エピローグ
このエピローグを、読んで頂けない方もいるのでは、と危惧しているのですが、作者としては、ここを読んで頂かないと、この物語は完成しないと思っております。
ここを飛ばされてしまうと、表現したいことが表現できず、伝えたいことも伝わらない、と思っているので、ここまで読んで来てお疲れの事とは存じますが、そこをなんとか、最後まで読んで頂きたいです。
「キグナス」だけでなく「銀河戦國史」の世界観を、是非味わって頂きたいのです。
注) プロローグの前書きにも訂正コメントを記載しましたが、本編に出てくる「オールトの海」の記載は間違いで、正しくは「オールトの雲」です。作者の不注意と不勉強で、間違った情報を提供してしまいました。申し訳なく思っております。
エリス少年の眠そうな顔を、しっとりと優しい温もりを湛えた3本の湯気が、顎からおでこへと撫で上げている。
ご飯から立ち上る湯気、みそ汁から立ち上る湯気、そして、焼きじゃけから立ち上る湯気だ。父の語る物語に出て来たせいか、少年はこの朝、何としてもこの朝ごはんが食べたい、と昨夜の内から母に注文しておいたのだ。
だが、今朝の少年は、眠たかった。
三夜連続で語られた長い長い歴史の物語が、昨夜ようやく、終わった。最終回だった昨夜は、語り手である父も興奮が高まったのか、ついつい話が長くなってしまい、今日のエリスは大変な寝不足だ。
油断していると、目が閉じて来てしまう。せかっく、母が用意してくれた焼きじゃけの朝ごはんだから、じっくりと味わって食べたいのに、眠気に抗することができない。
物語の中では、機械が全自動で作ったものが供されていたらしいが、少年の前に並んでいるのは、彼の母が早起きして、手間をかけて作ってくれたものだ。同じようなものを全自動で作ってくれる機械は、彼の家にも装備されているが、母は毎朝、手作りの朝食を用意してくれる。
エリスは断然、母の手作りの方が好きだった。その大好きな、母の手作りの朝食が目の前にあるのに、睡魔が少年を、それから引き離そうとする。
「エリス。」
また、眠りの世界に引き込まれそうになった少年を、母が呼び戻した。
「ああ、いけない。寝ちゃうとこだった。」
「寝ちゃうとこ、じゃ無くて、寝てたでしょう、今。本当にあなた達は、歴史の話になると夢中になっちゃうんだから。あんなに遅い時間まで起きていたら、次の日が大変な事くらい、分かるでしょう。・・ちょっと、お父さん!」
母の小言を、申し訳なさそうな、シュンとした顔色で聞いていた父だったが、話を最後まで聞き終える事ができず、途中で船を漕ぎ始めた。彼も、寝不足だ。
「ああ、すまん、すまん。」
「もう。父子そろって、寝不足で朝ごはんもロクに食べられないなんて。歴史談議も、ほどほどにしてよね。」
そう言った母だが、昨夜彼らが夜遅くまで語り合っている時は、それを妨げる言動は一切催さなかった。父の話を聞く少年の瞳の輝きに、少年に歴史を語っている父の熱意に、母は、微笑みと黙認を与えざるを得なかった。
「カーテンを開けて。」
右手のフリップと共にそう告げた母の言葉は、ハウスコンピューターへのコマンドとして作用した。言葉だけでは、うんともすんとも言わないのだが、右手をフリップした直後の言葉には反応する。彼等の家のハウスコンピューターは、そういうふうに設定されている。
親子3人の囲むダイニングテーブルから、5mほど離れたリビングのその向こうに、テラスへ出られる窓があり、それを覆っていたカーテンが、母のコマンドに従って両側に開かれた。
リビングの床を、圧力を感じる程に強く照らし、少し離れたダイニングにいる人々を鮮やかに色付かせた陽光は、恒星エウロパが核融合によって作り出した恵みだ。
エウロパ第3惑星を、人類が生息するのに丁度良い強度で陽光が照射しているのは、恒星エウロパと第3惑星の間に、巨大なレンズが設置されているからだ。そのレンズで集められ、陽光強度を増した事で、彼等の暮らす惑星のテラフォーミングは成し遂げられた。
ちょっとした計算違いから、予想以上に水分が多く融け出してしまい、この惑星は水浸しだ。9割を海洋が占める。それを利用して、約30時間である自転周期の惑星表面を海上移動し続ける事で、強引に1日を24時間に仕立てる生活を、エリスの家族は送っている。
海上を疾走し続ける彼等の家の窓からは、陽光の乱反射に装飾された紺碧の海原が、どこまでも広がって見えている。数百年に渡るテラフォーミングで作り出され、それから数百年の歴史を積み上げた、人工の海だ。人類の科学技術が作り上げた、大自然だ
カーテンを開けたことで、活き活きとした陽光と広々とした海原の光景が、寝不足の父子の視界に飛び込み、睡魔への勝利に貢献した。
苦痛を全く伴わなかった覚醒は、少年に強烈な食欲を招来した。その事を彼の両親に知らしめるべく、ぐぅー、という低い唸りが、静かなダイニングに轟いた。
「まあ。」
「おおっ。」
「へへへ。」
親子3人から、三様の声が上がる。
箸を摘み上げたエリス少年は、ようやくにして、今日の朝食をじっくりと見詰めた。ご飯とみそ汁と焼きじゃけ、という決して豪華では無い朝食に、少年は想った。
(これだけの朝ごはんでも、僕の住むエウロパ星系だけでは手に入らない材料が、沢山使われている。)
かつて人類発祥の惑星に存在した、どんな生き物の生息に適した環境でも、エリスの時代の人類は、宇宙空間のどこかに作り出す事に成功していた。だが、一つの星系内で、全ての生物の生息環境を実現することは、できなかった。
もともとは1個の惑星の中だけに備わっていた環境を、1つの星系の全ての領域を使っても再現できない。1つの星団の全てを使ってでも、かつて1個の惑星だけに収まっていた環境を網羅できない。
不思議な事だが、地球を飛び出して1万年を経た人類は、地球にいた全ての生物を銀河のどこかに息づかせる事には成功しても、1つの星系や星団の中に全てを詰め込む事は、できずにいる。
今、エリス少年の目の前に並べられた、ご飯とみそ汁と焼きじゃけの朝ごはんも、銀河の中の、あっちの星団やこっちの星系で、栽培されたり養殖されたり製造されたりしたものを運んで来なければ、彼の食卓に並べる事はできなかった。
(銀河が平和だから、銀河のあちこちから色んなものを運んで来て、こうやって食卓に、朝ごはんが並ぶんだな。)
少年はしみじみと思った。最も遠いものは、およそ7万光年もの彼方から、運ばれて来ている。銀河の果てから彼の食卓に、7万光年の距離を、誰にも遮られず、邪魔立てされず、奪われたりもせずに旅をして来れたから、彼の朝ごはんは彼の目の前に並んでいる。
エウロパ星系で生産されているものだけでも、朝ごはんは作れる。美味しいし、栄養もあって、お腹もいっぱいになるだろう。だが、より多様な食生活を、人は望む。少しでも広範な料理の選択肢から、好みのものを食べられるというのが、豊かさだ。
(3千年前の宇宙商船のクルーも、同じようなものを食べる事ができていた。3千年前にも、それらを集めて来られるだけの平和が、銀河にあったからだ。)
「何を、ボーっとしているの?食べないの?」
母は問うが、少年がボーっとなった時の彼の頭の中身は、母にはだいたいの検討が付いていた。
「今も昔も、銀河の平和を守ってくれる人がいるから、こうやって朝ごはんが食べられるんだなって。」
昨日までの歴史談義が、少年にそんな感慨をもたらしている事を、父も母もよく知っている。
「そうね。でも、あれこれ考えるのは、食べ終わってからにしなさい。」
一度歴史に気が向けば、誰にも止められなくなるので、母は忠告しないわけにいかない。
「今は銀河連邦軍が、3千年前には宇宙保安機構軍が、銀河の安全を守っていたんだな。」
「ちょっとあなた、先に朝ごはん、食べてよね。」
隙あらば歴史談議にのめり込む父子を抑えるのに、母には油断の隙もありはしない。
(銀河連邦も宇宙保安機構も、銀河の治安を担っている事は同じだけど、状況は全然違うよな。)
箸先でしゃけの身をほぐしながら、少年は内心で呟く。
少年の時代に、銀河の治安を担っている第3次銀河連邦政府の保有する軍隊には、これといって強力な敵対勢力は無かった。犯罪や、数百人規模くらいまでの暴動や騒乱は時々あるが、千や万といった規模の戦闘は、2百年以上に渡って銀河には生じていない。
暴力に訴えなくても、様々な要望が権力の上層に届き、十分に留意した治政として返って来る民主的なシステムが、この時代の銀河には遍く行き渡っている。人類は、恒久平和を実現していた。
(でも、3千年前の、宇宙保安機構の時代には、人類の7割は地球連合勢力の外側にいて、その多くは敵対的な人達だった。そんな外側の人達からの攻撃を防ぎ、人や物の往来を保護していた宇宙保安機構軍の戦いは、今の第3次銀河連邦の軍よりも、ずっと命がけのものだった。)
その宇宙保安機構軍の戦いが、第1次銀河連邦に引き継がれ、2次、3次と伝え続けられ、豊かで美味しい朝ご飯を食べられる今へと繋がっている。途中、銀河暗黒時代という、平和建設の断絶した百年があったが、3千年前に命を懸けて平和の維持に努めた者達の戦いは、今の平和な銀河に結実している。
昨夜までの話に出て来た人達と、今、目の前に並ぶ温かな朝ごはんに、不思議な絆がある事を少年は実感していた。3千年前に、人と人を繋いでいた不思議な糸が、今を生きる少年にも届いているのかもしれない。
歴史は今に息づいている。それを生活の端々で実感する感性が、エリス少年にはあった。朝ごはんから立ち上る湯気の中にも、3千年前に戦った人達の息吹や波動を、少年は確かに見出している。
(戦いだけじゃ無い。迷いや、苦悩や、恋や、3前年前の色々な喜怒哀楽が、今日のこの朝ごはんに繋がっている。)
理屈で理解する以前に、少年はそれを感じる事ができた。多くの想いの上に築かれた今だからこそ、それは、かけがえのないものなのだ、と少年は思う。
(こんなおいしそうな朝ごはんを食べられる世界を、僕達は守り続けなくちゃ。)
第3次銀河連邦軍に大きな敵は無く、民主的な政治が遍く行き渡っているとはいえ、全人類の不断の努力が無ければ、恒久平和は維持されない。多くの戦いと犠牲の上に築かれたこの恒久平和は、今を生きる自分達の手で、何としてでも守り抜かなければいけない。
朝ごはんの温かな湯気に、少年はそんな決意を漲らせていた。
(武器を取り、身を危険に曝して戦う時代が終わっても、僕らがやらなければいけない事は、沢山あるはずだ。それをできる人に、僕は成らなくちゃ、この朝ごはんを与えてくれた沢山の人達に、顔向けできないな。)
エリスは顔を上げた。目の前には大好きな父と母がいて、居心地の良いリビングが背後にある。その向こうには、穏やかに凪いでいるエウロパ第3惑星の海原が、窓枠の中に見えている。広大な海をすっぽりと包みこむ青い空の先には、悲劇と決別した銀河系が、十万光年という気の遠くなりそうな規模で広がっている。
エリス少年は、その全てを愛している、と強く思った。だから、絶対に守り抜かなければ、と誓った。
昨夜までに聞いた、3千年前の物語。そこに登場した人達が築き上げ、今、目の前に穏やかに広がる、平和な銀河。それを守り抜く為に、今、この瞬間、少年がやらなければいけない事、それは、朝ごはんをしっかり食べる事だった。
歴史という大きな一つの流れの中に、全ての魂は溶け込んでいるのじゃないか。朝ごはんから立ち上る湯気の中に、そこから感じる様々な息吹に、少年はそんな想像をした。自分も歴史上の人達も、一つの流れの中に溶け込んだ存在であるのなら、何かを共有したり、何かに共鳴したり、しているんじゃないのかと。
そんな想いを他所に、彼の操る箸は、焼きじゃけのホクホクした身を摘んで、少年の口を目がけて突進した。
エリス少年が、焼きじゃけを頬張った。鋭く刺すような塩味が感じられ、瞬時に消え去った後に、ねっとりとした甘みと、ほんわかした旨味が、舌を隙間なく覆って来た。
見ると、母は笑顔だ。父も笑顔だ。彼の感じている美味しさを、彼等も感じているかのように笑顔だ。いや、きっと感じている。彼が美味しさという感動を味わっている時、彼を愛する人達は、彼とほぼ同等で同様の感動を、共有しているのだろう。だから、美味しいものを頬張る彼を見る時、こんなにも笑顔になるのだろう。
喜びと感動は、人の心と心で共鳴し、増幅していく。それが目いっぱい膨らんだ時、人は幸せを感じるのだろう。
だから、今、少年は、幸せの真っ只中にいた。
遥かなる時の流れの中にも、喜びが共鳴している気配がある。時の流れに溶けた御霊ならば、少年が味わっている感動を分かち合っていても、不思議はないのか。同じ喜びに、共鳴しているのか。
少年と同じ、焼きじゃけの甘みと旨味を共有しているかもしれない、数多の御霊。それは3千年もの昔に、平和を守る為に戦って、散って行った、若き青年達・・・・・・・だったりして。
今回の投稿は、ここまでです。そして、"星々を駆る重武装宇宙商船「ウォタリングキグナス」-ヤマヤの虜囚-"も、ここまでです。
ここまで読んで下さった読者様、有難う御座いました。そして、お疲れ様でした。
SF小説を書くのはこれが4作目で、最長の作品でした。まだまだ小説を書くのはビギナーで、ストーリーの面白さや、分かりやすさや、表現力、といったところは未熟でしょうが、ともかくこれだけの長編を完結に導く事ができたのは、自信になりました。今後は、もっと読んでいて分かりやすく、心地よく、想像が膨らみ、様々な感情を疑似体験でき、そしてストーリーの行く先が気にかかる、そんな小説を書けるようになりたい、と思っています。
自分で読み返していて、色々難点はあるとは思いつつ、このスケール感で、未来の宇宙に歴史物語を描いた作品というのも、あまり無い、いや、無い、のでは、無いか、なんて、思ったり、思わなかったり。
「銀河英雄伝説」「ファウンデーション」「航空宇宙軍史」などなど、偉大な巨匠たちの偉大な作品に、あらゆる点で足元にも及ばないこの作品にも、上記の作品群には無い何か、が、あるのではないか、と思ったり、思わなかったり。
自意識過剰と自己嫌悪を、行ったり来たり。満足した直後に絶望したり。自分の作品を読見返して、巨匠たちの作品を読み直して、そんな迷走を繰り返す日々です。
でも、とにかく書き続けよう。今はそう思っています。4つしか書いてない現段階で、何の評価も判断もすべきじゃないし、しても仕方が無い。とにかく、もっとたくさん作品を書いて見るしかない。「キグナス」の完結を迎えた、作者の感想です。
で、次回作です。要するに、次回作を是非読んで欲しい、という事が言いたいわけです。
「銀河戦國史 -アウター"ファング" 閃く-」
来週末、'17/11/11 の17時に、一回目の投稿を行う予定です。初回は、プロローグとして「キグナス」同様、エリス達が登場する、今から1万年後の恒久平和実現後の銀河が舞台のシーンです。プロローグの終わった次の回から、本編がスタートします。
まだ完成しておらず、おそらく半分は超えていると思っているのですが、完成してみないと何とも言えない。で、完成するまでは、隔週で(一週おきに)投稿します。完成し次第、毎週投稿に切り替えます。土曜日の17時に投稿するつもりです。
ここまで読んで下さった読者様には、来週の土曜日以降、次回作のプロローグに、サラッ、と目を通して頂きたい。切に願うところであります。
というわけで、重ね重ね、「ウォタリングキグナス」を読んで頂いたこと、厚く御礼申し上げて、本作品を終了しようと思います。
本当に、有難う御座いました。




