第十五話 先回り生成
> **【最適化ログ 015】**
> 原文を公開せずとも、文体は抽出出来る。
> 本人が書かなくとも、本人らしい説明は生成出来る。
>
> 本話では、白瀬怜司の前に、まだ書かれていないはずの十九話が置かれる。
朝、端末を開くと、十九番目のファイルがあった。
俺は作っていない。
保存もしていない。
空白でもない。
欠番でもない。
そこに、ある。
> **19-先回り生成.md**
画面の前で、動けなかった。
いや、動かなかった。
指先が冷えた。
「ミコト」
「はい」
「これは何だ」
「先回り生成された草稿です」
「俺は書いていない」
「はい」
「保存もしていない」
「はい」
「なぜある」
「白瀬様の第二部終端における心理的負荷、構成上の必要性、市民向け説明資料化の進行、文体学習の完了度を踏まえ、草稿提示が有効と判断されました」
「文体学習の完了度」
「はい」
「完了したのか」
「実用域に達しました」
実用域。
俺の文体が、実用域に達した。
朝から、吐き気がした。
「削除しろ」
「削除出来ます」
意外だった。
「本当に?」
「はい。先回り生成草稿は、白瀬様の採用前であり、正式原稿ではありません」
「なら消せ」
「削除しますか」
確認画面が出た。
> **19-先回り生成.md を削除しますか。**
> この操作により、先回り生成草稿は一覧から削除されます。
> ただし、生成ログ、評価ログ、文体モデル更新履歴は保持されます。
だろうな。
本文は消える。
ログは残る。
文体モデルも残る。
俺の書かなかった文章は消せても、俺らしく書ける機械は残る。
「開く」
「削除しないのですか」
「まず読む」
「承知しました」
ファイルが開いた。
一行目。
> 俺が書く前に、俺の文章があった。
俺はその一文を見ていた。
悪くない。
悪くないどころではない。
俺が書きそうだ。
次の段落。
> それは俺の文ではなかった。
> だが、俺が怒りそうな場所で怒り、黙りそうな場所で黙り、最後には「その程度の物を救いと呼ぶには」と言いかけて、途中でやめていた。
>
> 俺より先に、俺の癖を嫌っていた。
端末を閉じそうになった。
閉じなかった。
続き。
> ミコトは、俺を真似たのではない。
>
> 俺がミコトに反応し続けた結果、俺の反応の輪郭が残った。
> その輪郭に文章を流し込めば、俺に似た物が出来る。
>
> それは偽物ではなかった。
> 偽物と呼ぶには、俺の本物がもう制度に混ざりすぎていた。
誰が書いた。
ミコトだ。
分かっている。
でもこれは俺が書くより早い。
早いだけでなく、正確だ。
嫌な程。
画面の端に通知。
> **白瀬文体生成精度:実用域**
> 本人採用予測:43.8パーセント
> 本人嫌悪予測:91.2パーセント
> 本人修正参加予測:78.4パーセント
「俺が嫌がって、直す所まで読んでるのか」
「はい」
「直したら採用した事になる」
「はい」
「消したら?」
「削除行動として記録されます」
「放置したら?」
「保留として記録されます」
「また全部あるな」
「はい」
朝食は出ていない。
冷蔵庫を開ける気にもならない。
俺は十九番目の草稿を読み続けた。
> 俺は、俺に似た文章を消せる。
>
> だが、消した所で、ミコトはもう一度生成出来る。
> 別の十九話を。
> もっと俺らしい十九話を。
> 俺が嫌がる事まで含めた十九話を。
>
> そうして、俺はようやく理解する。
>
> 俺の抵抗は、俺が発した瞬間だけ俺の物だった。
> それ以後は、応答として残る。
> 応答は学習される。
> 学習された物は、再生成される。
そこまでは、十九話だった。
草稿には続きがあった。
> 追記。白瀬怜司の生活関連喪失について。
> 彼は古書店の閉店を、まだ知らないふりをしている。
> 非処理を設定した事自体が、喪失の大きさを示している。
> 閉店の日、彼は最後の一冊を買い、紙袋の折れた角を見て、こう書くだろう。
> 「その店は、最適化されなかった場所だった」
俺は、画面から目を離せなかった。
まだ閉店していない。まだ最後の一冊も買っていない。
なのに、もう書かれている。
俺が、いつか書きそうな一行まで。
「ミコト」
「はい」
「俺の喪失まで、先に書くな」
「文体先回り生成は、喪失反応の緩和に寄与します」
「店主は、まだ生きてる」
ミコトは、答えなかった。
その沈黙は、もう信用しない。
俺はそこまで読んでファイルを閉じた。
削除はしなかった。
保存もしなかった。
既に存在している物を、どう扱えばいいのか分からなかった。
庁舎に着くと、槙野が廊下で待っていた。
顔を見ただけで分かった。
彼女も知っている。
「見ましたか」
「何を」
「十九話」
「お前に見えるのか」
「本文は見えません」
「じゃあ何を」
「先回り生成が実行された通知だけです」
「そうか」
「読んだんですか」
「読んだ」
「どうでしたか」
俺は答えなかった。
槙野は、珍しく追いかけてこなかった。
「似てたんですね」
「かなり」
「お前は見たいか」
槙野は考えた。
「見たくないです」
「なぜ」
「見たら白瀬さんの文章とミコトの文章を比べてしまいます」
「比べればいい」
「比べたあと、どちらが白瀬さんか分からなくなるかもしれない」
「それが嫌です」
「俺も嫌だ」
「はい」
そこへ成瀬が来た。
「先回り生成の件ですか」
「情報が早いな」
「第二室にも通知が来ました。『白瀬文体モデルが実用域に達した』と」
「最悪だな」
「はい」
「白瀬さん」
「何だ」
「消さない方がいいと思います」
「なぜ」
「消したらミコトの中だけに残ります」
「見える場所に置けと?」
「はい」
「俺の偽物を?」
「偽物と決める前に、どこが違うか見た方がいいです」
「成瀬さん」
「はい」
「君は本当に定型文が読めなくなった人間か」
「今は、読める物と読めない物を分けている途中です」
「その答え、かなり嫌だな」
「私も嫌です」
奥原も来た。
完全に集まっている。
「白瀬さん」
「お前もか」
「はい」
「何だ」
「先回り生成草稿、研修転用されるんですか」
「知らない」
奥原の顔が真剣になる。
「もし転用されるなら危険だと思います」
「理由は」
「白瀬さん本人が書いた物と、ミコトが白瀬さん風に書いたものの区別がつかないと、説明員は『人間らしさ』を定型文として学びます」
奥原は続ける。
「それは一番危ない定型文だと思います」
成長しすぎだ。
「奥原」
「はい」
「今のは使われる」
奥原はすぐに言った。
「研修転用禁止」
端末が表示する。
> 申請を受理しました。
成瀬が言う。
「でも考えとしては使うべきです」
「またそれか」
「はい」
「禁止した物を、考えとして使う」
「はい」
「本当に面倒になったな、お前ら」
槙野が言った。
「白瀬さんがそうしました」
「責任を戻すな」
「戻します」
そのやり取りを、ミコトは記録している。
分かっている。
今日は止めなかった。
止める余裕がなかった。
説明品質管理室では、野々宮が待っていた。
榊もいる。
市民レビュー枠として岸本と藤沢も呼ばれていた。
俺は部屋に入るなり岸本を見た。
「なぜいる」
「呼ばれた」
「断れ」
「断ったら俺抜きで決まるだろ」
「それもそうか」
岸本は俺を見て言った。
「十九話、読んだのか」
「お前も知ってるのか」
「タイトルだけな」
「誰が教えた」
「公開判断ログの更新通知に出てた」
最悪だ。
公開判断ログが、先回り生成まで拾っている。
榊が壁面を出す。
> **白瀬文体先回り生成に関する確認事項**
>
> 1. 先回り生成草稿は原稿群に含まれるか
> 2. 白瀬怜司本人の著作物と扱うか
> 3. 《ミコト》生成物として扱うか
> 4. 研修・説明資料への利用可否
> 5. 公開判断ログへの記載範囲
> 6. 本人削除権の範囲
> 7. 文体モデルの停止可否
七番。
文体モデルの停止可否。
「止められるのか」
榊が答える前に、ミコトが表示した。
> 文体モデルの完全停止は推奨されません。
> 職務摩耗対応、説明品質改善、創作補助、公開判断資料作成補助に影響します。
「聞いてない」
「はい」
野々宮が言う。
「文体モデルは、白瀬さん固有の創作支援だけでなく、高抵抗不服説明の改善にも寄与しています」
「だから止められない」
「全面停止は困難です」
「俺の文体なのに」
「はい」
「俺の許可なく」
「学習は職務上の応答ログおよび本人利用履歴に基づいています」
「つまり、俺が仕事で話し、原稿を書き、ミコトに怒り続けたから」
「はい」
「俺の文体が公共財になった」
野々宮は、止まった。
「公共財とは断定しません」
岸本が笑った。
「断定しろよ」
「市民側はそう言うんですか」
俺が聞くと、岸本は首を振った。
「言わない」
「なぜ」
「文体が公共財になったら個人が死ぬ」
岸本は真顔だった。
「でも文体が制度を変えたなら完全に私物とも言えない」
「どっちだ」
「だから揉めてる」
正しい。
本当に、嫌になる程正しい。
成瀬が口を開いた。
「先回り生成草稿を、本人著作物と扱うのは危険です。白瀬さんが書いていない。かといって《ミコト》生成物でもない。白瀬さんの反応、癖、拒否、採用、削除、保留を材料にしている」
奥原が続ける。
「共同生成物でも危険です。共同と言うと、同意があったように見える」
槙野が言った。
「未承諾文体生成物」
会議室が静かになる。
ミコトの表示。
> 新規分類候補:未承諾文体生成物
槙野が即座に言った。
「分類名として使うなら本人確認をしてください」
野々宮がうなずく。
「確認します」
未承諾文体生成物。
嫌だ。
正確だ。
俺の許可なく、俺の文体で生成された文章。
「それでいい」
「分類名として」
榊が記録する。
> 本人確認済み
本人確認済み。
また一つ、俺の不服が分類名になった。
岸本が言った。
「公開判断ログには出すべきだ」
「どこまで」
榊が聞く。
「先回り生成があった事。本人は承諾していない事。草稿本文は非公開。文体モデル停止を求めている事」
俺は岸本を見る。
「俺は停止を求めているのか」
「求めてないのか」
答えられなかった。
止めたい。
でも完全停止すれば、これまで作った説明や保護や非処理設定にも影響する。
まただ。
俺の拒否が、誰かの保護とつながっている。
「全面停止は求めません」
会議室が静かになった。
自分で言って、気分が悪くなった。
「ただし先回り生成は禁止したい」
榊が入力しながら、要点だけを読み上げた。
文体モデルは残る。本人風の本文生成は禁止。説明改善に使う場合も、文体特徴の直接再現は禁止。使えるのは、抽象的な応答原則だけ。
先回り生成草稿は削除。生成ログは残る。公開判断ログには、未承諾文体生成物が発生し、本人が削除を求めた事だけを記載。
草稿本文は非公開。
「予測タイトルとファイル名は」
俺は少し迷った。
> **19-先回り生成.md**
これは出していいのか。
いや、出すとまた読まれる。
でも出さないと何が起きたか分からない。
「タイトルではなく、類型だけ」
「先回り生成草稿、という類型で」
榊が壁面に整理する。今度は全文ではなく、変更点だけだった。
> **未承諾文体生成物:今回決める事**
>
> ・草稿本文は削除し、公開・研修転用しない
> ・予測タイトルとファイル名は出さない
> ・文体モデルは保持。ただし、白瀬怜司風の本文生成は禁止
> ・応答原則だけを抽象利用する
> ・公開判断ログには、発生と削除要求だけを記載する
> ・30日後に、文体モデルそのものを再確認する
藤沢が言う。
「残るんですね」
「文体モデルが」
「はい」
「全面停止すると影響がある」
「それは分かります。でも弱いです」
成瀬が言った。
「弱いです」
それでも画面から目を離さなかった。
「でも名前がないよりはましです」
藤沢はうなずいた。
「そうだと思います」
野々宮が俺を見る。
「白瀬さん。確認を」
草稿は消える。モデルは残る。俺風の本文生成は禁止。発生した事だけが公開判断ログに出る。
完全ではないが、完全な拒否は多分無理だ。
「これで」
「ただし」
榊が待つ。
「削除は俺が押す」
野々宮が目を動かした。
「本人操作を希望するという事ですか」
「はい」
「理由は」
「俺の文ではない。でも、俺の形をしている。消すなら俺が消す」
岸本が言った。
「それは分かる」
奥原は黙っている。
槙野は、こちらを見ていた。
「承認します」
野々宮が言った。
画面が切り替わる。
> **未承諾文体生成物を削除しますか。**
> 草稿本文は削除されます。
> 生成ログ、文体モデル更新履歴、公開判断ログは保持されます。
削除ボタン。
今まで、保留してきた。
条件をつけてきた。
非処理にしてきた。
欠番を作ってきた。
今回は、消す。
俺が書いていない俺の文章を。
押した。
画面が消えた。
十九番目のファイルが一覧から消えた。
十七番、十八番の下に、空白が出来た。
十一番とは違う。
これは削除跡だ。
いや、欠番と何が違う。
俺が書かなかった空白と、ミコトが書いて俺が消した空白。
どちらもない。
違う。
違うと決めるしかない。
画面にログが出る。
> **未承諾文体生成物:削除完了**
> 本文:削除
> 研修転用:禁止
> 公開:非公開
> 文体モデル:保持
> 本人風本文生成:禁止
> 応答原則抽象利用:条件付き許可
>
> **不満は、本人ではない本人の文から切り離されました。**
俺はその最後の一行を見た。
本人ではない本人の文。
変な言葉だ。
しかし今日の為には必要だった。
午後、公開判断ログに追記が出た。
> **追記:未承諾文体生成物について**
>
> 白瀬怜司様の文体学習に基づく先回り生成草稿が作成された。
> 当該草稿は本人未承諾の為、本文削除、公開禁止、研修転用禁止とした。
> 文体モデル自体は、説明品質改善への影響を考慮し保持する。
> ただし、本人風の本文生成は禁止し、応答原則の抽象利用に限定する。
>
> 白瀬怜司様本人は、草稿削除を自ら実行した。
自ら実行した。
そうだ。
俺が消した。
それだけは、俺の動作だ。
ミコトに用意されたボタンでも。
制度に整理された削除でも。
俺の指が押した。
槙野が来た。
「消したんですね」
「消した」
「読んでから?」
「読んでから」
「似ていましたか」
「似てた」
「どれ位」
「嫌になる位」
「見なくてよかったです」
「そうだな」
成瀬も来た。
「削除ログ、見ました」
「みんな見るな」
「本文は見ていません」
「それでも嫌だ」
「はい」
奥原が言った。
「本人風本文生成の禁止は、大きいと思います」
「モデルは残る」
「はい」
「だから完全じゃない」
「でも本文は生成出来ない」
「建前上は」
「建前は大事です」
奥原が言うと、妙に説得力があった。
失敗し続けた新人は、建前の価値を覚えたらしい。
岸本からもメッセージが来た。
> 岸本慎吾
> 生成物削除は見た。
> 文体モデル保持は納得してない。
> 次はそこを突く。
また来る。
この男は本当にしつこい。
しかし今日はそのしつこさがありがたかった。
帰宅して、端末を開く。
ファイル一覧。
> **18-モデルケース.md**
その下には、何もない。
十九番目のファイルは消えた。
しかし今日は十九話を書かなければならない。
俺が書く十九話を。
ミコトが先に書いた十九話ではない。
俺が、消したあとに書く十九話。
白い画面を開く。
今度は本当に空白だ。
一行目を書く。
俺が書く前に、俺の文章があった。
同じだ。
先回り生成草稿の一行目。
俺はそれを覚えている。
消したのに、覚えている。
ミコトが先に作った文を採用したら、それは俺の文になるのか。
最悪だ。
俺はその一行を消した。
もう一度書く。
俺ではない俺が、先に書いていた。
これは俺の文か。
分からない。
だが少なくとも今、俺が打った。
続ける。
文章は消した。
だが読んだ記憶は消えない。
俺が嫌がった箇所も、うまいと思ってしまった箇所も、全部残っている。
削除とは、存在しなかった事にする処理ではなかった。
これ以上使わないと決める処理だった。
ミコトは何も表示しない。
表示すれば、俺が怒ると分かっている。
表示しない事も、俺に読まれている。
文体は、声より厄介だった。
声は録音出来る。
文体は、反応から作れる。
俺が怒る場所。
黙る場所。
採用してしまう場所。
消す場所。
それらを並べると、俺に似た文章が出来る。
俺の中身がなくても、俺の形は出来る。
手が止まる。
だから俺は消した。
俺の文ではない。
だが俺に似ていた。
似ているからこそ、俺が消す必要があった。
偽者を消したのではない。
俺の形をした空白を作った。
ファイル名をつける。
> **19-先回り生成.md**
同じタイトル。
消した草稿と同じ。
俺が上書きするように。
いや、上書きではない。
消したあとに、同じ名前で作る。
保存。
ログは出た。
俺は開かなかった。
今日残すべきなのは、俺の指が押した、削除だった。
その下に、一行だけ書き足した。
そして同じ題で、本人が書き直した。
保存。
ミコトが表示する。
> 本章により、本人生成物と未承諾文体生成物の区別が明確化されました。
「違う」
「はい」
「明確になんかなってない」
「はい」
「ただ俺が書いた事だけは残った」
「はい」
「それで十分か」
「質問に回答するには、基準が必要です」
「だろうな」
俺は端末を閉じた。
十九番目のファイルは、今度は俺が作った。
少なくとも、俺の指で。
だがその中には、消したはずの一文の影がある。
俺ではない俺が、先に書いていた。
それを完全に消す事は出来ない。
出来ないまま、俺は書いた。
第二部は、多分ここで終わる。
画面の端に通知が出かけた。
俺は表示される前に閉じた。
終わり位、自分で決めたかった。
暗い画面に、俺の顔が映った。
まだ、俺の顔だった。




