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丁度そのアイツは、カルロスの息子ルーベン・アナズウェルの家を訪ねていた。
初めは、見慣れぬ仮面の男に警戒していたルーベンだったが、その仮面を外した向こう側に見える深い傷と、どこか人懐っこく優しげな懐かしいその面を見て、小さく微笑み迎え入れた。
「珈琲でよろしいかね?」
「はい」
客間へと招かれたアヴァインは、白い仮面をテーブルの上に置き、徐に椅子に座りながらそう答えていた。それから高級そうな室内の調度品を一つひとつ見渡し、つくづくルーベンの財力の凄さを痛感する。
首都に、これだけの邸宅を持てるだけでも大したものなのだ。自分とは、比較にもならない。
「戴冠式のことは、もう耳にしておられますかな?」
珈琲を淹れながらルーベンはそう聞き、アヴァインの前に珈琲の入ったカップをそっと置いた。それをアヴァインは一口だけ頂き、「はい」と少し険しい表情で答える。
懐かしい味だ。
ルーベンはそれを確認したように頷き、自身の前にも珈琲の入ったカップを徐に置いて椅子に座り、その温かなカップに両手をそっと添えながら口を開いてくる。
「そう、ですか……。
以前、あの男を追い詰めるなどと大層なことを言っておきながら、未だあれを裁く機会に恵まれずここに至ってしまい、申し訳なく思うております」
「いえ……そう簡単なことでないことは理解していますから」
初代皇帝としてディステランテが選任されている現状を考えれば、共和制キルバレス内での彼の権力の大きさは否応にも理解できた。ルーベンをそのことで責めることなど出来はしない。自分など、これまで逃げ回ってばかり居たのと変わりはしないのだから。
「それで……今のこの時期にここへ現れたのには、何か意味がお有なのでしょう? 違いますかな」
「お察しの通りです。何とか、戴冠式だけは阻止したい。少なくとも……中止に追い込むことが出来たら……そう考えています」
「それはつまり、力で訴える……と?」
「ルーベンさんがそういうのを不承知なのは理解しています。ですが、あの男が皇帝になるのだけは、どうしても黙認できなくて……」
「……ふむ。しかし、それはどのようにして行うのですか? 今では近づく事さえも、正直申しまして難しい。警護が厳重なのです」
「近づけないのなら……遠くから狙えば良い、そう考えています」
アヴァインからのその返答を聞き、ルーベンは小さく吐息を吐く。
「……弓矢ですか。しかし届いたとしても、百メートル以内でなければ的に当てることすら難しいのではありませんかな?
戴冠式はパレスハレス三階のテラス。当然、その周囲は衛兵が取り囲み護り、道路のこちら側からしかその様子を窺い見ること叶いませぬ。果たして、届きますか?」
「ええ……普通の弓矢では難しいでしょう。なので、これを使うつもりです」
アヴァインはそう言って、傍らに置いていた細長い袋を手に持ち、その中身を出してルーベンに見せた。
「それは……なんですかな?」
「聖霊兵器と呼ばれるものです」
「ほお、聖霊兵器……聞いたことがあります。これが……」
ルーベンはアヴァインからそれを受け取り、その全体を見渡し、目を細めた。
「これが、無敵のフォスター軍をも苦しめたと言われる聖霊兵器ですか……。我が父カルロスの親友グレイン・バルチスも、この兵器の製作に携わっていたと聞いております。
それで……これの射程距離は如何程なのですか?」
「飛距離としては、五百ですが。有効射程距離は、二百メートルがやっとでした」
飛距離とは、殺傷能力があると思われる範囲。有効射程距離とは、命中精度が維持出来る限界範囲のことである。なので、ディステランテを確実に狙い撃つには、二百メートルより手前に位置しなければならないことになる。
「二百メートルもあるのなら、何とかなるかもしれませんな。
ですが……これで決行は可能だとしても、その身は危険ではありませんかな」
「危険なのは承知です」
「ほお……それでもやると?」
「はい」
「ふむ。それで……成功したとして、その後はどうなされる? そのまま投降されるのか?」
「逃げます」
「逃げる?」
「ええ、逃げますよ。自分は、ルナ様の仇を撃つだけでなく。カルロス技師長の復権をも成し遂げさせるつもりなので、ここで捕まる訳にはいかないんです」
それを聞き、ルーベンは安心した表情を見せた。
「ハハ! なるほど、解りました。私も出来る限りの協力は致しましょう」
「助かります」
アヴァインとルーベンは、そこで握手を交わした。
そしてアヴァインは急に何かを思い出し、咳払いを態とらしくひとつして言った。
「あと、助けられついでで申し訳ないのですが……」
「なんですかな?」
「《ハインハイル交易ギルド》に入りませんか?」
◇ ◇ ◇