第4話「欠落」
戦場は、今日も変わらない。
だが主人公にとって、それはもう確かな言葉ではなかった。
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観測ドームの中は冷えていた。
機材はほとんどが停止しかけている。
ノイズだけが、かろうじて世界と繋がっている証拠のように鳴っていた。
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主人公は、いつものように戦場を見ていた。
白い天使。
崩壊する戦術。
結果だけが先に存在する戦闘。
それらはすでに“日常”になりかけている。
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だが、今日は違った。
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何かが足りない。
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そう気づいたのは、戦闘の最中ではない。
終わったあとだった。
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敵部隊が消えていく。
彼女はすでにその場を離れようとしている。
いつも通りの光景。
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なのに。
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主人公は、違和感に気づく。
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「……誰だ?」
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声が漏れた。
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その瞬間、自分でも意味が分からなかった。
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誰?
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何を言った?
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戦場には誰もいない。
彼女は見えている。
だが、その“間”に何かが抜けている。
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説明できない。
だが確かに、“そこにあったはずのもの”がない。
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頭の奥がざわつく。
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主人公は記憶を辿る。
昨日。
一昨日。
戦場。
観測。
彼女。
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問題ない。
全部ある。
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だが――
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“あるはずのつながりだけがない”。
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「……違う」
主人公は額に手を当てる。
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胸の奥が落ち着かない。
何かが抜け落ちている。
それなのに、それが何か分からない。
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そのときだった。
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視界の端に、白い影が映る。
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彼女。
天使。
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だが今日は、違う。
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彼女は一瞬だけ止まった。
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そして、こちらを見た。
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今までよりも、長く。
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通信は開かない。
声もない。
ただ“見ている”という事実だけがある。
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主人公は息を呑む。
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その瞬間。
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頭の奥に、鋭い痛みが走る。
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“何か”が消える。
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確かにあったはずの記憶。
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顔。
声。
言葉。
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それらが、一つずつ崩れていく。
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「……っ、なんだこれ……!」
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思い出そうとするほど、形が失われる。
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まるで、思い出す行為そのものが削除キーになっているように。
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主人公は初めて恐怖を感じる。
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戦場でも。
死でもない。
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“自分の中から何かが消えている”という恐怖。
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呼吸が浅くなる。
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「俺は……何を……」
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言葉が途切れる。
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思い出せない。
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何か大切だったはずのもの。
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それが、確かにあった感覚だけ残して消えている。
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そのとき。
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通信が、入る。
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ノイズはない。
だが今までとは違う“重さ”がある。
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「観測継続中」
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彼女の声。
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主人公は反射的に答えようとする。
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だが、言葉が出ない。
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喉の奥に、空白だけがある。
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「あなたの中で、記録の欠損が進行しています」
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静かな声だった。
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責めていない。
説明しているだけ。
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それが逆に怖かった。
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「……欠損?」
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やっと声が出る。
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「はい」
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短い返答。
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「観測による分岐選択は、未選択領域を破棄します」
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「それはあなたの記憶構造に依存しています」
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主人公は息を呑む。
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理解したくないのに、理解できてしまう。
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つまり。
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助かるたびに。
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自分の中の“別の可能性の自分”が消えている。
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そしてそれは。
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記憶として残る。
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「……じゃあ」
主人公の声が震える。
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「俺は、どんどん……俺じゃなくなっていくのか?」
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沈黙。
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だが、否定はない。
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それが答えだった。
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通信が切れる。
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静寂。
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戦場は続いている。
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だが主人公はもう、戦場を見ていなかった。
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自分の中を見ていた。
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そこには、穴が空いている。
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確かにあったはずのものが、ない。
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なのに。
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その“喪失の感覚”だけが、はっきりと残っている。
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主人公は空を見上げる。
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灰色の空。
何も答えない世界。
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そして遠く。
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白い天使は、何も変わらず歩き続けている。
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まるで、最初からこの結末を知っているように。




