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第21話 胸元の具合

 いつになくあわただしく、ピリピリしたムードで、メンテ要員たちは白鳥の外壁面を飛び回っていた。

「もう一回、外壁面全体の状態確認をしてちょうだい。」

「えー!キムル」

 ニコルはやれやれと言った表情で言い返す。「もう3回目だよ、今日だけで。まだ不安なの?」

「明日には出航よ。スペースコームジャンプもするのよ。ほんのわずかなキズ一つで、クルー全員が即死っていう事も有り得るものなのよ。外壁面のチェックは、何度やっても十分なんて事は無いわ。」

「はいはい。・・ユーシン、こっち手伝って。」

 昼間散々ドーリーにしごかれてヘトヘトのユーシンを酷使して、ニコルは白鳥の翼の先から、丹念に外壁面の検査を実施して行った。

 とはいえ、作業は単純を極めたものだ。ユーシンがセンサーを外壁面にかざし、ニコルは検査機本体のディスプレーに、問題ありの表示が出ない事を確かめるだけだ。この修繕ブースに入って以来、都合8回目の外壁面検査ともなれば、まず問題の検出されるはずも無く、うんともすんとも言わない検査機を眺め続けるだけの時間となったのだ。自然、世間話に花が咲くことになる。

「・・それでさぁ、気付いたら皆、ノノの周りに集まってるのよ。酷く無い?2人で並んで食べてたのに。声掛けて来るなら、もっと平等に扱いなさいよ、って感じ。本当、男って、どいつもこいつも」

「あはは、それは酷いな。」

と、事務的に返事を返しながらも、(それはそうだろうな)と思ってしまったユーシンだった。キグナスクルーの男達も、ノノに関してはユーシンに、様々な質問を毎日のようにぶつけて来るのだが、ニコルに関する質問は受けた事が無かった。

「あたしの何がイケないわけ?」

 何万回聞いたかわからない質問をぶつけられたユーシン。

「さぁ、ニコルはそこそこ美人だし。いつも元気で、明るくて、楽しくて、とっても良い()だと思うよ。」

 褒めたはずだが、ニコルはまじまじとユーシンを睨み、言った。

「みーーーんなそう言うのよ。そして、それだけなのよ。」

 そんなやり取りも、何回目だろう。

「ああっ、そうそう、それでさぁ。気分悪いから、その店を飛び出して、ノノと2人で飲食店フロアの通路を歩いてたらさ、とんでもないものを目撃しちゃったのよね。驚くわよー。何だと思うぅ?」

 言いたくてたまらないくせに、やたらと勿体を付けるニコル。散々じらした上でぶちまけて、本当に凄い話だったためしはない。

「さぁ、何?」

 実は、面倒臭くて聞きたくも無いのだが、取りあえず事務的に聞き返したユーシン。

「あるバーの前を通った時にさ、その中に、見ちゃったのよねぇ、あたし。大変なものを。」

「ふうん。で、何?」

 それから「で、何?」を3回繰り返すという、お決まりの手続きを踏む。「キグナス」のメンテより重労働だ。

「オヤジがさ、女と密会してたのよ。」

「へー」

 別に驚きもしないが、ユーシンは昨日シャトルを降りた時の事を思いだした。

 確かに用事があるからと言って、もうだいぶ遅い時間で、ユーシン達はまっすぐ「キグナス」内の自室に引き取ったのに、バルベリーゴはエレベーターで、コロニーの外周壁面の方に向かって、降りて行っていた。

(あの後、女の人に会っていたんだ。)

「なによ、もっと驚きなさいよ。女よ!愛人がいたんだよ!」

「ふうん。奥さんって事は無いの?」

 ユーシンには不自然なくらい大げさに見える身振りで、ニコルは答える。

「奥さんは『シャートガリアート星団』の『ストレンジブルー星系』にいるでしょ。あたし画像だけでだけど、顔も見たこともある。全然違う人だったし、滅茶苦茶若かったよ。娘でもおかしく無いくらい。」

 反応の薄いユーシンを、何とかして煽り立てようとするかのように、ニコルは続けてまくしたてる。

「それに、もっと驚くことに、ちゃんと驚きなさいよユーシン、驚くことにねぇ、子供もいたのよ!その女の人との間に。男の子!3歳くらいの!三人で仲良く、テーブルを囲んでいたんだから。」

「へー。」

「それだけ !? もっとあるでしょ、言う事が。隠し子よ、隠し子!愛人に隠し子よ!大スキャンダルなのよ。」

 笛吹けど踊らずのユーシン。ニコルは煽る努力を継続するが、手を変え品を変えという発想は無いようで、ただ同じ言葉を繰り返すばかりだ。

「ユーシン!隠し子よ、隠し子!愛人がいたのよ、愛人!」

「分かったよ。愛人と隠し子がいたんだろ。もう覚えたよ。」

「覚えるんじゃなくて、驚くの!」

 いくらニコルに喚かれても、ちっとも関心のわかないユーシンだった。

「よく有る話じゃないか。貿易商人が、立ち回り先の各港湾都市に、愛人とか隠し子とかを持っているって。」

「なんですってぇ。そんなの、よく有ったりしたら、たまんないわよ!あたし絶対いやよ、各港湾都市にいる沢山の愛人達の中の、1人に収まるなんて。」

「大丈夫だよ、ニコル。ニコルは誰にも収まらないから。」

「ちょっと、どういう意味。」

 その時、エアロックに空気が充てんされる、プシューッ、という音が聞こえた。

「あのねぇ、ユーシン。あたしだってねぇ、いつかちゃんとイイ男見つけて・・・・」

 ニコルの喚き声を右から左に聞き流しながら、ユーシンはエアロックの方を見つめていた。間もなくそこから、ファランクスとアデレードの、相棒のような兄弟のような師弟のような2人が飛び出して来た。顔の部分の防風だけを開けた、宇宙服姿だ。ユーシンは軽く手を上げて、彼らに挨拶をする。

「おう、ユーシン。メンテの手伝いか、ご苦労さんだな。」

「いや、ご苦労さんなのはニコルの話し相手だよ。ファランクス。」

「あはは、確かに。1日中ニコルの話し相手をさせられたら、誰でも過労死しかねないな。」

「ちょっとアデレード。何て事言ってくれるの。ユーシンと言いあんたと言い、あたしの扱いが、どんどん酷くなってるからね。何とか言ってよ、ファランクス。」

 宇宙服のヘルメットを取り外し、キラキラと汗の粒を後方に漂わせながら、ファランクスは応じた。

「俺はまだ、じっくり話した事ないからな。出航して時間が出来たら、1日中でも話をしてみたいな、ミス・ニコルと。」

「でっしょおー!そうよねー、ファランクス。今度じっくり、お話ししましょうね。」

 なぜか、勝ち誇ったような視線をユーシンとアデレードに送るニコル。

「そんな事言うけどさぁ、ファランクス。あんたにノノの誕生日は聞かれたけど、ニコルのは聞かれた事ないぜ。ノノの方だろ?1日中でも話をしたいのは。」

とのユーシンの発言を受け、顔面に赤色革命が勃発したファランクス。

「ユーシン!そんな事バラさなくてもいいだろう!」

「あれ?言ったらいけない事だったのか?普通だろ?皆もそうだぜ。ノノの事は聞くけど、ニコルの事は聞かないのは。」

 ユーシンには分からない理由で小刻みに震えながら、ニコルが恐ろしく低い声で呟いた。

「ユーシン。あんたのバラされたくない事をあたしが知っているって事、覚えてる?言葉には気を付けなさい。」

「なんだい?ユーシンの秘密って、俺のがバラされたんだから、聞かせてもらってもいいよな。そうだろ、アデレード。」

「ハハハ。ニコルの頭の中は、ユーシンの秘密の宝庫だよ。一番長く、一番一緒にいたからな。『テトリア星団』内での輸送業務で、こいつとニコルは、ずっとコンビを組んでいたんだ。」

 アデレードも脱ぎ終わったヘルメットを小脇に抱え、その反対の手でユーシンの肩を叩きながら言った。

「え?俺、秘密なんかバラしたつもりは。秘密だって言わなかっただろ?ファランクス。ノノの誕生日を聞いた事とか。」

「そうだったか?まあ、ちゃんと口止めしなかったって事で、今回は大目に見ようかな。」

「そんな事よりさぁ、」

 声を張り上げて、強引に話題の転換を試みるユーシン。「アデレードの訓練はだいぶ進んだのか?」

「ああ、もうばっちりだぞ、アデレードは。」

 目を大きく開け、真っ直ぐにアデレードを見つめて、ファランクスは言った。彼の声も一段と大きなものだった。

「いや、まだまだ、ファランクスには及ばないよ。ようやく基礎編が終わったところかな。」

「そう言えばユーシンも、」

 ファランクスは、アデレードからユーシンに視線を移しながら続ける。「昨日は大活躍だったそうだな。シャトルで散開弾の金属片を躱すなんて、とんでもない凄技じゃないか。」

 ファランクスもユーシンの肩に手を回すようにして、手荒に揺さぶりながら言った。

「そうだぜ。お前がそこまで腕を上げていたなんて、俺は少し嫉妬を覚えてるぜ。シャトルなんていう鈍重な乗り物で、散開弾の撒き散らす無数の金属片を、それも相対速度がマッハの何十倍っていう状況で、躱し切って見せるなんてな。」

 ファランクスが、一歩ユーシンに歩み寄り、少し真面目な調子の言葉を押し出した。

「君にも、宇宙艇操縦の訓練を受けて置いてもらおうかな。まぁ、ある程度『キグナス』の操船の方に、慣れてからでもいいが。君なら十分素質があるし、宇宙艇の操縦要員は、何人いても多すぎるって事は無いからな。」

 機構軍でも商船でも、宇宙艇の操縦者は最も死亡率が高いのだ。勇気や技量も、最も高度なものが求められるポジションだ。

「うん。俺もやってみたい。昨日のアドリアーノ少尉の闘いを見て、宇宙艇操縦への憧れが膨らんじまったからな。」

「そうか。じゃあ、『キグナス』の操船訓練がひと段落着いたと思ったら、いつでも声を掛けてくれ。俺が宇宙艇の操縦を教えるから。」

「うん。頼む!」

 ニコルとアデレードが向かい合う空間で、ユーシンとファランクスの固い握手が交わされた。

「しかし、昨日の飛行記録は見せてもらったけど、アドリアーノ少尉の操縦技量は、すさまじいものだったな。」

 アデレードは、一段と表情を明るくして話し出した。「1-1-1」の話になるといつも、アデレードの表情はキラキラなのだった。

「ああ、俺達も昨日の少尉の操船の際現に、少しだけ挑戦してみたけどな、まったく太刀打ちできなかったよ。」

 そのファランクスの報告を聞いて、少し慌てたように言葉を漏らしたユーシン。

「おいおい、あんまり危険なことするなよ。昨日の少尉の操縦なんか、並の人間がやったら確実に死んでしまうぞ。普段から訓練しているお前達だからって、命の保証はないんだぞ。」

「大丈夫だよ。」

 アデレードがなだめるように言う。「少しずつ慎重に、昨日の少尉の状態に近づけて行ったから。訓練で死んでしまうようなヘマはしないよ。」

「うん」

 ファランクスも続いた。「加速度は2割減、旋回半径2割増しから始めたけど、そこからほんの少し少尉の記録に近づけたら、すぐにギブアップだった。まだまだ足元にも及ばない事を実感したよ。」

「でも、俺もファランクスも、いつか『1-1-1』に入る事を夢に見ているんだ。及ばないままでは済ましていられない。少しずつでも、あの操縦に耐え得る体を作って行かなくちゃ。」

 ファランクスはまた、アデレードに真っ直ぐな視線を送った。

「2人で切磋琢磨して、共に目指そう!『1-1-1』を。」

「おいユーシン。」

 その時、遠くから響いて来たのは、バルベリーゴの声だった。

「ここだよ、オヤジ。何か用か。」

「おお、ここにいたのか。おう、ファランクスもいたか。もうじき『キグナス』の格納庫が空くから、今日の内に宇宙艇を積み込んで置けよ。明日には出るんだ。」

「了解だ、オヤジ。いよいよ出航だな。よし、アデレード、もう一回宇宙艇に乗り込むぞ。白鳥の腹の中に移動だ。」

「OK!ファランクス。行こう。」

 軽快に動く若者2人を、満足気な表情で見送ったバルベリーゴが、ユーシンに視線を移した。

「で、明日に出航が迫ったんでな。機密データパックも積み込もうと思うんだ。保管庫のカードキーがボスの部屋に置いてあるから、取って来てくれ。」

「はいよ。」

 ユーシンもアデレード達に負けじと、軽いフットワークを披露した。

「ご苦労だが、頼むわ。」

というバルベリーゴに、

「ああ、その代わり、ニコルの相手を頼むぞ、オヤジ。そっちの方がご苦労だから。」

と、宙空に踊り出しながら返した。

「ユーシン!もうあんた、本当にそのうち・・・・・・」

 リーディンググリップの出力を全開にして、ニコルの絶叫を振り切ったユーシンだった。


 重力に引き寄せられる足で、コツコツと廊下の床を叩きながら、ユーシンは歩いていた。エレベーターで港湾コロニーの外周壁面に降りて来て、そこにあるクロードの執務室へと向かっているのだ。

 明日からの外宇宙への旅、「キグナス」の操船実務、ファランクスとの宇宙艇訓練、どれを考えても胸が躍る。廊下を叩く足音も、自然とリズミカルになって行く。

 執務室が見えて来た。ドアは開いている。軽い身のこなしで、開いている入り口から中を覗き見た。と、突如ユーシンの体は、くるりと反転し、そのまま歩き始めた。体が脳の制御から離れてしまったようだ。執務室が遠ざかる。

(何事だ !? 何で体が勝手に動いて、戻って行っているんだ?)

と、疑問を叫ぶ一方で、今入り口から見えたものが、ようやく脳に届いた。

(部屋の真ん中に、滑らかな曲線が浮かんでいた。・・違うっ!お嬢様がいたんだ。こちらに背中を向けて、1人で佇んでいた。どういうことだ?)

 そんな疑問は、瞬時に解決した。クロードの執務室の隣は、クレアの執務室だ。それに、「UF」の幹部であり、クロードの娘であるクレアが、クロードの執務室にいたところで何も不思議な事は無い。当然あり得ることであったが、ユーシンには予想外の出来事だった。

(で、何で俺、逆行してんだ?)

 その疑問の答えも、すぐに出る。

(お嬢様がいるんじゃ、入れない。)

 答えがすぐ、疑問を生む。

(入れない?どうして?カードキーを借りるだけだろ?)

 ユーシンの体は、くるりと反転して、再び執務室を目指し始めた。

(そうだ、カードキーを借りるだけだ。室内にいるお嬢様に、カードキーを借りに来ましたと言えば良いだけだ。阿呆でも出来る、簡単な事だ。)

 執務室が近づく。

(しゃべるのか?お嬢様と。どんな顔して。どんな口調で。前みたいに馴れ馴れしく話すのか?それはダメだ!あんなのは、馴れ馴れしすぎる。じゃあ、どんな風に?)

 ユーシンの体はくるりと反転、執務室は遠ざかって行った。

(どんな感じで話しかけるんだ?それをちゃんと決めてから行かなきゃ。カードキーの“カード”をどんなキーで声にし始めるかが問題だ。高すぎても、低すぎても、駄目だ。馴れ馴れしすぎず、冷たくもならず、お嬢様に変なプレッシャーを与えない、適度なキーで。・・って、分からない、どんなキーだよ。どうしよう。どうすればいい。)

 心の中が混とんとして来ると、最初にあった単純な想いが表面に浮いて来る。

(カードキーを借りるだけだろう?)

 くるりと反転、執務室を目指す。

(そうだ!カードキーを借りれば良いだけなんだ。ごちゃごちゃ考えてないで、カードキー借りに来ました、って言えば良いんだ。声のトーンとかもう、どうでも良い。裏返ったって構うもんか。借りられればいいんだ。)

 執務室は近づく。

(どんな反応が返って来るだろう?どんな笑顔を見せて来るだろう?あの笑顔を見たら、またデレデレになって、馴れ馴れしく振る舞ってしまうんだろうか?・・・また脚の上に、座ってくれないかな?うわっ、何か不純な感情が湧いて来た!やばい!こんな感情でお嬢様に相対するなんて、許される事では無い!)

 くるりと反転、執務室は遠ざかる。

(鎮めろ!不純な感情は鎮めてから行かなきゃ。どこまでが不純な感情なんだ?笑顔を求めるのは、セーフか?それはセーフだろ。座って欲しいとかがダメなのか?思うだけなら、良いんじゃないのか?座って欲しいって思う感情は、不純なのか?どっちなんだ?分からない。どっちなんだ?)

(カードキーを借りるだけだろう?)

 くるりと反転、執務室を目指す。

(そうだ、カードキーを借りれば良いだけなんだ。何が不純かとか、今、全然関係無いじゃないか。頭の中が不純だろうが何だろうが、カードキーが借りられればそれで良いんだ。頭の中の事は、隠し通せば良いんだ。)

 執務室が近づく。

(どこを見よう。どこを見ていれば良いんだ?目を見たら、滅茶苦茶デレデレするぞ。もうちょっと下か?って、そこは、胸元じゃないか!そんなとこ見て良いわけ無いだろ。どんな具合か知らないけど・・・そうだ、俺まだ、お嬢様の胸元がどんな具合か、見たこと無かった。この前の時も、ジャケットに阻まれて・・。うわっ、やばい!胸元がどんな具合か、滅茶苦茶気になって来た。こんなに気になった状態でお嬢様に対したら、絶対見てしまう。絶対に、胸元に目が行ってしまう!)

 くるりと反転、執務室は遠ざかる。

(やばいぞこれは!胸元の具合を確かめたい気持ちが、留まるところを知らないぞ!絶対見てしまうぞ。どうすれば良い!全然違うところに視線を固定するか。そうだ。それしかない。どこだ。どこを見れば良い。顔・・は、デレデレするし。おでこ・・おでこ?おでこ凝視して会話って、異様じゃないか?ではどこだ?後ろの壁・・やっぱり顔だろ。顔見て話すのが普通だろ。っていうか、顔見なきゃ失礼だろ。顔の、どのへんだ。やっぱりさすがに目は・・。どこだ?ほっぺたか?例の膨らみすぎの。いや、それも失礼だ。この前、膨らみすぎですとか言っちゃったし。どこだ?どこを見て話すんだ?どこなら自然なんだ?どこなら失礼じゃないんだ?分からない!どこを見ればいいんだ?)

(カードキーを借りるだけだろう?)

 くるりと反転、執務室を目指す。

(そうだ、カードキーを借りれば良いだけなんだ。どこ見たって良いぞこの際。カードキーを借りられさえすれば、不自然とか失礼とか、もう良い事にしよう。天井を見てしゃべったって良い。失礼だろうが構うか。とにかく借りよう。オヤジも待ってるんだ。もうすでに、時間かかりすぎなんだ。)

 執務室が近づく。

(最初は天井見るとして、ずっと天井見続けるのか。お嬢様がカードキーを取り出して、持って来てくれて、その間ずっと天井見てるのは苦しいぞ。っていうか、その間一回も胸元に目が行かずに済むと思うのか?やっぱり無理だぞ。絶対1回くらい胸元見てしまうぞ。これだけ気になってしまってるんだから。カードキーを受け取る瞬間は?ああっ!そんなん絶対見てしまうじゃないか!カードキーに行きかけた視線が、絶対、胸元に寄り道するじゃないか!そしてもし、胸元を見たという事が、お嬢様に気付かれでもしたら・・・・、うわわわわぁっ、ダメだぁっ!)

 くるりと反転、執務室は遠ざかる。

(やばい!いよいよ、やばい!もう、どうあがいても、俺は絶対、お嬢様の胸元を見てしまう。見ないでいられる気がしない。そして、見てしまったら、お嬢様にそれを気付かれて、そしたら俺は・・、俺は・・!! やばいぞ!オヤジを待たせてるのに、オヤジの頼みを聞いたら、確実にお嬢様に軽蔑される事態に陥る。どうする。オヤジに幻滅されるか、お嬢様に軽蔑されるかの二者択一になってしまった。人生最大の危機だ!宙賊の襲来の方がましだ!幻滅と軽蔑、どちらを採れば良いんだ?分からない?どちらを採るべきなんだぁ?)

(カードキーを借りるだけだろう?)

 くるりと反転。すると、ユーシンの鼻の先3cmの所に、満開のクレアの笑顔があった。

「ブばあああアアAァ亜ぁ阿ア唖あ亞ァ吾っ!」

 腰も抜かさんばかりに仰天したユーシン。

「こんにちは!何をしておいでですか?ユーシンさん。」

「お、お嬢様!どうしてここに?」

「え?」

 クレアの両瞳は丸くなり、すぐに細められた。「ふふ、どうしてって・・うふふっ、そこに私の部屋がありますのよ。おかしな事おっしゃいますわ、ユーシンさん。アハハハ。」

 もうユーシンは、ウキウキとした楽しい気分になっていた。疑うとか怪しむとかいう気配が、微かにも感じられないクレアの笑顔に、今までの迷いも戸惑いも泡と消えた。

「アハハ、そうですね。あの、俺、カードキーを」

「あ、はぁーい。カードキーですね。私かお父様の指紋が無いと、取り出せませんのよ。」

と言うや、身をひるがえし、テッテッテっと、クロードの執務室に駆け戻って行く。

 ユーシンも後を追い、執務室に入って行く。暖色系の色彩の壁に囲まれた、応接セットと執務机以外には、一見何もない部屋の奥側の壁に、執務机に隠れるように、作り付けの棚がある。棚にはこぶし2つ分くらいの大きさの、白いセイフティボックスが置かれてあった。少し低い位置に置かれたそれの取手に、中腰になり、手を伸ばしているクレアの後ろ姿を、ユーシンは見止めた。例のごとく、(なんて滑らかな曲線だ)と、ユーシンが内心で呟いている間に、クレアは取手を握った。

 取手に指紋認証機能もあるようだ。握った瞬間に電子音がし、扉中央のディスプレーに薄緑の明かりがともった。扉は引き開けられた。カードキーを取り出し、それを片手に持って、クレアは振り返った。そして今度は、執務机の上に置かれた、手のひらより少し大きい位の黒い箱に、カードキーを差し込んだ。

「このままでは使えませんのよ。今、使える状態にしますわ。お待ちになって。」

と話ながらも、黒い箱のユーシンからは見えない面を、指先で操作している。

(よく、指と口が、あんなにも同時に、軽快に動くものだ。)

と、内心で呟くユーシンに、ピッピという電子音が聞こえて来た。指紋認証やら暗証番号入力やらをしているのだろうか、数十秒の時を置いて、再びクレアはカードキーを片手に持ち、それをユーシンに差し出しながら、執務机のこちら側に歩いて来た。

 差し出されたカードキーと受け取ろうと、ユーシンが右手を持ち上げ、伸ばして行った時、差し出されたカードキーは、ユーシンにとっての前方へとダッシュした。

「ふふっ」

と、悪戯っぽく笑うクレア。

「へぇっ?」

と、呆けた顔のユーシン。

「昨日は凄かったんですってね。」

 カードキーの代わりに、クレアの笑顔が接近して来た。「ユーシンさんの操縦。宙賊をやっつけてしまったのでしょ?」

「いえ、やっつけたのは『1-1-1戦闘艇団』のアドリアーノ少尉です。」

 差し出されたままのユーシンの右手は、素振りのつもりか、カードを受け取る指の動きを繰り返している。

「ああっ。そうでした。ミサイル攻撃を躱されたのでしたね、ユーシンさんは。シャトルでミサイル攻撃を躱すなんて聞いたことが無いって、お父様も関心なされてましたわ。私も見たかったですわ、ユーシンさんの凄い操縦。私の時は、何もございませんでしたものね。そういう業を発揮する場面が。残念です。次こそは、見せて頂きたいですわ。」

「いいえ、何をおっしゃいます。お嬢様をお乗せしている時に、宙賊の襲撃など、あってはならない事です。そんなものをお見せするような場面は、絶対に無いようにしなければ。」

 そう言ったユーシンが顔で見せている程、彼は困惑も心配もしていなかった。ありふれた、儀礼的な内容のやり取りだと思ったから。ただそれでも、クレアの声と言葉の心地よい肌触りに、心をまとわりつかせられる喜びには浸っていた。中身は何でも良いから、もっと声と言葉を届けて欲しい、と願っていた。

「そうですの。残念。でも宇宙では、何が起こるかわかりませんでしょ?ユーシンさんがいれば、何があっても、きっと何とかして下さるという事ですわよね。シャトルに乗る時は、出来るだけユーシンさんの操縦しているものに、乗りたいですわ。」

「そんな事は・・。パイロットは関係ないですよ。安全な所を飛ぶように心がけて下さい。」

 本気で諭しているつもりなどでは無い。形の決まった会話を、機械的に履行しただけだ。声と言葉に触れられれば、それでよかったのだから。だが、彼と彼女に挟まれた空間で、未だにぴくぴく動いているユーシンの指を、催促のサインと思ったのかクレアは、

「早くしないと、怒られてしまいますわね。お待たせしてごめんなさい。」

と言って、今度こそカードキーをユーシンの指と指の間に滑り込ませた。ユーシンの指先がクレアの手の甲に触れた。触れないように渡すのは、た易いと思われるのに。

 カードキーより、手の方を握りしめたい衝動を、どうにか抑えて、ユーシンはカードキーを受け取り、

「では、失礼します。」

と言った。

「はい、ご苦労様でした。」

と応じたクレアの首は、右斜めに傾けられた。セミロングの黒髪が、ふんわりと揺れる。

 一呼吸置き、もう一呼吸置き、更にもう一呼吸置いたら、いくら何でも長すぎるので、観念してユーシンは(きびす)を返し、クロードの執務室を後にした。何か忘れていないかと思いながら。何かを忘れていたら良いのに。もっとここに留まる用事があったら良いのに。しかし彼は、カードキーを取りに来ただけだった。

 帰り道は無重力空間になっていた。という事は無かったが、確かにユーシンはコツコツと足音を響かせて歩いているのだが、心持ちは、無重力空間を漂っているも同然だった。途中の道筋の記憶の無いままに、いつの間にかエレベーターの数メートル手前まで来ていた。そこへ来て彼は、ほおおおっと、安心したような大きなため息を付いた。

(よかったぁっ。無事にカードキーを借りられた。胸元を見てしまう事も無く。)

 そう思った途端、彼の思考は急速に回転数を上げる。

(直前にはあんなに気になっていた、お嬢様の胸元の具合を、お嬢さまに対している時は、全く意識して無かった。おかげで、そっちに視線を向けてしまう事も、お嬢様にそれを感づかれる事も無かった。・・けど。・・でも。)

 ユーシンは急に、とんでも無く惜しい事をしたような気分になって来た。

(気付かれるのは問題だけど、気付かれずに、見る事が出来る機会は、絶対にあったぞ。カードキーの処理をしている時なんか、ずっと黒い箱に視線が固定されてたんだ。ちらっと見たって絶対にバレ無かったのに、なぜ俺はその事を失念していたんだ。胸元の具合を確認する、千載一遇のチャンスだったのに。何というもったいない事をしたんだ、俺は。)

 すさまじい悔恨の念が湧き上がって来た。シャトルのコックピットではジャケットに阻まれ、今回は己の失念の為に機会を逃した。今後このような機会は、いつ巡って来るか、もう巡って来ないかもしれない、そんな風に思うと、絶好の機会にその事を失念していた自分が、腹立たしくて仕方なかった。

(どんな具合なんだろう?猛烈に気になって来たじゃないか。今までも、目には入っていたはずだ。でも、一度も、そこに意識を払った事は無かった。何をしていたんだ、今までの俺は?今、こんなにも気になる事を、なぜ今まで気に掛けなかったんだ。でも、今まで目に入った事があるはずのものが、全く印象に残っていないって事は、まぁ、そんなに大きいって事はないって・・・、いやいや、そういう問題じゃない。大きさは関係ない。どんな大きさでも、どんな具合かは見ておきたいんだ!)

 考えが巡って行くと、これから外宇宙に旅立って行くにあたって、もうそれは、どうしても確認しておかねば、気が済まないような気がして来た。でないと、旅の間中ずっと、その事が心残りで、気がかりで、何も手に着かなくなってしまいそうだ。

(何とかならないか?何か方法は無いのか?今からでも引き返そうか?・・えええっ !? 胸元見る為だけに引き返すのか?それは・・。何か用事をでっち上げようか。何か落とし物をしたふりでもして・・で、胸元を見るのか?気付かれたらどうするんだ?さっきみたいな、どっかに視線が固定されているようなチャンスは、まぁまず巡って来ないんじゃないのか?落とし物を探しに来た振りをするくらいでは。では、どうする・・?)

 立ち止まって考え続けた。通路に立ち止まっていると、その状況からか、少し前の記憶がよみがえって来た。

(さっきみたいに、いつの間にかお嬢様が通路に出て来ていて、すぐ後ろに立っていたりしないかな?)

 そんな想像をすると、何か背後に気配を感じるような気がして来たユーシン。

(そう言えば、こうやって立ち止まってあれこれ考えている間に、背後に足音が聞こえていたような気もして来た。いるんじゃないのか?また、すぐ後ろに。今振り返ったら、そこにお嬢様が。)

 ユーシンは急速な鼓動の高まりを感じた。

(もしいるとしたら、今、視線を胸元の高さに固定して振り返るだけで、そこがどんな具合かを確かめる事が出来るじゃないか!振り返った時の視線の高さが、たまたま偶然、胸の高さだったら、それは、見た事には、ならないはずだ。偶然を装って、お嬢様の胸の高さに視線をロックオンして、振り返ったら素早く顔に視線を向ける。これだ!これで、何も感付かれる事なく、一切怪しまれる事も無く、お嬢様の胸元の具合を確かめる事が出来るぞ!よし!これしかない。もうこれがラストチャンスだ。もう迷ってなどいられない。この機を逃せば、もしかしたらもう一生、お嬢様の胸元の具合を知る事も無く生きていく事になるかもしれないんだ。やるんだユーシン!チャンスは今なんだ!今行動しないと、チャンスはもうないかもしれないんだ!)

 ユーシンは決断した。振るい立ち、勇み上がった。一度目を閉じ、それをカッと見開き、そして、床を踏みしめ、腰の回転を最大限に活用し、その上体を後方へと旋回させた。絶大な程に、不自然な身のこなしだった。そして、広大な銀河から精密に計られ、選び抜かれたその一点に向けて、最大出力の眼力光線を、打ち放って行ったのだった。

 そこには誰もいなかった。



今回の投稿は、ここまでです。次回の投稿は明日 '17/4/22 です。

宙賊に襲われた時の冷静さと、クレアとの対面を前にした時のうろたえよう、同一人物とは思えないユーシンでした。しかもまた、変態モードになってるし。クレアとの距離も、縮まりそうで縮まりません。出航してしまえば、会う機会もなくなってしまうというのに・・というわけで、

次回 第22話 出航準備完了 です。

「キグナス」の出航準備はできたけど、このままテトリア星団を離れてしまっていいのか?色々と気掛りに思っていて下さる読者がおられれば、無上の喜びなのですが・・、次回もご注目ください。

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