放たれた光の中心に投げつける。
瓶が割れると同時に、光にわずかな歪みが現れ、すかさず手のひらを前に突き出し、針状に伸ばした魔法をぶつけた。
瞬間、四色の魔法は中心から四方に裂け、僕らはその魔法の脅威から逃れることが出来た。
「……あぁ? お前、何をした?」
「ドルフ、リューリ、わかっただろ? 僕なら、こいつの足止めが出来る。先生を呼んできて」
「でも!!」
「——あ゛ー!わかったよ! リューリ、先生を呼びに行くぞ! 俺らが戻ってくるまで、絶対死ぬんじゃないぞ!」
「ウィル!!」
リューリを引っ張って、ドルフが先生を呼びに行った。
さて……と。
「何をしたかはわからねぇが、お前はここで死んでもらった方が良さそうだな……全力で行くぞ!!」
ひしひしと死の危険を肌で感じ取りながら、僕は”前世”での死を思い出していた。
◆ ◆ ◆
「よう、今日も夜遅くまで頑張ってんのか?」
ふとパソコンのモニタから顔を上げると、同期の佐藤が缶コーヒーをこちらに向けながら、声をかけてきた。
「明日発表だからね。今日だけは頑張るさ」
受け取ったコーヒーを開けながら、ふと時計を見る。時刻は23時を指していた。
一通りまとまった資料を一瞥していると、佐藤がまた話しかけてきた。
「今日だけって・・・ここ数日ずっと夜遅くまで仕事してたろ?」
「まあ、そうだけど。でも、今日でそれも終わりだよ」
「本当かぁ?一応同期として心配してるわけよ」
「ははは、ありがと。このプロジェクトだけは何としてもやり遂げたかったからね。本当に今日だけだよ」
資料をUSBに保存してパソコンを閉じる。とりあえずは問題ないと判断して帰りの準備を始めた。
「なぁ」
帰り支度が終わり、佐藤に一緒に帰ろうかと声をかけようとした瞬間、意を決したように佐藤が一言、発した。
「まだあの事、気にしてんのか?」
その言葉を聞いて、少し遅れて、僕は答えた。
「気にしてるつもりはないけど、これが終われば少しは荷が下りるかな、と思ってるよ」
「過去のことを悔やんでもどうしようもないだろ……あれはお前のせいじゃないよ」
「僕のせいであろうと、なかろうと、彼が最後に関わったプロジェクトだから、何としても終わらせたいんだ」
困ったような顔をしている佐藤に少し待ってから、声をかけた。
「そろそろ帰るよ。佐藤ももう帰るだろ?今日はまっすぐ帰るけど、明日が終われば僕も落ち着くし、そしたらまた飲みに行こうよ」
「はぁ……ま、お前がそういうならもう俺からは言わねぇよ。とりあえず明日、無事終わらせろよ?そんで一緒に打上げしようぜ」
「佐藤はプロジェクトに関係ないけどね」
「いいだろ?さっき缶コーヒー奢ったわけだし、実質メンバーの一人だろ」
「珍しくくれるのかと思ったら、それが目的だったのか」
「そういうこと」
お互い笑みを戻しつつ、僕と佐藤はお互い帰路に着いた。
◆ ◆ ◆
僕の名前は前田進。化学メーカーケミシンで働くごく普通の会社員だ。
僕はこの会社で研究員として働いている。研究内容は『カーボンナノチューブの量産化手法の確立』だ。
カーボンナノチューブとは、炭素繊維からなる高硬度、高熱伝導性、高電気伝導性を持つ。
中でも、単層カーボンナノチューブは特に優れた性質を示すことで知られている。
優れた性能を持つ素材として注目される一方で、変わったところでは生体内の特定部位に薬剤を運搬するドラッグデリバリーシステムとしての運搬材としても期待されていることから、医療分野にまで幅広く応用の効く素材となる。
僕はこの単層カーボンナノチューブを量産化する手法を研究するプロジェクトに5年間携わっていて、ようやくその手法を発見するに至った。そして、つい今しがた学会に発表するための資料をまとめ終わり、帰路に着いたところだ。
「ふぅ・・・疲れた」
家に着くなり、すぐにベッドに倒れた。ここ数日の疲れが来たみたいだ。
ふと時計を見ると、とうに0時を回っていた。佐藤に言われたことが、微睡む頭の中によみがえっていた。
2年前、僕に初めての後輩ができた。後藤 裕二という子で、一緒に仕事をしてくれる仲間が増えたことに嬉しさを感じていた。
僕の入社当時は23時まで平気でサービス残業を強いるような会社だったけど、国の注意を受けたため、この頃の残業は1日最大2時間までとなっていた。
ただ、僕自身は昔の体制に慣れてしまい、2時間の残業を終えた後、23時まで自主的なサービス残業をしていた。
後藤君もそんな僕を見て、少しずつサービス残業をするようになっていた。
最初のうちは、僕も2時間経ったら帰るように言っていたが、1ヶ月もすると、『前田さんが帰らないので、僕も残ります』と言い、一緒に残るようになった。
そして、3ヶ月間、23時まで共に仕事を行っていた。その数日後、後藤君が出勤時間になっても会社にこなかった。
少し負担をかけすぎたかと感じて、次に会社に来たら早く帰るように言おうと考えていた中、後藤君の連絡先に電話を入れていた上司が、血相を変えてこちらに来た。
「ご、後藤が倒れたらしい……」
その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
心配する言葉、不安に思う言葉、自分を責める言葉。
様々な言葉が頭をよぎった。全身に汗が伝った。身体が震え、頭から血の気が引くのを感じた。
「!!ま、前田さん!!」
誰かの声が聞こえたかと思った次の瞬間、僕の意識は途絶えた。
けたたましい目覚ましの音で、目が覚めた。
どうやら僕はベッドに倒れた後、そのまま寝ていたらしい。
……あの夢か。佐藤があんなこと言うからだ。
あの後、病院で目覚めた僕はすぐに後藤君の家に向かった。
後藤君は残念なことに助からなかった。過労死だった。
もっと早く帰るように言えば良かったと思ったが、時すでに遅しだった。もうすでに後藤君は亡くなっているのだから。後味の悪いもやもやした思いだけが残った。
帰り際に、後藤君のお母さんに散々罵詈雑言をぶつけられ、最後に言われたことが特に印象に残っている。
さすがに、数年たっても忘れることができないほどの出来事だった。
自分のせいで、共に働いた仲間が死んでしまった。それを振り払いたい思いが故に、少しでも後藤君の携わったこのプロジェクトだけは何とか終わらせたかった。
ふと時計を見ると、7時を指していた。そろそろ出かける準備をするか。
よれよれのスーツを脱ぎ、風呂に入る。
——もうすぐ、終わるんだ。
心の中でようやく落ち着くことに思いを馳せながら、学会に向かう準備を始めた……
◆ ◆ ◆
学会での発表は思ったよりさっぱりと終わった。研究資料を十分まとめていたためか、特に大きな指摘もなく、今後の発展に役立つだろう技術であるとお墨付きをいただいた。
「ふぅ、無事に終わってよかったよ」
「まああれだけ再現性を明確にした研究結果なら問題ないだろうよ」
「昨日あそこまでしっかりと資料をまとめる必要なかったかもね……っと、あの人は」
発表終わりに談話室で様子を見に来た佐藤と雑談をしていると、見覚えのある人が来ていた。後藤君のお母さんだった。
「息子の関わったプロジェクトが無事終わったか見に来たのか?」
「ごめん、佐藤。ちょっと挨拶してくる」
おう、と一言佐藤が言うのを後ろに、僕はお母さんに声をかけに行った。
「お、お久しぶりです。どうしたんですか? こんなところへ……」
「!!前田! 逃げろ!!」
佐藤の声に驚き、振り向くと同時に脇腹辺りから鈍い痛みを感じ始めた。
——っ!!……痛みに声が出せず、身体が少し蹲ると、今度は背中に強い衝撃を受け、地面に倒れこんでしまった。
何かが何度も背中から体内に入り込み、できた傷から血と痛みが出ていた。自分の血で作られた血だまりの中、身体から熱が抜け、寒さを感じ始めた。
あぁ、僕は死ぬのか……そう思いつつ、僕は今日見た夢の中でこの人が言っていた言葉を思い出した。『お前のことは絶対に許さない……』と。
◆ ◆ ◆
明るいような暗いような、広いような狭いような、不思議な空間に僕はいた。
ただそこに、僕というものがあるだけ。感じることもなく考えることもない。身体というものはなくなり、ぼんやりとした明かりのような境界の定まらぬ状態となって、ぽつんと僕は存在していた。
遠くの方に、何かを感じた。分らぬまま僕の存在はその方向に向かって動いていくようだった。進むにつれ、うっすらと感覚が現れた。強い光の瞬くようなものに、どうやら引き込まれているようだった。
それに近づくと徐々にぼんやりとしていた身体に形が生まれていた。懐かしい人の形に感覚が形成されていくと、いよいよ強い光に衝突するほどの近さになっていた。
僕の身体はその光の中へと吸い込まれていった・・・
——次の瞬間、一気に身体が重く感じた。呼吸が出来ない。息苦しい。
身体も自由に動かせず、ただ苦しさの中を心の中でもがいた。目を開けることは出来なかったが、周りがすごく明るいことだけはわかった。
死にそうなほどの不自由さの中、ようやく僕は口を開けることに成功した。
一気に空気が肺を満たしていくと同時に、無意識に僕は言葉を発した。
「おぎゃああぁぁ!!」
こうして、僕の第二の人生が幕を開けた。