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第52話 重くて温かい荷物

 桟橋から接続された通路を伝って、クルー達は港湾施設へと飛び出して行く。別に窮屈という事は無い広さのある「ウォタリングキグナス」ではあるのだが、やはり久しぶりにそこから出る者にとっては、開放感を感じずにはいられない。

「ヤッホー」

とでも叫びそうな勢いで、クルー達は飛び出した。空気はあるが重力は無いので、皆、空中に飛翔して行くような飛び出し方だ。そのクルー達から、地鳴りのようなどよめきが沸き起こった。

「シャラナさんだぁ!」

「シャラナ様のお出迎えだぁ!」

 いつも通りの貫頭衣を腰ひもで絞ったような服装で、無重力中でも背筋を伸ばした凛々しい姿で彼らを出迎えるシャラナのもとに、我勝ちに飛び付くクルー達。特に男共。

「皆様!『キグナス』クルーの皆様。また皆様と共に、宇宙での旅が出来る事になったと聞きまして、まだ出発は先だと分かってはおりながら、いても立ってもいられず、ここまで来てしまいました。『イリノア星系』まで、どうぞよろしくお願い致します。」

「うおぉぉぉおお!」

 割れんばかりの歓声が上がる。涙まで流して喜んでいる輩もいる。その隣にクレアもいる事に気が付いているのは、ユーシンだけかもしれなかった。ユーシンは不思議な体験をしていた。シャラナが隣にいない場面では、全く意識しない部分が、シャラナが隣にいると気になって仕方が無いのだ。

 クルー達の視線はシャラナに注がれ、クレアの視線はそのクルー達に奪われ、誰もユーシンの方など見ていないのを良い事に、彼の視線はクレアの胸元にへばりついて、離れないのだった。

「何をシャラナさんに見惚れてるんだよ!ユーシン。」

 キプチャクが、完全に勘違いした言葉を掛けて来た。「まぁ、でも、無理はねぇよなぁ。やっぱり最高だよな、シャラナさんは。見ろよあのプロポーション。胸も尻も、たまらなく色っぽいラインを描いているよなぁ。涎が出そうだよなぁ。」

 そんなキプチャクの発言ごときで、ユーシンの視線の方向は、微動だにするものでは無かった。

「あっしゃっしゃ。ユーシンよ。この前の、おでこへの口づけを思い出して、のぼせておるのかのぉ。ほれ、ぼーっとしとらんで、嬢さんの前に出て行かんか。今度は唇にしてもらえるかもしれんぞ。あっしゃっしゃっしゃあ。」

(何でこいつらは、どいつもこいつも、こうなんだ。)

 そんな事を思いつつ一点を凝視し続けるユーシンも、人の事を言えた義理かどうか。

(やっぱり、温かい。見ているだけで、体温が伝わって来る半球だ。)

 シャラナを取り囲んだまま、人波は移動を始めた。港湾コロニー内の飲食店かどこかで、彼女を囲んでの宴を始めるつもりだろう。人波がクレアから離れていくと、今まで彼らに阻まれて見えなかった部分も見えて来る。そうなるともう、ユーシンの頭に上る事は決まっていた。

(なんて滑らかな曲線だ。)

 温もりの伝わる半球と、滑らかな曲線の間を、ユーシンの視線が行ったり来たりしている時に、その“持ち主”がくるっと予兆も無く振り返って彼を見て来たのには、ユーシンは腰を抜かすほどに驚いた。何を見ていたのかを、見抜かれたのではと恐れおののいた。

「ユーシンさん、お帰りなさい。ご無事で何よりですわ。それに、お元気そうで。」

 お元気そう、を意味深に解釈したユーシンには戦慄が走ったが、

「ところでユーシンさん。機構軍の方が、あなたからも事情聴取をしたい、とおっしゃっておいででしたわ。明後日に私と、機構軍の司令部へ向かいませんこと?」

と、クレアはどこまでも屈託がなかった。安心したユーシンは、

「お嬢さまと?わざわざご足労頂かなくても、1人でも行けますが。」

と、律儀に返答した。

「ダメですわ、ユーシン様。『UF』の幹部として、私には同伴する責任がございますの。」

 口にしている言葉の堅苦しさとは裏腹に、クレアの眼は悪戯っぽい笑みを湛えている。

「え?この前の刺客の件で、話を聞きたいだけでしょう?機構軍は。別に同伴とか・・」

「では明後日に。それまで、ごきげんようユーシンさん!」

 ユーシンに最後まで言わせない内に、クレアはそう挨拶してシャラナたちの後を追って行った。

 戦闘を経たことで、船体のメンテナンスもやるべき項目は相当数に上り、それと並行して行われた、荷物の検品や積み込みの作業で、翌日はあっという間に過ぎた。ユーシンも操船訓練にも精を出しつつ、それらの作業も手伝い、極めて多忙な1日間を過ごしたのだった。

 入港から2日後の朝、キグナスの食堂で、寝ぼけ眼で朝食のごはんと味噌汁と焼きじゃけを、ようやく使い方を覚えた箸を使って口に運んでいたユーシンは、隣に人が座る気配を感じた。

 そちらに目をやると共に、ユーシンは世界の縦回転に見舞われた。都市内移動用の乗り合いシャトルが到着するドッキングベイの近くで待ち合わせのはずだったので、「キグナス」にまで乗り込んで来るとは思っていなかったのだ。つい最近会ったばかりの為か、縦回転は深刻なものでは無かった。

「おはようございます、ユーシンさん。本日はよろしくお願い致しますわね。」

 未だ覚醒し切っていないユーシンの脳は、朝から明るいクレアの勢いに、付いて行けなかった。口内の朝食を咀嚼(そしゃく)しながら、もごもごと言語未満の音を発するだけの有様だ。

 ようやく朝食を食べ終わったと見て取るや否や、クレアはユーシンの腕に腕を絡めて、グイグイと引っ張り出した。クレアの握るリーディンググリップが、2人分の体重を力強く誘導し、彼等を「キグナス」から連れ出した。ユーシンは背筋に、こそばゆいような緊張を感じた。クレアの温かい半球に、肘が当たってしまいそうだったから。

「大丈夫ですわ、ユーシンさん。事情聴取と言っても、大したことは聞かれませんわ。そんなに固くならなくても。」

 クレアはユーシンの表情を見てそう言ったが、彼の顔が引きつっているのはその為では無い。当たらないようにする為に、全神経を肘に傾注していたのだ。

 ドッキングベイからシャトルに乗り込み、目的の住居コロニーへとやって来た。シャトルの中では、機構軍司令部に滞在中の食事の内容などについて、ベラベラと話し続けるクレアの横顔を、特にふっくらとした頬を、ユーシンは眺め続けた。

「こちらですわ、ユーシンンさん。このエレベーターで、機構軍の指令室まで行けますのよ。」

「お嬢さま、大きな声で。そんな事を周りの人に聞かれたら・・」

「あら、ユーシンさん。まだお聞き及びでは無くて。もう機密では無いのですよ。ここに機構軍の司令部がある事は。あと10日もすれば、引き払うそうですし。」

「そうなんですか。あははは。」

 実に楽し気なクレアの声色に、ユーシンにも自然に笑いがこみ上げて来る。いつしか彼の気持ちも、ウキウキと弾んで来ていた。

「さあ、このエレベーターで・・あ、でもユーシンさん、また、荷物用のエレベーターを使いましょうか?」

「え?何で?乗り心地悪いじゃないですか。危ないですし。」

「うふふふふっ。もちろん、冗談ですわよ、ユーシンさん。そんなに真に受けなくても。あはは、可笑しい。」

「あはは。そうですよね。冗談ですよね。あははは。」

 事情聴取といっても、聞かれる事より聞く事の方が多かった。

「・・なるほど。保安システムに依頼した情報収集のデーターが消されていた事で、襲撃の可能性を予見したのですね。それで、金属探知で銃の形状のものを発見し次第、端末に連絡が来るように設定したというわけですか。」

 この前にクレアと駆け込んだ、機構軍の司令部が入っているビルの最上階にある、眺めの良いレストランでの事情聴取だった。窓外の遠くにある緑の深い山並みを後に背負った機構軍兵士の問いかけに、ユーシンは頷き、そして問い返した。

「刺客達の素性は知れたのですか?」

 本来なら民間人には教えられないような情報かも知れなかったが、半軍商社の従業員だからか、兵士は躊躇もせずに答えてくれた。

「彼ら自身は、金で雇われただけの、この都市の住民でした。どこかの国の兵として訓練を受けた事はあったようですが、暗殺者としての訓練は受けたわけでは無いようです。彼らを雇った者に関しては、刺客達は全く素性を知らないようです。」

「そうでしょうね。『ソリアノ』の保安システムに介入した者に関しては、何か情報は?」

 ユーシンは矛先を変えて、質問を繰り返す。

「まだ個人の特定には至っておりません。ですが、『ソリアノ』の行政機構内部の者の関与無しには、そういった事は不可能だとの結論には達しています。」

「つまり暗殺の首謀者は、『ソリアノ』の行政機構の関係者を抱き込んで、事を実行したと?」

「そうなります。そうしない事には、実行不可能な計画でした。」

 ユーシンは背筋に悪寒を感じる。

(やはり背後では、大規模で力のある勢力が関与しているんだ。)

「捕虜にした宙賊に対する尋問は、進んでいるのですか?」

 更に質問をたたみ掛けるユーシン。

「彼らの部族も、突如強力な軍によって根拠地を制圧され、家族を人質に取られた形で、その軍の命令に従わされていたようです。その軍がどこの国のものか等は、宙賊達は何も知らないようでした。」

「その宙賊の根拠地と、『コーリク国』の位置関係は?」

「ヘラクレス回廊群の外側で、つまり、スペースコームの無い宙域で、『コーリク国』と宙賊の根拠地と『ソリアノ星系』は、ほぼ直線上に位置します。距離にすれば、『ソリアノ星団』と『コーリク国』の最短距離は、千光年ほど。タキオントンネルを使って約1年の距離です。」

「うーん。微妙な距離だな。」

 ユーシンは低く唸って考え込んだ。「その千光年、1年分の移動距離の間に、宙賊の根拠地がある。『タクムス星団』とその根拠地の最短距離は?」

「およそ、10光年。タキオントンネルで3・4日ですが、暫時型を乗り継ぐ形ですと、5日程かかる距離になります。今回の『1-1-1』の襲撃にも、到着に5日を要しました。」

「ユーシンさん、」

 隣で話を聞いていたクレアが、言葉を差し挟んで来る。「『コーリク国』の背後にある勢力と、今回『ソリアノ』に進攻した宙賊の背後にいる勢力が、同一だと考えておいでなのですか?」

「分からない。千光年っていうのは、微妙ですね。『ユラギ国』にいたシャラナさんが拉致された事実が、この千光年を通って知らされたとしたら、1年以上かかるはずだから、宙賊の侵攻も刺客の侵入も、余りにも早すぎる事になる。だけど、その勢力が『ソリアノ』の行政機構に影響力を及ぼし得る存在だとしたら、ヘラクレス回廊を使ってのワープでの移動や連絡も可能なのかもしれない。シャラナさんが命を狙われる理由は、『コーリク国』の、『キークト星団』征服への障害を取り除く為の策動以外には考えられないし、宙賊の『ソリアノ』侵攻と刺客の襲撃のタイミングの良さを考えても、これらが無関係だとは思えない。」

 そう言った後、ユーシンは思索に浸るように、沈黙した。

「いずれにしても、更なる調査の結果を待たねば、確かな事は何も言えません。」

 機構軍兵士のその言葉に、

「そうですね。」

と、ユーシンが返したところで、事情聴取は終了した。

 その後、「キグナス」の出航まで半日ほどは、ユーシンは自由に行動して良い事になっていた。要するに非番だ。

「さあて、これからどう・・」

 言い出したユーシンを遮って、

「この前のレストラン、予約してありますのよ。」

と言ったクレア。

「ええ?」

 呆気にとられたユーシン。

「だってこの前は、何も食べない内に逃げ出さなきゃいけなかったのですよ。あんなに美味しそうな料理を見せつけられて、何も食べないままだなんて、酷すぎますわ。」

「それで、今から改めて、あのレストランに食事に行くのですか?」

「いけませんか?」

「・・・いいえ、喜んでお伴させて頂きます。ただ・・」

 言いたい事があるのだが、言い淀むユーシン。

「ただ、何ですの?」

「・・いや、あの・・、案外、食い意地が張ってるんだなって・・」

 そのひと言でユーシンは、またクレアのふくれっ面を拝む事が出来たのだった。

 再びシャトルで移動し、リゾートコロニーにやって来た。波打ち際の崖の上に立つホテルの、屋上にあるレストランに席を占めたユーシンとクレア。時間帯は昼食と夕食の間頃だ。

「こんな時間に、こういうレストランって営業しているもんなんですね。」

 ユーシンが言うと。

「いえ、本来の営業時間はもっと遅いのだそうですけど、私がお願いして、この時間に営業して頂きましたのよ。」

 さらっと、そう言ったクレア。

(そうか。この女人は、大企業の社長令嬢なのだった。レストランの営業時間を変えさせるくらい、大した事じゃないんだな。)

 それからは花より団子といったところか。崖下に白波の打ち寄せる爽快且つ雄大な光景には目もくれず、アヒージョだのパエリアだのを平らげて行くクレア。ユーシンも舌を巻く食べっぷりだ。いつしかユーシンも、景色も料理もそっちのけで、クレアばかりを眺めていた。何かを口に含むたびに、いちいち嬉しそいうな微笑みをユーシンに投げかけて来る。その一つ一つの微笑みが、ユーシンもまた、いちいち嬉しかった。

「召し上がっておいでですか?ユーシンさん。」

「ええ、食べていますよ。お嬢様には、どうやっても追い付けそうにはありませんけど。」

 またしても、ふくれっ面を堪能。そして、楽しい時間は瞬く間に過ぎた。

「そろそろ、『キグナス』に戻らないと。」

「そうですわね。私は、今日はこのホテルに泊まって行きますのよ。」

「そうですか。」

 その言葉の後には、ただ黙ったまま、互いを見つめ合う時間が訪れた。胸が詰まるのは食べ過ぎたせいではないだろう。2人で過ごす時の終わりが、余りに名残り惜しかった。

「じゃあ、俺は『キグナス』に戻ります。」

「シャトルまでは、お送りいたしますわ。」

 普通なら丁重にお断りする場面かも知れないが、ユーシンは何も言わずにそれを受け入れた。ドッキングベイに到着するまでも、どちらも、ひと言も発する事は無かった。

「あちらに、『キグナス』が係留されているコロニーへ直行する、ユーシンさん専用のシャトルをご用意しておりますわ。」

「あ・・そうなんですか。」

 やる事が、やはり社長令嬢だった。乗り合いのシャトルに並ぶ人の列を横目に、ユーシンとクレアは専用のシャトルに向けて、無重力空間を飛翔して行った。先行するクレアを追いかけるユーシンは、かなり近い距離で滑らかな曲線を鑑賞し続けた。

 到着すると、開いたままのシャトルのハッチを挟み、シャトルの内側にいるユーシンと外側にいるクレアが、向かい合う事になった。

「それでは。送って頂いて、有難うございました。」

 空中に浮かびながら、律儀で型通りな挨拶を繰り出したユーシン。

「あの・・ユーシンさん・・」

 型通りでは無い何かを、口にし始めたクレア。彼女も空中に浮かんだ状態だ。「私達の貿易商社『UF』は、命と引き換えにしても利益の獲得を目指すのが社是ですので、こんな事を言ってはいけないのかもしれませんが・・・」

 うつむいたまま、そこで言葉を途切り、少し躊躇した後で、意を決したように顔を上げ、真っ直ぐにユーシンを見たクレア。そして、続きの言葉を紡ぎ始めた。

「私、ユーシンさんには、死んで欲しくありません。どんなことがあっても、生きていて欲しい。」

 「UF」においては、禁句とも言える言葉、「死なないで欲しい」を口にしたクレア。

「お嬢さま?」

 唐突なクレアのそんな発言に、ユーシンもどうしていいか分からなかった。

「その・・、シャラナお姉様の救出の時とか、この前の刺客の襲撃の時とか、ユーシン様は、私の為になら簡単に、自ら危険に身を曝してしまわれるようにお見受け致しました。あの・・こんな事を言っては失礼かもしれませんが、ユーシンさんは、何か・・ご自身のお命を軽く見ておいでなのでは・・いえ、私などがそんな意見を述べる立場にはありませんわ。ユーシンさんは『UF』の従業員としてふさわしい、勇気や行動力をお持ちなだけで・・その・・私が批判めいた事を言うなんて・・・、でも、これだけは、覚えておいて頂きたいですわ。私にとっては、ユーシンさんの命は、シャラナ姉様のと同じ位、いえ、それ以上に、大切なものなのです。」

 予想外の言葉に驚きを見せていたユーシンだったが、クレアの言葉を耳にしている内に、両手が自然に、ためらいも無く、クレアの両手を捕まえていた。幼い子供に何かを言い聞かせる時のごとく、右手で左手を、左手で右手を、包み込むようにしてギュッと握り、ユーシンは話し出した。

「大丈夫ですよ、お嬢様。俺は死んだりしませんから。必ずお嬢様の元に戻って来ます。人生の全てを掛けて、お嬢様を守り、支え続ける事が、俺の人生目標ですから。」

 ニコル以外には誰にも言わないと決めていた言葉を、さらりと言い終えたユーシンの顔には、クレアを安心させたいという想いからか、自信に満ち溢れた穏やかな笑顔が浮かんでいた。ユーシンに自覚は無かったが、そこには“凄味”とも言える、強者(つわもの)だけが纏う風格のようなものが備わっていた。

 それを見つめるクレアにも、いつものような屈託のない満開の笑顔が浮かんでいる。心寄せる人を安心させる為に、強者は凄味を身に纏うのだろうか。

「それでは。」

 そう言ってユーシンが一歩下がると、シャトルのハッチは閉じた。丸い覗き窓から、引き続き互いの笑顔を見つめ合うユーシンとクレア。

 滑るようにシャトルは動き出したが、ユーシンの体はシャトルとは連動せずにその場に留まった。クレアの顔をのぞかせていた丸窓だけが、横に滑って行った。そして、その隣の窓から、再び、一瞬ではあったが、ユーシンとクレアは互いを見つめる事が出来た。その後ユーシンには、横から壁が迫って来た。その壁がユーシンの体に、シャトルと連動した運動をもたらす。

 壁を床に変えて、ユーシンは仁王立ちとなり、一気に強まって行く加速重力に抗った。クレアは既に、遥かなる下方に遠のいてしまっているだろう。見る事は出来ないが、遠ざかる彼女を、ユーシンは閉じた目の内側に想い描いた。

「どうしよう。俺、お嬢様に、愛されてしまった。」

 そんな事をユーシンは呟いていた。

(それを恋だなんて、思うわけにはいかないけれど、俺は確かに、お嬢様に愛されている。)

 たった今交わした言葉だけで、そう感じたわけでは無い。これまでのクレアとの思い出の全てが、ユーシンにそれを確信させていた。

(お嬢様の言う通り、確かに俺は、お嬢様の為なら、自分の命なんて惜しくないと思っていた。お嬢様を救うのに必要とあらば、どんな危険にでも、迷わず飛び込んで行けるだろう。)

 そのことが、クレアの心に影を落とす事になるなんて事は、ユーシンは考えた事も無かった。自分が危険に身を曝している時の、クレアの気持ちというものは、これまでは想像すらしなかった。だが、クレアに愛されていると自覚してしまった今、彼は自身の命を、これまでのように軽く考えるわけにはいかなくなった。

(何て重い荷物を背負わされてしまったんだ。お嬢様に愛された命なんて。そんな大切なものを運んで生きて行くなんて。)

「俺には、荷が重すぎる。」

 ユーシンは呟いていた。クレアに愛された命と共に、『UF』従業員としての危険を伴う活動の中で、生き抜いていかなければいけないのだ。お腹がキリキリするようなプレッシャーを、ユーシンは感じていた。

 余りに重く、しかし、温かい荷物。誰かの愛を受けた命。それを背負った事を自覚したこの時から、ユーシンの心には、生きる事への執念のようなものが宿った。

 「キグナス」に帰り着くと、すっかり出航の準備は整っていた。電磁カタパルトで射出され、ビームの圧力で加速を続けた「キグナス」は、数時間の後にワープの許可された宙域にまで達した。前回は機構軍からの緊急要請を受けた宙域だが、今回はそうはならなかった。

「ここからの操船は任せたぞ、ユーシンよ。」

「分かった。ゆっくり休んでくれ、ドーリー。」

 席は交代しないが、ドーリーの席からユーシンの席に、「キグナス」の操船権が移ったのだ。軽やかに、コンソールの上で指を踊らせるユーシン。ディスプレーを彩る光の明滅が、ユーシンに吹き込まれた「キグナス」の新たな活動を知らしめる。光速の呪縛を断ち切り、百光年もの距離を瞬時に貫く、超物理的活動の発動だ。

「ワープインシーケンス開始。ウィングオープン。回転開始。乗員は加速の衝撃に備えよ。」

 船体両舷の構造物が展開し、回転運動が始まる。

「直進速度、回転速度、共にプロパー。十秒後に強磁場展開開始。各部署は精密電子機器の作動停止を確認。」

 ユーシンは淡々と報告する。

「磁場強度プロパー、直進加速、回転加速が実現後、本船はワープする。衝撃に備えよ。」

 虹色の光に包まれる「キグナス」。

「加速開始!」

 猛烈な回転と共に、滴の形の光を飛び散らせた「キグナス」は、プラズマイオンスラスターのオレンジの光に蹴飛ばされて、俄然とその加速度を増した。

「『キグナス』、ジャンプ!!」

 ユーシンが叫んだ。余りにも重くて温かい荷物を託した船を駆って、時空を切り裂く。

 白鳥が、宇宙を舞った。

今回の投稿はここまでです。今週の投稿もここまでです。次回の投稿は'17/8/4 です。

「コーリク国」と「タクムス国」と宙賊の根拠地の位置関係など、少しややこしくなってしまったでしょうか?地図でも描いて示せればいいのでしょうが、そんな芸は作者にはありません。物語の舞台のスケール感を味わって頂きたいだけなので、千光年という広大な距離を挟んで事態が進行しているという事を認識頂ければ十分だと思います。そして、クレアとユーシンは益々接近している印象でした。恋愛に至るはずがない2人の急接近。ブルーハルトともお近付きになり、彼の人柄を知って、クレアを任せるに十分な人だと認めざるを得ない状況での、クレアとの急接近。ユーシンとクレアとブルーハルトは、今後どうなって行くのでしょうか。そんなこんな、あれやこれやを含みつつ、タクムス星団の章は終幕しました。というわけで、

次回 第53話 クルーの内部対立 です。

シャラナも乗せた「キグナス」での旅が再開したのですが、新章開幕からいきなり、何やら暗雲が立ち込めそうなタイトルです。色々問題が山積しているのに、どうする?どうなる?ユーシン達、ということで、次章を楽しみにして頂きたいです。

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