幼馴染の慰め方/橋本洋一
この物語はいかにして傷心の幼馴染を慰めるかを主題に書きました。ゆえに登場人物の描写はほとんどありません。それでも良ければ、一読願います
「なあ、愛ってなんだろうな?」
そう訊ねてきたこいつは心底どうでも良さそうな顔をしていた。
「……私が知るわけないじゃない」
ぶっきらぼうに答えると、こいつは「俺が思うに、愛って奴は身勝手なものなんだ」と頼みもしないのに持論を語りだす。
「本当は相手のことを思いやるべきなのに、自分が愛おしいと想う気持ちを、相手に押し付けている。言い換えるなら、愛の押し売りを互いにしているんだな、恋人たちは」
なんだろう。とても不愉快な話だった。
「だからさ、そんな気を落とすなよ」
そう言って、あいつは私の肩を叩く。
私は目線を反らした。
「別れを切り出されたぐらいで、そんなに泣くことないじゃんか」
どうやら、慰められていたわけだ、私は。
「……あんたに何が分かるのよ」
いつもよりオクターブ低く、声音が変化している。
「ああん? わからねえよ。いきなり部屋に押しかけられて、勝手に泣かれるなんて経験は二十歳になっても初めてのことだからな」
そうなんだ。私は恋人にふられて、別れたくないと駄々をこねて、それでも別れることになって、気がついたらこいつのところに来ていた。
幼馴染の、こいつのところに。
「それで? 俺にどうしろって言うんだ?」
幼馴染は不思議そうに訊ねてくる。
「慰めてほしいのか? 恋人の文句でも言ってほしいのか? それとも同情してほしいのか?」
その全部をしてほしかったけど、その全部をしてほしくないと思ってしまう。
ワガママだな、私は。
「慰めはもうしたし、文句を言えるほど、お前の恋人のことは知らないし、同情を欲するほど、お前は弱い人間でもないだろう。俺にできることなんて、ないんだぜ?」
その言葉に、怒りを覚えて、思わず怒鳴り散らしかけたけど、なんとか自分を抑えることができた。
爆発したかったけど、こいつ以外に頼れる人はいない。
友達は居ない事はないけど、同性に話すのは気が引けたし、異性の友人で思いついたのは、こいつだけだった。
「もう夜中の十一時だぜ? そろそろ帰ってくれよ」
「よく、そんな酷いこと、言えるわね」
「そりゃあ三時間も泣かれたら、いい加減嫌になるさ。それで? お前は結局、何がしたいんだ?」
そう訊ねられて、ハッと気がついた。
「恋人と元の関係に戻りたいのか、諦めたから慰めてほしいのか、どっちなんだ?」
自分でも、分からないよ。
そう言葉を発したかったけど、出たのは「…………」という沈黙だった。
それからしばらく、幼馴染も私も、声を出さなかった。
居心地の悪い、静寂が部屋中を流れた。
「はあ……しょうがないな。よし、明日の講義はサボるとして、お前の話に付き合ってやるよ」
大学生らしい発言をしてから、座っていた私の横を通って、部屋の外に出て行った。
私は動くことが、できなかった。ただただ、幼馴染の帰りを待つ。
「お前は確か、先月で二十歳になったよな。じゃあ酒ぐらい呑めるってわけだ」
帰ってくるなりそう言って、目の前のテーブルに置かれたのは五百ミリグラムの缶ビール。
空のコップが二つ。
そしてポテトチップスや乾き物などのおつまみ。
「さあ、呑め。呑んですっきりしろ。何時間でも付き合ってやるから」
顔を上げて、幼馴染を見る。
意外とそれは、爽やかな表情だった。
「だいたい、あの人はおかしいのよ! 私が居るのに、他の女に目がいくし!」
ビールをごくごく呑みながら、幼馴染に愚痴を零す。
「それで居て、ああしろこうしろうるさいのよ。もっとおしとやかにしろだとか、女らしくしろだとか。まったく嫌になるわ」
「……俺はお前に酒を呑ませるのが嫌になってきたよ」
うんざりといった表情の幼馴染。
「まさか、そんな酒癖が悪いとは……」
「何か言った!?」
「何も言ってねえよ。ほら、追加のビールだ」
コップになみなみと注がれる黄金色の液体。私は身体を悪くするような飲み方、つまりは一気呑みをした。
「ぷっはー、美味しいなあ! 嫌なことも忘れちゃうなあ!」
「そりゃあ良かった良かった」
「……さっきの話の続きだけど、あんたはどうなのよ?」
私の質問に、幼馴染は首をかしげた。
「どうってなんだよ」
「愛ってヤツよ。あんたは本当に愛を押し付けあうのが恋愛だと思っているの?」
私の言葉に、幼馴染は頬をぽりぽり掻いた。
「まあな。そう思っているよ」
「自分にも彼女が居るのに?」
「関係ねえだろ」
「関係あるね。そんな価値観を持っている人間に、姉さんはあげれませんー」
そう。幼馴染は私の姉と付き合っているのだ。
「姉さんに言ってやろー。こいつは恋愛を侮辱しているって」
「侮辱はしてねえよ。ただ、そう言ったらお前も納得するって思ったから」
「じゃあなに? 私をあしらうためだけに言ったわけ? それって酷くない?」
「お前の絡み方のほうが酷いよ――」
「改めて訊くけど、愛ってなんなのよ」
言葉を遮って、訊いてみた。
幼馴染はしばし考えるように、宙を見つめた。
私はポテトチップスを二三個つまんで、口に入れた。
「なんていうか、アレだな。答えの出ない問題って感じだな」
何を言っているのか分からなかったので「はあ?」と疑問を短く呈した。
「別に難しいことを言いたいんじゃないんだ。でも答えがみんな違っているいるから、恋愛って成立するんじゃないのか?」
真面目な顔をして言うものだから、酔いがだんだん冷めてきた。
「お前は元恋人にああしろこうしろって強制されてきただろ? でもお前は従わなかった。それは安易に従うことが愛だと思えなかった。一方、元恋人は直してほしいから言ったわけで、それも愛ってことじゃないのか?」
存外、まともな意見だった。
「すれ違いに勘違い、見込み違いの間違いだらけの恋愛だったんだ。お前の恋愛はな。いつかは別れると思ってたよ。結果論になってしまうけどな」
そして、ビールをあおる幼馴染。
「これで満足したか?」
「……満足どころか不足しているわ。ここにぽっかり穴が開いてしまったような感覚よ」
また涙が出てきそうだった。
「……この場にいるのは俺だけだ。だから言いたいことが有るなら言えばいいさ」
私はその言葉に――
「本当に好きだったのよ」
――救われた気がした。
「好きで好きでたまらなかった」
「そうか」
「愛していたし、愛されていたわ」
「そうか」
「幸せだったし、幸せにしたかった」
「そうか」
「――なのに、なんで、別れなきゃいけないのよ!」
最後は爆発のように激しく燃え盛り、そして静かに消えてしまった。
ぽろぽろ、ぽろぽろと。
涙が出てしまう。
「気にするな、なんて言っても気にするだろうけどな。他にも男はいるんだ。それこそ星の数ほどにな」
ぽんぽんと、頭を撫でられる感覚。
「縁があると思うぜ。だから、泣き止んだら元気を出すんだな」
ああ、こいつはずるい。
幼馴染で同い年なのに私よりも大人で。
惚れはしないけど、なんだか兄のように敬愛してしまう。
本当にずるいな、こいつは。
姉さんが羨ましい。
私にも、こういう人が今後現れるのかな。
そう想いながら、私は泣き続けた。
窓の外は、白み始めていた。
読んでくださりありがとうございます