ユディは嘘つき
「赤よ。赤が駄目なの」
「だったら白を買って帰るよ。どういうワインがおいしいのかな?」
「ラベルが古めかしいものを選べばいいのよ」
「どうして?」
「古いワインが良いっていうじゃない?」
「そんな選び方でいいの?」
「ユディが選んだワインならなんでも喜ぶわよ」
「そう言ってもらえると助かるね。じゃあもう切るよ。そろそろ列車が来る。日が暮れる前には帰れると思うから」
「うん。待ってるから」
「うん。それじゃ」
「もしもし、ニニス? 何度もごめん」
「ユディ? 今度はどうしたの?」
「たった今、懐かしい人にあって……。彼は困ってるみたいなんだ」
「懐かしい人って?」
「俺の兄弟だよ」
**
うちのデザイン事務所が新たに花屋の建築に携わることになった。俺と先輩社員一名が現地に派遣された。俺の出張は二日で終わり、先輩を現地に残して一人で帰路に就いた。
駅前の酒屋でワインを買った。赤と白を一本ずつ。妻と彼女の両親への土産だ。俺はまったくワインを知らない。できるだけ上等なものを贈りたかったので店員に選んでもらったのだが、結局俺はよくわからないまま無難なワインに決めてしまった。せめて彼女達が肉と魚のどちらを好むかを知っていれば、それに沿った選択ができただろう。両親は白ワインしか飲まないということだけは覚えていた。しかし、それも不確かな記憶だったので、念のために赤と白を両方買った。
駅。そこを行きかう人達は誰一人例外なく孤独に見えた。身を寄せ合うように歩く恋人達や親子連れさえも、孤独であるから身を寄せ合っているのだ。もし、はぐれてしまえば彼らは自分の孤独を否定できない。否定してくれる人もいなくなる。
孤独だったころの自分を思い出すのは寒さのせいだろうか。陰鬱な日々の自分はいつも凍えていた。三月も今日で終わる。暖かくなるだろうか。
公衆電話を探して妻に電話をかけた。電話に出たニニスの声があまりに朗らかなので、おかしくなった。少しの間、他愛のない話をニニスと語らいたかった。だが、用件もなく電話に出させたことを少しだけ後ろめたくも思った。だから、適当な用件をでっち上げることにした。
「お義父さんとお義母さんは白ワインと赤ワイン、どっちが苦手だっけ」
尋ねると、ニニスは赤ワインだと答えた。さらに彼女が言うには、古そうなラベルのワインが良いワインらしい。俺が散々迷っていたことでも、聡明なニニスは容易く言い切ってしまう。彼女の冗談はなんだかくすぐったいような感じがして、またおかしくなった。そんなニニスと共に人生を歩いていけるのなら俺は幸せだと思う。
電話を切った。満たされたような気持ちだった。
列車の時間が気になる。改札口を抜ける前に時刻表を見つけた。その隣のベンチに座っている人に視線を奪われた。肩を沈め、顎を深く引いて下を向く青年。寒さにそぐわない薄着で、手荷物は持っていない。髪は乱れて、やや脂ぎっているようだ。
「あの、失礼だけど」
話しかけると青年は顔を上げた。孤独だったころの自分がいると思った。彼は戸惑っているようで、何か言いたそうだった。俺もなにを言えばいいのかわからず言葉を探した。
「もしかして君は……。俺はユディだよ。君は?」
青年は疲れていながらも緊張しているようだった。
「ドリィだよ」
ドリィの声はか細くて暗いものだったが、あまりに自分の声に似ていたので、俺は内心動揺した。さっきニニスが電話で聞いていた声と同じ声を自分は聞いているのだ。そして、ドリィの顔から薄い無精髭を取り除けば俺と同じ顔になる。 「ドリィ、久しぶりに会ったね。でも、ひどく疲れてるみたいだ」
「寒いんだ。それになにも食べてない。金もない。行く当てもない」
ドリィはなにかただならぬ事態に追い込まれているのだろうか。彼の話を聞く必要がありそうだ。とりあえず食事を提案する。
「それなら何か食べないか? ご馳走するから」
ドリィは小さな声で「ごめん」と囁くと、ゆっくりと立ち上がった。その動作が覚束ないので俺はドリィに手を貸した。
目に付いたレストランに入る。ドリィはチョコレートケーキとオレンジジュースを、俺もオレンジジュースを注文した。ドリィはゆっくりとケーキを口に運ぶが、あまり噛まずに飲み込んでいるようだった。
ドリィは一人で旅を続けているらしい。「今日まで生きてるのが奇跡のようだよ」と彼は言った。旅に目的はなく、駆り立てられるように各地を彷徨ったそうだ。俺もその感覚には共感できた。ニニスと出会わなければドリィと同じように旅を続けていただろう。
「行き先が決まってないなら、うちに来ないか?」
俺に招待されて、ドリィは少し迷っているようだ。
「ユディは一人で暮らしてるの?」
「結婚したんだ。妻と二人暮らしさ」
「そうなんだ」
「ドリィは疲れてるみたいだからさ、宿に泊まるんだと思って休んでいきなよ」
「……それならお言葉に甘えようかな」
「よし、あとで家に電話しておこう」
結局ドリィはケーキを半分残した。




