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第十一話 真夜中の大学

 夜の闇に紛れて動く動物たちの影は、街中を走る観劇帰りの馬車のように見えなくもなかった。ウサギと小鹿が二頭立ての馬のごとく先頭を跳ね、その後ろを箱型馬車と見まごう図体のクマが、シマリスとジライマを背に乗せてのそりのそりと追ってゆく。

 彼らの後方を歩いていた教授は少し離れた所で歩みを止めると、月明かりに照らされた前方をぼんやりとした面持ちで見上げた。堅く閉ざされた豪奢な門を前にして、教授はひどく懐かしい思いがした。それもそのはず、何しろここはかつて教授が教鞭をとった大学なのであった。

 獣の目を持つ教授には、夜目でもはっきりと蔓草絡まるレンガ造りの校舎を門の向こうに見ることが出来る。五十年経ってもちっとも変わっていないその姿は、まるで自分のようではないか――。打ち沈むような気持ちと共に、言い知れようのない愛着も感じた。

 難なく鉄の柵をすり抜けた小柄なシマリスが、後から同じようにして敷地の中へと入り込んできたウサギに言う。

「なあウサギ、なんだか教授がひどく気持ち悪い顔してノスタルジックに浸ってるぜ」

「久々にかつての住処に戻って来たらしいからな。老人の感傷ってやつだろ」

 そんな心無い会話を遮るようにして、声を押し殺した教授の怒声が深夜の構内に響き渡る。「誰が老人だ! それから誰が気持ち悪い顔だ! 全部聞こえてるぞ! だいたい、森の入り口までならともかく、なんで街中までみんなしてついて来たんだ!」

 怒りながら柵を飛び越えた教授はまんまと着地に失敗し、ウサギとシマリスの前で頭から墜落した。半分オオカミであるにもかかわらず、持ち前の運動能力の低さから門を飛び越えるのも一苦労だ。

 小鹿はクマの背を踏み台にして門の向こう側へ跳び、クマに肩車をしてもらったジライマがその後に続いた。

「クマ、おまえのそのでかい図体じゃこっち側に来るのは無理だ。そこで待っていろ」

「ええ? そんなあ! こんなに暗い所でひとりで待ってるなんて嫌だよう! 心細いよう!」

 置いてけぼりをくらうはめになったクマは、泣きべそをかきながら鉄の柵に頭を突っ込み、向こう側へすり抜けようと必死に体を揺さぶった。すると、頭が抜けなくなって身動きすら取れなくなってしまった。

「あれ? あれ? 頭が抜けなくなっちゃった! うわあん、助けて教授!」

「馬鹿! 大きな声を出すんじゃない!」

 クマは泣き叫びながらがんがん音を立てて鉄柵を揺さぶった。偶然近所を巡回していた警官が、不審な物音に気がついて駆けつけて来る。

「わああ!? クマだ! 動物園から抜け出したのか!?」

 森の仲間たちは素早くクマを見捨てると、警官から逃れるようにすたこらさっさとその場を走り去ってしまった。

「あっ! ひどいみんな! おいてかないでえ!」

 留め金が緩んで外れた鉄柵に、クマは首を突っ込んだまま大学の敷地内へと走り出した。



「ここまで来れば、ひとまず安心だな」

 シマリスは構内の隅に立っていた彫像の肩の上で、道すがら拾ったどんぐりの実を齧った。クマは取り残された傷心から、未だにおいおいと泣いている。

「ひどいよみんな! おいらのこと置いて逃げるなんて!」

「置いて行く気はなかったが、ウサギが走り始めたから仕方なく後を追ったんだ」

 シマリスから責任を擦り付けられたウサギは、長老のフクロウじいさんみたいな口調でクマを諭す。「我々は常に危険と隣り合わせの野生動物だからな。天敵を見たら逃げるのは本能というやつだ」

 もっともらしいセリフだが、間髪入れずに教授によって突っ込まれた。「単に臆病な草食動物の習性だ」

 そのとき、深夜の時を告げる時計塔の鐘音がかすかに耳に届き、一同ははっとした。

 どこをどう走ったのかわからないが、だいぶ奥まで来たようだった。小鹿の背に乗せてもらっていたジライマは、おろおろと辺りを見回すと渡り廊下を手で探りながら歩き始めた。大学の敷地内におばあ様の住んでいる離れがあるはずなのだが、真っ暗でここがどこだかすらわからない。

 おぼつかない少女の足取りを見兼ねて、教授は彼女が暗闇の中で転ばないように手を握ってやった。ジライマは顔を赤らめて、すぐさま手を引っ込めようとしたが、親切な行為であることはわかっていたので、迷いながらも黙ってそのまま相手の歩行に身を委ねることに決めた。

 シマリスがヒューと口笛を吹いて二人の仲を囃し立てると、「そっとしておいてやれよ」とウサギがシマリスの口の中に松ぼっくりを詰め込んだ。それから、「本当に、教授は馬鹿みたいにお節介なんだよな」と首元のスカーフをいじりながら呟いた。

 前方を歩く教授の姿を見つめながら、ウサギは昔のことを思い出していた。あれは雪の降り始めた冬のことだった。狩人兄弟が仕掛けた動物用の罠に足を挟まれて、身動きがとれなくなっていたウサギを偶然通りかかった教授が助けたのだった。

「言っておくが、僕はウサギの肉に興味があるわけじゃないんだ。最近あの兄弟が動物を捕獲しすぎているようなので、生態系を乱さないようおまえを逃がしてやったまでさ」

 野ウサギ一羽のためにこの森の食物連鎖が崩れるはずもないことは歴然としていたので、ウサギは教授が自分を助けてくれた『言い訳』を聞きながら、変なヤツだなと思ったことを覚えている。

 教授はウサギの兄弟のことも親のことも、祖父母の代のことも知っていて、『口の悪いウサギの一族』と呼んでいた。ウサギは教授のことはもちろん前から知っていたが、兄弟の中でも一番慎重で臆病だったので――臆病クマとウサギの違うところは、自分を臆病だと思っていないところだった――半分オオカミであるにしても、半分は人間である教授を警戒し、決して自分から近寄ることはなかった。

 教授は胸元のポケットからハンカチを取り出すと、鋸歯状の鉄の罠に挟まれて傷ついたウサギの足に巻きつけた。

「黄ばんでボロボロになったやつだから、おまえにやろう」

「傷の手当てまでして、お節介なヤツだな」

 そのハンカチこそ、今やウサギが毎日肌身離さず首元に巻きつけているスカーフなのであった。本当はハンカチだったが、ウサギが首に巻いているのを見た教授がスカーフと呼んだので、ウサギもそう呼ぶことにしたのだ――。

 そのとき、前方を歩いていたはずの教授の体が突然頭上から降って来て、押しつぶされたウサギはそこで回想を停止した。 

 回廊を曲がった教授は、鉢合わせた何者かとぶつかって後方に思いっきり跳ね飛ばされたのだ。

「教授! しっかりして! 大丈夫?」

 駆け寄るジライマの声を聞き、教授を跳ね飛ばした人物が手に提げていたランプを掲げて前方を照らした。

「お嬢様!?」

 ジライマが見上げた光源の先にあったのは、肉付きの良い丸々とした人の良さそうな顔だった。

「デインティ!」

 侍女のデインティはジライマを両腕で抱きしめると、はち切れんばかりの胸に押し込めた。

「ああ、お嬢様! 私の可愛いお嬢様! 心配していたんですよ! 一秒も気が休まらないくらい、心配していたんですよ! 本当に無事で良かった!」

「心配かけてごめんなさい」

「一体、どこへ行っていたんです?」

 言いながら、暗がりにシルクハットを被った不振な男と動物たちが目に入った。

「さては、サーカスの一団に誘拐されかけたんですね? ええい、この不届き者め! おまえが団長か! 学長の娘に手を出したことを後悔させてやる!」

 教授に向かってブンブンとランプを振り回すデインティの前に、ジライマが立ちはだかる。

「デインティ、お願いだから落ち着いて話を聞いて。ここにいるみんなは森で迷子になった私を悪い狩人から救ってくれたのよ」

 主人の言葉に、従順な侍女はピタリと攻撃を止めて耳を傾けた。

「森で迷子に? 本当にひとりで森へ行ったんですか? 幻のキノコを探すとか何とか仰ってらしたけど、まさか本気で言っていただなんて! 念のために朝一番で森に捜索隊を出すよう旦那様にお願いしておりましたが……」

「幻のキノコは手に入れたわ。お小言は後でいくらでも聞くから、どうか今は見逃してちょうだい。急いでおばあ様の離れに行かなくちゃならないの!」

 切羽詰ったお嬢様の様子から何かしら感じるところがあったのか、有能な侍女は心得たような眼差しをジライマに向けた。

「わかりました。では、おばあ様のところにご案内致しましょう」

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