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翌朝、鉱山都市カルタゴをアヴァイン達は出発した。
次の交易地であるカナンサリファまでは、3日の距離である。アクト=ファリアナまでと距離的にはそう変わりはないが、こちらは道が割りと平坦なので掛かる日数が結果として短くて済むのだ。
それでも難所が数箇所あるので、決して楽という訳ではなく。あくまでも、『マシ』というだけである。
昨晩泊まった宿場で聞いた話によると、つい先月、この先の難所で駅馬車がまた野党に襲われたのだそうだ。
つくづくこの交易ルートの危険性を感じてしまう話であった。
「全く、たまったモンじゃないよなぁ~。なんだって人のモノを、そうまでして奪おうとするのかねぇ~? 普通に働けばいいじゃねぇ~かよ。なぁ?」
ハインハイルがため息まじりにそう言ったのだ。
「ええ……それぞれに事情はあるのでしょうけど。とても残念な話ですね……」
「この北部は、カルタゴなど一部を除いては乾燥地帯ですからね。この先のカナンサリファはここよりもやや南側に位置し、カンタロスの大水源にも近いこともあって割りと豊かなのですが……。
この地域は、耕す土地もなければ、仕事もあまり無い。
恐らくは皆、生きる為に必死故の結果とも言えるのでしょうが……」
ミカエルの言葉に、ハインハイルは頭を掻いて吐息をつき。アヴァインはその言葉から色々と考えさせられていた。
ルナ様の命を奪ったあの傭兵たちも、今ミカエルが言った通り、『生きる為に必死故の結果』だったのだろうか? 仮にもしそうだったとしても、アヴァインにはそれを認めることが出来そうにない話だ。
人をこうまでも残酷にまで駆り立て行動させてしまう原動力がそうした個々の正当性なのだとすれば、一見して端的に正しいコトの様に思われがちな『正当性』というものの言葉に対し、何かしらの歯止めの様なものが実は必要なのかも知れない……。
いや、正当性という言葉の中に潜む危険性そのものの存在を改めて認識する必要が、先ずはあるのかも知れない。
アヴァインはふとその様なことを感じ、考えさせられていた。
なんとか難所だと言われていた山間部を通過し、次の宿場へと到着した。明日には、カナンサリファへと到着するだろう。
と、その宿場へアヴァイン達一行が入って間もなくのことだった。
「だ、旦那さま……みずは…水は、如何ですか? とても美味しい、カンタロスの水ですよ」
それは、まだ10歳前後くらいの少年の声だった。しかもその声は、どこかで聞いたことがある気がしたのだ。
誰だろう? と思い。アヴァインが馬車の中からカーテンの隙間から外を覗いて見ると。一人の痩せ細った少年がコップの中に入った水を差し出し、その様に声も擦れ切れ切れに行き交う人々へ向け追うようにして言っていた。
しかし多くの人は誰も相手にはせず、ただ通り過ぎて行くばかりである。その度にその少年は残念そうに顔を俯かせ、それからまた他の大人の人へ作り笑いを向け同じ様に擦れた声を掛け続けていた。
ずっとこの様にして毎日声を出し売り歩いているのだろう。
その姿は見るからに、今にも倒れるんじゃないか? という程に弱弱しいものであった。
「この辺りは水が大変不足していますからね。水を馬車で遠くから運び込み、ああやって子供たちを使い、それを商売としている者がいるのですよ」
「ほぉ……」
ミカエルの説明にハインハイルはなるほどと納得顔を見せていた。
「しかも水なんて安いですから、その殆どは雇い主が手にします。
恐らく……あの子らは、どうにか食い繋ぐのがやっとの生活なのでしょう……」
ミカエルは少年や少女たちへ気の毒そうな表情を向け、吐息をついている。ハインハイルも遅れてその子供達の姿を見つめ、ため息をつく。
気の毒だとは思うが、どうすることも出来なかった。
これが貧困に苦しむ、キルバレス北部の現状なのだ。この子供達全てを救うことなど現実的に不可能に近い。が、
「お前……」
アヴァインはそこで馬車を突如として降りていた。ハインハイルもミカエルもそれには流石に驚く。
少年は不思議そうな表情をして、その白銀の仮面の商人を見上げていた。
そして……。
「あ、旦那様。みずは…水は、如何ですか? とても美味しい、カンタロスの水ですよ」
アヴァインはその少年の前へゆっくりと近づいて行き、間もなく膝を崩してその少年の両肩を掴んで正面に見る。
「君……もしかして。あのコージー……かい?」
「…え? どうして……オイラの名を…??」
アヴァインはそこで白銀の仮面を外し、コージーを黙って優しく抱いた。
コージーは以前とはまるで違い、痩せ細くその着ている服さえもボロボロだった。
「アーザイン……? もしかして、あのアーザインのお兄さんかい??」
「ああ……ああ、そうだよ!」
何があったのかは知らない。だけどきっと、大変な目にあっていたのだろうというのは痛々しいほどに分かる。
コージーはそのコトを確かめると、間もなく安心感からなのか? アヴァインにしがみつきワーワーと泣き出していた。
◇◇◇
話を聞くと、先月、例の難所で襲われたのはコージーが乗っていた駅馬車だったそうだ。
今は宿屋でコージーに食べ物を与え、コージーが売り歩いていた水はこちらで全部引き取っていた。
「ソワンジの兄さんもマルホイの兄さんも、みんなその時にやられちゃってさぁ……。
あの日、オイラ一人だけ必死に岩場まで走って逃げ隠れて……そんな自分が、オイラとても情けなくって…」
食べ終わりようやく気持ち落ち着いたコージーは、これまでの経緯を教えてくれていた。
「正直言うとオイラ、もうこの世の中には絶望していたんだ。あの野党も自分もなんだか嫌になっちゃってさ……。
それなのに不思議だね? アーザインのお兄さん」
不思議……?
「何が不思議なんだい? コージー」
「だってさ。それでも『生きたい』『生きていたい』ってオイラ、そう思っているんだよ……もう嫌なのに、こうして生きてるのが辛いのに……人ってさぁ、なんだか不思議だよね? ハハ♪」
そこまで話すと、コージーはそれ以上食事し続ける手を自然と止めていた。表向きは笑顔を見せているが、余程辛い記憶が心深くにあるのだろう。
恐らくこれまでずっと、そうやって悩み苦しみながら過ごし生きて来たのではないだろうか……?
アヴァインがそう感じ、考えていると。間もなく、コージーは手にしていたフォークを置き席を立ち上がる。
「ありがとう。アーザインのお兄さん♪
オイラお兄さんのお陰で、何だかまた急に元気が出て来たよ!」
「……もう、いくのか?」
「うん! 早く帰らないと、今の旦那様からこっ酷く叱られちまうんだ」
「そっか……」
「それよりも今日は本当にありがとう! お陰で水も全部売れて、凄く助かっちゃったよっ♪
そっちのオジサン達もありがとうね♪」
隣のテーブルにはハインハイルとミカエル達が座っていて、同じく食事をしていたのだ。
コージーの言葉を受け、軽く手を上げ、それは作り笑いだろうが笑顔を向けている。
「前に借りてたお金もまだ返せてないけどさぁ……この借りもいつかきっと、ちゃんと返すから。心配はしないで、期待しててよ♪」
「ああ、期待しないで待ってる♪」
「だから、そこはさぁー! 一応でも、期待はしててって、ば!」
「ハハ♪」
それで元気よく手を大きく振り振り振って出て行こうとするコージーの後ろ姿を、軽く手を振り見送り、アヴァインはしばらくその場で両の手を眼前で組み、額をそれに当て迷っていた。
正直言って……情けなく思う。
その時、語ってくれていたコージーに優しい言葉のひとつもろくに掛けることの出来なかった自分自身が。更に、今尚どうしたら良いのかで悩んでいる自分自身に対しても、だ。
しかし……自分には、これからやらなければならないコトがある。それは下手をすると、コージーの命をも脅かすコトに繋がるかも知れない。
そのコトを考えると、とても……言い出すのに苦しいのだ。でも、
「ハマス……仮に、なんだけど。
私がもし、ある日、突如急に居なくなったとしても。あの子……コージーを守ってくれるかなぁ?」
「……」
アヴァインの傍で控えていたハマスは、ふいにそう言う言葉を受け聞いて暫らく真剣な眼差しで黙り考えていたが。間もなく、いつものように静かに口を開いた。
「わたくしは、アーザイン様の執事です。
貴方様がもし居なくなれば、わたくしのここでの役目も、それで終わります」
「そう……だよね?」
言われてみれば確かにそうだ。考えてみれば、今のは愚問というモノだった。
ハマスは《ハインハイル交易ギルド》から派遣された執事である。アヴァインが居なくなれば、新たな雇い主を求め、その新たな他の雇い主の元へ移るのが道理というものだ。
そんなハマスに対し、その後のコージーを託すなど、実に論外な話で笑えてしまう。
「ハハ。ごめん、ハマス。今の話は、忘れてくれよ……」
「ただ……」
ハマスがそこで突如改まった表情をして、更に言い繋げて来たのだ。
ハマスは、執事としては実によく出来た人物である。これまでの執事のハマスとしてはなかった言動と行動なので、アヴァインは正直これには驚いた。
「ただ……なんだい? ハマス」
「それが貴方様の願いであるのならば、わたくしの力が及ぶ限り、努力は致しましょう」
「……」
それは実に思ってもみない言葉であった。
「……ありがとう、ハマス」
アヴァインはハマスへ最高の笑顔を向け、そしてそこで勢いよく立ち上がる!
「頑張りな、アヴァイン♪」
「ホラ。早く追い掛けないと、見失なっちゃいますよ!」
と、それまで遠回りに二人の様子を眺め見ていたハインハイルやミカエルがそこで暖かな表情を見せていたことに気づく。更に隣に控えている執事のハマスも、そこで改めて黙って力強く頷いて見せている。
アヴァインはそれで勇気を貰い迷いなく追い掛け走り、コージーを呼び止めていた。
そして、驚き振り返るコージーの目の前へ黙って手を差し伸ばし……アヴァインは次に真剣な表情と眼差しで口を開いた。
「これから先、もしかすると君に、思いもしない困難が待ち受けているかもしれない。
でもね、コージー……。
君がもし、『それでも良い』『構わない』、と思うのであれば……この私の手を掴みなさい。
いいかい? コージー……選ぶのは、君自身なんだ!」
アヴァインは首都キルバレスへ行き、ディステランテを討つ覚悟を決めていた。そんなこの時期に、コージーを仲間として受け入れることが本当に最善な方法なのかは正直いってわからない。
だけど、だからといってこのままにして置くこともアヴァインには出来なかった。
そしてそこへ、あのハマスの意外な言葉だ……。いざとなれば、ハインハイルやミカエルだって居る。
そうさ……『なんとかなるさ♪』アヴァインの中でそんな楽天的な気持ちが今、生まれていた。
だけどそれもこれも、コージー自身の人生だ。どちらを選ぶかは、コージー自身に権利がある。
「……迷惑…じゃないの?」
「そんなことはないさ」
「きっと、足手まといなクセに食費ばかりムダに掛かる、役立たずだよ? オイラ」
「これから色々と、仕事は覚えて貰うから大丈夫だよ」
「何よりも生意気だし、字もろくに書けないんだよ?」
「ハハ♪ 言葉遣いはその内に直して貰うし。字なら、これから学べば良い!」
コージーは次第にらしくもなく自然と涙を流し始め、間もなくアヴァインの『その手をそっと掴み取り』抱きついてワーワーと泣き始めた。
その様子をハインハイルやミカエルと執事のハマスは微笑ましく遠目に眺めていたのである。
こうしてコージー・ロムは、アヴァインの……仮面の商人アーザインの従者として初めて歴史の表舞台に立つ事になるのであった。




