ユディとドリィは孤独
俺と同じ顔をした男は部屋の入り口で立ちつくした。なんの動作もなく、ただその場に立ちつくしていた。
俺にはこの男が誰なのかはわからない。男が誰なのか忘れてしまったのかもしれない。俺は自分と同じ顔の人間を何人か知っているが、それうちの一人であることはわかる。
男はのろのろと部屋に入ると、腰が曲がりきった老人さながらの前屈姿勢で椅子に腰を下ろした。俺は、男が頭を抱え、自らの髪をかき乱す姿を想像した。だが、そうはならなかった。
「ドリィ、こういう時はなんて言えばいいんだろう」
男は俺の名前を知っていた。俺は自分の名前を覚えていた。俺の記憶は穴だらけなのに、なぜ自分の名前を忘れないのだろうか。そんなことはどうでもいい。俺は女の隣に横たわった。
「俺はこの時が来るのを知っていたよ。ニニスはきっと俺の傍からいなくなるだろうって。……まずは濡れた服を着替えるんだ。そしたらすぐにここを離れた方がいい。あとは俺が引き受けるから」
「なんで」
「君が法に裁かれようが誰かに恨まれようが、命は取り返せないんだよ。それでも人々は君に贖罪を求めたり、罰を与えたりする。そんなのは虚しいじゃないか。だからドリィは逃げるんだ」
俺は疲弊していた。もはや身体は使い物にならず、思考は枯渇した。一切が費えたのだ。それでも男は俺に逃げろと言う。
「もう逃げるのは疲れた」
「それでも逃げるんだよ」
「知らない女がいた。それまでなにがあったのかなんて覚えてない。でも、女がいた」
あの女は本当の慈愛を感じさせた。吐き気を催すような同情や馴れ合いとは別次元の崇高な慈愛。彼女なら俺を救ってくれるかもしれないと思えた。
「いかれてなくて臭くなくて病気も持ってない、優しくて綺麗な女。この世界にそんな女がいるなんて知らなかった。でも、そんな女に騙されるなんて、それはどうしようもなく恐ろしいことなんだ」
「ニニスはドリィを騙しはしない」
「人間は騙す。俺の記憶が壊れてるから」
「騙さないよ」
「あんな優しい人に裏切られるなら、死んだ方がずっといい」
暗闇に慣れつつある視界に情景が浮き彫りになっていくようだった。女を殺した罪悪感が俺の中で徐々に鮮明になっていき、ついに俺は自らの罪深さに気づいてしまった。
「殺してくれて構わないよ」
「君を殺す理由なんてない。俺は妻を失って家庭という縛りから自由になったんだ。君に感謝してもいい」
この男は女の夫だったらしい。
「あんたも壊れてるんだ」
「そうさ」
**
ニニスが死んだ。予感はしていた。彼女はいつか俺の前から消えるだろうと。幸福な時は長く続かないだろうと。
俺はドリィを殺していい。でも、それはしない。復讐はこの悲運を認めることと同義だ。ニニスの死を受け入れた上で、自分を保てるだろうか。いや、一切は否認されるべきだ。俺は無様に自分を騙すことを選んでいた。
シャベルの重さが堪えてきた。俺は庭を掘り返している。ここにニニスを埋める。
彼女の両親のことを考えた。ニニスは旅行に行ったことになるだろう。
俺も旅に出よう。もう一度ニニスに会えるかもしれない。




