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ヒカルと別れて部室に戻る途中、スピーカーから音楽が流れ出した。曲名は『遠き山に日が落ちて』。校舎に残っている全生徒に下校を促す最終伝達だ。自然と足早になる。
部室に戻ると、ほとんどの子たちは帰ったあとで。ミズキだけが一人、カバンを用意して待っていた。待っている間、心細かったのだろう。わたしの顔を見ると、ミズキはホッとした表情になった。
「アカリ、だいじょうぶだった? ちゃんと手当できた?」
「うん、できたよ。ほら、血も止まっているし」
「ああ、よかった~」
ミズキは心の底から、そう思っているようだった。満面の笑みになる。とても柔らかな笑顔だ。
胸がきゅっと締め付けられた。
可愛いミズキ。なんだか前よりキレイになったみたい。キラキラと目が輝いていて、長い髪もいっそう艶やかだ。
理由はわかっている。恋をしているからだ。それも、いい恋を。わたしとは違う。
右半身が冷たい。教室の窓のどこからか、隙間風が入ってきているようで。外は日が暮れかかっていて、校庭の半分は真っ暗だった。
早く帰らなければ。気ばかり焦る。
「ね、そろそろ帰ろうか。最後になっちゃったね。わたしのせいでゴメンね、ミズキ」
カバンを持って一緒に帰ろうと促したけど、彼女の返事はわかっていた。わたしは、自分の予想通りの言葉が返ってくるのを待った。
「あ、あのね、アカリ。実は、わたし用事があるんだ。ここで待ってないといけないんだけど……」
ミズキは、おずおずと遠慮がちに言った。それを聞いて、わたしはビックリしたように大きな声を出した。
「え~、誰を~?」
心中を悟られないように、できるだけ自然に驚く。
だけど、返事はなかなか帰ってこなかった。どんどん過ぎ去ってゆく一秒、一秒がもどかしい。
あんまり時間がたってしまうと、これから起こす行動に効果が見込めない。
仕方なく、わたしは自分の口を動かした。
「ヒカル……でしょ? ヒカルと帰る約束をしているんだよね?」
ピンと指で弾かれたように、ミズキは顔をあげた。
「どっ、どうして? アカリ、知ってたの……?」
「知ってたの、ってー。あれだけ噂になっていたら、知らないワケないよ。夏休みから、つきあっているんでしょう?」
明るく、さりげなさを装って、茶化すように答える。すると、返事の代わりにミズキは、耳まで真っ赤になった。コクンと深くうなずく。ズキン、と、わたしの胸が痛んだ。
「じつは、さっき廊下でヒカルに会ったの。ここに来る途中だったんだけど、また職員室に行っちゃったんだよ。二回も呼び出されるなんて何やってんだろうね、あいつ」
ミズキは、たちまち顔を曇らせた。
「ええっ、どうしたんだろう。先生にしぼられてるのかなあ」
チャンスだ。わたしは、さっき思いついたばかりの単純な計画を実行に移した。
「だいじょうぶだと思うよ。いつものことだから。それより、先に帰っててくれって言ってたよ。あとから走って追いつくからって。どうする、ミズキ?」
「なあんだ、そうなんだ……」
がっかりしたようにミズキは、ため息交じりの言葉を吐いた。
恋する女の子って、ハタ目に見ていても可笑しい。
彼の一投一足にふりまわされて、喜んだり、がっかりしたり。平気で友情より恋の方を選択させてしまう。
ねえ、ミズキ。そうでしょう? わたしがキズつくところなんか想像しなかったんだよね?
わたし、それが一番悲しい。ミズキのことは、わたしが一番よくわかっているつもりだったのに。
どうして、こんなにひどいことができるの?
背中に降り注ぐように冷気を感じた。思わず、ブルッと身震いをする。
わたしはもう一度、促した。
「もう暗くなるから先に帰ろうよ。ね、ミズキ?」
ミズキも窓の外へ視線を向けた。やっと諦めたらしい。
「うん、そうだね。久々に一緒に帰ろうか。ゆっくり歩いていたら、そのうちヒカルも追いつくよね」
すがるような目でわたしを見る。
「ヒカルだったら、ほっといてもだいじょうぶだよ」
頷き返すと、わたしたちは連れ立って部室をあとにした。
そうだよ、たいして大きなウソをついていない。
ほんのちょっとしたミスだと言えばいい。あとになってヒカルから責められたとしても、聞き違いだったと笑って言えば事は済む。
たとえ、そのせいでミズキとヒカルの間に波風が立ったとしても、それはちょっとした恋のスパイスだ。
二人の絆が本物ならば、乗り越えていけるだろう。
きっと神様だって許してくれるにちがいない。