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「え? あのアヴァインと……結婚?」
ケイリング・メルキメデスは、この国の最高評議会議事堂パレスハレスをほぼ真正面に見据える貴族員用に設けられた邸宅の三階窓辺にて、闇夜の中コークスの仄かな明かりに照らし出される美しいパレスハレスの景観を遠目に眺めながら、同じく窓際の向かいに座る古くからの友人リリア・ホーリングからその話を聞かされていたのだ。
この時のケイリングは、思わず飲みかけていた手がそこでピタリと止まり、目も点に微笑みを浮かべる友人リリアを驚いた表情で見つめてしまう。そして同時に動揺し、ついつい目が泳いでいた。
ちょっとだけチクリと心に感じるモノがあり、今のリリアを正面に見据えることができなかったからだ。
対するリリアの方は、それに気付いた様子もなく肩を竦め微笑み見せ言う。
「ええ。私のお父様から、その方とそうする様にと言われたの。
段取りとしては、その方から踊りの誘いがあり。それを私が受けて、《成立》」
「『言われて』って……リリア。あなたの気持ちの方はどうなのよ?」
「気持ち、と言われても……まだ一度も会ったことのない人なのよ、ケイ。だけど父様が持って来た写実画を見る限り、とても誠実そうな人だったわ。だから安心して♪」
リリアは、ケイリングのことを『ケイ』といつも呼ぶ。親しい友人には、特にそう呼んで貰うようにしていた。
今ケイリングの正面に座るリリアは、それなりに満足そうな表情を浮かべている。どうやらリリアは忘れてしまったようだけど、リリアも一度だけアヴァインと会ったことがある。だけどあの時は遠くからその姿を見つめただけだったから、リリアの認識としてはそれで正しいのかもしれない。
そんなリリアの表情を遠目にみつめ、ケイリングは胸元で両腕を組み、吐息をつきながら言う。
「あのさ、リリア。言っとくけど、見かけによらずアヴァインは最低な奴よ!
一言でいえば、あれは変態の域ね!」
「え? それは一体どういう……まさかケイは、彼と会ったことがあるの?」
「うん、会ったわ! それも今日! しかもたったの数時間前にね!! それももう呆れるほど、サイテーな出逢い方だったわ!」
そう、それは単に会ったなんてモンじゃなかった。冷静に考えたらあれは悲惨を極める再会の仕方で、思い返すだけでも頬が真っ赤に染まるほどだったもの!
「え? 今日?? しかも数時間前って、もの凄い偶然よね?」
「ええ、それが物凄く呆れた偶然ってヤツでさぁ~。しかも会うなりアイツね、初対面の私の〝この〟胸をよ。予告も無くイキナリ触って来て。しかもまるで感触を確かめるかの様に、しっかりと掴んで来てさぁ~。
更によ、この私の顔をニヤケ顔で見つめながら〝こうこう~~こーーう!〟何度も何度もこんな感じで揉み上げてきたんだからね、最低な奴でしょうっ!」
「――えええー?」
事の次第を知らないリリアとしては、本当に自分の胸あたりをその時の様子を《生ライブ》とばかりに揉んで見せながらそう言ってくるので、それはあまりにも衝撃的な告白であったらしい。
だけどこの場にもしアヴァイン当人が居たら、さぞや口論となり揉めるだろう、と思われる。
実をいうとほんの少しだけ、大げさにしてみせていたから。一部、不正確な部分もある。
「もうまた、そんな冗談ばかり言っちゃって♪ そんな変態が、あの厳重警護なパレスハレス内に居る筈ないでしょう?」
「それがビックリすることに居たのよ! しかも警備隊長だし、流石のわたしも呆れたし! 冗談とかじゃなくってさ、ホントなのよ!!
本当にアイツ変態なんだから、気をつけて!! ホントにホントよ、信じて!」
「はいはい♪ 心配しなくてもアナタのことはいつだって信用しているんだから安心してよ、ケイ」
「――!? ぅ、うん……」
そう言われ、ほんの少しだけ気負いの様なモノを心の中に感じてしまう。
流石に今の、言い過ぎだったし。やり過ぎたかもしれない……そう思って。
そう思い反省するケイリングをリリアは微笑みながら見つめていたが、急に何かを思い出した様子を見せ。それから次に困り顔に変え口を開いてくる。
「だけどどのみち、今さら断れないかなぁ? お父様がもう既に、進めちゃってるみたいなの。今となっては相手に失礼だし、仕方がないから一度だけ、会うだけ会ってみることにするね♪」
「――え!? そう……そういうことなら仕方がないよね?」
そう言われると、もう何も言い返せそうにない。
それに、リリアがこうした切り返し方を取って来た場合には、もう何を言ったとしてもこれまでの経験から考えて無駄だろうなと思う。きっともう何も聞き入れては貰えないだろう。
例え相手がどんな変態だろうと。
それがこのリリアの処世術というモノなのだから。この厄介で難解な政治の渦巻く世間で生き抜くための……。
そもそもこの縁談にしろ、きっとリリア本人が望んでのことではないと思う。リリアは昔からいつだって父親の言うことに何でも黙って従い、それを守り続け歩み生きている様な娘だった。私がリリアに対していつも不満に思うのは、その一点だったけれど。しかしそのことで私は逆に、リリアにはない独立心のようなものが備わっていた。
まあ……それでよく、父であるオルブライト・メルキメデスを困らせてはいたけれど。私はこの自分の性格を曲げたくはない、と度々そう思っている。
例えば今日の様なリリアの反応などを見た時などを考え、感じる度に。
「……わかったわ。リリア、お幸せにね!」
「ありがとう、ケイ♪」
ケイリングは自分の気持ちを押し込め、友人の幸せを願うことに今決めた。
結局のところ、あの人は《運命の人ではなかった》とそう思って。
その友人の優しげな微笑に、嬉しい気持ちもしたけれど。同時になぜだか少し……寂しいような、それでいて喪失感めいわものを心のどこかで感じ。闇夜に照らし出されるパレスハレスを、遠く虚ろいだ眼差しで切なく見つめる。
今頃あの人はどうしているのだろうか……と、そう思いながら。
◇ ◇ ◇
丁度その頃、その〝あの人〟は、まるでそんなケイリングを裏切るかのように、逆方向にあるルナの屋敷を訪れていた。
「そうですか……それはおめでとう、アヴァイン♪」
アヴァインは、リリア・ホーリングとの縁談の話をルナに伝えに来たのだ。
その話を聞いて、それまでアヴァインの隣にくっついて嬉しそうに聞いていたシャリルは、段々とその話の内容を理解し始め。次第に怒ったようにして立ち上がると、走ってこの一室から飛び出してゆく。
「──ちょっと、シャリル! お待ちなさい!!」
それを連れ戻そうと立ち上がり行こうとするルナの手を、アヴァインは咄嗟に掴み、引き止めた。
「いいんですよ。多分、こうなるんじゃないかとは思っていましたからね……ハハ」
「……そう、ですか」
ルナはそれでソファーに座り直し、吐息をつく。
「それに、ここでのこうしたことが色々と噂にもなっているらしく。私もこれまでの様に頻繁にはここへ来ることが出来なくなるかと思います。
これ以上、ルナ様のお立場を悪くする訳にも参りませんからね……」
「――?!」
そのアヴァインの言葉を聞くなり、ルナの表情は凍った。それから作り笑いを見せ、再び口を開く。
「そんなこと……気になさらなくてもいいのに。アヴァインにこれまで通り来て頂けるだけで、きっとシャリルはまた機嫌を直し喜ぶ筈ですから」
「そうは参りません。カルロス技師長の話は、既にお聞きでしょうか?」
「……ええ。詳しい事情までは知りませんが、拘束された、と聞いております」
「実は私も、その詳しい理由というのを未だに知りません。ですが、今の侵攻地であるパーラースワートロームへ寝返ったグレイン技師との関わりで……との噂くらいなら耳にしています。
そうなると実は少々……私にも身に覚えがあるもので」
「そんな……」
ルナの表情が再び曇る。
「ですから。これ以上、ご迷惑をお掛けする前にと思いまして、急でしたが今晩、伺った次第です」
「そう……でしたか」
ルナはそこで吐息をつき立ち上がると、窓際へと向かう。そしてそこからパレスハレスの方角を遠くに見つめていた。パレスハレスがあると思われる場所の夜空が、仄かに明るい。それを見つめる表情は、どこか寂しげであった。
晴れやかな政治の舞台の裏で行われている、陰湿なる謀略……ルナも、そういうものがあるのだという事くらいは見知っていた。アヴァインはそれらの事から、自分たち親子を守ろうとしているのだ。ルナはその事に気づいていた。
しかし、ルナにはルナの思いというものがある。
「早く……全ての誤解が解けることを、祈っております。それからアヴァイン」
「はい」
「何か困ったことがあれば、いつでも遠慮なく、直ぐに来てくださいね? 私に出来ることであれば、なんでも協力致しますから」
「………」
アヴァインとしては、その好意はとてもありがたく嬉しかったが。でもそれを今は、受ける訳にはいかなかった。
しかし、そんなルナの好意に対してアヴァインはこう返した。
「はい。その時は直ぐにでも、一番にお願いしに来ますよ♪」
ルナはそんなアヴァインの真っ直ぐな返事を聞いて、安心をし、微笑んでいた。
しかし、アヴァインにとってこの言葉は、どんなことがあっても『この人を守る!』という強い意志から出た、迷いのない言霊だったのである。
だから、災いを取り除くための行動なら有り得るが。自分から無用に近づくようなことだけはしない、と心に決めていた。
少なくとも、今のこの現状が改善・解決されるまでは、だ。




