第7話【前世と今世のギャップ】
今日の教訓。慣れない身体ではしゃぐと大変な目に遭います。
落ちた衝撃でへし折れた枝を枕に、一先ず身体を休めていた。メインは精神的な疲れの方だが。
汚れるのは多少気になるが、生活に直結するような魔術ならば前世の頃から覚えているので、特に問題は無い。
寝転がったまま、宙に指先を向けて、するすると文字を描くように動かす。指先に合わせて黒い魔力が糸のように、宙に漂った。それを書き終えたところで、口に出すことで起動させる。
「《情報》」
数少ない、前世の知識による力の一つ。ルーン文字。この世界でつかえる理由は分からないが、もしかしたら元々こちらの言語だったのかもしれない。
前世には、ルーン魔術というものがあった。魔術らしい魔術だったのかは分からないが、おまじないや護符はルーン魔術の一種で、ルーン文字だったかは分からないが身近にあった。
魔術というものを知った際、真っ先に思いついたのはそのルーン文字だった。北欧神話にて出てくるルーン魔術は、戦の神オーディンが習得し、それを人に伝えられたという話だ。
そして、文字と絵を使うという魔術と、それにより世界に働きかける力。正にルーン魔術じゃないか、と。
今のこの世界で、ルーン魔術というものは存在していないらしいが、試してみた結果、それが上手くいったのだ。
ルーン文字はそれほど複雑な模様を描くわけでも無く、また魔力の消費量、魔術の規模、どちらもルーンを使用した魔術の方が優秀だった。
そうして出した結論が、ルーン文字というものは、この世界における魔術を洗練させたものだ、ということだ。
僕が使うことのできる魔術というのは、つまりこれなのだ。魔術を使うにあたり、一応の基本は抑えているはずだが、その程度。また、自分には上手く応用させることができないので、転移や洗浄などはルーンで再現が出来ない。今世では、これらをどうにかしたいところだが、いくら北欧神話が好きでルーン自体を知っているといっても、その程度なのだ。現代に戻って一度細かく調べたいものだ。
そして今回使ったのは、アンサズのルーン。意味は、主神オーディン、言葉。情報に関するルーンの一つで、その中で最も探索に向いたルーン魔術だ。
この程度の森なら、それほど時間はかからない。数秒で森の中を把握し、魔物はいなく小動物しかいないため、危険が少ないのも確認した。
道も確認したので、そろそろ向かおうと立ち上がり、鞄から取り出した水筒(空間拡張済み)の水で喉を潤す。同時にパーカーの洗浄の魔術で土埃などの汚れを落とした。
前世と今世では身体の勝手が違い過ぎる事を改めて感じたので、慣れるまでは多少の手加減が必要そうだと、身体強化魔法を弱めて、ゆるゆると走り始めた。
太陽が頭上に近い位置にあるのを見るに、結構長いこと居座っていたらしい。この国に居ては身分の照会も出来ない。これ以上のんびりしてはいられないようだ。
☆☆☆
あれから30分ぐらいだろうか。徐々に速度を上げていき、前世の基本的な走力の7割程の力に慣れてきたころ、森をようやく抜け出した。
森を抜けてすぐその先に視覚で確認できる程度の距離に、王都ではないにしろ大きな街が見えた。数台の馬車が並んでいて、門番さんがいる。
速度を落として、辿り着いた馬車が並んでいる付近。なんだかざわざわと騒がしい。
尤も、だからなんだとその横を通り抜けて街の外を通ろうとすると、門番さんとは別の衛兵らしき格好をした男に止められた。
「おっと、悪いがガキ、ここは通せねぇ」
衛兵の格好なのに随分と荒々しい口調だ。ヒゲを中途半端に伸ばして、垂れた眉尻が助平じみていて、衛兵には全然見えない。
「衛兵より山賊に向いてそう」
ふと口に出た言葉に、彼は分かりやすく口元をヒクつかせた。しかしこんなナリでも衛兵ということか、下手くそな笑顔を浮かべて言う。
「ガキィ、思っててもあんまり下手な事口に出しちゃいけねぇぜ?俺だからよかったものの、すぐ手ェ出してくるゴロツキがゴロゴロいるからな?」
「今のはゴロツキとゴロゴロをかけたギャグとかそういうの?」
キョトンとしたように小首を傾げてみせる。先程の作り笑いが消えた。青筋。
「違ぇよ!お前よくこんな状況でそんなこと言えるな!」
「それで、通さないっていうのは?」
「マイペースだなお前……」
疲れたように溜息を吐いた男は、ボサボサの髪をがりがりと掻いた。
「別に意地悪してるわけじゃねーよ。今ちょっと、街の方で問題が発生してんだ」
問題?と首を傾げてみると、隠している事でも無かったのだろうか、特に躊躇いもなく答えた。
「魔物だよ。魔物。よく分からんが、街の外…そう、丁度この反対から魔物が攻めてきてんだよ」
「……それだけ?」
それで、こんな大事になっているというのか?ここら辺にいる魔物なんてそれほど強いものでも無かろうに。
僕はさりげなく腕を隠して、指で先と同じ探索の魔術を行使する。
「それだけってなぁ、ガキ。魔物ってのは人間よりもずっと力が強ぇし、早いし、デカいんだ。戦いのプロである俺たち騎士団が束になってやっと一体倒せるって所だぞ」
騎士団はどちらかというと自治や戦争…つまり人間相手に戦えるように鍛えられてる上に、魔法らしい魔法を使える者は非常に少ない。異能を使えないこの国なら尚更だ。
魔物退治はギルドの傭兵が専門だろうに、なぜ騎士団が出張ってきてるんだ?
「……冒険者さんは?魔物退治の専門でしょ?」
そちらなら魔法を使える者もいるだろうし、魔物に関する情報もあるだろう。騎士団なんかよりもずっと上手く戦えるはずだ。
尋ねると、男はボサボサの髪をガリガリと掻きながら、あーと唸って周りを見渡した。こちらを見ている者はいるが、今のところ近づいている人影は無い。
そう判断した男は、しゃがみこみ僕と目線を合わせて、口元を周りから見せないように覆った。
「俺もそう思うんだがな、騎士団はどうやらクソ厄介な所みたいだ。どうも、上がギルドに反感を持っていてな。簡単に言えば、ギルドの仕事を奪う為に俺ら騎士団が出張って来てるんだわ」
「……はぁ?」
思わず素の口調が漏れたが、それも仕方のないことだろう。
「最近は戦争も無ぇし、治安も悪く無ぇ。だから騎士団の話よりも冒険者の話が多くてな」
「つまり、騎士団の点数稼ぎ、ね」
馬鹿みたい、と僕は呟いて溜息を吐いた。住民を危険な中に長いこと置いておく、それが騎士団の仕事か。
「お、おぉ、思わず愚痴言っちまったが、伝わらないだろうなと思ってたんだが、よく分かるな」
「……まあ」
これでも計30年ほど生きてますから。
それにしても、結構広めに探知を広げたのだが、どこにも魔物の影は無い。終わった後なのだろうか。いや、それにしては馬車を止められてるのはおかしいな。
「それで、魔物は?」
「見りゃわかると思うが、まだ終わってねぇ。とりあえず追い返しただけだな。ったく、満足に眠れやしねぇ」
「どんな魔物?」
「なんだ、興味あるのか…って、そういやお前どっから来たんだ?武器も持たないそのナリで…冒険者じゃねぇだろうし」
「冒険者志望、魔術師」
まあこんな小さな娘が武器も持たずにいるんだ、怪しまれるのは仕方ない。元々考えていた自己紹介をする。実際メインは肉弾戦と魔術なので嘘ではない。
「魔術…とはまた、けったいなものを。魔術は使えるんだ、魔力はあるんだろ?」
「私、精霊に好かれないみたい」
これだけは本当に残念だ。魔力は膨大にあるのに、闇を好む精霊が居ない為、魔法が使えない。
ちなみに光の異能を持つ魔王は、どの属性の精霊にも好かれる特性を持つ。いやほんと逆だろうにこれ。
「それは……成る程、頑張ったんだな」
たいそう残念そうに顔を伏せ、肩を落とすと、男は優しげにそう言って、僕を褒めてきた。罪悪感。
「だが、冒険者やるのに魔術ってのは厳しくねぇか?術式を描くことができるなら、職には困らねぇだろ?」
魔術を作れる者というのは、術式の複雑さも相俟って数が少ない。だから、魔術を作れるのなら引く手数多なのだ。
「備えあれば憂いなし。魔術師はその体現者」
魔術とは基本的に、物質に描き込んで発動するものだ。それ故、数少ない戦闘を行う魔術師と呼べる存在は、あらかじめ術式を書き込んだ物を大量に所持している。魔術師ならば空間拡張はお手の物なので、それで嵩張ることもない。
逆に言えば、描き込んでいた物質が無くなれば、魔術師としては死んだも同然なのだ。
それ故に、戦闘を熟す魔術師は、魔術を作れる者の中でも希少だ。
魔力を持ち、適性のある属性の精霊に干渉する為に言霊を紡ぐだけの魔法使いとは違う。
魔力を持ち、術式を作る知識と技術を習得し、それを描いた物を事前に備えておかなければいけない。
その大変さは歴然だ。
「まあいいか。そんなわけで、悪いがUターンだ嬢ちゃん。ここに居ちゃ危険だ」
「……もう遅そう」
「は?」
ふと、唐突に探知内に表れた巨大な生体反応。魔力も確認。彼が言っていた魔物だろうか。
ズゥン、と地響。予想以上に巨体だ。これは騎士団には無理だなぁとのんきに思う。
魔物が瞬間移動できるわけもなし、ルーン魔術の探知から逃れられるとも思えない。となると考えられるのは。
「人為的なもの……転移魔術?」
「こいつは……!嬢ちゃん、早く逃げろ!」
この巨大な物を運べるような空間転移の魔術式なんて、いったいどれだけの時間がかかるか。
「おじさん」
「おい、逃げろって!」
焦って急かす男に、僕は鞄から取り出した石を投げた。
「うごッ!?」
ちょっと勢いが強かったせいと、彼が油断していたせいで額にがつんとぶつかった。
「あ……ごめん」
ぶつかって落ちた石を拾い上げ、改めて身悶える男に渡す。
「防御の術式を込めた石。もし何かあったら、これが貴方を助けてくれる」
ここまで来る途中に辺りで拾った大きめの石を変質で整えてから、ルーン文字を刻んだ石だ。大半の攻撃には耐えるだろう。石に込められた魔力は多くないので、やがて壊れるだろうが。
「魔術石…その歳でそんなことまで出来んのか」
「うん。お守り程度には持っておいてよ。私はちょっと、その魔物を退治してくるから。これは口止め料、ね。私が倒した事は誰にも言わないように」
「は?いや、ちょっと待て、あいつをお前みたいなのがっ」
顔に似合わず本当に良い人だ。僕は笑いかけると、その場から直ぐに駆け出した。