君だから私は信じたの
「……それにしても、よく俺を信じたよな」
何処からか調達した荷馬車の御者席に座る、ユニの隣に座っていた私は、今更な感想に苦笑する。
「今、それを言う? ユニ兄さん」
一応逃亡中だからね、ユニは私の兄って設定で通してる。いつもは人前でしか呼ばないけど、今は誂い半分で呼んでみた。
少しだけムスッとするユニを見て、心がほんわかと温かくなる。
(トラブルもなく、ユニが隣りにいて、天気が良くて今日も平和だね)
あの後、私とユニは直ぐに行動を起こした、無事エレナール領を脱出出来た私達は、隣国の国境に向かっている。後五日程で、到着する予定かな。急いで馬を走らせる事なく、のんびりと、のほほんと国境に向かっていた。慌てると目立つしね。
(誰も、私達が出奔者とは思わないよね)
そんな事を考えていると、呆れが混じった声が隣から聞こえて来た。
「いや、普通、疑うだろ?」
(それ、当人が言う?)
「質問に質問で返さないでよ。……まぁ、普通なら疑うわね」
「だよな」
ちゃんと質問に答えているのに、ユニは気付いていない。
「……普通なら、疑うわよ。でもね、私は普通じゃない。普通の物差しでは計れないよ」
「…………」
そう言葉を足すと、ユニは黙り込む。ほんの表面上だけど、彼は当時の私の状況を知っている。
「そうね……強いて言うなら、私の名前を呼んでくれたからかな。私自身が忘れそうになった名前を訊いてくれたからだよ」
「始めて会う奴の名前を尋ねるのは、当たり前だろ」
(嬉しい事を、いつも言ってくれるね)
私は憮然とするユニに視線を向けてから,前方へと移した。そして、口を開く。
「ねぇ、ユニ、不思議に思わない? 商品の私がいなくなって、今伯爵家は必死になって私を捜してる筈。なのに、今も私を見付ける事が出来ない。姿を変えてるわけでもないのにね。多少、小綺麗にはしたけど」
私は、中身がない空っぽの人形だった。
屋敷の中では、ストレス解消のドアマット。街では、ただの小汚い浮浪児。
私を見た人たちは、勝手に枠にはめ込み、扱う。私がどんな顔をし、どんな髪色で目の色をしているのか、誰も見ようとはしない。意識さえ向けない。
沢山ある人形の一つだから、記憶に残らないの。
私は風景と同じだから。
「アイナ……」
「誰も、私の事なんて覚えてないの。知らないんだよ。だってそうでしょ、物の形は覚えていても、物の顔までは意外と覚えていないよね。沢山あるなら、尚更だし。つまり、小綺麗にしただけで、物の形が大きく変わったの。結果、誰も私には気付かない。思い込みってやつね。だから、焦らずに行動出来るわけ。そしてそこに、ユニの質問の答えがあるわ」
ユニの顔を真っ直ぐに見詰め、ニコッと笑う。笑顔の作り方を忘れてしまったから、口角が僅かに上がる程度だったけど、ユニには伝わったみたい。
私は嬉しいのに、何故か、ユニは泣きそうな顔のままを笑みを浮かべている。
「……俺は、ただ……名前を尋ねて呼んだだけで」
(たぶん、ユニは一生分からない)
個を奪われ、忘れられた者の痛みは。
ユニにとっては大した事じゃないだろうけど、私はあの瞬間、個である事を思い出したの。人形から人に戻れたんだよ。
「それが、嬉しかったの。全てを賭けられるくらいにね。名前って、個を示す一番最初のものでしょ」
(そんな事言われても困るよね。自分でも、重いと思う)
「俺は自分の事、何も話してないのに」
やっぱり、気にしていたみたい。偶に、思い詰めた顔をしていたから。正直、気になるよ。でも、無理に聞き出そうとは思わなかった。
知ってるから……話せる過去と、話せない過去がある事を。私も全てを話していないし。
私は今のユニを見ていればいい、無駄な情報はいらない。
「別に関係ないよ。ユニの過去なんてどうでもいい。最悪、騙されて、このまま殺されたり、奴隷商に売られても文句は言わないよ。あ〜賭けに負けたぐらいにしか思わない。だって私の未来なんて、そもそも、その二択しかなかったでしょ。賭けに勝ったら、違う未来もあるけどね。……ほんと、涙腺弱いよね、ユニは」
清潔な布なんて持ってないから、掌でユニの涙を拭う。
「……今は、俺のことは話せない。でも、旅を続ければ、いつかは知る事になると思う。それでいいか?」
どうやら、違う未来を歩めそうな予感がするよ。それも、最高な未来を。
「いいよ。それで十分。ユニが殺人者でも、国を追われた犯罪者だったとしても、私はユニの隣りにいる。ずっと、ユニの味方でいる。約束するわ。だから、旅をしよう。色んなものを一緒に見よう。綺麗な物も汚い物も」
それだけで、私は幸せだよ。
「…………ああ……楽しみだな……」
「うん、楽しみ」
国境まで延びる道の先に視線を向けて、私は笑った。




