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妹の代わりにアイドルになった俺は、嘘の人生で本当の恋をした  作者: リディア


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第8話 レンズ越しの死線と、揺れる答え合わせ

 その旅館は、絶望的なまでに「開放的」だった。


 大きなガラス窓から一望できる、美しく手入れされた日本庭園。  

 だが、今の俺にとってそれは、四方八方からカメラに狙われている射撃場のようにも見えた。


「はい、メンバーの皆さん! ロビーから庭園を眺めるカット、撮りまーす!」


 ディレクターの威勢のいい声が響く。  

 新生ユニットの『素顔』を撮るための特番ロケ。

 回っているカメラは三台。音声マイクが俺たちの頭上をかすめる。


「わあ! 素敵! 葵ちゃん、見て見て! あそこに露天風呂があるんだって!」


 ひなたが、子供のように無邪気にはしゃぎながら俺の袖を引く。  

 カメラがその「仲睦まじい光景」を逃さずズームした。


「あ……はい。立派ですね……」


 俺は引きつった笑顔を張り付かせ、不自然にならない程度にひなたとの距離を取る。

 密着しすぎて「男の骨格」がレンズに記録されるわけにはいかない。


「葵ちゃん、緊張してる?」


 茜が、横からスッと入り込んできた。


「初めてのロケだもんね。……でも、そんなに肩に力入れなくても大丈夫。私が、全部フォローしてあげるから」


 茜は、俺の肩に手を置いた。

 カメラマンが「いいね、今のカット!」と親指を立てる。  

 だが、その手のひらから伝わってくるのは、優しさよりも「獲物を逃さない」という執念に近い熱量だった。


「……地獄ね。見てるこっちの寿命が縮まるわ」


 撮影の合間、物陰で栞里さんが俺にだけ聞こえる声で毒づいた。


「栞里さん……俺、もうカメラの前に立つの限界です」

「弱音吐かない。あんたがバレるってことは、私のキャリアも終わる…じゃなくて、葵のキャリアが終わるの……いい? だから夕食は私も同席する。プロデューサーを言いくるめて、コンディション管理っていう名目でね」


 栞里さんは、俺の喉元の絆創膏が剥がれていないか、鋭い目でチェックした。


「この後の食事は、絶対にボロを出さない。……あんた、お坊さんの修行で培った忍耐力を総動員しなさい」


 夕食は、個室での会席料理だった。  

 メンバー四人に、マネージャーの栞里さんを加えた五人で円卓を囲む。


「……あ、これ、美味しい」  


ひなたが刺身を頬張る。

和やかな雰囲気に見えるが、俺の目の前には、最強の「検閲官」である茜が座っていた。


「葵ちゃん、食が細いね。やっぱり、体質のせい?」  


茜が、俺の小皿に料理を運びながら訊いてくる。


「ええ。葵は少し貧血気味なのよ。無理に食べさせないで」  


栞里さんが素早くフォローを入れる。


「そうなんです……。だから、温泉も今日は控えておこうかなって」

「えー! 葵ちゃん入らないの? 寂しいよー!」


 ひなたが、本気で残念そうに身を乗り出した。

 その瞬間、彼女の浴衣の袖が俺の腕に触れる。


「葵ちゃん、手、大きいね」  


 茜が、不意に俺の手首を掴んだ。


「……っ!」

「あら、葵。茜に手相でも見てもらってるの?」  


栞里さんの声が、わずかに裏返る。

彼女の額にも、うっすらと汗が滲んでいた。


「ううん。指が長くて綺麗だな、と思って。……でも、ここ、関節がすごくしっかりしてる。ピアノとか、何か力仕事でもしてた?」


 茜の指が、俺の節くれだった関節をなぞる。

 カメラの回っていないこの個室こそが、本当の「戦場」だった。


「えっと……実家がお寺なので、掃除とか、力仕事も多くて……」

「へえ、お寺なんだ。……だから筋肉があったりするのかな?」


 茜が、俺の目をじっと見つめたまま笑う。

 その瞳は「お前の正体(煩悩)、全部見えてるよ」と言っているかのようだった。


 夕食後、部屋に戻ると、そこには布団が二つ並べられていた。  

 茜が、浴衣を崩しながら窓辺に立つ。


「葵ちゃん、本当にお風呂入らないの? 私、一人だと寂しいな」

「……すみません。本当に、ちょっと頭が重くて」


 茜は、ふふっと小さく笑い、俺に近づいてきた。


「4人で温泉に入って語りたかったなぁ。」


 茜はそれだけ告げると、大浴場へと向かった。  

 一人残された部屋で、俺は泥のように布団に倒れ込んだ。


 終わった……。

 まだ一日目なのに、もう精神がもたない……


 情けないことに、指が震えている。  

 修行僧として培った忍耐など、彼女たちの鋭い視線の前では紙吹雪のようなものだった。


 だが、その時――。


『お兄ちゃん、私の夢、守ってね』


 脳裏に、リハビリ中の葵の笑顔が浮かぶ。  

 あいつが戻る場所を守る。

 そのために、俺は「城山葵」という嘘を、真実以上に完璧に演じなきゃいけないんだ。


「……負けられるかよ」


 俺は拳を握りしめた。その時、静かにドアがノックされた。


「葵ちゃん、入るよー」


 ひなたの声だ。ドアが開くと、少しのぼせた顔の彼女が立っていた。  


「ひなたさん……? 温泉は?」

「ちょっと、先に上がってきちゃった。……葵ちゃんが心配で」


 ひなたは、所在なげに俺の隣に座った。  

 狭い部屋の中、彼女の体から立ち上る湯気の香りが、俺の鼻腔をくすぐる。


「……ねえ、葵ちゃん」


ひなたは、自分の膝の上で指を組み直した。

さっきから、落ち着かない。


「なんかさ……変なの」


言葉を探すみたいに、ひなたは天井を見上げる。


「いつもはさ、誰かの隣にいても、こんなふうにならないのに……」


胸の奥を、指で軽く押さえる。


「息するたびに、ちょっとだけズレるっていうか……ここに、自分の心臓がちゃんとあるのか分からなくなる感じ」


ひなたは困ったように笑った。


 その時――。


「あら、ひなた。抜け駆けは良くないわよ?」


 背後から、凍りつくような声がした。  

 振り返ると、そこにはバスタオルを羽織り、濡れた髪を垂らした茜が立っていた。  

 その瞳には、今まで見たこともないような、冷たく激しい独占欲が宿っていた。


「葵ちゃん……体調、もういいのかしら?」


 本日も読んでいただきありがとうございます。

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