7
病棟の消灯時間は早い。夜の九時になると部屋の照明が全部消える。今はまだ一時間前の八時だったから、話をしている最中、部屋が真っ暗になる心配をしなくてよかった。
ミズキの部屋はすでに電気が消えて暗かった。病室の窓はカーテンが開けてあって明るい月の光が差し込んでいたので、話をする分には困らない程度の闇だ。
わたしは、そっとベッドに近づいた。
すると、静かな声がした。
「アカリ、ありがとう。来てくれて」
暗闇の中でベッドから身を起こして、ミズキは待っていた。わたしが来るのが、ちゃんと事前にわかっていたみたいだ。いつも学校で会うのと同じようにニコニコしている。
だから、わたしも、いつもと同じように声をかけることができた。
「どうなの、ミズキ。具合は?」
「うん、大丈夫。ただのスリ傷だから。一応脳の検査のために入院しただけなの。何も問題がなかったら、すぐに退院できるよ」
そう言いながら、力なくミズキは笑った。
闇の中にポッカリと白く浮かんでいる姿がはかなくて、今すぐにでも消え入りそうだ。
わたしは、うつむいた。
「そっか、よかった。なんか、あの。頭ん中グダグダで、さっき親から聞いたばかりでビックリして。よかった、本当に……」
脳内に散った言葉をかき集め、なんとか会話を交わすことはできたけれど、そのあと何を話したらいいのかわからなくなり、筋道を失ってしまった。居心地が悪くなって、ベッドの脇にあった椅子に腰をおろす。
ミズキが「ふふっ」と笑った。
「大げさなのよね、いちいち」
ミズキが茶目っ気たっぷりに顔をしかめる。
「アカリも知ってるよね、ウチの親が大げさなのを。困っちゃうよね、子供の方は」
肩をすくめながら、大きな二つの黒い瞳がわたしを見つめた。
その瞳の中に何もかもを見通すような光を見たような気がして――。
思わず、わたしはミズキの両手を取って握った。
「アカリ……?」
「ゴメンなさい。ミズキ、ゴメンなさい! わたしがちゃんと最後まで一緒にいたら。家までミズキを送っていたら、こんなことにはならなかったのに……」
ミズキは慌てた様子で、わたしの手を握り返した。
「ちょっと待って。何言ってるのよ。事故に遭ったのは、わたしがうっかりしていたからだよ。自転車に気づかなかったわたしが悪いんだから、アカリが気にすることじゃないって。それにね、考えたいことがいっぱいあって、ちょうどいい機会だったんだ。暇な時間ができて、かえって良かったかもしれない」
「え、ちょうどいい機会?」
「あのね、わたし。学校をやめるの。お父さんの仕事の都合でアメリカに行くことになったのよ。だから退院したあと学校には戻らずに、このまま消えようと思ってる」
「なんなのそれ……消えるって……ウソ、ウソだよね」
これ以上ないっていうぐらい、鼓膜がガンガン鳴り出した。胸が痛くて、上手く息ができない。口だけが勝手に動き、わたしのものとは違う別の生き物のように感じた。
「お願い、ウソだよね。ウソなんだよね」
だけど、ミズキはゆっくりと首を横に振って、わたしの願いを否定したのだ。とたんに、胃のあたりがギューッとなる。
「だって、だって……」
熱い涙がシーツの上にぼろぼろと落ちた。
「ヒカルは。ヒカルは、どうするの? あんなにミズキを好きなのに。一緒にいたいって勉強を頑張っているのに」
「うん、知ってる。でもね、親の都合とはいえ、向こうに行くことだけは自分で決めたことだから。もちろん、ちゃんと話すよ、ヒカルには……」
ミズキの声が震えた。
「わたしの方こそゴメンね、アカリ。アカリがヒカルを好きなの気づいていたくせに、ヒカルと付き合っていたことを黙っていて。もうすぐお別れだから、わたしどうしても気持ちを伝えたかったの。アメリカに行く前に告白したかったの。でも、でもね、付き合うことになって。アカリを傷つけたくなかったから、アカリが大好きだから、言い出せなかった。ゴメンね、ゴメンね」
「ミズキ、ミズキ……!」
暗い部屋で二人、わたしたちは一緒に泣いた。手を取り合って、お互いの肩に頭を乗せ合って。
――神様、これは罰ですか。わたしがウソをついた……。
小学校で同じクラスになってから、ずっと一緒だったミズキ。何をするのも二人で。こんなふうに別れの時が来るなんて思わずにいた。ずっと、ずっと二人でいられると思っていた。たとえ同じ人を好きになっても。
それなのに。
「やだよ、やだよ。ヒカルがいてもミズキがいなかったら……。わたし、わたし、ヒカルなんか好きじゃないよ。本当は好きじゃないんだよ。ミズキとヒカルが付き合ってもかまわない。だから、引っ越すなんて言わないで!」
どうして、どちらか一つじゃないといけないんだろう。わたしには二人のどちらかなんて選べない。
でも、どうしても選ばなければならないんだとしたら。
強く強く、胸の奥に何か得体のしれないものが生まれるのを感じる。
『好き。本当は、わたしもヒカルが好き。だけど、どっちかなんて選べない。ミズキが大切だから、絶対に本当のこと言わないよ』
表には出さず、ずっとずっと胸の奥深くに沈める、この思い。一欠けらずつ氷の欠片で覆いつくし、二度と思いださなくてすむよう自ら凍ってしまえ。誓いの言葉ごと全部、まるごと飲み込んで。
そうしたら、きっと。これからのわたし、生きていけそうな気がする。ミズキとヒカルの二人が、そばにいなくても。わたしの罪さえ思いださなければ――。
とつぜん暗闇の色が濃くなった。
ミズキの姿が消えていく。
手がするりと解け、感覚さえなくなり――。
わたしは無になった。