第1話 ミリネ・レイスン
魔法。簡単に言うと魔力で使う超自然的な力である。さらに詳しく説明すると、魔力を魔法陣という通路を通じて魔法という形に変換することを言う。
かつては魔力と魔法陣、そして詠唱。魔法を使うためにこの三つが必ず必要なものだと言われていた。詠唱を唱えることで魔法陣を編み体内の魔力を操作することで魔法を使える。
もし詠唱がないと魔法陣を編んで魔力を吹き込めない。あとどんなに強い魔法陣でも、魔力を持ってないと魔法を使えない。逆にどんなだけ魔力を持っていても魔法陣なしでは魔法を使えない。つまりこの三つのうちの一つでも揃わなければ魔法は使えない。逆にこの三つの要素さえ全部揃えれば誰でも魔法を使うことができる。
元々魔法はドラゴンや精霊、悪魔だけのものだった。生まれつきから魔力操作能力に優れていて魔法を使うことに詠唱を必要としない。その反面、人間は魔力はあるけど魔力操作能力に魔法を使えなかった。しかし、人間は魔法を求めた。彼らだけが使える力を欲しがった。
そのため、人間は長い時間をかけて研究を積み重ね、結局彼らだけの魔法を人間のものにすることに成功した。彼らが魔法を使う時、現れる魔法陣を模倣して「魔術式」という数式を生み出した。そして魔力操作するために、人間は言語を使い「詠唱」を生み出した。こうして自分たちの道具で魔法を使えるようになった人は、研究を続けて前例のないスピードで成長して今では彼らを凌ぐほど多くの魔法を生み出し行使できるようになった。
そして魔法の研究は今も続いている。もっと強い魔法を見つけるために。もっと効率的な方法を見つけるために。もしくは好奇心を満たすために。誰かに認められるために。自分の念願のため。それぞれの目的や目標を持って研究をする。人々はそういう人を「魔術師」もたは「魔女」と呼ぶ。そしてその中で最も優れた七人を「七賢人」と称する。国王に能力を認められた天才中の天才。魔法に恵まれたと言われるくらい才能に富む七賢人は、他の魔術師と次元が違う。簡単に常識を打ち破り新しい法則を創り出す。これについては七賢人の中、最も才能に恵まれていると言われる怠惰の魔女「ミリネ・レイスン」がいい例である。
ミリネ・レイスン。17歳。七賢人『怠惰の魔女』。魔法に恵まれ現在最高の魔女と言われる彼女は、現代魔法の体制を覆した。彼女の論文や魔法陣も学会を驚かせるほど素晴らしいものだが、その中で一番人々を驚愕させたのは「無詠唱魔法」であった。長い間、常識魔法を使うことに必ず必要とされていた「詠唱」。怠惰の魔女は詠唱を省略することに成功したのだ。
ミリネはその才能を認められ13歳という若さで七賢人なった。13歳に魔術師なら誰でも夢見る七賢人になり無詠唱魔法を使うミリネは、他人の目には完璧に見える。が、ミリネには慢性的な問題が一つあった。
それは彼女の持病のような性格「怠惰さ」だった。
ミリネの怠惰さは狂気を超えたと言っても過言ではなかった。寝ていると起きるのが面倒臭い。勉強するのも面倒臭い。働くのも面倒臭い。それ以外にも、研究も修練も嘘をつくのも料理もさらにはご飯何食べるか悩むことすら、何もかも面倒臭いと思う。そんなミリネが望むことはたった一つ、家でゴロゴロ、のんびり生きたいだけだった。しかも自分の七賢人就任式の日だって
「はあ? 行かなきゃいけないの? いやだ、面倒くさいんだもん。どうせ私が七賢人になったって王国のみんなが知ってるでしょ。わざわざ行く必要ある?」
外出面倒臭いという理由で自分の就任式すら不参しようとした。もちろん、そんな理由で七賢人の就任式というものすごく重要な行事に不参することはできなかった。就任式の主役なら尚更。結局無理やり連れて行かれて就任式に参席はしたけど、それから公的式典や国の祭典、学会に面倒くさいという理由で一切顔を出さなかった。
こんなにも世の中の全てを面倒くさがるミリネだが、それが必ずしも悪い影響ばかりではなかった。だってミリネが使う無詠唱魔法が彼女の怠惰さが生んだ産物だったから。
魔法一つ一つにはそれぞれの詠唱がある。そのため、いろんな魔法を使うためには覚えておくべきの詠唱がたくさんある。これは魔術師なら文句なしに素直に覚えるもの。しかしミリネは違った。
「詠唱を全部覚えろっつって!? まぁ無理ではないけど、面倒くさいんだもん。あといちいち唱えるのは非効率的じゃん。あと戦闘中に詠唱なんか唱える暇などないと思う。ふーむ、もし詠唱なしで魔法を使えれば詠唱なんか覚える必要なくない? 唱える手間もないし」
詠唱を覚えるのが面倒臭いから、いちいち詠唱を唱えるのが面倒臭いから。なら詠唱なしで魔法を使えるようになる。そのバカみたいな考えから考案して創り出したのが無詠唱魔法であった。要するに無詠唱魔法は詠唱を覚えるのが面倒くさかったミリネの怠惰さが生んだ産物であった。
そして現在、偉大な業績を上げた怠惰の魔女ミリネ・レイスンはソファで仰向けに寝ている。もうお昼過ぎなのに、ミリネはそういうの関係ないというようにすやすや寝ていた。
「お師匠起きなさい。もうお昼過ぎです。起きなさい」
ミリネの弟子であるミア・ロズウェル。彼女ははミリネを揺すって起こした。効果があるのか、ミリネは眉間に皺を寄せた。
「五分、あと五分だけ寝るから」
「ダメです。いつもああ言いながら一時間は寝てるじゃないですか」
ミアは断固としてミリネのかけていた布団を取り上げた。するとミリネは突然の寒さに身震いした。少しかわいそうにも見えたが、今起きなければならなかった。このまま放っておくと、夕方に起きて夜更かしをしてまた次の朝に寝てまた夕方に起きて夜更かしをする、悪循環が続に違いないからだった。
ミアは自分の師匠をそんなダメな人になるのを見過ごすわけにはいかなかった。ミアは少しも表情を変えずに断固とした顔でミリネを見下ろした。
「早く起きて井戸で顔洗ってきなさいよ」
「いやだ、外寒いんだもん」
ミリネは背を向けて横たわった。
この情けない姿を世の中の人々必要があるのに。
世の中の人々はミリネの偉大なところしか知らない。七賢人で無詠唱魔法を使う偉大な魔女とだけ知られていて、こんな情けない人だとはほとんどの人が知らない。
ミアは自分の師匠のみっともない姿に小さくため息をついた。
「今起きないと今日の夕飯はなしですよ」
「ええぇ?! いやだ。餓死しちゃうや」
「じゃあ早く起きて顔洗ってきなさい」
「・・・はいぃ」
ミリネはしぶしぶゆっくり上半身を起きた。そのままソファにもたれかかってちっとも動かなかった。
「何してるんですか」
「体がだるくて、ちょっと休んで行こうと思ってぇ」
ミリネは目を閉じて眠そうな声で言った。すぐにでも眠れそうな様子だった。
「今すぐ起き上がりさい」
「やだ、五分だけこのままーー」
「・・・・・・」
「ーーわかった。今すぐ顔洗ってくる」
ミアの無言の圧に、ミリネは両手を上げた。重い体をしぶしぶゆっくり動かしてソファから起き上がった。ミリネはあくびをしながら家を出た。
「ううっ、寒っ」
服を刺すような寒さにミリネは腕を組んでブルブル震えた。もうすぐ冬だから寒いのもあるが、ミリネの家が山の奥深くにあるせいもあった。
「こ、ここ、これ絶対死ぬ」
骨まで凍える風にミリネは肩をすくめた。寒すぎて声も震えた。このままでは家の前で凍死確定だった。
「は、早く洗って戻らないと」
ミリネは家の裏手に回った。そこには石積みの井戸が一つあった。ミリネは小走りで近づいた。ミリネは井戸の木製のバケツに右手を伸ばした。すると、ミリネの人差し指の先に小さな魔法陣が現れた。ミリネが魔法陣に若干魔力を吹きかけると、魔法陣は微かに光り井戸のバケツが勝手に動き始めた。魔法でバケツを動かしたのだ。
今のあれを他の誰かが目の当たりにしたら、たかが水汲みに魔法を使うだと驚愕するに違いなかった。だってたかが水汲みみたいに簡単なことに魔法を使うのは、非効率的だというか魔力が勿体無い。そのため、水汲みみたいな簡単なことは自分でやるのが普通だった。しかしミリネは違った。そもそも自分の便利のために魔法を極めたミリネだったため、大体なことは魔法で済ませる。
やがて水を汲んだバケツが井戸からふわりと浮かび上がった。ミリネはバケツに手を伸ばした。
「早く洗って、うわぁッ、冷たいッ」
一気に眠気を覚ますほど井戸の水は冷たかった。まるで氷水のように、いやそれ以上に冷たい気がした。
「これで顔洗ったら絶対死ぬ」
これはダメだと思ってミリネは背を向けて家に戻ろうとした。しかしその瞬間、家で自分を待っているミアのことが思い浮かんだ。顔を洗わずに家に戻ったらミアに小言を言われるに間違いなかった。ミリネは足を止めて振り返った。そして空中に浮いているバケツの水に手を入れた。
「つめてぇ」
やっぱい冷たかった。魔法を使えば水を温めることも不可能ではないけど、ちょっと時間がかかる。多分、水を温める前に凍死するのが早いだろう。
「それなら・・・」
ミリネは決心を固めるように深く息を吐き、バケツの水で顔を洗い始めた。氷水より冷たい水が顔に当たって皮膚がピリピリしたけど、手を止めるわけにはいかなかった。この拷問みたいな洗顔を二度とやりたくなかったからだ。やがてなんとなく一度で洗顔を済ませたミリネは、ものすごいスピードで走り家に戻った。ミリネは家に入ってすぐソファに飛び込み布団で身をぐるぐる巻きにした。
「マ、マジで死ぬかと思った」
「お師匠、顔は洗ってきましたか」
「み、見ろよ。私の顔」
ミリネは自分の顔を指で示した。彼女の両頬は寒さと冷たい水の余波で少し赤くなっていた。ミアはそれを見てようやく疑いを晴らした。
「ちゃんと洗ってきましたね。少しは目が覚めましたか」
「目が覚めたどころか、マジで死ぬかと思ったよ」
ミリネは歯をカチカチ鳴らしながら言った。
「早く水道を引くとかしないと」
「できるんですか。この山奥に」
「ふむ、できるんじゃないかな」
初めてここにきた際には水道技術に乏しく、この山の奥まで水道を引けなかった。でも今はそれから時間もかなり経ったし、それだけ技術も進歩したはずだから十分にできるとミリネは思った。
「いざとなったら七賢人の権力を使ってでも」
「お師匠、それ権力乱用ですよ」
「いいや、福祉ってことだよ」
「・・・・・・」
表情の変化が乏しいミアが呆れ顔をしてミリネをじっと見つめた。情けなさそうに自分を見つめる弟子の様子に、ミリネはコホンと咳払いをした。
「それより手のカップは何」
ミリネは話題を変えてミアの右手のマグカップを指さした。するとミアは待っていたかのようにミリネにマグカップを差し出した。
「お湯です。これ飲めば少し楽になります」
「ミア・・・・・・」
ミリネは感動に満ちたような眼差しでミアを見つめた。
「私は紅茶が飲みたい」
ミリネの文句にミアはムカッとした。
「そんなに飲みたいのなら自分で作りなさい」
そう言ってミアは部屋に入ってしまった。ソファにポツンと一人残されたミリネは静かにマグカップに口をつけた。お湯の温かさが喉を通って全身に染み渡った。
「気持ちぃ」
体が温まって気持ちよかった。寒さが一気に飛んでいくようだった。ミリネはもう一口飲もうとマグカップを口につけた。お湯を口に含んだ瞬間、扉をノックする音が聞こえてきた。
「誰だろう。こんな山奥まで」
ミリネは水を飲みながら横目で扉の方を見た。
こんな山奥の小屋に訪れてくる人はあまり多くなかった。それも仕事を持ってくる面倒臭い王国の人が半分以上。
居留守を使おっか。
今は人を相手にするのは面倒臭いし、何よりやっと体が温めたのに、また外の空気で寒くなるのは遠慮だった。
そういうわけで、ミリネは居留守を使うことにした。しかし、しばらく経っても扉を叩く音は止まらなかった。
「あのミリネ姉ちゃん。ボクだよ」
扉の外からある少女の声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だった。その声に、ミリネはマグカップを机に置き扉を開けて迎えた。
扉の前には赤髪の可愛い少女が立っていた。少女の名前はカロルで近所の村の肉屋の娘だった。ミリネがよく行く肉屋だったし、たまに家まで新鮮なお肉を配達してもらっていて結構親しい仲だった。
「なんだ、カロルだったんだ。今日は何の用なの」
「遊びに来たよ。ミアいるの?」
「あ、今日はそっちか」
ミリネはどこか残念そうな顔をした。お肉の配達しに来たんじゃないかと内心期待していたからだ。
「ミアは部屋にいるよ。とりあえず上がって」
「うん!」
カロルは明るい返事と共に家の中に入った。ミリネは扉を閉めてソファに向かった。
ミアとカロルは13歳で同い年だった。カロルはミアの唯一の友人で、この山奥までよく遊びに来てくれる。
「あ、そういえばさ」
ミアの部屋の扉の前に立ったカロルは、急に振り向いて言った。
「ここにくる途中、知らないお兄ちゃんに道聞かれたよ。「この近所の魔女の家を知ってますか」と。多分ここを探していたみたいだったけど」
「うちを? なんで」
「知らない。なんか怪しいと思ってわからないって答えたの」
「偉いね」
気持ちとしては頭でも撫でてあげたかったけど、もうソファに腰掛けてしまってそれは無理だった。
立つの面倒くせぇ。それより一体誰がうちを。
ミリネは顎に手を当ててちょっと考えてみた。パッと思いつく人はなかった。王国の人だったら前もって連絡をするはずだけど、何の連絡もなかった。
私を探すのなら100パーセント面倒なことってことだけど・・・。ここをバレないようにもっと注意しないと。
「カロル、もし次も誰かに聞かれたらわからないって答えてね」
「うん。わかった」
カロルは明るい笑顔で頷いた。本当笑顔が可愛い子だった。
「どころで姉ちゃんはこれから何するの。もし暇なら一緒にボードゲームしない?」
「結構するね。今ソファでゴロゴロして忙しいから」
「えぇまたゴロゴロするの。大丈夫なの? お金とか。いくら魔女でも働かないと生活できないでしょ」
カロルが心配げに言った。
カロルはミリネが魔女であることは知っているが、七賢人であることは知らない。七賢人とバラしたら良いことより面倒臭いことがさらに多いから敢えてバラさないことにした。
「もし就職ができないのならうちの肉屋で働くのはど」
「それは遠慮しとくね」
ミリネはカロルの話が終わる前に即答した。働くのだけは死んでも嫌だった。
「私は一生ゴロゴロしたい」
「何それ。それじゃまともな大人になれないよ」
「いいよ。まともな大人になれなくても。私は私がなりたい大人になるから」
「ソファでゴロゴロする?」
「うん。正解」
真面目に正解と言うミリネの様子に、カロルはため息をつきながら頭を振った。
「ボクは絶対に姉ちゃんみたいな人にはならない。一生懸命生きてみんなに認められる人になる」
「それはよっぽど面倒くさい夢ね。まあせいぜい頑張ってみて」
いつの間にソファに横たわったミリネは、拳を振って応援を送った。一見すると適当に相打ちを打ったように見えるが、意外と思いのこもった応援だった。
だってカロルは村で一人ぼっちなんだから。カロルの赤髪は昔からーー。
その瞬間だった、突然扉を叩く音が家の中に響き渡った。ミリネとミアは同時にドアの方に顔を向けた。
また誰だ。はぁ、面倒臭いから今度こそ居留守を使おう。
「出なくてもいいの?」
「しーっ、静かにして」
ミリネは唇に指を当てた。カロルは静かに頷いて手で口を塞いだ。彼女たちは音を立てずに、扉を叩く人が戻るのを待っていた。しかしどれだけ時間が経っても扉を叩く音は止まる気配がなかった。誰が出るまで粘る勢いだった。
「本当に出なくてもいいの?」
「ううぅ」
ミリネは眉間に皺を寄せた。別にうるさいわけではないけど、小さい音が何度も繰り返して耳障りだった。ついに忍耐の限界に達したミリネは、パッと立ち上がって扉の方にツカツカと歩いていった。ミリネは勢いよく扉を開け放った。
「一体誰だ! お前いい加減にぃ・・・」
「あ、やっと出てきてくれたんですね。お久しぶりです、ミリネさん」
フードローブを被ったメガネをかけた真面目そう印象の男が扉の外で微笑んで立っていた。




