表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妹の代わりにアイドルになった俺は、嘘の人生で本当の恋をした  作者: リディア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/15

第3話 女子更衣室と、射抜く視線

「ねえ、葵ちゃん。更衣室、こっちだよ?」


 その瞬間、俺――城山大輔しろやま だいすけの脳内で、除夜の鐘が乱れ打ちされた。


ゴーン、と重く響くその音は、俺の理性の終焉を告げているかのようだった。  


視線の先には、パステルピンクのプレートが掲げられた扉。

そこは、女人禁制の対極にある聖域中の聖域、女子更衣室だ。


……詰んだ。俺の人生、これにて閉幕か!?


鼻腔をくすぐるのは、数分前までステージで激しく踊っていた女の子たちの、甘い汗と制汗スプレーが混じった、暴力的なまでに芳しい香り。  


十年間の山籠り修行で、滝に打たれ、獣の気配を察知するために磨き上げた俺の五感が、今、かつてない悲鳴を上げている。

この扉の向こう側には、煩悩の化身たちが「衣を脱ぎ捨てた姿」で存在しているのだ。


「あ、あの……!」


裏返りかけた声を、必死に裏声の「葵モード」へ引き戻す。

声帯を細く絞り、喉の奥を少しだけ上げる。


これは妹の葵を真似る時に編み出した、俺独自の「喉の術」だ。


「私、少し……お手洗いに……。あ、アロマの匂いに酔っちゃったみたいで……」

「あ、じゃあ一緒に行こうよ! 案内するね。葵ちゃん、病み上がりなんだから一人じゃ心配だし」


最年少のひなたが、太陽のような無邪気な笑顔で俺の腕を絡めとった。  

二の腕に触れる、柔らかくて温かい、マシュマロのような感触。  


……煩悩。これぞ煩悩。

 

俺の心の中の阿修羅が「逃げろ! 今すぐ山へ帰れ!」と絶叫している。

だが、逃げれば即座に正体が露呈する。

俺は引きつった笑顔を仮面のように貼り付け、冷や汗でカツラを蒸らしながら耐えるしかなかった。


「ひなたちゃん、葵ちゃんはまだ緊張で知恵熱が出そうなの。少し一人にしてあげて」


救いの仏――ならぬ、死んだ魚の目をしたマネージャー、佐藤栞里が、絶妙なタイミングで割って入った。

彼女はひなたの手を優しく、かつ強引に引き剥がす。


「あ……そっか。ごめんね、葵ちゃん。無理しないでね! 鏡の前で待ってるから!」


ひなたが見えなくなった瞬間、栞里は俺を廊下の影へと引きずり込んだ。

その足取りは素早く、獲物を狩る肉食動物のようだった。  

彼女は俺の耳元で、般若のような低音で囁いた。


「……大輔くん。もし更衣室の敷居を跨ごうとしたら、私のキャリアが終わ…じゃなかった。その瞬間に葵のキャリアは終わり。だから、あなたを股割りの刑に処して私も消えるわ。いい?」

「言われなくても分かってます……! 土下座したいのは俺の方ですよ……!」


連れて行かれたのは、事務所の奥にある、倉庫同然の薄暗い別室だった。  

床には埃が積もり、棚には用途不明のケーブルや型落ちのスピーカーが並んでいる。

その中央に、場違いなほど真っ白な大量の衣装と、鏡と、そして何やら怪しげな「肉色の物体」が置かれていた。


「まず、シルエットの補正よ。大輔くん、葵ちゃんに比べれば細いけど、やっぱり肩幅が広すぎるし、腰の位置が決定的に『男』なの。筋肉の付き方が修行僧そのものなのよ」

「……そんなの、仏様にお願いしても治りませんよ。骨格なんですから」

「神頼みする暇があったら、これ着なさい! この最新型のウエストニッパーとパッド入りのインナーで、無理やり『S字ライン』を作るの!」


 栞里が投げつけてきたのは、鋼のようなワイヤーが何本も仕込まれた、見たこともない形状の下着だった。


「……栞里さん。これ、本当に人間が着るものですか? どちらかと言えば、拷問器具か拘束具の間違いでは?」

「いいから黙って着る! アイドルは全員、血を吐きながら可愛さを作ってるのよ! ほら、背筋伸ばして! 腹筋に力入れない!」

「ぐおっ……! 肋骨が……拙僧の肋骨がミシミシと軋みます……! 息が、吸え……っ」


さらに始まったのは、地獄のウォーキング特訓だ。


「大輔くん! 足の出し方が『格闘家』なのよ! 土踏まずを強調しすぎ! もっと内側に重心を置いて、膝と膝を擦り合わせるように、モデル歩きを意識して!」

「内側……。こう、ですか?」

「違う! それは内股のゴリラ! もっと、こう……おしりを振るんじゃなくて、骨盤をなめらかにスライドさせるの! あなた、歩くたびに『ズシン、ズシン』って効果音が聞こえてきそうなのよ!」


栞里が俺の腰を掴んで、強引に位置を調整する。

至近距離で女性の体温を感じるたび、俺の心経は乱れに乱れた。  


「……っ!」

「何赤くなってるのよ。私、今あなたのこと『ただの丸太』だと思って触ってるから。煩悩捨てなさいよ、お坊さんでしょ! 女子力ゼロのマネージャーに負けてどうするの!」

「無茶を言わないでください! アイドルを前にした時に比べればマシですが、栞里さんだって一応は――」

「『一応』って何よ! 殺すわよ!」


それからの時間は、正確には覚えていない。


ただ、鏡の前で何度も姿勢を直され、歩けば止められ、止まれば直され、息をするだけで「違う」と言われ続けた。


気づいた時には、自分がどう立って、どう笑えばいいのかさえ、分からなくなっていた。  


俺は、自分が大輔なのか葵なのか、あるいはただの「女装した丸太」なのか、精神崩壊を起こしそうになっていた。


翌日。  

俺は、再び「城山葵」という、完璧に磨き上げられた仮面を被り、楽屋の敷居を跨いだ。


「皆様、お疲れ様です。……改めまして、城山葵です。よろしくお願いいたします」


声のトーン、完璧。  

仕草、昨日の猛特訓の成果により、指先までしなやかに動く。  


「よろしくね、葵ちゃん! 一緒に活動できるの、本当に楽しみなんだから」

「うちも、葵ちゃんのファンやってん。またあのキレキレのダンス見せてなぁ」


ひなたと沙織は、俺を温かく迎え入れてくれた。

その好意が、俺の罪悪感をチクチクと刺激する。  


だが。    


不動のセンター・木村茜だけは違った。

彼女は、鏡越しに俺を射抜くような、鋭利な刃物のような視線で見つめていた。  


「……よろしく、葵ちゃん」    


茜がゆっくりと椅子から立ち上がり、俺の目の前で足を止める。  

彼女の鋭い瞳が、俺の首元、そしてパッドで補正されたはずの肩のラインを執拗になぞる。


まるで、皮膚の下に隠された真実を透視しようとしているかのようだ。  


「一緒に、頑張ろうね。……ところで、葵ちゃん」

「は、はい……?」



茜は、すぐには何も言わなかった。


ほんの数秒。

ただ、黙って俺を見つめている。


その沈黙が、

どんな叱責よりも、俺の心臓を締め付けた。


「……あなた、前からそんなに、お香のような匂い、させてたっけ?」   


――心臓が、冷たい氷水を飲まされたように凍りついた。  

お香の匂い。

山での十年間、毎日、朝から晩まで経を唱え、抹香にまみれて過ごした日々。

それは洗っても落ちることのない、俺という「僧侶」の残り香だった。


「あ、これ……えっと、最近アロマに凝っていまして……! 落ち着くんです、この香木のような香りが……!」

「ふーん。十代の女の子にしては、随分と渋い趣味ね」


 茜は不敵な笑みを一瞬だけ浮かべ、そのまま俺の肩を軽く叩いてリハーサルへと向かっていった。

叩かれた場所が、妙に熱い。

俺は、その場から一歩も動けなかった。



その日の深夜。  

女子寮の一室。

茜は一人で鏡の前に座り、タブレットで葵の過去のライブ映像と、今日目の前にいた「葵」を交互に見比べていた。


「……やっぱり、違う」


肩の揺れ。

階段を降りる時の、僅かな足首の角度の変化。  

そして何より、あの至近距離で感じた、女同士のライバル心とは違う……もっと根源的な、喉の奥がヒリつくような「違和感」。    


あの「葵」に見つめられた時、自分の心臓がなぜあんなに跳ねたのか。  

ライバルへの対抗心ではなく、もっと別の、説明のつかない感情。


「……あんた、本当に、葵ちゃんなの?」

 本日も読んでいただきありがとうございます。

 もし「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけたら、ブックマークや評価をしていただけると執筆の励みになります!

 どうぞよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ