第13話 ユーシンとクレア
回を重ねるごとに、徐々にではあるが、症状は軽くなっていたのだ。だが、これだけ至近距離に迫られると、ユーシンの眼球に備えられた全自動急速お嬢様回避機能は、すさまじい威力を発揮した。
無重力が返って幸いした。重力下なら、完全に転倒しているところだった。おかしな姿勢と角度で空中を回転していても、無重力下なら不自然な事は無い。
ユーシンが混乱の極みに達している事に、気付いているのかいないのか、クレア・ノル・サントワネットは少しの淀みも無く、言葉を紡いで行った。
「お父様が、今後の為にもぜひ参加しておきなさいっておっしゃるから、私も会議に出席致しますの。」
1メートルと無い距離にいる女人の顔に、ユーシンの視線はいつまでたってもたどり着かなかった。全自動急速お嬢様回避機能による混乱から、なかなか回復出来ないユーシンは、グルグル回る世界を眺めながら、譫言のように呟いた。
「・・お嬢様・・・」
今回の呟きは、はっきりと相手の耳に届き、明るく素直な返事が戻って来た。
「はい!ユーシン・マグレブさん。」
(名前、呼ばれたぁぁぁぁ。)
名前を知られていた事、前々から知っている感じで呼ばれた事は、ユーシンを狂喜させた。犬にでも備わっているような動物的本能に導かれ、ユーシンは名前を呼んだ人の顔を見た。
やっと見られた。名を呼ばれたはずみで、ようやく見られた。真正面から、至近距離で、1メートルも無い空間を挟んで、ユーシンは見た。クレア・ノル・サントワネットを。しかも、笑顔だ。ものすごく笑顔だ。尋常では無い程に笑顔だ。ニッコニコだ。
笑顔の彼女を見るのも初めてだった。始めて見るのが、満開の極限に至ったような笑顔だった。全宇宙の明かりと幸福が、その一点に凝縮しているかと思う程の眩しさだ。見ているだけで、胸の奥の方が熱くなるようだ。
自分がどういう状態になっているのか、ドキドキしているのか、していないのかすら感知する余裕の無かったユーシンは、自分の口がずっと、「あわわわ」という音声を放っている事にも気付いていなかった。
そんなユーシンの有様に、一瞬小首をかしげて、セミロングの黒髪をふんわり揺らしたクレアは、思い出したように言葉を繫げた。
「本日は第3惑星への輸送、ご苦労様です。よろしくお願いします。」
言い終わると、びしっと“気を付け”の姿勢をし、ぺこりと頭を下げた。
「あ、ああ、あわ、ああ、あはは、よく俺の名前を御存じで・・」
ようやく絞り出した言葉はそれだった。
「もちろん存じておりますわ。大切な新人従業員様ですもの。それも、『UF』のエース商船『ウォタリングキグナス』のクルー様ですもの。操船要員でいらっしゃるのよね。お若いのに立派です。」
それっきりもう、紡ぐべき言葉も見つけられずに、ただ「あわわ」と口の中で繰り返し、クレアの顔を見つめているだけのユーシンだった。その時、
「クレア、早かったのだな。」
クレアの背後から、秘書官らしき男を一人伴なったクロードが現れ、声を掛けて来た。
「あ、お父様。私も今着いたばかりですわ。本日のパイロットさんに、ご挨拶をしていましたの。こちら、ユーシン・マグレブさんですわ。」
歌謡ショーの司会者が歌手を紹介するような、クレアの大げさな手つきで、ユーシンはクロードに紹介された。
「うむ、ユーシン君だね。私も歓迎会で見て、顔は覚えているよ。」
(あの時、やっぱり俺を見ていたんだ。)
軽い衝撃と共に、ユーシンは思った。
「メンテナンスシーケンスの途中だったのかな?邪魔をしちゃ悪い。クレア、シャトルの奥でシートに着いていよう。」
「あ、ごめんなさい。お仕事のお邪魔になっていましたのね、私。」
本当に申し訳なさそうな視線で見つめられ、返ってオロオロするユーシン。
「あ、いや、あの、その、もうほとんど終わりです。」
「あら、そうですの。では、私、お隣のシートに着いていてもよろしくて。」
と言ってクレアは、操縦席の隣のシートに視線を送った。
「え?ええ?隣に座るんですか?お嬢様・・」
座るというのは言葉の綾だ。無重力空間では座れない。シートにベルトで体を固定するのだ。
「いけませんか?」
と、また黒髪を揺らして小首をかしげたクレアは、後ろを振り返ってクロードに尋ねた。「お父様、よろしいでしょ?私、ここのシートに着いても。」
「ああ、邪魔にならないように、気を付けなさい。私達は奥のシートに着いているよ。」
そう言ってクロードは、シャトル後方の貨物エリアに消えて行った。普段、荷物を運ぶときは取り外されているシートが、今は据え付けられている。
「うふふ、やったぁ。では、ユーシンさん。私はこのシートで、おとなしくしていますわね。」
そう言ってクレアは、ユーシンの脇をすり抜けて、件のシートを目がけて空中を飛翔して行った。
(お嬢様が隣に・・、第3惑星に着くまで、ずっと、2人っきりだ。12時間だぜ、第3惑星まで。)
嬉しいような気持ちと、どうやって間を繋ぐんだろうという不安を抱えながら、ユーシンはコックピットへと跳んでいくクレアの後ろ姿を見送った。見送るうちに、記憶がよみがえる。
(あの後ろ姿だ。あの黒髪だ。あの時と同じだ。)
かつての、どこかの星系のナレッジセンターでの感覚が、蘇える。やはり、同じ思いが去来する。(守りたい。支えたい。)
そんな気持ちで見つめられる、クレアの後ろ姿は遠ざかって行く。遠ざかるにつれて、視界に収まる範囲が広がって行く。背中から、更にその下までが視界に入ると、ユーシンは脳に電撃を走らせ、内心で呟いた。今日もクレアは、ジャケットにタイトスカートだったから。
(なんて滑らかな曲線だ。)
「電磁カタパルト作動確認!宇宙用シャトル、コード181、発進します。」
その後、全ての準備を手早く済ませたユーシンは、コロニー群の統括管制センターへの宣言をして、彼等のシャトルを宇宙空間へと突進させた。
「うう、すごい荷重がかかって来るのね。やっぱり、シャトルの加速って。」
「大丈夫ですか?お嬢様。御気分は悪くは?」
「ええ、大丈夫ですわ。これでも、シャトルでの移動は、何度も経験していますのよ。」
「すごいです、お嬢様。地球系の人なら、とっくに気絶していますよ。この加速度なら。」
そんな出発時のすさまじい加速は、数十分で終わった。後の加速度も、快適というには強すぎるが、宇宙系人類の彼等には気にならない程度のものだった。
「後はまっすぐに飛ぶだけですわね。宇宙を第三惑星まで。」
それまでは、操縦の邪魔をしないようにか、無言だったクレアが、口を開いた。
「ええ、もう特に何もする事はありません。異常が無いか、計器類を監視するだけです。」
人を輸送するときによくある会話なので、クレアが相手でもここまでは簡単に受け答えできた。だが。
「では、これからは存分に、おしゃべりを楽しめますのね?」
などと言われて、ドギマギを禁じ得ないユーシン。
「え?お、おしゃべり?と、言いますと?あの・・・???」
ユーシンは、猛烈なプレッシャーを感じた。お嬢様とおしゃべりをしなければならない、というミッションは、重厚なる絶壁としてユーシンの前に立ちはだかって来た。お嬢様を楽しませるような、気の利いたおしゃべりが俺に出来るのだろうか、という自問自答が、絶壁となって押し寄せて来て、ユーシンの心を、グイグイと圧迫した。
その絶壁は、彼とクレアを分かつ存在でもあった。こんなに近くにいても、隣のシートに座っていても、2人の間には重厚なる絶壁が横たわっていると、ユーシンは感じた。
「そうねぇ。まずは伺っておこうかしら、私を始めて見た感想とか。」
「ええ?感想??か・・感想と言われましても・・。」
そんな発言をしながらもクレアは、ユーシンの顔を、確かめるように覗き込む、というわけでも無かった。ゆったりと背もたれに体重を預け、穏やかな笑顔を浮かべながら、シャトル前方の窓に視線を送っている。
「社長令嬢とかいう割には、美人じゃないなぁ、とか思ったのではありませんか?」
「え?いや、そんな事は・・」
宴会の場で、初めて彼女を見た時の感想を、ズバリと的中されて戸惑うユーシンだった。
「本当?正直におっしゃって頂いて、結構ですのよ。ちゃんと自覚していますから、美人では無いことくらい。」
「いや、そんな、美人じゃないなんてことは、決して。」
「本当?本当かしら?少し言葉に詰まっておいでですけど。」
「え・・いや・・あの・・」
「しょーーーじきに、おっしゃってください。」
言葉面は尋問調だが、ちらりとユーシンが横目で見たクレアの顔には、力みの無い自然な笑顔が浮かんでいて、その視線も、ユーシンに向けられてさえおらず、のんきな感じで前方を向いている。
本心を聞き出そうというより、困らせて楽しんでいるようにも見える。少し本心を吐露してやろうか、という気にさせられたユーシン。
「えー・・まぁー・・、美人と言うには少し・・」
「少し・・、何ですか?」
「少し・・・」
「少し?」
「すこぉーーし・・。少しだけですよ、少しだけ・・・」
「少しだけ?」
「少しだけ・・、あの・・、ほっぺたが・・・」
「ほっぺたが?」
「ほっぺたが、膨らみすぎ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
(うわ!沈黙っ。なんだ!この沈黙!やっぱり怒らせてしまったか!)
自然な笑顔を見せられ、調子に乗りすぎて、酷い事を言って、怒らせてしまったかと思った。ユーシンは激しく後悔し、動揺し、慌ててクレアの方を振り返った。そしてクレアの顔を目に止めたユーシンは、絶句した。
頬に空気をたっぷりと詰め込んで、プクーっと、限界ぎりぎりと思える程、顔を膨張させた“ふくれっ面”で、ユーシンの方を凝視している。もともと膨らんでいる頬に、そんなにも空気を詰め込むものだから、その顔の輪郭は、ほとんど真円に近いくらいに、丸々としていた。
それはもう、“美人じゃない”とかいう表現からも完全に乖離して、“不細工”という言葉でしか表しようのない形状を曝していた。
不細工なのだが、その不細工なものは、ユーシンの胸の真ん中に、こそばゆいような刺激物の塊を暴れさせた。ろっ骨を突き破って飛び出しそうな、こそばゆい刺激物の乱舞は、ユーシンの思考を漂白し、理性をかき消し、自制心を吹き飛ばした。
噴き出した。笑い出した。腹の底から込み上げる笑いで、肺中の空気を出し尽くしても、まだまだ吐き出そうとする圧力が加えられ、涙が滲んで来るほど苦しかった。
「プッ、プーッハハ、ハハハハ、あーっハッハッハ。ハハハハハハ・・・・」
こんなにも笑いが止まらなかった事など、経験が無い。そう思う程に、止めどなく笑いがこみ上げた。
「あはははは、あはははははははは」
「ちょっとぉ、もうぅ、酷いですわ。ユーシンさん。」
空気の抜けたクレアの顔は、またもとの笑顔だ。愛らしい笑顔だ。
「だって、はは、お嬢様、あははは、何て顔するんですか。あははは。」
「そんなに変な顔ですか?私。」
と言って、もう一度膨らんだクレア。
「あははは、やめ・・、やめて下さい、お嬢さま。お腹が・・お腹が痛い・・よじれてしまいます。あははは」
これでもかと、“ふくれっ面”を披露し続けるクレア。
「あはは、そんな顔、ほっぺたが・・はは・・ほっぺたが膨らみすぎだって言ってるのに、ははは、そのほっぺたをわざわざ、・・そんなに膨らませるんだもの。あははは、自分からわざわざ、不細工にならなくても・・あはははは」
「あーーーっ、不細工って言いましたわね。ひっどぉーい、ユーシンさん。」
そうやって非難の声をあげてはいるが、表情は変わらずに、力みの無い自然な笑顔なのだ。傷つけたかもとか、怒らせたかもなどという憶測は、差し挟む余地すらなかった。ユーシンから、遠慮する気力が喪失した。
「ははは、お嬢さま。お止め下さい。普通に笑顔にしていれば、それなりに美人なんですから。プヨプヨの頬っぺたも、なかなか愛嬌がありますよ。」
「まぁっ!失礼ね。ユーシンさん。プヨプヨだなんて。」
と言いながら、ぷにぷにと、自分の頬を手で押し上げるクレア。
「でも、ユーシンさん、おっしゃいましたわよ。それなりにでも、美人だって。愛嬌があるって。その言葉、忘れませんわよ、私。」
「はいはい、それはもう、保証します。とっても愛らしいです。」
容姿に関する褒め言葉を、女性に向かって放った事など無かったのに、今、クレアに向けて、何の引っ掛かりも無く口に出来た自分に、内心驚いたユーシンだった。
一度遠慮が抜けてみると、ユーシンの中からは話したい事共が、後から後から溢れ出して来た。意識してかどうかクレアは、“ふくれっ面”一つで重厚なる絶壁を、いとも簡単に崩壊せしめてしまった。粉砕と言った方が良いか、いや、雲散霧消と言うべきか。もはや絶壁など、あったのかどうかも、ユーシンには分からなくなっていた。
気の利いたおしゃべりかどうかは分からないが、クレアはユーシンの話を、どれも楽し気に聞いた。ずっと笑顔を絶やさなかった。クレアが笑顔を見せれば見せる程、もっともっと話したい、という衝動がこみ上げるユーシン。彼の頭の中では、行列を成して出番に備える話題やエピソード達が、待ちきれずにうずうずと、その身を捩じらせるのだった。
話が進むごとに、ユーシンはヒートアップして来た。慌てて捲し立てるものだから、ろれつも怪しくなり、どもりが激しくなり、舌を噛む事態が連発する。自分でも何をしゃべっているのか、分から無くなる有り様だ。
だがクレアは、そんなユーシンの言葉に、眉間にしわを寄せる事も無く、同じところで何度も聞き返したりする事も無く、ずっと前のめりで、楽しそうに「うん、うん」と頷きながら聞いてくれた。
腹が立った話の時は、一緒になって怒ってくれた。悔しかった話の時は、一緒に歯噛みしてくれた。悲しかった話の時は、ユーシン本人より瞳を潤ませていた。
ユーシンの心で発せられた波動は、一切の減衰を示すことなく滔々と、クレアの心へ伝播し、クレアの心で共鳴吸収され、クレアの心に、眩く華やかな化学反応を生じさせているようだ。その化学反応の結末たるところの、クレアの表情の豊かな変化は、適度な発熱反応を生じさせて、ユーシンの心を温めた。
打てば響いた。
打てば打つほどに、響いた。
嬉しかった。楽しかった。
打って、打って、打ちまくった。
嬉しい。嬉しい。嬉しい。
響いて、響いて、響きまくった。
楽しい。楽しい。楽しい。
12時間は、瞬く間に過ぎ去って行った。ディスプレーがそれを告げていた。
「もう着いてしまいましたのね。あっという間でしたわ。」
残念そうに言ったクレアの言葉が、自分の想いを代弁してくれている事も、ユーシンには格別の喜びだった。
円筒形の第3惑星軌道上の宇宙港が、背後の惑星から滲み出してきたように、彼等の眼に映って来た。第3惑星の向こうには、この星系の中心である恒星が見えている。星系の名は、中心星の名を取って呼ばれる事になっているので、この恒星の名は「ウィーノ」だ。
高齢で膨張過程のこの恒星は、第1惑星を飲み込み、第2惑星を干からびさせた。おかげで第3惑星は今、ハビタブルゾーンに入っている。恒星からの光の強さに関しては、生物の生息に適当という事だ。十数万年に渡って、その状態が維持されるらしいので、人間の時間スケールでは、ほぼ永久にこの星は、快適な光量の日差しに恵まれる事になる。
彼等のシャトルは、中心軸にある宇宙港に吸い込まれて行った。回転で遠心力を発生させている施設なので、中心軸には重力は無い。
「私達はここで少し、機構軍幹部と打ち合わせをするから、君達は先に行っていなさい。」
とクロードが言い、もうしばらく2人の時間が続くと、ユーシンは内心で飛び上がった。
リーディンググリップに導かれて去って行ったクロード達と反対方向に、クレアとユーシンは並んで飛翔して行った。地上に降下する乗り物を目指す。
比重の軽い気体を詰め込んだ袋に、ゴンドラをぶら下げた乗り物で降りるらしい。
「気球って言うんだそうです。」
得意げに知識を披露するユーシン。彼が嬉しくなるような、感心を現した返事が、クレアから返って来る。
「まぁ、よくご存じで。そうですの。こんな簡素な乗り物で、降りられるのですね。」
「この惑星の大気条件が、それを可能にしているそうです。」
乗り合いの「気球」もあって、多くのビジネスマンや旅人風の者達が、それに乗ろうと列を作っていたのだが、富豪令嬢とそのお伴だけあって、彼等には専用の「気球」が用意されていた。
「気球」はゆっくり、ふわりふわりと、地上を目指して下って行った。
外気は一気圧で、圧力だけなら人にとっても快適だが、組成はそうでもない。外気中に出ても即死はしないが、数時間も留まっていれば、命に関わるらしい。だからゴンドラは、密閉素材で外気と遮断されている。でも圧力が同じなので、それほど丈夫な素材である必要は無く、その分、透明の素材を用いる事が出来ていた。
大気があるので、空は青い。ユーシンには始めて見る青空だった。そして少ないが、雲があった。少ないと言っても、地球と比較しての話で、ユーシンもクレアも地球の標準的な雲の量を知らないから、少ないという印象は持ちようがなかったが。
薄い雲をすり抜けて行く。そのたびに、青空が表情を変えるように思える。すまし顔と、ふてくされた顔、だろうか。圧倒されるように黙ったままユーシンは、クレアと並んで青空を見ていた。黙ったままでも、クレアの心が移ろっているのが、伝わって来る気がする。青空の表情の変化と、混同しているかもしれない。
近づいて来た地上には、でかでかとシェルター都市のシルエットが見えるが、照り返しの眩しさの為に、シェルターの外観は良く分からない。都市の周りには、うっすらと緑が見える。人には過酷な大気組成だが、一部の植物には生息が可能なのだ。その植物の活動が、いつか人にも生息可能な大気組成を提供してくれるそうだ。二百年後にはテラフォーミングが完了し、外気中でも人が住めるようになるらしい。
2人の時間が続くと知った時は、もっともっと話をすると決めたはずだったが、結局、言葉も無いままに、地上に着いてしまった。だが、妙に満足感の残る沈黙だった。クレアと青空を分け合えた。クレアと青空を独り占めに出来た。どちらにしても、阿呆な思い込みなのだろう。
気球はシェルター都市の屋上に着き、屋上から地上へは、エレベーターで降りた。透明の壁で出来たシェルターだ。大気の圧力が適度だから可能となった、透明隔壁のシェルター都市だ。だから地上からも、青空を拝む事が出来る。
地上には電気自動車というものが走り回っていた。原始的な乗り物を敢えて使いたがるのは、地球系人類の趣味と言うやつだろうか。惑星の地上に住むこと自体、地球系人類の道楽であり、地上が地球系の趣味で溢れているのも、当然といえば当然なのだった。
走り回っている電気自動車の幾つかは、手をあげれば止まってくれて、金を払えば目的地まで乗せてくれるそうだが、
「時間はたっぷりありますわ。早く着きすぎても仕方ありませんから、歩いて参りましょうよ。」
とのクレアの提案を受けて、青空を仰ぎ見ながら、クレアと2人で、並んで歩く事になった。
(遠くから見たら、恋人同士に見えるんじゃないだろうか?)
と思うと、ドギドキだった。
きょろきょろと周囲の景色を見回しながら、クレアは楽しそうに街を歩いていた。深い青の表面が、キラキラとした光の粒で装飾された湖面を前に、佇んだりもした。だがユーシンは、湖面よりも、湖面を見ているクレアを見ていた。霧状の水滴が肌に心地いい噴水の前も訪れた。だがユーシンは噴水よりも、噴水を見ているクレアを見ていた。色とりどりの花が咲き乱れる、花畑を見るクレアも見た。古びた洋館の、味わいあるたたずまいを見るクレアも見た。クレアが何かを見て感動するたびに、ユーシンの中でクレアが増殖した。
目的地である、会議が行われる施設の前に着いた頃には、ユーシンの中には百人程のクレアがいた。だが、2人の時間は、そこで終わりだった。
四方がガラス張りの真四角の建物は、直視するのも苦しい程に、恒星ウィーノの陽光を鋭く反射している。近づくと、ガラスを通して中のラウンジが見え、そこにクロードの姿があった。追い越されたようだ。
「では、行ってまいります。帰りまで、しばしお別れですわね。」
寂しげな様子に見えるのは、ユーシンの希望的観測というものだろうか。踵を返して建物に入って行ったクレアの後ろ姿は、すぐに人並みに隠されてしまった。
ガラス越しに、中の様子を伺うユーシン。人の流れから逸れた方向に、クレアが歩いて行くのが見えた。クロードのもとに向かったのでもなさそうだ。その後ろ姿に、ユーシンは例のごとく、嘆息を漏らす。
(なんて滑らかな曲線だ。)
凝視し続け、ユーシンは思った。(歩くと、より滑らかさが、強調されるんだな)
シャトルの中からここまでの、楽しかった時間が頭の中で反芻される。今日まで一度も、口も利いた事も無かった、だが、ずっと想い続けて来た女人。笑顔を見るのすら、今日が初めてだったのに、12時間に渡って話し続け、笑顔を見せ続けてくれた。そんな時間を思い出すだけで、ユーシンは第3惑星の重力をかき消してしまえる気がした。
ふわふわと浮き上がりそうな気分で、クレアを見送っていたユーシンだったが、その気分は、次の瞬間、ストーンと、地の底の暗闇へと突き落とされた。その目に飛び込んで来た光景に、彼は、彼のおかれている現実というものを、思い知らされたのだった。
金のボタンが眩しい、深い紺色の、機構軍の正装用ジャケットで身を覆い、すらりとした長身を際立たせている、貴族然とした立ち居振る舞いの男。宇宙保安機構軍第一艦隊第一大隊の隊長、若き大佐、シュルベール・ド・ブルーハルトが、クレアのもとに歩み寄って行くを、彼は見たのだった。
今回の投稿はここまでです。次回の投稿は、明日、'17/3/25 です。
さて、ユーシンとクレアが急接近する場面を、お届けしました。クレアという女性の人柄を、上手く伝えられていれば良いのですが。そして、ブルーハルト大佐も登場しました。恋敵というには、差がありすぎる感じ、三角関係というには、辺の長さが違いすぎる。ユーシンとクレアとブルーハルトの、今後の展開を気にかけて頂ければ、とてもうれしいです。というわけで、
次回 第14話 機構軍の若き大佐 です。
ブルーハルトの人となりを見せつけられたユーシンは、何を思うのか?そして、機構軍と「テトリア国」の関係は?是非、注目して頂きたいと思っております。




