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第14話【レイメルアが預けた者】

この日も、彼は忙しかった。


ギルドマスターという仕事は、並大抵の者には務まらない。毎日届く何百枚もの書類を確認し、判子を押し、場合によってはギルドマスター自身が出撃。交渉事に、ギルドメンバーの相談、管理。ギルド施設内の管理もマスターの仕事だ。それを10年以上。もう慣れたものだったが、忙しいことに変わりはなかった。


しかし、それを投げ出す訳にはいかない。彼女に任されたギルドマスターの仕事。一応、代行ということにはなっているが、今の所彼女が戻る気配が無く、実質的に彼がギルドマスターだ。だが、彼はこれで構わなかった。


これは、困った彼女を、彼女に憧れていた彼が助けた。それだけの話だった。


だからこそ投げ出す訳にはいかないし、投げ出そうとも思わなかった。


そんな彼――キリエル=スーシャは、この日の仕事がようやく一息ついた頃。執務室の扉が、コンコンコンと叩かれた。


なにやら、焦っているようだと感じたキリエルは、飲んでいた紅茶を横に置き、入室を促した。


「ギルドマスター!き、緊急の報告があります」


足早に入ってきたのは、このギルドに小さな頃から勤めてもう10年にもなる大ベテランの職員のファイナという名の女性だ。


童顔な上に育たない胸が相俟って16歳前後の少女にしか見えないが、これでも26歳の結婚適齢期の女性である。しかし、男の気配が無く仕事一辺倒で仕事し過ぎているようだったので、この国ならば暇であろうと、ギルド登録の受付を任せていた筈だ。


彼女のその手には、なにやら手紙らしき物を持っている。事件か何かだろうか。


「どうした?」


「そ、それが、この手紙を!黒髪の娘が、ギルドマスターの…!」


焦りすぎてて内容が支離滅裂だ。キリエルはこのままではいけないと、一先ずソファに場所を移して、彼女の前に新しく淹れた紅茶を差し出した。ファイナがここまで慌てるのは珍しい。


紅茶を飲んで少し落ち着いたのだろうファイナは、深呼吸をすると、謝罪の言葉を述べようとするが、キリエルが制す。


「それは良いから、用件は?」


「そ、そうです。えっと、ついさっきギルド登録に来た女の子が居たんです」


「うん。その子が何か悪いことでも?」


その程度で彼女がここまで慌てるとは思えないが、どうやら、緊急性があるといっても危険な話ではなさそうなので、落ち着かせながら具体的に聞くことにした。


「い、いえ、その娘は凄く礼儀正しいです。『巌窟』と『業流』とも親しく話していました」


「ほう、彼らと。それで?」


「それで、その娘がですね、推薦状を持ってきたんです。それがこれです。えっと、マスター、落ち着い下さいね」


彼女の方がよほど慌てていたのに、何故自分を心配するのだろうと疑問に思ったキリエルだったが、顔には出さずに頷く。それを見たファイナは、意を決したように手紙をテーブルの上に乗せた。


「この推薦状の、差出人をご確認下さい」


キリエルはその手紙を手に取ってみる。封蝋には、ギルドマスターの印璽がされていた。


ギルドマスターが直々に推薦状を?だが、それならそこのギルドで登録すれば良いのに、誰だこんな良く分からないことをしたのは。


そんなことを考えていたキリエルは、裏返して手紙に書かれた差出人の名前を見た。



今までの全ての記憶が吹き飛んだ。



「れ、レイメルアさん!?ななななんで!?今まで何の音沙汰も無かったのに一体!?お、俺に何の用件があるのでしょうか!ま、まさか、彼女でも解決できない何かが!?よく分からない事をしているとか脳内で笑ってもうしわけありません!」


「だから落ち着いてって言ったんですよぉ!落ち着いてください!それは推薦状ですから、レイメルア様に何かあったわけではないでしょうから!」


ファイナ以上に壊れて錯乱するキリエルに、逆に冷静になった彼女は、なんとか宥めようと声を張った。先程とはもう完全に立場が逆転していた。



「さて、レイメルアさんの推薦状か」


ようやく落ち着いたキリエルは、机に座り直して手紙を改めて確認した。


「ええ、一体あの人とどんな関係なのでしょうね、あの娘は。まさか隠し子だったり」


「か、隠し子…?つまり俺以外に男…だと?い、いやいやいや、そんな馬鹿な。彼女はそんな頭の悪い人じゃないはずだ…でも、もう何年も会ってないしまさかその間に何か色々と……」


ああああああと思考の深みにハマっていくキリエル。レイメルアが関わると冗談が通じなくなるのは、ギルドマスター代行を任せた頃から何も変わっていなかった。


「はぁ、冗談ですよマスター。そもそもあの子、13歳らしいですよ。彼女が産んだにしては育ち過ぎてます。あと貴方とレイメルア様は別に付き合ってません」


「あ、あぁ、そうか、そうだよね…ギルド登録ということは13歳超えてなければいけないからそれは無いか…」


冷静な判断が出来ていないキリエルに溜息を吐いたファイナは、例の推薦状を持ってきたギルド登録に来た娘を放ったらかしにしておいたのを思い出した。


「とりあえずそれを読んだら、例の娘に会いに行きましょう。錯乱している時間が長かったせいで、あの娘きっと待ちぼうけしてますよ」


「なら、もうその子をこの部屋に連れてきてくれないか。俺はこの中身を先に確認する」


「了解です。あと、私も知りたいので、手紙の内容、後で教えて下さいね」


「ああ、勿論だ」


返事を聞いたファイナは満足といったように頷き、執務室を出た。


それを見届けたキリエルは、一つ深呼吸をして手紙と向き合い、丁寧に丁寧に封を開けた。


そこには、2枚の紙が入っていた。1枚目には簡潔に書かれている普通の推薦状だ。端にはレイメルアを証明するサイン。本物だろう。


次に、2枚目。こちらがキリエルにとっては本命だ。折りたたまれた紙には、キリエルの名前とファイナの名前が書かれていた。


それを持つ手が、小刻みに揺れている。それに気付いたキリエルは、落ち着かせるように深呼吸を何度も繰り返した。


「……よし」


震えた手が止まっているのを確認すると、ようやくキリエルは畳まれた紙を広げた。




☆☆☆




「ギルドマスター、連れてきました」


暫くして、扉の先から聞こえてきたファイナの声に、キリエルは慌てて濡れた瞳を拭った。


「ああ、入ってくれ」


「はい」


ファイナに連れられて執務室に入ってきたのは、真っ黒な少女だった。


体格からして13歳前後の少女だ。幼いながらも、女性としての色香を出し始めている。ミニスカートで身体のラインが出る形のノースリーブのワンピースは、その幼い色香を強く引き立てていた。


ワンピースの上からは質の良い、同じくノースリーブで黒いパーカー。そのパーカーのフードを深く被っていて顔は良く見えないが、フードに付いた歩く度に揺れる猫耳らしき飾りが可愛らしい。


フードの奥から覗く黒曜石の様な瞳が、じっとキリエルを見ていた。


「もしかして、その猫耳みたいな飾りの付いたパーカーは、レイメルアさんからの贈り物かい?」


キリエルはふと、自己紹介もせずそんな事を尋ねた。レイメルアは可愛い物が昔から大好きだった事を思い出したのだ。


尋ねられた黒い少女は、頭にハテナを浮かべたように少し小首を傾げて、ああ、と呟いた。


「レイア……レイメルアか。そうです、彼女から」


「やっぱり、そうか」


今も昔も変わらない。キリエルが憧れた彼女そのものだった。その事実に、キリエルはほっと安堵した。しかし、レイア。あれは、偽名として使っていた名前だろうか。


「レイア……じゃない、レイメルアと知り合い?」


「ああ、それはもう、彼女とは深い関係にあるよ。彼女と様々な所に向かい、長い時間を過ごし、子供まで育てたのだから」


大仰に手を振り、彼女との思い出に浸りながら語ると、黒い少女は納得したように頷き、口を開いた。


「レイ…メルアは、あなたから逃げたかったんだ」


ピシリと、キリエルの身体が固まった。


「お、俺から逃げたかった…?あ、あはは、まさかぁ。だって俺が一緒に居ても楽しそうにしてたし、俺が誘えば一瞬に仕事だってした。あれ、そういえば彼女が自ら誘ってきたことなんて一度でもあっただろうか。いや、無い。そ、そんな馬鹿な。外では嫌そうでは無かったが、実は俺を嫌がっていた…?俺から離れたくてギルドマスターの仕事を押し付けられたというのか……?そう、この娘と一緒にこの国に来て挨拶くらいはしたって良いというのに、それすらも嫌がって手紙だけで済ました…ま、まさかそんなそんなそんなばばばば馬鹿なななな




そうだ、死のう」


「落ち着いて下さいっ!!」


目から光を失ったキリエルが腰から抜いたナイフを首につきたてようとするのを必死で抑えるファイナ達を見て、黒い少女は言い過ぎたかとフォローに回る。


「でも、私をここに向かうようにしたのはレイア…メルアだから、信用はされているみたいだけど」


「そ、そうですよ!嫌われてなければ大事な女の子を私達に任せるわけがありませんから!」


『嫌い』と『信用できる』は矛盾しない。そんな事を考えた黒い少女だったが、面倒臭いのでそれを口に出す事はしなかった。




「さて、君がネラ君だね。レイメルアの手紙には、君の事を心配する旨が書かれていたよ」


この数十分で都合2回の錯乱を経て、ようやくキリエルは黒い少女――ネラと向かい合った。三度目の錯乱に備え、ファイナはキリエルの数歩後ろで待機している。


「私はキリエル。この国のギルドマスター代理を務めている。本当のギルドマスターは君の専属侍女をしていたらしいレイメルアだ」


凛とした雰囲気も、先の事を思い出すと酷く白々しい。


そんな事を思いながら、ネラは猫耳の付いたフードを外して、その顔を露わにした。


王国やニブルム国においても珍しい、黒髪黒目。艶のあるセミロングの黒髪に、幼くも整った顔付き。黒曜石の様な大きな眼は眠たげに開いている。


「私はネラ。異能者兼魔術師」


フードを被っていたせいで乱れた黒髪を手櫛で整えると、ネラは名乗り返した。


ここまで来て、異能を隠す意味は無い。王国では酷い差別の対象だったが、ここはもう王国では無いし、レイメルアの手紙から彼女が異能者である事は既に知らされているであろう。


「うん、よろしくネラ君。それで、話は戻ってレイメルアさんの事なんだが、元気にしていたかい?もう何年も会えてなくてね」


「私が見た限りでは、元気」


ネラが産まれてからレイメルアは彼女の専属侍女をしていた。そうなると、最低でも13年間会えていないことになるが、それでもキリエルは未だに彼女を想っている。それは素敵な事にも思えたが、キリエルは行き過ぎな気がする。


「レイメルアさんはもうデトリトゥス王国には居ないようだけど、どこに行ったか分かるかい?」


「分かるけど、秘密の約束」


「それは残念」


自分は忙しくても、ファイナを遣いに出そうと思っていたのだが、それを教えて貰うのは無理そうだとキリエルは悟った。


このネラという少女は、やすやすと秘密を話すような娘では無さそうだ。それこそ、いくら拷問を受けたとしても。場合によっては自身の舌を噛み切って死ぬ――そんな、危なげな雰囲気を僅かに感じた。


幼い少女とは思えない達観、いや、諦観した瞳。だが、彼女が産まれた時から一緒に居たらしいレイメルアからは、その様な事件があったわけでは無いと書かれてある。


なるほど、これは確かに危なっかしくて放って置けない不思議な少女だと、キリエルは内心、レイメルアの手紙に同意した。


そろそろ脱線を戻さないといけないと、控えていたファイナが口を挟んだ。


「マスター、レイメルア様の話はこれから何時でも聞けるでしょう。先に彼女のギルド登録について話されては如何ですか?」


「おっと、そうだね。すっかり忘れてた。さて、じゃあネラ君。ギルド登録にあたって、君はギルドランクを最低ランクから始めるかい、それとも試験を受けて、上位の仮ランクになりたいかい」


「試験を」


間髪入れずに答えたネラに、こくりと頷くキリエルは、彼女が名前等を書き込んだ紙に付け足して書いていく。


「分かった。最後に希望のランクはあるかい?」


「Bランク」


「……了解っと」


Bランクを求めるギルド登録者は多い。それは、仮Bランクになった人が殆ど居ないことによる名声を求める為だ。しかし、その殆どがCにさえ届かない。


Bランクは、ギルドランクの壁と言われる程に難しい。努力をしない者には絶対に届かないランクであり、才能が無い人にも届かないランクである。


それを知らない無知が、名声欲しさにBランクを求める事が多いのだ。


「よし、それじゃ地下の訓練場に行こうか。あそこなら試験するのに適しているからね。折角だから、俺が試験官をやろう」


「ギルドマスター直々に…。お願いします」




☆☆☆




訓練場は、全体は鉄製のタイルが連なって出来ている。広さは500メートル四方で、広々と使えるだろう。訓練場の中心には、直径100メートルほどの円形の台があり、そこだけは土が敷き詰められている。キリエルは、その円形の台の上で、黒髪の少女ネラと向き合っていた。


「観戦者が居るけど、大丈夫かい?」


「戦闘でそんな事は気にしない。けど……危険かな」


「それは心配しなくて良い。ここの訓練場は色んな術式が組まれていてね、大抵の攻撃には耐えられるはずさ。このリングには防御術式が機能しているからね」


安心するようにそう言ったキリエルだったが、ネラは何かを言いたげに口を開き、しかし溜息を吐くだけで何も口には出さなかった。


キリエルはというと、魔術師を名乗っているくせに術式に気付けないのかと、少々残念に思ったが、それで油断はしていない。


「そろそろ始めようと思うけど、武器も持ってないが、それで大丈夫かい」


「問題無い」


「よし、これはランクを決める試験だ。手加減しても良いが、できるだけ全力を出すように」


「……全力……善処する」


全力を善処するとはどういう事だ。相手がギルドマスターということを分かっていないのだろうか。いくら代理といっても、元より次期ギルドマスターは彼だと言われていたキリエルなのだ。


そんな相手に、全力を善処とは。随分と自身の力を過信しているようだ、とキリエルは一度、彼女を本気で叩き潰して心を入れ替えさせようと意識を切り替えた。


試合の開始合図を出すのは、ファイナだ。キリエルが彼女に視線を送ると、ファイナはこくりと頷く。


「では、仮ランク決定試合――始めっ」




開始の合図と同時、キリエルは魔力を全身に回して強化する。


そしてそれとほぼ同時に、ネラが居たはずの床が爆ぜた。


火薬の匂いも、火の気配も、魔力の気配さえも無い。しかし、確かに轟音を響かせ土の床が砕け、爆ぜた。四方に土を飛び散らせ、地面には巨大なクレーターを作り上げる。


それが、何を意味するのかを理解する前に。


「ッッ!!??」


幾たびの戦闘に立ったキリエルがゾッとする様な殺気を感じ取り、反射的に彼はその場から大きく飛び退いた。



そして、ギルド全てが大きく揺れた。



つい直前キリエルが居たはずの足元に突き刺さったそれは、耐物、耐魔、耐刃、その他多くの、あらゆる攻撃に対して耐え、衝撃を逃す、多くの術式が描かれた訓練場の壁を、天井を貫き、その衝撃をギルド全域、いや、それ以上の影響を齎した。



極大魔法?否。

増幅魔術?否。

異能力?否。


それはただ、黒髪の少女が現在制御できる限りの魔力で強化した肉体による、ただの殴打。


ただそれだけで、どの魔法よりも強力な衝撃を生み出したのだ。



――レイメルアさん、貴女は一体〝何〟を、預けたのでしょうか。

ようやく知ることができる客観的な視点での彼女の力の一端。

これがやりたかった。

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