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《アクト=ファリアナ》での生活は、アヴァインにとって意外にも快適なものだった。相変わらず、旧臣からの変な視線は感じられるものの。警護といってもここは名目上、屋敷としながらも、その造りはまるで城そのもので、立地的にも高台にあり城塞化された造りとなっていた。わざわざこの中に住んで居て警護をする、という程のこともない様に思えるくらいだ。
そして、この屋敷内の庭園からでも眺められる、眼下に広がる湖や遠くに見える山々が心を癒してくれる。近くの街並みも、その自然の中に溶け込んでいるかの様で、一つの景色として目に映るほどであった。
偶に、その湖や州都アルデバルへ出掛ける時には、流石に緊張するのだろうが。話によれば、10日に一度あるかないか程度のことらしい。
ところが今日は、その10日に一度のことが起きる気配がある。
「湖へ……ですか?」
「ええ、折角だもの。こういう機会でもないと、この城から出してはもらえないし。アヴァインだって、良い気晴らしになっていいじゃないの♪」
「いやいや、気持ちはありがたいけど。警護しなきゃならないから、気晴らしにはならないかな? そんな気の抜けた仕事は出来ないしね。
頑張って警護はするから、ケイは安心して楽しんでたら良いよ」
「まあ……そうだけどさ。いざとなれば、ファーも居るんだし。アヴァインも私と一緒に、気楽にしてて良いんじゃない?」
「いやいやいや、そうはいかないよ!」
そんな他人任せにしようと考える上官なら、自分だったら願い下げだ。
そういうのって、後々、『ここぞ!』という大事な時に困ったことに繋がる。指揮に影響されるから、いざという時に困ることになるのだ。そういうダメな上官を何人も見て来ているから、自分だけはそういう無様な上官にだけはならない様にと、アヴァインなりに最低限のモラルとしてこれまで心に留め決めて来たことだった。
そんなアヴァインの思いとは別に、ケイリングはそこで不愉快そうな顔を見せてくる。
「アヴァインってさぁ~。いちいち堅苦しいコトばっか言うのナントカなんない?
心配しなくても、湖の上に行っちゃえば、あとは船の上なんだからさ。そんなに気に病むほどのことじゃないわよ」
「船の上……?」
「ええ、そうよ。なぁあ~んかね、魚釣りがしたいんだっていうのよ、お父様が。
まあ、いつもの気まぐれなんだし。そこは気にしないで気楽にしていなさいよ、アヴァインも」
「はぁ……」
船上なら、確かにそんなに気を使うほどでもなさそうだな?
アヴァインはそう思った。
しかし、だからって気を抜く訳にはやはりいかないだろう。そういう指揮官の油断ある気持ちは、部下にまで伝染してしまう、そうアヴァインは思っていたからだ。
城から湖までの道中、至る所に兵を配置し。警戒だけは怠らず、湖にある大きな船着場へとケイリングとオルブライト様を警護した。
船着場には、全長40メートル、幅8メートル程の三層構造の船がオルブライトの到着を待っていた。単に釣りを行うにしては豪華だと十分に言えるだろう。
それへ衛兵20名と共に、アヴァインも乗り込んだ。
湖は風もないと静かなもので、ほとんど揺れることもない。この船の上ならば、船酔いの心配もなさそうだ。ただ、風もないとなると人力で漕がなければならない。話によると、最下層では、16名もの人がその為だけに居るそうだ。
オルブライト侯は、「いつもの辺りへ──」と言い。船は湖の一角へと進み、そこに到着すると間もなく釣り竿を振り、糸をその湖の中へと静かに垂らしていた。その隣では、ケイリングがその様子をぼんやりと眺めている。だけど、一向に釣れそうにないので。ほぅと吐息をつき、つまらないのでアヴァインの元へと立ち上がり行こうとする。ついでに、この湖のこととか色々と話そうと思ったからだ。
が、オルブライトはそんな上機嫌の娘の手を急に掴み止め、言った。
「ケイリング。お前はあの男のことを、好いているのか?」
「え?! そ、そんなコト全然、ある訳ないわよッ! あまり変な冗談は言わないでよ、お父様!!」
「そうかぁ? しかし、まあなんだなぁー……」
オルブライトはなんとも気になる言い方をわざとする。ケイリングはそこが気になって「〝しかし〟、なんですかあ?!」と不愉快気に聞いた。
「いや、ハハ。お前は相変わらず、分かり易い性格をしているなぁ~、と思ってな」
「あのぅ~……それは一体、どういう……?」
オルブライトは釣り糸の先を見つめながら、何事もない様にこう返す。
「先ほどから、お前の顔には書いてあるぞ『好きです』ってな♪」
「──えッ!? うそっ!! どこにぃーッ??!」
「──ぶうーっ!!」
娘の慌てる姿を見て、オルブライトは思わず、吹き出し笑ってしまったのだ。
「ハッハッハ! いやしかし、お前くらい分かり易いのが恋の相手だと、アヴァイン殿も楽でよいな」
「それはどういう意味でしょうか? お父様!
私はあんな男、なんとも思ってませんからねっ! ──フン!!」
なんとも不愉快そうである。
そんな娘ケイリングを、クックッと笑いながら見つめ言う。
「だってお前の気持ちなど。試すまでもなく、アヴァイン殿は既にお分かりだろうからな」
それを聞いて、ケイリングは顔を真っ赤に染めた。が、間もなく表情を曇らせ、深いため息をついて言う。
「……そう、だと。まだ良いんだけど……はぁ~…」
「ん? どういうことだ?」
「あの人。『超』が付くほどの〝鈍感〟なのよ。そういうコトについては……物凄く、バカなの…間抜けなの。もぅどうしようもなく、トンマなの……」
「……ほぅ」
有能で勘も良いと思っていたが。という事は未だに、こんなにも分かり易いケイリングの気持ちに、アヴァイン殿は気づいていない、という事なのか。
オルブライトはその事を知り、アヴァインの方を見る。
当のアヴァインの方は、湖の方を見つめ、ほぅ……としていた。
『有能ならば、それもヨシ』と思って黙っていたが。もし、無能なのだとすれば、だ。ケイリングから引き離して置いたがいいな。間違いが起こる前に……。
「まあ……そういうコト以外では、頼りになる人らしいんだけどねぇ~」
オルブライトがそう思うや否や、ケイリングがそう言ったのだ。
「……そう、なのか?」
「ええ。だってあのカルロス技師長でさえも、アヴァインにはよく色々と頼っていたそうなのよ。
なんかそれだけを聞くと、凄い人みたいでしょう? あの人。わたしもそれを聞いて、最初はびっくりしたわ。
まあ、他人から聞いた話だから、あまり当てには出来ないけどね」
「カルロス技師長か……」
あの日、最高評議会議事堂で取り押さえられたあの時。オルブライトもその会場内に居て、その様子を見ていた。
捕らえた罪状は明らかで、本人も認めていただけに致し方ないものではあったが。カルロス技師長のあの、真っ直ぐな瞳や全身から伝わり感じられた気迫からは、何かを正そうとする姿勢が伝わってきた。そこに居たオルブライトの心を、多少なりと動かさせるものがあったのだ。
だが、間もなくあの様なこととなり、その後それについては具体的に口外されることもなく、分からないままキルバレスを離れていたのである。
そのカルロス技師長の……そうか、彼はその警護隊長をやっていたのだったな。と、オルブライトは改めてその事を思い起こしていた。




