第12話 選ばせない覚悟と、嘘という名の城壁
撮影スタジオの片隅。
死角となる柱の陰で、神宮寺蓮が茜を壁に追い詰めていた。
「昨日の話、考えてくれた?」
神宮寺の声は、耳元で甘く囁く毒薬のようだった。
「……話なんて、してません」
「いいじゃん。逃げ場は作ってあげるよ」
彼の指が、茜の肩口を這う。
茜の顔が苦痛に歪む。
「君が俺の『相手』をしてくれれば、あの新人……葵ちゃんへの興味はなくしてあげる。あの子、まだ真っ白だろ? 俺みたいな色がつくのは可哀想だよね」
――人質交換だ。
俺は離れた場所で、拳を握りしめることしかできなかった。
今、俺が割って入れば、それは「男としての介入」になりかねない。
そうなれば、茜が守ろうとしている全てが崩壊する。
無力感が、喉を焼き尽くす。
だが、その張り詰めた空気を切り裂いたのは、一番予想外の「光」だった。
「あーっ! 茜ちゃん、見つけたー!」
ひなただ。
彼女は弾丸のような勢いで駆け寄ると、神宮寺と茜の間に強引に体を割り込ませた。
「ひ、ひなた……?」
「もう、探したんだよ! お昼休憩、終わっちゃうじゃん!」
ひなたは、神宮寺の存在など「見えていない」かのように振る舞い、茜の手をガシッと掴んだ。
そして、その勢いのまま、凍りついていた俺の手も掴む。
「ほら、葵ちゃんも! 三人で限定パンケーキ食べに行くって約束したでしょ! 急いで急いで!」
嘘だ。
そんな約束はしていない。
けれど、ひなたの掌は汗ばんでいて、小刻みに震えていた。
彼女は本能で悟ったのだ。
ここが戦場であり、理屈ではなく「勢い」でしか突破できない場所だと。
「……っ」
神宮寺の手が、行き場を失って宙を彷徨う。
ひなたは一度も彼を見ることなく、俺たち二人を引っ張ってその場を走り去った。
背後に残された神宮寺の、温度のない視線だけが、背中に冷たく突き刺さっていた。
社員食堂の喧騒の中。
ひなたは、俺の隣にちょこんと座り、大きなパンケーキを頬張っていた。
向かいの茜は、まだ少し顔色が悪い。
「……ありがとう、ひなた」
茜が、震える声で礼を言った。
「ん? 何が?」
「……ううん。何でもない」
茜は弱々しく微笑んだ。
ひなたは「?」と首をかしげ、またパンケーキに向き直る。
そして、テーブルの下で、そっと俺の太ももに自分の膝をくっつけてきた。
……なんでだろう
ひなたは、フォークを動かしながら自問していた。
怖い場面だった。
足がすくみそうだった。
でも、葵ちゃんの腕を掴んだ瞬間、不思議なほど心が凪いだ。
女の子の腕なのに、まるで太い大樹に触れたような安定感。
好き、とは違う気がする。憧れとも、ちょっと違う。……でも、離れたくない
葵ちゃんの隣は、安全地帯だ。
本能がそう告げている。
女の子相手に「守ってほしい」なんて変だけど、この温もりだけは、嘘じゃない気がした。
午後、リハーサル直前。
誰もいない廊下で、俺は神宮寺に捕捉された。
「葵ちゃん、ちょっといい?」
逃げようとする俺の進路を、彼が長い脚で塞ぐ。
「……はい」
「さっきの茶番、見た? 君さ、自分がどういう状況か分かってる?」
神宮寺は、憐れむような目で俺を見下ろした。
「リーダーにも、年下のひなたちゃんにも庇われて。……守られてる自覚、ある?」
急所を正確に突く、鋭利な一撃。
男としてのプライドがあるなら、激昂して当然の言葉だ。
「それでいいの? 君、何のために立ってるの? お人形さんみたいに運ばれて、ゴールして、それが君の『アイドル』なわけ?」
俺は、息を吸い込んだ。
丹田に意識を落とす。
俺のプライドなど、どうでもいい。
俺の「男としての沽券」など、妹の夢の前では無に等しい。
「……守られています」
俺は、神宮寺の瞳を真っ直ぐに見据えた。
逃げも隠れもしない。
「私は、皆さんに守られています。ですが、それを恥だとは思っていません」
神宮寺の目が、わずかに見開かれる。
少しだけ、言葉を探す。
「……一人で立てない場所も、あるんです。誰かに支えてもらわないと、残せない場所も」
喉が、ひりつく。
「私は……その場所を、壊したくないだけです」
「……守ってる? その細い体で?」
「はい」
それ以上は、言わなかった。
言葉にすればするほど、この覚悟は軽くなる気がしたから。
「……壊させません」
それだけで、十分だった。
それは、大輔としての本音であり、葵としての宣戦布告だった。
沈黙が落ちる。
神宮寺は、探るように俺の瞳の奥を覗き込み、やがてフッと口角を上げた。
「……面白いね、君」
彼の中にあった侮蔑の色が消え、代わりに底知れない「執着」が宿る。
「そこまで覚悟決めてるんだ。ただの操り人形じゃなかったわけだ」
「……」
「でも、いつまで持つかな。その『嘘』で固めた城壁」
神宮寺は俺の肩をポンと叩き、すれ違いざまに囁いた。
「壊したくなっちゃうな、余計に」
その夜。
宿舎のベランダで、俺は一人、月を見上げていた。
震えが止まらない。
怖い。
逃げ出したい。
神宮寺の言う通りだ。
俺は嘘の上に立っている。
いつ崩れてもおかしくない砂上の楼閣だ。
でも――。
『お兄ちゃん、私の夢、守ってね』
リハビリ室で、歯を食いしばって歩行訓練をする葵の姿が脳裏に浮かぶ。
あいつは戦っている。
自分の足で、もう一度ここに立つために。
なら、俺が膝を折るわけにはいかない。
俺は「城山葵」という虚像を守り抜く。
罵られても、男らしくないと笑われても、守られ役だと蔑まれてもいい。
「……俺は葵として、ここに立つ」
夜風に溶けるように呟いた。
「それだけは、誰にも選ばせない。俺自身が決めたことだ」
窓ガラスに映る俺の姿は、長い髪の美少女だ。
けれど、その瞳に宿る光だけは、まぎれもなく兄としての――
一人の男としての、退かない覚悟だった。
月が、冷たく、けれど優しく俺たちを照らしている。
戦いは、まだ終わらない。
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