ヴァンプの憂鬱
世間ではついこの間まで、カボチャに顔くりぬいて、コスプレして、楽しくはしゃいでました。
本来ハロウィーンとは、ケルト人が、十一月一日の朝に開くという精霊や死霊の世界への門を行き来する、魑魅魍魎に生者が見とがめられないように、その前夜に特別な火を竈に熾して身を隠した、というのが本来の意味なのです。
サウィン祭といい、決してハロウィーンなんて名前ではないのです。
「ケイシー、鏡に向かって何ぶつぶつ言ってやがんだ」
ろくでなしのロッドが僕に気安く話しかけられるのも、このサウィン祭がきちんと祝われていないからなのです。
「おい、聞こえてんのか」
ロッドの乱暴の手が僕の頭をつかみ、無理やり、ろくでなしのほうを向けさせられる。
「やめてください」
僕は冷静な口調でロッドに言ってやった。
「なぁにが、やめてください、だ。このちんちくりんの吸血鬼が」
むぅ。ちんちくりんとは失敬な。僕は眉を顰め、精いっぱいの炯眼でロッドを睨みつける。
「なんだなんだ、俺のかっこよさがやっとわかったか」
てんで的外れな言葉を吐いて、ロッドがポーズをとって僕の前に立つ。確かに新品のダークスーツに真紅のシルクネクタイは決まってるかもしれない。僕は無言で鏡を見直した。
それにしても、鏡の中のぼくの服装と言ったら! すすけた木綿の白ブラウスに、これまた綻びた灰色ののサッシュをまいただけで、ズボンもすっかり褪せてしまって茶色くなっている。
ロッドに起こされてかれこれ一週間。冷たい石棺が懐かしい。夜の活動期に無理やりロッドの抱き人形にされるのも癪だ。だって、こいつひたすら体温が高くて熱い。
僕の不機嫌を察したのか、ロッドが狭くて暗い地下室の隅に置いた冷蔵庫と呼ばれる白い箱から、死体屋から買ったという死人の血液を寄越してきた。
「いりません。死ぬほどまずい」
僕が拒否ると、ロッドは片眉をあげて、腰に腕をおいて偉そうに指図してきた。
「なんだかんだ言って、もう起きてから一滴も飲んでないじゃねぇか」
そうなのだ。僕はこのろくでなしが流した傷の血を舐めて目を覚ましたきり、一度も生き血を啜ってない。だから力も入らず、このようなしょぼくれた姿をしている。
鏡の中の僕は十代の少年。力が底尽き、姿まで変幻してしまっている。気持ちもどことなく心細く、目の前のおいしそうな生き血を襲って喰らうほどの気概が湧かない。
「こうしてみると普通の人間と変わんねぇよなぁ」
ロッドが僕の背後から一緒に鏡を覗き込んでくる。
黒髪に赤い瞳の僕。苺色の赤毛にハシバミ色をした瞳のロッド。ロッドはまだ二十そこそこの若造だそうで、ミステリ、オカルトといった実にいかがわしいことが好きなのだ。まぁ、おかげさまでなのか、僕がこうして現世に蘇られたのは、このろくでなしのおかげなのだが、正直ありがたくない。
僕は消えゆく一族の末路を憂えて、自ら石棺に封印されたのだ。
それなのに。
今僕の巻き毛を弄って遊んでいるろくでなしによって……。
「このまま外に連れ出したいけど、無理だもんなぁ……。しばらくは俺の寝床を冷やしておくれよ」
はぁ、ため息が思わず漏れ出る。初日に襲おうとして組み伏されてから、僕とロッドの力関係が決まってしまった。僕のうんざりした顔を見て、ロッドがニヤニヤしている。
「死体と寝てる気分が味わえるのは、結構いい気分なんだぜ?」
こんな悪趣味なろくでなしになんと言葉を返せばいいと思う? 今もまだ地下の闇をさまよっている仲間がいるとしたら、この僕の悲運な蘇生を憐れんでくれるだろうか。
「そんじゃあ、稼いでくるよ、ベイベー!」
チュッと音を立てて、ロッドが僕のつむじにキスをする。死体屋と稼ぐ金でぜひとも体温感じる生き血をお願いしたいところ。
それがかなわないならば、いつか、ロッドの首筋に二つの穴をあけてやるつもり。