第9話 白鳥の勇姿
「・・・お嬢様・・・」
そのユーシンの呟きは、余りにも小さかったので、その女人には届くはずも無いようなものだった。
ようやく一時の混乱を脱したユーシンは、その混乱がどれくらい続いたものなのか、コンマ1秒なのか、数秒だったのか、分からないが、とにかく多少の落ち着きは取り戻し、その女人がいるはずの辺りの気配を探った。直接に視線を送る気にはなれなかった。見ようとしたら、また世界が回転しそうだから。
だからまだユーシンは、クレア・ノル・サントワネットの容姿を知らないままだった。美人かどうか判断するのも不可能な程、彼が彼女を視界に捕えた時間は短かったのだ。
「おう、なんだい。やっぱり来たのか、ボス・クロード。それに、嬢ちゃんも。」
と、バルベリーゴが呼びかけたのは「UF」の社長、クロード・ノル・サントワネットだ。幼いころから知っているクロードの娘には、バルベリーゴは「嬢ちゃん」と呼びかけるようだ。
クロードの背後にクレアは控えている。ユーシンには、なんとなく気配で、彼女の位置は分かるのだが、そちらを直視出来無いでいる。
「仕事で来られそうも無いと思っていたのだけどね、何とか都合がついたので、ひと目だけでも顔を見せようと思ってね。何と言ってもわが社のエース商船『キグナス』の新しいクルーの歓迎会だからね。」
精一杯温和に、優しいもの言いを心がけているようだが、物凄くヒンヤリとした感触の声だった。ユーシンは器用にクレアを回避しながら、クロードを視界の真ん中に捕える事に成功した。
眼鏡の奥の窪みから、隠れるように覗いて来る感じの目が、少し不気味な空気を漂わせている。この時代に、視力を補う目的で眼鏡をかける者などいない。かけているのは端末のディスプレーだ。ああやって話しながらも、常に何かを表示させて、情報を得ているのだろう。彼らのプロフィールや個人情報を見ているかもしれない。銀河の果てで起きているニュースを閲覧しているかもしれない。
いつの間にか宴席の参加者たちは、店内に広く散らばって席を占めていたので、クロードは誰が新入りなのかもよく分かっていない様子で、あちこちに顔を向けながら、店中に聞こえるような声量で話していた。
「あー、『キグナス』の新たなクルー諸君。私が君達のボスとなる、クロードだ。よろしく頼む。」
そう言って首を巡らしていたクロードが、自分の方を見たようにユーシンンは一瞬思ったが、しばらく見つめている内に、その視線が自分からは少しずれた、何もありそうにも無い方向を見つめている事に気付いた。自分の後ろにある何かを見ているのか、それとも目の前の世界には、実は関心は無く、ディスプレーに表示されているものを見ているだけなのか、判断がつかなかった。ああやって首を巡らせておいて、その実、ディスプレーを注視しているだけだとしたら、もうそれは人間業では無いと、ユーシンは思った。
その一方で、見てはいけないと思いつつ、やはり気にはなる女人の方へ、ユーシンは視線を移す事を何度か試みていた。彼女はクロードのすぐ傍にいるのだが、彼の視線は目的地にたどり着く前に、何やら猛烈な弾力を誇る壁にはじき返されるように、またすぐにクロードの方に戻されてしまうのだった。
見てしまったら、何かとんでもないものが自分の内側から飛び出し、とんでもない勢いで彼女にまとわりついて、とんでもない迷惑をかけてしまうような気さえ、して来る有り様だ。
「知っての通り、我が『UF』は、命の危険をも覚悟で利益を追及するタイプの貿易商社だ。諸君もそれを承知で、我が社に身を置くことを決めたのだと、私は理解している。安全第一を唱える従業員は、ここには必要は無い。もし諸君がそうなら、早いうちに他所へ行ってくれ。」
クロードは聞いていた通りの、人命軽視の経営方針を語り出した。
「ここで働く限り、命の危険は常に付きまとう。だが、その分、他では千載一遇であるようなチャンスもゴロゴロと転がっている。機構軍で栄光ある地位に就くことも、どこかの国家機構に入り巨大な権力を手にする事も、巨万の富や莫大な財産を築くことも、銀河中の美女をはべらせることも、ここにいれば手の届かぬ夢では無い。」
クロードがそう話を進めると、クレアの表情が沈んだものになって来た。視界の端に捕えるだけで、雰囲気のみでそれに気づいたユーシンは、彼女の気持ちの落ち込みに引っ張られたかのように、彼女へと視線を向けた。今まで直視できずにいた事が嘘であるかのように、ユーシンはあっさりと、ごく自然に、クレアを視界の中心に据えた。
美人だとは思わなかった。美人と言うには、頬の下の辺りがふっくらしすぎている。だが、守りたい、支えたいという彼の想いは、止めども無く増幅して行った。
「今この銀河は、命を懸けて何かを成そう、命を捨ててでも何かを手に入れよう、そういう逸材を求めている。必要としている。我々は銀河に、そんな人材を輩出して来た商社である。安全など求めず、危険など構わず、それぞれの野望の為、そして商社の利益の為に、行動してくれることを私は諸君に期待している。」
クロードが言葉を紡げば紡ぐほど、クレアの顔は下を向く。表情が曇る。
(やっぱり、)
ユーシンは思った。
(お嬢様は、人命軽視の経営方針を受け入れられずにいるんだ。この商社を家族のように思っていて、皆の命が危険に曝される事を、辛く思っているんだ。誰にも死んで欲しくは無いんだ。)
かねてから思い描いて来た、クレアの人となりが間違いでは無かったと、ユーシンは思った。クロードの言葉を聞くほどに、強く引き結ばれる唇、うつろに虚空をさまよう視線。それらユーシンの目に映る全てのクレアが、従業員への愛情と憂慮を物語っていた。
美人と呼ぶのを妨げている、ふっくらとした頬。その柔らかな頬に、彼女の愛情が詰まっているのでは。憂慮が膨らめば膨らむほど、その顔は美人から遠ざかるのでは。そんな風にユーシンは感じた。美人から遠ざけている頬の膨らみこそが、ユーシンには愛らしく感じられた。愛おしく思えた。頬に憂慮を貯め込み、クロードの人命軽視な発言に耐えている姿が、いじらしかった。
(やっぱり、守りたい。支えたい。)
クレアの容姿を見届けた後でも、その覚悟が変わらなかったことに、ユーシンは満足を覚えた。もう、自分の人生の意味に迷う事は無いと確信できた。
「当然だが、死んだ者には何の報いも無い。諸君が手にするのは、諸君が命を懸けて手に入れたものだけだ。給料も、諸君が命懸けでもたらした利益から支払われるのだ。生きるにしろ死ぬにしろ、必ず何かを手に入れ、我が社に利益をもたらしてくれ。」
続けられるクロードのスピーチ。益々沈んでゆくクレアの表情。
(お嬢様にあんな顔をさせていてはいけない。膨らんだ頬が目立ってしょうがない。あの女人は笑ってなきゃいけないんだ。あの女人が笑顔でなくなれば、宇宙が暗くなってしまうんだ。)
しかし、今の自分には出来る事など無いと、ユーシンは痛感せざるを得なかった。
(早く成長しないと。1人前にならないと。守る事も、支える事も出来ない。)
一人前になったとして、自分に出来る事など限られているとも、ユーシンは思っていた。1万人程もいる「UF」従業員全部を、自分一人の手で守り抜けるはずも無く、クレアが最も求めているものを、彼は与える事が出来ないのだ。
(それでも、ほんのわずかでも、支える事は出来るはずだ。「キグナス」を自在に操れるようになり、それで自分が銀河を駆け回り、「UF」に利益をもたらし、危機に陥った「UF」の宇宙船を「キグナス」で助ける事が出来れば、お嬢様が表情を曇らせる回数は減るはずだ。)
「諸君。我が社の利益の為、それぞれの野望の為、死を恐れず、勇気をもって危険に立ち向かってほしい。」
(立ち向かってやるさ。お嬢様を笑顔にする為なら、命など惜しいものか。)
ユーシンは拳を強く握った。
クロードはスピーチを終えると、促すような視線を娘に向けた。
「あ、あの」
ためらいがちに、今度はクレアが話し始めた。
「危険を承知で、我が社の従業員となった皆様の勇気を、・・あの、私、尊敬しています。命を懸けてでも我が社に貢献しようと思って頂いている事を、心から感謝しています。そのような方々は、・・その、得難い人材だと思います。これからのご活躍を、お祈りしています。」
上手くまとめたスピーチだったが、命を懸けろとは、危険に向かえとは、ひとことも言わなかった。言えないのだろう。やはり、父クロードと同じ考え方は、出来ないのだろう。
ユーシンは別に、クロードが間違っているとも、酷いとも、冷たいとも思ってはいない。人命を尊重して欲しければ、彼の言う通り、他所に行けば良いのだ。命を懸ける覚悟を固めた者だけが、ここに残れば良いのだ。命を懸けなければ手に入らないものが、この宇宙には星の数ほどあるのだから。
だが、そんな現実を踏まえた上でも、クレアの想いに応えたい。従業員の命を大切にしたいという願いを叶えたい。何が出来るか、どこまでやれるか、分からないが。
(俺はその為に、人生の全てを懸けよう。)
ユーシンはもう、穴のあくほどの熱い視線をクレアに送っていた。暗くうつむいたままのクレアは、それに気づいた様子も無かったが。
「では、我々はここで退散するとするよ。」
「なんでぇ、もう行っちまうのかい。」
と、バルベリーゴ。
「あっしゃっしゃ。相変わらず、忙しい連中じゃのう。」
と、ドーリー。
クロードが踵を返して歩き出す。クレアもそれに従おうとし、徐々にその体が反転してゆく。丈の短いジャケットに、タイトスカートという出で立ちのクレアが、身を翻す。
ユーシンには、後ろ姿を見るのが待ち遠しく感じられた。2年ぶりに見る、2回目に見る、クレアの後ろ姿。自分の人生を決定づけた、あの後ろ姿。自分の人生の指標とも言うべき後ろ姿。
見たい、早く見たい。
視線を送り続ける。
まだクレアは、ユーシンから見て、横向きだ。横からでも構わず、背中辺りに視線を泳がせる。当たり前だが、記憶の中のものとは少し違う。角度が違うから。
ユーシンは焦れる。焦れた勢いで、視線は更にその下方へと泳ぐ。クレアの背中から続く、その下方部分を視線が泳いだ時、ユーシンの脳幹に電撃が走った。
ユーシンは茫然となりながら口走った。
「なんて滑らかな曲線だ。」
背中の件は、失念された。
翌朝目覚めたのは、ホテルのベッドの上だった。
一人用だが狭苦しくもなく、簡素であるが清潔であり、単純な長方形だが機能的な部屋だった。外から中は見えないが、外の明かりを損なう事無く取り込める窓からの、まったりとした温かな光が、彼の覚醒を促したようだ。
窓の外を人が通る気配がした。平屋ばかりの街だから、彼のいる部屋も1階だ。窓の外の通りは、昨夜の宴会会場とは一つ隣の筋だ。
窓を開ける。ひんやりとした空気が肌を刺激する。
(これが地球上のどこかの地域の、朝の標準的な雰囲気なのか。)
とユーシンは、軽い驚愕を伴いつつ、心中で呟いた。
地球系も多く住んでいるこの「ウィーノ」の住居用コロニーでは、地球で感じられる朝昼晩、春夏秋冬というものを、出来るだけ再現しようと試みられている。そんなコロニーは初めて訪れるので、彼はここでの朝を楽しみにしていたのだ。
驚くことに、地球上でも場所によって、その朝昼晩や春夏秋冬の様相は違っているらしく、「ウィーノ」に数十基ある住居用コロニーでは、それぞれに地球上の異なった場所での朝昼晩や春夏秋冬を再現しているとの事だ。彼は今、中緯度で温暖多雨な地域の再現を企図したコロニーにいると教えられている。
宇宙に浮かぶ巨大人工構造物の中で、肌で朝昼版や春夏秋冬を感じさせる温湿度調整が成し遂げられているのだとしたら、それは見事というしかないが、本当に再現できているのかどうかは、地球で暮らしたことのある誰かに聞かなければ分からない。彼は地球を知らない。
朝日を模したという、円形側壁から照り付ける照明の、黄色味を多目に配合した光は、角度が浅いために直接彼の窓を射抜く事は無い。手前の建物の白い壁に反射して、眩しくも無い適度な強度に減衰されて彼の部屋に飛び込んで来ていた。昨日彼が浴びた、黄昏色の照明とは反対方向から照らすという念の入れようだ。
(あの赤紫の光も、地球の夕暮れ時を再現しているのだろうな。)
街並みを見るのに夢中で、その時はあまり気にも留めなかったが、今落ち着いてこの朝日を模した照明光を見て、昨夕の光を思い出したのだった。
洗顔や歯磨きを全自動でやってくれる装置が、その部屋の洗面台には備わっているらしいが、そんな贅沢品を使った事も無いユーシンは、全て自力で済ませた。終わった頃に、
「朝食の用意が出来ました。」
と、ハウスコンピューターが告げる。彼の起床を感知して調理し始めたものが、今出来上がったようだ。食堂に向かう。
昨日の内に選んでおいた、ご飯とみそ汁と焼きじゃけなる、見た事も無い料理を愉しんだ。「箸は使えますか?」という意味不明の質問にNOと答えておいたから、フォークとナイフとスプーンで食べた。それに違和感を覚える為の予備知識が、ユーシンには無い。
食べている間に、ニコルとノノとアデレードが来た。ニコルはヨーグルトとかいう発酵食品に色んな果物がゴロゴロと入ってるやつを、ノノはコーンポタージュスープを口にした。
アデレードは、彼等にとって最もなじみ深い朝食メニューである、シリアルを頬張っている。せっかくの「ウィーノ」だから、ここでしか食べられないものを食べればいいのにと、横目でそれを見つつ思ったユーシン。
寝ぼけ眼で、言葉も少なく4人が朝食を済ませると、
「で、今日1日、何するの?」
と、ニコルが皆の顔を見回すようにして尋ねた。
「今日1日は自由にして、明日から作業開始なんだよな。1日か。どうしよう?」
と、アデレード。
「1日じゃ、『ウィーノ』全部を見て回るのは、絶対無理だよなぁ。」
と、殊更に口を大きく開け、声を高くして言ったユーシン。
「当たり前じゃない、そんなの。」
と、ニコル。「このコロニー1つでも、見て回るのに1日かかると思うけど。」
「だよなぁ、それが精いっぱいだよなぁ。じゃ、このコロニー見て回るか。」
という事で話が決まり、皆が出発の準備を整えた頃に、キプチャクが慌てて部屋から飛び出して来た。
「おい、置いて行くなよ。」
「寝坊よ。」
ノノがキプチャクに切り返した。
「うぅ、朝飯は諦めるか。牛乳飲む間くらいは、待ってくれよ。」
と言うが早いか、料理サーバーから出て来たグラスをひったくり、ぐびぐびと飲み干した。
「美味い!なんておいしい牛乳だ。」
「なんでも、牛から搾ったらしいわよ。」
「えー!何だよそれ。牛から搾った牛乳なんて、俺、初めて飲んだぞ!こんなに美味いんだ。」
合成ミルクしか知らない、ニコルとキプチャクの会話だ。
「昨日口説いていた女の人は、どうしたんだ?キプチャク。」
アデレードの問いに、キプチャクは唇を尖らせて応える。
「聞いてくれよ、あのアマ。散々色んなものおごらせておいて、何にもさせねぇで帰っちまいやがんの。詐欺だろ、そんなの。」
「変な事期待して、おごるっていう行為が、不純。」
と、キプチャクの訴えは、ノノによってバッサリと切り捨てられた。
5人は出かけた。と言っても、ホテルの玄関から出て前の通りを歩くわけでは無かった。ホテル内のエレベーターで地下に降りた。
地下にはゴンドラリフト乗り場があった。人が歩く位の速さで動いているリフトだから、乗り込むのは容易だった。リフトは、それを吊るしているワイヤーロープを乗り換える事で、スピードを上げていく仕組みだ。
ゆっくり動いているワイヤーに吊るされているリフトに乗り込み、そのリフトが早く動いているワイヤーに掛け替えられ、高速での移動が可能になる。ジョイント部分の巧みな機構で、加速もふわりとしたものだ。最高時速は100km以上だが、箱型のリフトで防風が装備されているので、乗り心地も良い。一人乗りのリフトもあるが、彼等は5人で並んで座れるタイプのものに乗った。
速度の速いワイヤーには、あちこちからリフトが集まって来ている。地上にある各建物の真下に、速度の遅いワイヤーがあって、そこからリフトが速度の速いワイヤーに集められて来て、高速で移動するのだ。
地下一階には円筒形コロニーの縦方向に移動するリフトが、地下二階には円周方向に移動するリフトが備えられており、それらを乗り継げば、コロニー内のどこにでも行ける。だからコロニーの“地上”には、交通施設は皆無だ。
「うわー、良い眺め!さっきまでいた街が、あんなにも下の方に、あんなにも小さく見える。」
千メートル級の山の峠から、街を見下ろして感嘆の声をあげるニコル。リフトから降りて、目の前にあるエレベーターで地上に上がり、そのエレベーターから出て来た直後の発言だ。
ゴマ粒ほどであるが、街を歩く人の姿が見分けられる程度の距離から、街の全景を楽しんでいる一行だが、ユーシンはそれよりも、土を踏みしめて歩く感触の方が面白かった。
周囲の木々からの落ち葉が腐敗したものが、細かい砂と混ざり合う事で、人の手を介する事無く出来上がっているその土の感触も、恐らくは地球系人類に郷愁の念を起こさせるものなのだろう。
こんなものが一朝一夕で出来るはずはない。このコロニーが出来てからの、百年以上の時間の経過が、この土の感触には詰まっているのだと思った。そんな想像をしながら踏みしめる一歩一歩が、ユーシンはとても心地良かったのだ。
可能な限り、地球にある本物に近づけて造られた、巨大な盛り土だが、中心部に鉄の柱が据えられて強度を保っているという。鉄筋山塊といったところか。
滔々と流れる大河の中州にも行った。リフトとエレベーターで。
「何か釣れましたか?」
と、バケツを覗き込みながら尋ねたノノに、持ち主の釣り人は自慢げに、一番の大物をつまみ上げて見せた。コイという魚だそうだ。
広い庭を持つ邸宅が立ち並ぶエリアにも行った。庭を一般に開放している家が多く、ガーデニングの腕前を見せびらかしたいようだ。ニコルとノノが、笑いながらお花畑を逃げ回るという有りがちな光景が展開したが、宇宙暮らしの長い男子3人は、十分に新鮮な追いかけっこを楽しんだ。
良い香りの風が抜ける、薄暗い竹林の小道も歩いた。広大なグラウンドでサッカーとかいう初めてのスポーツに飛び入り参加したりもした。珍プレーの連続だったが。
リフトとエレベーターで、コロニー中を探索する1日は、瞬く間に過ぎて行ったのだった。
その翌日、“地上”から、上空に横たわるように見えている中心軸に向かって、巨大な柱のように何本も突き上がっているエレベーターに乗って、若者達はドッキングベイにたどり着き、そこからシャトルで、最外殻のコロニー群を目指した。「ウィーノ」に到着した時に入ったのとは別のコロニーに向かったのだが、そこに彼らのお待ちかねのものが係留されているのだ。
無重力であるコロニーの中心軸内にある、金属の壁で覆われた通路を、リーディンググリップに導かれて、若者5人は移動して行く。目的のブースが近づく。一辺が数百mから数kmもある巨大な宇宙船係留ブースが、幾つも並んでいるエリアを移動しているのだ。
各ブースの、人の出入りの為の開口部を通り過ぎる時に、中にある宇宙船が見えるが、若者5人にとってはどれも、パッとしない外観の船に思える。
(あんなのじゃない、俺達が目指しているのは、俺達が乗ることになるのは。)
とうとう来た。このブースだ。開口部の横の壁面にも、その名が書き込まれたプレートが掲げられている。ユーシンはニコルと、キプチャクはノノと、目を見合わせて頷き合った。先頭にいたアデレードが真っ先にブースの開口部から飛び込んだ。ユーシンもニコルもキプチャクもノノも、次々に飛び込んだ。
おおむね流線型の、卵を少し扁平にした感じの、純白の、巨大な、神々しいような光沢のある物体が、6本のアームで上下左右から固定され、ブースの真ん中の空間に鎮座していた。両側の突出構造物は、先端にギザギザが刻んである。姿勢制御の必要から、特にワープインの時の船体の安定の為に、そんな風になっているのだが、それが鳥の翼を思わせる。
鳥の首に例えるには短くて真っ直ぐだが、前方に突き出している構造体には、それの目と耳と牙に相当する装備が据え付けられている。通常空間とワープ空間用のレーダーや通信アンテナ、そしてプロトンレーザー砲「アマテラスマークⅢ」。“牙”に例えられる一方で、“白鳥のゲンコツ”とも表現される代物だ。
その表面に張り付くようにして漂い、動き回っている、米粒のようなもの共が人である事に気付くのに、少しの間が必要だった。更に小さなゴマ粒のような物も一緒に漂い、動き回っているが、何らかのセンサーだろう。船体表面のメンテナンスに従事しているのだ。
「おう、来やがったなぁ!早速仕事だぁ!こき使ってやるから覚悟しやがれぇ、ガキ共ぉ。」
との叫びが轟いたが、どの米粒が叫んだのかは判別できなかった。人の顔を識別する為には、もっと近づかなければならないが、眼前の巨大構造物の全ての部分を視界に収めるには、そこが限界の距離だった。
叫び声の聞こえた方に向かって、若者5人は近づいて行ったが、早速、首を上下左右に振らないと、その巨大構造物は見渡せなくなった。だが、まだ人の顔の識別は出来ない。
米粒の1つがバルベリーゴだと分かった頃には、その巨大構造物は、ただの白い壁としか認識できなくなった。
「やっぱりでかいなぁ、『ウォタリングキグナス』は!」
ユーシンの感嘆の声に、
「がっはっは、そうだろう。だが、そんな事に驚いてる暇はないぞ、ガキィ。ドーリーが航宙指揮室で待ってる。早く行って、しごかれて来い。」
と言うや、ガバッと首を後ろに倒し、叫んだ。重力がある空間でなら、“見上げた”と表現したい動きだ。
「キムル!愛弟子が来たぜ、面倒見てやってくれ。」
と、バルベリーゴが言い終わる前に、ニコルはキムルに向かっての飛翔を開始していた。
「よろしくね、キムル。」
「ええ、よろしく。昨日は楽しめた?住居用コロニー巡り。」
「うん、すっごく楽しかった!」
「あたしは医務室ね。」
と、誰にともなくつぶやいたノノも、ユーシンの後を追って来た。船体後部の搭乗ハッチを目指す。
左手側に「キグナス」の船体を見ながら進むユーシン達の右手側には、一辺が10メートルほどの気密扉が10枚ほど横に並んでおり、それぞれの向こうに宇宙艇が格納されているのが見える。扉は2重になっていて、向う側の扉の外は真空空間なのだろう。コロニーの中心軸内の空洞部分で、コロニーの中と言うべきか、外と言うべきか不明だが、円筒の中の宇宙空間とも言える場所だ。
その宇宙艇格納庫の並んでいる所を目がけて、アデレードが飛翔して行くのを、ユーシンは視界の端に捕えた。
「コロンボ!よろしく頼むよ。」
「はっはぁー、アデレードかぁ。今日からお仲間ってわけだぁ。可愛がってやるぜ!」
と言うと首を巡らせ、
「ファランクスぅ!相棒のお出ましだぁ。みっちり仕込んでやれ!」
背後からはバルベリーゴの張り上げる声が聞こえて来る。
「キプチャク、お前は俺が直々にしごいてやるからな。さあこっちだ、ぐずぐずするな、ガキィ。」
若者5人は、宇宙商船のクルーとなった。
今回の投稿では、ここまでです。次回の投稿は、明日'17/3/11になります。
お嬢様は登場しましたが、ユーシンは遠くから見てるだけ、で終わってしまいました。お近づきになる日は、来るのでしょか?(来なかったら、物語にならない?)宇宙商船「ウォタリングキグナス」も、第9話にして、ようやく登場です。(タイトル変更の危機だった?「ユーシンの冒険」とか?)ということで、
次回 第10話 クルーの日々 です。
宇宙商船で働く、苦労や喜び、そして、お嬢様との距離。ユーシンとその仲間達が経験する事を、是非、ご覧頂きたいです。