悪役令嬢は舞台から離脱する。
十五歳の春、ある日突然、何の前触れも予兆もなく、本当に、唐突に、前世の記憶を思い出した。
鏡に映る自分を見て、今更ながらに驚いた。
黒の髪に赤い瞳。化粧をしていないのに陶器のように、つるりとした毛穴の見えない肌。
少し目尻がつり上がっている見事な猫目のせいか、気の強そうな第一印象を受けるが、誰もが認める超絶美少女、アイリス・アランセア。
うーん、この外見は、確かに見事な悪役令嬢である。
どうやら私は、前世にプレイしてた乙女ゲームの世界に転生していたらしい。
転生しただけならば問題ないが、自分の顔を見て、名前を思い出して、これはあかん、と自分の未来を思い浮かべてげんなりする。なにせ、私が転生したこのゲームでは、各ルートごとに攻略対象が変わっても、全員の婚約者役を一手に引き受けるのが、私、アイリス・アランセアだったのだ。
攻略対象は、王子だの、公爵令息だの、辺境伯令息だのと、比較的地位の高い男性が多い。中には平民キャラもいたりするが、平民と言ってもその両親は、貴族の生まれであるが自分たちの意思で貴族籍を抜けたとか、そういう設定だ。つまり、血筋だけ見れば高貴なる生まれだったりする。
そんな彼らの婚約者となれば、当然高位貴族の生まれとなるのだが、最終的に排除されるキャラに、細かい設定は必要ない。
つまりはまぁ、主人公が攻略対象の個別ルートに入ると、私が婚約者として登場するのだ。どのルートでも。うん、しなくていい再利用である。
「……あれ、じゃあ、私の婚約者は、確定で主人公に盗られるってこと? なんて悲しい因果逆転」
我が家は中央貴族の侯爵家で、私は第二子の長女。兄が一人いて、跡継ぎはそちらである。
婚約者は辺境伯家の継嗣であるセージ・アッシュベル様で、私と同い年。物心がついた頃から婚約は決まっていた。とはいえ、身分はつり合いが取れているが、両家が結びつくことによるメリットは特にない、と思う。デメリットも特に思い浮かばないけれど。
前世のラノベでよく見た婚約者同士の交流会、などはない。何せ、私は王都に住んでいるし、婚約者は辺境伯領からそうそう出てくることはない。頻繁に顔を合わせるには物理的な距離がありすぎた。
ただ、国内の貴族は十六歳になる年の春に、王都の学院に入学することになっている。
日本の企業が制作したからか、実に日本人がイメージしやすい年代だ。要するに、高校が義務教育、みたいなものである。
そこで、聖女として覚醒した元平民の主人公が入学して、各攻略対象たちと交流を図り、愛を育む……という、まぁ、あるあるな流れだった。
主人公が攻略キャラの好感度を上げて、固定ルートに入ると【悪役令嬢】として婚約者のアイリス・アランセアが登場。ゲーム的にはおじゃま虫として主人公の行動を妨害してくるが、客観的に見るとその行動には正当性しかないのがポイントだ。
主人公が見事、グッドエンドを迎えた際には婚約者はなぜか断罪されて国外追放になる。なお、特にいじめや嫌がらせのシーンはない。あくまでも正当な婚約者としての言動のみである。それでも【悪役令嬢】と称されるのは、ゲームが主人公視点である以上、致し方ないのかもしれない。あるいは、そう表現した方が、プレイヤーにわかりやすいと思ったのか。
なんにせよ、使いまわし悪役令嬢は、婚約者という設定上、手っ取り早く退場させる手段として国外追放の憂き目に遭うのだ。理不尽にもほどがある。
せめて、何かしらの断罪にたるシーンがゲーム中に描かれていれば納得もできるのだが、そういったものは一切なかった。手抜きすぎだろ。
乙女ゲームプレイヤーとしては、それってただのライバルキャラなんじゃないの? と思うのだが、公式のキャラ紹介で【悪役令嬢】と紹介されている以上、悪役令嬢なのだろう。
主人公と攻略対象キャラの仲を裂く悪役ってか? 婚約者がいる相手と恋仲になる方がダメだと思うのだけど。しかし正義は公式である。公式が悪役と言えば、悪役なのだ。
「……えー、学院行きたくないなぁ」
敵前逃亡、戦略的撤退、戦線離脱。表現はいろいろあれど、私の脳裏にあるのは逃げの一手のみである。
何が悲しくて、婚約者の不貞現場を見なければならないのだ。ここが本当にゲームと同じ世界なのかは不明だが、現時点で、私が得られる情報からは、ここが限りなくゲームと同一の世界であると示している。
どうせ婚約者を奪われるのが確定しているのであれば、私は登場しなくても問題ないのではなかろうか。うん、問題ないよな、問題ないとする。
となれば。
「お父様ー、隣国に留学してもいいですかー?」
「いいよー」
国内進学ではなく、隣国留学だ! とゲームの舞台から離れる選択をしてお父様に提案してみれば、驚くほど軽い返事が返ってきた。
我が父ながら、軽すぎてびっくりだ。これは私に甘いとかそういうのではないな、うん。よくもこれで侯爵をやってられるものである。
「いいんですか?」
「いいよー、王都の学院に進学っていうのは、慣例みたいなものであって義務ではないからね。アイリスが留学したいというのなら、行っておいで」
義務じゃなかった!? てっきり義務だと思っていたが、そうではなかったらしい。え、それならますます、私が学院に行く理由はない。
一応、留学を却下されたらしぶしぶと別の破滅ルート脱出手段を考えようと思っていたけれど、まさかのただの慣例だったとは。知らなかった。
「むしろ、アイリスの立場なら、国内進学よりも隣国留学の方が将来のためになる」
「あら、なら、両親に連絡しておくわね。あちらでの生活基盤を整えてもらいましょう」
「……そういえば、お母様は隣国の生まれでしたね」
すっかり忘れていたけれど、お母様は隣国の公爵家の生まれで、お祖母様は元王女だった。うちの国と隣国は昔から友好国で、上位貴族間での婚姻は珍しくない。
確かに、お父様目線では、私は隣国と接している、次期辺境伯夫人となるのだから、隣国との繋がりを強化するのは、国内での交友関係を広めるよりは重要、と考えるのはおかしなことではない、気がする。
……もしかして、私とセージ様の婚約って、この辺が関係あったりする? 隣国の王族の血を引く私が、隣国との国境に接している辺境伯領に嫁ぐのは、理にかなっている、気がする。
あれ、よくよく考えると、ゲームのご都合設定と比べて、意外とつじつまが合ってる、ような?
え、本当に主人公による婚約者略奪劇、起こるのかな。起こったら、まずい気がするんだけど……
…………ま、いっか!!
◇
というわけで、私の留学が決まり、一足お先に乙女ゲームからのドロップアウトに成功したと思ったのだが。
「これからよろしくね、アイリス嬢」
「えー、と。はい、よろしくお願いいたします、セージ様」
なぜか、留学中の滞在先、隣国の祖父母の家である公爵家にて、祖国の辺境伯継嗣である婚約者と対面していた。
なお、これが初対面である。
「その、どうして、セージ様がこちらに……?」
「うん、アイリス嬢が留学するって聞いて、それじゃあ、僕も一緒に、と思って」
「なんで?」
なんで?
思わず本音が口からまろび出た。
いけないいけない、せめてもう少し、猫をかぶっておかねば。
へらりと笑ってごまかせば、セージ様はにこりと笑って聞き流してくれた。やだ、いい人。
「僕も辺境伯の跡継ぎとして、この国のことを知っていた方がいいよな、と思ってね。侯爵夫人からの勧めもあって、お言葉に甘えたんだ」
「あ、そう、なんです、ね……?」
おかーさまー??
確かにここはお母様の実家だし、次期辺境伯としては自領と接している国のことは知っておいた方がいいしね? お母様の提案は何もおかしなところはないんだけど……うん。私の決意が無意味なものに……なってはいない、けども。
「迷惑、だったかな」
「あ、いえ、決してそんなことは。ただ、その、少し驚いただけです。すみません、私一人だけだと思っていたので……セージ様が一緒にいてくださるのは、とても心強いです」
「よかった」
にこり、と笑うセージ様。さすが、乙女ゲームの攻略対象なだけあって、とても眼福です。悪役令嬢な私も超美少女だもんね、当然、攻略対象なセージ様も非常に外見が整っている。
セージ様は、言ってしまえば人懐こいわんこと見せかけた腹黒枠だ。一見すると人当たりがよく、物腰柔らかで、するりと人の懐に潜り込むのがうまいが、本音はきれいに隠されていて、腹の底は見えない。正直に言ってしまえば、私の苦手なタイプである。
腹の探り合いとか、向いてないもん、私。顔だけならものすごく好みなんだけどね。
主人公は、そのきれいに隠された本音を探り当て「おもしれー女」認定されて徐々に執着されていく、とかそんなんだった気がする。
非常に残念ながら、私は「あなたの本音、いつか聞かせてね」みたいなセリフは酔っていても吐けない。本人が隠したがっているものはそのまま墓まで隠し持って行ってくれ派である。
見せんでいい、そのまま大事におなかの中にしまっておいてください。
「アイリス嬢は、何か学びたいことはあるの?」
「あ、はい。私、実は魔道具に興味がありまして」
「魔道具?」
「はい。なくても困らないけど、あったら便利だよね、みたいな」
イメージは、ドラ〇もんのポッケの中身である。前世では物理法則の問題とかで不可能だった数々の道具たちも、剣と魔法の世界でもある今世ならば、実現可能、かもしれないのだ。
祖国は道具に頼るな自分で魔法を使え! という文化が強いのだが、この国では便利なら道具でいいじゃない、という思考が広まっている。その結果、魔道具に関してはこの国の方が何百歩も先を進んでるのだ。
元々、魔道具に興味があったのは事実なのだが、その前段階として、ゲーム通りの人生を回避するという目的がある。目的のための手段としての留学だ。
とはいえ、せっかく留学するのであれば、婚約破棄(相手の不貞が原因なら解消は認めん、相手有責で慰謝料たっぷりぶんどるぜ)した後の人生を見据えて、実入りのある留学生活を送りたい。そこで、留学先の学舎にはどんな分野があるのかなー、と調べてみたら、まさに魔道具の制作を専門に学べることを知ったのだ。
まさしくこれぞ私の進む道! となったのだ。
こういうのあったら便利じゃないですかー? と脳内構想を語ると、セージ様は思いのほかきちんと話を聞いてくれる。
「なるほど……確かに、どんなに遠い場所でも一瞬で行けたら、便利だね」
「ですよね。辺境伯領から王都って、馬車で移動すると何日もかかるじゃないですか。転移魔法を使える人なんて限られているし。でも、誰でも簡単に、遠くまで一瞬で行けたら、便利だと思いません?」
「うん。それはとても便利だと思う。防犯のことを考えると使用できる箇所を制限するとか、そういうことも考えないといけないけど」
「それはそれです。私は、ただロマンを追い求めてるだけなので!」
やばい、考えたら楽しくなってきた。
実際に入学するのはまだ半年先で、この半年はこの国での生活に慣れるための準備期間なのだが、もう今すぐにでも入学したい。
どこで〇ドア、日本人ならば一度は夢見たことだろう。だって、瞬間移動だよ、瞬間移動! 通学とか通勤とか、一瞬でできるとか最高すぎる。
確かに、セージ様のいう通り、悪用されるときのことは考える必要があるけど、実現するとは限らないからね、夢を見るのは自由である。
「あー、入学が今から楽しみですね!」
「うん、そうだね、僕も、楽しみになってきたよ」
本音はわからないけれど、表向きはセージ様も楽しみにしてくれているので、私に都合のいい解釈をしておこう。
こうして、私とセージ様の隣国生活は幕を開けたのだった。
◇
「……ス、……イス、アイリス!」
「!?」
肩をつかまれ、驚いて顔を上げると、そこには眉尻を下げた困り顔をしつつも、目が怒っているという、とても器用な顔をしているセージがいた。
「セージ? どうしたの?」
「どうしたの? じゃないよ。今何時だと思ってるの」
「あら」
「あら、でもないからね」
言われて周りを見回すと、確かに窓の外はすでに真っ暗だった。
隣国に来てすでに二年、入学して一年半。私はこれまでの時間をひたすら魔道具制作に情熱を注ぎつつ、婚約者ともそれなりに交流を図り、結果、お互い名前の呼び捨てになるまでに至った。
ゲームでは主人公と攻略対象が結ばれるのは学院の卒業パーティである。うん、よくある。
ゲームとの因果関係を考えると、【悪役令嬢】である私の婚約者であるセージが主人公である聖女のお相手になる、と予測していたのだけど、肝心のセージは私と共に留学している。
卒業まであと一年半しかない。セージの性格的に、もしこれから出会って関係を深めていくには時間がギリギリ足りるか足りないか、というところだろう。なにせ、セージを落とすにはまず、その人懐っこいわんこの仮面を剥がすことから始まるのだが、その仮面を剥がすのに時間がかかる。仮に、主人公も私と同じ転生者で、即行わんこ仮面を剥がして攻略するのは……無理だろう。どう考えても、そんな胡散臭い女に心を開くような男じゃない。
「アイリス? 話聞いてる?」
「あぁー……ついつい、夢中になっちゃって。あ、セージ、これをちょっと耳に着けてみて!」
「なにこれ。時間にも気づかなかった理由?」
「うん、そう! いいから、いいから!」
そう言って私が手渡したのは、前世でいうイヤホンに似たものだ。耳たぶに装着するものではなく、耳の中に直接入れるもの。
訝しがりながらも、素直に右耳の中に入れたのを見届けて、私は口を開く。
『ねぇ、私の声、どんなふうに聞こえてる?』
「!?」
『お、その反応、成功かな?』
「え、ナニコレ、なんかアイリスの言葉が二重に聞こえる」
「うん、そういう翻訳道具!」
私が目指したのは、翻訳こ〇にゃくだ。ただ、実際に食べる魔道具は前例もなく、方法も見当がつかなかったので、何とか考えを切り替えた結果、イヤホンとマイクで代用してみたのだ。どう考えても、魔法薬の分類だよね。
イヤホンを通して別の言語が、母国語として認識している言語に聞こえる、という仕組みである。この実験結果の為だけに、無理やり覚えた他国の言葉である。発音がきれいかわからないし、これ以外はしゃべれないけどね。
セットで使うマイクの方は小さなスピーカーも兼ねているため、使用者の言葉を相手の言語に合わせて変換して出力する。マイクだけど入出力装置を兼ねてるぜ。
翻訳こ〇にゃくは、それ一つ食べるだけで全ての言語を把握して話せるようになるんだけどねぇ。さすがにそこまでの利便性は再現できなかった。
「なるほど、確かにこれは、便利かも」
「でしょでしょ!? どこにでも行けるドアもまだ諦めてないけど、こっちの方が完成早いかな、って!」
どこで〇ドアも、まだ諦めてはいない。卒業まではあと一年半しかないが、このまま留学期間を延ばしてしまいたい。
元々の予定では、国内の学院を卒業した半年後に結婚の予定だった。婚約破棄を念頭に置いていたときは、結構本気で留学延期どころか、このままこちらに移住しちゃおうかなとまで思ってたのだけど、今のところ、セージとの仲は特に拗れていない。なので、まぁ、きっと、このまま問題なく結婚することになるだろう。
不思議なことに、セージとの相性は今のところ、悪くない。腹黒タイプは苦手なのでもっと早々に「こいつ無理ー」となるかと思っていたのだけれども、不思議なことに、あまり腹黒要素は今のとこ見せてこない。真の腹黒は、それを相手に悟らせないということなのだろうか。
翻訳イヤホンを手にしてまじまじと見つめているセージは、見れば見るほど端正な顔立ちをしている。
セージの顔は、やっぱりとても好みだ。正直、前世の記憶さえなければ、セージが婚約者であることに素直に喜んでいたことだろう。
「これ、増産はできるの?」
「んー? うん、たぶん。ちょっと希少な素材も使ってるから、あまり多くは作れないと思うけど、設計図も魔法陣も書き起こしてあるから、私以外の人も作れるだろうし」
生活を豊かにする魔道具に大事なのは、誰でも作れることだ。特定の人間しか作れない、一部の人しか使えない道具はあまり意味がない。かといって、超高性能すぎると、それを悪用されたとき大惨事が引き起こされる可能性が高い。
なので、どこで〇ドアの再現はロマンだけど、仮に作れたとしても、商品化は難しいだろう。
「すごいよアイリス! これ、外交官の必需品になるんじゃないかな。もちろん、これも使い道を制限しないといけないとは思うけれど、これは画期的な魔道具だよ!!」
「う、うん」
セージが目をキラキラとさせて、満面の笑みを浮かべて私の両手を握りしめる。いつものわんこ的スマイルではなく、本気で楽しそうである。
その物珍しさに、思わずまじまじと見つめていると、私の視線に気が付いたセージが、少し頬を赤く染めた。自分でも珍しい反応をしてしまった、と思っているのかもしれない。
「んんっ、とりあえず、帰ろうか」
「そうね、これ以上、みんなを待たせるわけにはいかないもの」
セージはアッシュベル辺境伯家の跡継ぎで、私はその婚約者であり、アランセア侯爵家の娘で、留学先であるこの国の王家の血を引く外戚でもある。友好国と言えど、他国への留学にはもちろんびっしりと護衛が付けられている。
私たちに何かあったら、外交問題になってしまうからね。
セージと並んで正門へと向かうと、そこには迎えの馬車が一台と、護衛の騎士たちが待っていた。
うん、長い間待たせてごめん。
◇
「ねぇ、セージ、私、帰りたくないんだけど」
「それはつまり、俺との結婚が嫌だってこと?」
「いや、そういうわけじゃないけど。うちの国、あんまり魔道具の研究に積極的じゃないし」
「うちに来てから続ければいいんじゃね? だから早く結婚しようぜ」
さらに一年半ほど経過し、帰国、すなわち卒業を目前にして、私は帰りたくない症候群に陥っていた。だって、帰ったら魔道具制作に関われない。
私が翻訳機を完成させてから、セージは私をなぜか「おもしれー女」認定をしたのか、時折、私に素を見せるようになってきた。ものすごく唐突に、私と二人の時だけ一人称が「俺」になったり、言葉が少し乱暴になったり。
それについて、あえてスルーして突っ込むこともしなかったら、ますますわんこが消えてしまった。
なぜだ。
「セージ、わんこ逃げてるから捕まえてきて」
「えー、ここにはアイリスしかいないし、別にいいだろ、奥さん」
「まだ奥さんじゃないから、わんこ被っといて。私は猫派だけど」
「奥さんにはなってくれるんだ、よかった」
思いのほか、本気で安心したようなセージの姿に、もしかして私は自分が思っているよりもセージに好意的に思われているのかもしれない。
それにしても、本当に卒業はもう間もなく。つまり、ゲームのエンディング間近、ということになるのだが、結局、セージは主人公である聖女ちゃんとは出会わなかったようだ。
セージは一度も帰国していないし、聖女とは言えまだ学生である主人公が単独で他国に出ることはない。隣国の聖女が来たぞ! という話は耳にしたことはないので、二人が会っていないのは間違いない。
私がこの国に留学したことにより、色々と変わってしまったのか。あるいは、元々ゲームと似ているだけで、シナリオは全く関係ない世界だったのか。
いずれにせよ、今から聖女がセージと出会って超スピードで恋愛して、私を国外追放するのは不可能だろう。
「奥さんになるのは異論ないんだけど、逆に聞くけど、セージは私に奥さんになってほしいの?」
「え、もちろん。むしろアイリス以外と結婚したくないんだけど」
「え」
驚きのあまり、ぽっかりと口を開けてセージを凝視していると、ローテーブルを挟んだ正面に座っていたセージが、おもむろに立ち上がって、私の隣へと移動してきた。
そっと顎に指を添えて、口を閉じられた。
「うーん、気づいてないとは思ってたけど、俺、アイリスのこと、好きだからね?」
「え、え、な、なんで?」
「なんで、って言われても。恋愛感情なんて、そういうもんじゃない?」
それは、そう、かもしれないけれど。
あわあわとしていると、セージが私の手を取って、その指先に唇を落とした。ちゅっ、というリップ音付きである。
「でもそうだなぁ、あえて分析するなら……これだけの美少女が婚約者で、なのに高飛車にもならず、ただ自分が楽しいと思うことを追求して、キラキラと目を輝かせながら夢を語って、更にそれを夢で終わらせず実現させてたら、そりゃー、落ちない男はいないでしょ」
「え、あ、う……」
「アイリスは? 少しは、俺のこと、意識を……してくれるっぽいな、その顔見ると」
顔が熱い。
耳も熱い。
心臓がバクバクしてる。
おかしい、確かに顔はびっくりするほど好みであったが、中身はそんなことない、苦手なタイプだと思ってたのに。
いやでもなんだかんだで、この約三年半、一緒に過ごして楽しかったな、とは思うし、できればこの先も一緒にいたいな、とは思う。
「……あれ、もしかして、私もセージのこと、好き、なのかも……?」
「さぁ。それは、アイリスしか答えを持たないから俺はわからないけれど。でも、そうだったらいいな、とは思う」
まって、まって、こんな、なんでこんなことになってるの!?
急展開やすぎませんか!?
「ねぇ、アイリス、キスしていい?」
「へ!?」
「キスしたいなぁ、だめ? だめなら、さすがに今は諦めるけど」
セージが、私に、キスをしたい。
私と、セージが、キスをする。
心臓がどきどきとうるさすぎて、冷静に考えられないけれど、嫌だな、とは思わない。なので、素直にそう口にした瞬間、セージは私に口付けた。
ゆっくりと離れた唇に、なんか寂しい、と思ってしまった私は、ここでようやく、遅まきながらに、恋心を自覚した。
まじかー。まじかー! 私、どうやら、セージのことが好きだったらしい。
「あー、だめだ、アイリスが好きすぎる。ね、帰ったらすぐに結婚しよ。式は後からでいいから、書類だけさっさと出して、辺境伯領、来てよ。帰国したらなかなか会えないなんて、耐えられない」
「う、うん……そ、だね……?」
確かにこの国では、各々の部屋はさすがに別の邸であるとは言え同じ敷地内だし、食事も通学も帰宅後もほぼほぼずっと一緒だった。もちろん、別行動することもあったけれど、それでも誰よりも一番一緒にいたのはセージだった。
それが当たり前だったけれど、帰国したら毎日会えるどころか、王都と辺境伯領で、会うだけでも何日もかけて移動しなければならない。
後から考えれば丸め込まれた気もしないでもないけれど、その場の雰囲気とか、勢いとか。理由はいろいろあるけれど、自分の中で気づいたばかりの恋心に従って頷いてしまった結果、帰国後、本当に即行書類上の夫婦となり、私はアイリス・アランセアから、アイリス・アッシュベルとなった。居住地も当然、王都から辺境伯領となり、アッシュベル家一同から大歓迎を受けた。
帰国前にセージが両家に手紙を出し、私がぽけー、としている間に根回しという根回しを全て終わらせて、気が付いたら絡め取られてしまった。
◇
「もしかしなくても、私が思ってる以上に私のこと、大好きだった?」
「もしかしなくても、大好きだし、愛してるし、早く俺のところに落ちてこないかな、と思ってた」
「そっかー」
ほんの数週間前までは、テーブルを挟んで対面に座るような距離感だったのに。今では隣に座るどころか、セージの膝に横抱きされ、腕は私の腰に回り、何が楽しいのか、頬やら耳やら瞼やらにキスの雨を降らせてくる。
はじめは私も照れて固まっていたけれど、結婚してからずっとこの調子なので、さすがに慣れてしまった。
「あー、好き、ホント好き、俺の奥さん可愛い」
「私が可愛いのは知ってる。30点、やり直し」
「俺が言ってるのは容姿じゃなくて、内面の話だよ。もちろん、容姿も可愛いけどな」
「内面かー。セージはなんか、途中から人格変わったよね」
「変わったわけじゃないが、まぁ、この子と結婚するんだよな、と思ったら別に取り繕う必要ないよな、って」
夫婦のイチャイチャタイムは、毎日夜に設けられている。半年後に結婚式を控えているため、現時点ではまだ共寝はしていないが、法的にも正式に夫婦であるため、部屋には本当に二人きり。使用人は呼べばすぐ来れる距離に控えてはいるけれど、基本的には部屋には待機していない。
セージが一体、どういう言い方をしてうちの両親を丸め込んだのかは不明だが、三年半も隣国にいたのに、帰国して早々、嫁に出ることになった娘に対してなんとも言えない顔をしていた。あの表情が、私に対しての呆れなのか、娘を嫁に出すことに対する哀愁なのか。私にはいまいち判断できないが、できれば早めにどこで〇ドア改め、どこにでも行けるドアを完成して、里帰りを気軽にできるようになりたい。
一応、社交シーズンには王都に行く予定ではあるが、気軽に行くにはやはり少し遠いのだ。
事前に宣言していた通り、セージは私が嫁いでも魔道具の研究をさせてくれたし、なんなら積極的な支援をしてくれた。アッシュベル領は、接している隣国とは友好的だから仮想敵国と接している辺境と比べれば平和だし、むしろ隣国の文化も流れてくるため、魔道具に関しても理解がある。
次期辺境伯夫人として、もちろん社交活動はしなければならないときは頑張るが、それ以外は魔道具制作に熱中していてもいいと許可を貰っている。
まぁ、現当主夫妻であるお義父様とお義母様は、まだまだお元気で隠居される予定はないしね。
「そういえば、学院の方は散々な卒業式になったらしいね」
「あー……聖女様が、大暴れしたらしいね」
ゲーム主人公である聖女様は、転生者だったようで、逆転した因果の通り、入学当初はセージを探していたらしい。しかし、当の本人は隣国に留学していて学院にはいない。そこで一度目の謎の大暴れ。知り合いでもない辺境伯令息の名前を叫び、同じく面識のない侯爵令嬢への誹謗中傷をまき散らし、周辺の人たちから一定の距離を取られたようだ。
その時の大暴れからしばらくして、「悪役令嬢の婚約者がセージならば、他の攻略対象キャラはフリーなのでは?」という思考になったのか、まさかの第一王子殿下に近付いたようだ。
しかし、第一王子殿下には私とは異なる婚約者がすでにいる。我が家よりも爵位が上の公爵家の御令嬢だ。しかも、お二人は政略ではなく、王子殿下が熱烈アタックした結果の婚約である。いかに聖女であろうとも、二人の仲を引き裂くことは許されない。
結果、王家と公爵家から目を付けられ、卒業を待たずして大神殿の預かりとなり、生涯、聖女として奉仕することになったそうだ。南無南無。
帰国後、アッシュベル領に来るまでの間に友人と会ったときに、聖女のあり得なさについて、懇々と語られた。そういえば、友人の婚約者は、攻略対象だったかもしれない。
記憶を思い出してすぐ、留学に向けて行動を始めたから気づかなかったが、セージ以外の攻略対象たちにも婚約者がいる時点で、やはりここはゲームの世界とはただ似ただけの世界だったようだ。
まぁ、しょっぱな主人公がセージを探し始めたというから、私としては回避がやはり正解だったのだけれども。
唐突に思い出した前世の記憶から、理不尽な国外追放を避けるためだけに思いついた隣国留学をしたけれど、結果的に、とても幸せな結婚になったので、あの時、私は即決即断で最善のルートを選び取ったようだ。




