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屋敷を出ると、建物が大きく崩れ始めていた。屋敷を支えていた建材の多くが、あの燃え盛る炎の熱に耐え切れなかったのだろう。
「こんな……こんな筈じゃ、なかったんだ……私のせいじゃない…私の……」
指揮官らしい男は、その屋敷の燃え盛る光景を目蓋に映し見つめながら、そう漏らしていた。
アヴァインはその男を軽蔑めいた瞳で見つめ、そのまま横を通り過ぎ、屋敷の敷地内から出てゆく。
すると、そこには居ない筈の馬車が停車していて、間もなくその馬車の扉が勢いよく開いた。
「───アヴァイン!」
思いもしない事に、ケイリングがアヴァインに飛びつく様にしてしがみ付いて来たのだ。それから改めて、心配気にこちらを見上げていた。
「大丈夫?! 怪我とかはしていないの??」
全身が血で真っ赤に染まっており、ケイリングの服にもべっとりと血がついてしまっていた。今でも、ポタリポタリと垂落ちているくらいだったのだ。もしかすると、どこかを気づかない内に切られていたのかもしれなかったが。
「ああ、大丈夫だよ。それよりもどうして、まだここに……?」
「馬鹿ね! こんな状況を目の前にして、あなたを一人置いて行ける訳がないでしょう!!」
ケイリングの怒ったようにして言う言葉と、さも当然と言いた気な表情を見て。アヴァインは思わず苦笑し、それから頷き微笑む。
そう言えば、ケイリングはそういう人だったな、と。
「ありがとう、ケイ」
アヴァインは抱きかかえるシャリルと共に、ケイリングに導かれるようにして馬車の中へと乗る。
本当は、ケイリングをこの件に巻き込む訳にはいかなかったが。この屋敷の火ですでに回りには多くの人が集まり出していた。多数の衛兵もその中に捉えることが出来る。こうなるともう、少しでも早くこの場を離れることが何よりも先決だ。
馬車に乗り込むと直ぐに、アヴァインは騎手に命じた。
「今直ぐに、貴族用の邸宅へ! 早く、急いで出して!!」
「ハイ!」
それで馬車は走り出した。
走り出して間もなく、ケイリングはアヴァインが大事そうに抱きかかえるシャリルに気がついた。
「……アヴァイン。もしかして、その子……」
「ああ……シャリル様だよ。疲れたのかな? 今はよく眠っているみたいだ……」
「そう……ね…」
ケイリングはそこである事に気づいたらしく、戸惑いを見せ始めていた。
今ここで聞いていいのか、拙いのか思案している様子だった。でも、生来の性格というものはどうしようもない。気になるコトは、兎に角、聞かずには居られなかったらしい。
「アヴァイン……ル…ルナ……様は?」
それでも精一杯、彼女なりに抑え目な聞き方だった。
流石に、直ぐ近くにシャリル様が居る所で遠慮なく聞けるほど、ケイリングは思慮に欠ける娘ではないのだ。
アヴァインはそれに対し、目を瞑ると。口では何も答えず、軽く左右に頭を振って答えた。
それを見て、ケイリングは元気なく。「そう……」とだけ零す。
それからシャリルを涙目に見つめた。何か気の利いた言葉を掛けようと思ったのだろう。が、その言葉が見つからなかったらしく。ただただ俯いていた。
事実、ケイリングは、そんな自分が何だかとても情けなく感じていたのである……。
パレスハレス市内の中心地へ着く頃には、すでに辺りは暗く。コークスによる明かりが街中の街道を照らし出していた。相変わらず、所々に傭兵がうろついており、それに警戒する様に衛兵達もいつもより多く姿を捉えることが出来た。
それからパレスハレスの近くにある貴族用の邸宅へ差し掛かった時、そのパレスハレスから一人の男が馬車へ乗り込もうとしているのをアヴァインはその目で捉え、忽ちその目の色がそれまでとは違うものに変わり始めた。
「ケイ……すまない」
「え? なにが、すまないのよ??」
「この子を……シャリル様を、守ってあげて!」
そう言うと、シャリルをケイリングへ大事にそっと手渡し、それから馬車の扉を開けて飛び出した。
「───ちょっ!? 待ちなさいよ!!」
ケイリングは引き止めようと、そのアヴァインの腕を掴んだのだ。
「一体、なにをする気なの!?」
「……」
その腕以外、馬車の外へと出ていたアヴァインは改めて、ケイリングが居る馬車の中に顔をやり見つめ口を開いた。
「ケイ、よく聞いて。これは大事なコトだから」
「な……なにをよっ? 急に改まっちゃってさ!」
「ハハ。本当に大事なコトだから、良く聞いてね?」
それからアヴァインは呼吸を整えると、引き締めた声色で口を開く。
「《私、アヴァイン・ルクシードは本日を以って、メルキメデス家の警護の任を辞退する!》
いいね?」
「ちょっ……なんでよ? どうして、急に……」
「私はこれから、ルナ様の仇を討ちに行く。
だからね、それにメルキメデス家を巻き込む訳にはいかないんだ。この意味、君ならちゃんと分かってくれるよね?」
「……え?」
余りの言葉の内容に、ケイリングは一瞬、心の時が止まった。
その間にも、アヴァインは馬車を離れパレスハレスへと向かって走り出したのだ。
「や……ア……アヴァイ───ン!! や、いやだぁ───!」
「お母さん……」
ケイリングも慌ててそのアヴァインの後を追おうとしたが、その両手に抱えるシャリルの寝言「お母さん……」を聞いて、ふと現実に気づく。
『この子を……守ってあげて!』とアヴァインは自分に、確かそう言った。この子、シャリルを託して行ったのだ。今は何より、先ずアヴァインとの約束を守る為にも、シャリルを少しでも安全な場所へ連れていって守ってあげなくちゃならない。
「直ぐに邸宅へ向かって! 早く!!」
「ハ、ハイ!!」
邸宅へ着くと、ケイリングは直ぐに中へと入る。するとそこに、衛兵副隊長であるファー・リングスがメイドと楽し気に喋って居た。
「ああ、ケイ様……って、一体そのお姿はどうなさったのですか??!」
服が血で真っ赤に染まっていたので、ファーは驚いていたのだ。
「ファー! それよりも早く、アヴァインを助けてあげて!」
「アヴァインを?? なぜ?!」
「今、パレスハレスの方へ一人で向かっていったの!
仇を討つ、とか言って」
「……かたき? 誰の?」
「いいから早く、行って助けてやって……お願いだから!! お願い!」
「あ、ハイ! 分かりましたよ」
それでファーは、慌てて出て行った。
それを見送り、ケイリングは中央階段を上がり3階へと来た。すると奥の一室の前に、父であるオルブライト・メルキメデス直属の衛兵隊長とその部下の二人が立っていた。
ケイリングはその扉の前へと険しい表情で向かう。
「こ、これは……ケイリング様? そのお姿は、一体……」
「いいから、その扉を開けなさい!」
「あ、はい……」
衛兵隊長はそのケイリングの気迫に推され、素直に部屋の中へ通した。
部屋の中へと入ると、執事が一人とメイドが二人居た。ケイリングの姿を見て、3人共同じく驚いている。
「これはケイリング様……そのお姿は??」
もう聞き飽きた言葉にうんざり顔で、ケイリングはその更に奥にある部屋へそのまま向かおうとする。体力的にも、精神的にも、もう一杯一杯だったのだ。
「ちょっとお待ちください。只今、ホーリング様もこの奥の部屋に……」
ホーリング様、というと。スティアト・ホーリング貴族員のことだろう。だったら問題はない、筈だ。
ケイリングは構わずに息を切らしながら、その扉を勢いよく開けた。そして叫ぶようにして言った。
「お願い! お父さん。アヴァインを助けてッ!
お願いだから、アヴァインを……アヴァインを、助けてやって───!!」
それだけを告げたあと、私は……気を失っていたのか? その後の詳細な記憶というものがなかった。




