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 上の方の空は、地上よりずっと強く風が吹いているのだろう。

 ひとかたまりの白い雲が、引きちぎられるように小さくバラバラになったあと、早いスピードで流れていくのが見えた。

 太陽がまぶしい。夏木立がつくる陰にかくれていても、チリチリと肌を焼かれているようで。目がくらみそうだ。

「はあ、今日も暑いなあ……」

 足元からムワッと立ち昇るアスファルトの熱。家を出る前に振りかけたバラの香水が、いつもよりキツく匂う。

 何かあったのだろうか。

 空を見上げるのをやめて、額に流れる汗をハンカチでおさえた。携帯の時計を見る。約束の時間を四十分も過ぎていた。

 ――あーあ。 

 ひょっとして、向こうは電源が入っていないのかな。わたしの携帯は沈黙を保ったまま。この場所に立ったときから数分おきにメールを送っているというのに、ウンともスンとも言わない。

 ――ヒカルのバカ! わたしが熱中症で倒れて死んじゃったら、どうするつもりなのよっ? 夢枕に立って呪ってやるんだからっ。

 恨みを込めて勢いよくパチンと携帯を折りたたむと、しかたなくバッグの中へ戻した。


《海を見に行こうか。海がよく見えて、おいしいと評判のレストランを見つけたんだ。もちろん誘ったんだから、オレがゴチするよ》

 筆不精なヒカルにしては珍しく、彼の方からメールが来たのは三日前の木曜日のこと。半年もつきあっていた人とサヨナラをして、ちょうどヘコんでいるときだった。

 ヒカルからのお誘いは、とても嬉しくて。どうしようもない暗い気持ちが和らぎ、人生五回目の失恋の痛手から立ち直るきっかけをくれたほどだ。

《わたし彼にフラれて別れたところなの。ムチャクチャめいっぱい、ヤケ食いするかもしれないよ。それでもいい?》

 グズグズと、涙と一緒にでた鼻水をすすりながらメールを送ったら、一、二分とたたないうちに返事が届いた。

《ヤケ食い上等》


「お客様、よろしければ、どうぞ店内へ。外は暑いですから」

 突然のウィスキー・ボイス。

 呼びかけられて振り向くと、清潔そうな襟付きの白いシャツに黒のパンツ、オシャレな黒のエプロンに身を包んだ男性が立っていた。このレストランの店員なのだろう。スラリと背が高くて、涼やかな眼差しの人だ。

 ――うわ、すごいイケメン。

 濡れ羽色の髪というのは、この人のような髪をあらわしているのだと思う。つややかに輝く天使の輪が、彼の頭のてっぺんに載っている。角度のせいかな。それとも、気のせい? なぜだか3Dっぽく見える。

 久々に素敵な人を目の当たりにしたせいで、舞い上がってしまったのだと思う。意識がボーっとして、クラクラしてきちゃった。

「あの、お客様? 大丈夫でございますか」

 気づくと、男性がわたしの顔を覗き込むようにして見ていた。煙るように長い、まつ毛の下の瞳。困惑の色が浮かんでいる。

 神様ったらズルい。どアップで見ても、美しい人は美しいんだもの。

 ――ひ~ん、お願いです! あんまり見つめないで……。

 だんだん息が苦しくなって、鼓動が早くなってきた。

「お客様?」

 再び男性が問いかけてくる。ハッとなって、わたしは答えた。

「あ、スミマセン! こんなところにいたら、お店のジャマになりますよね。今すぐ出て行きますからっ。ご、ご迷惑をおかけしました」

 先に着いたら店内で待っているようにと言われていたけれど、なんとなく入りづらい。初めての場所に一人で入るのは、勇気がいるから苦手だ。

 レストランの店員らしきこの男性は、エントランスで何十分もウロウロしているわたしのことが気になって、わざわざ様子を見に来たのだろう。

 知らない人に迷惑をかけてしまった。そろそろ限界。待ち合わせ場所を変えた方がいいのかもしれない。ヒカルには居場所をメールで知らせれば、ことは済むんだし。

「本当にスミマセンでした!」

「お待ちくださいませ、お客様っ」

 あわてて頭を下げて立ち去ろうとしたら、わたしを呼び止めようとする男性の声が。

 ――ごめんなさい!

 聞こえないフリをして、靴の(かかと)をカツカツと鳴らし歩き出す。エントランスを下りて、門まで続く石畳の道に出たときだった。

「おい、待てよ。待てって言ってんのが、聞こえないのか?」

 どこからか、声がしたのだ。

「へ?」

 思わず立ち止まる。

 ――どこっ、どこから? 

 キョロキョロと周囲を見回してみたけれど、わたしと店員の男性の他に誰もいない。石畳の左右に広がる洋風ガーデンにも人っ子一人いなくて。

 でも、確かに、この耳でハッキリと声を聞いた。しかも、まだ幼い少年のような声だった。幻聴じゃない。

 同意を求めて、店員の男性の顔をチラリと見た。やっぱり彼の耳にも届いていたみたい。ひどく動揺しているらしく、真っ青な顔をしていた。どこか遠くを見るように目を細め、わたしの上の空っぽの空間を熱心に見つめている。

「まさか……」とつぶやいたと思ったら、次の瞬間、彼の血相が変わった。

「ご主人様、いっ、いけません!」

「ご、ごしゅじんさま~?」

 男性の言葉と視線に気がそれた一瞬の間に、背中に何か熱いものが降り注いだような気がした。

 ――えっ。

 急いで振り向く。

「うわ……」

 信じられないことに、眩しい金色がかった光とともに少年があらわれたのだ。わたしの目の前の何もない空間に、パッとテレポーテーションしたみたいに。

 金縛りにあったかのように動けなくなってしまったわたしは、眩い光に顔をしかめながらも視線を外すことができなかった。


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