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第一話

タクシーの窓を開けると、細かい雨粒が吹きこんでいた。


同時に湿気を含んだ土の匂いが私を包み込んだ。


風って、こんな匂いなんだとぼんやり思った。


私の知らない香りだった。







私が住んでいたのは、磯の香りがする風が吹く町だった。


家族は、なかなか理想的だった。


父親は隣町の市役所で働いて、母親は家の一階でカレーショップを開いていた。


十二歳年上の姉は、母親に似て、美人だったし、父親に似て、とても頭が良かった。


ちなみに私は父親に似て、鼻が低かったし、母親に似て、数字が苦手だった。


出来の良い姉に羨望の気持ちが全くなかったとは言い切れないけれど、それ以上に私は姉のことを自慢に思っていた。


それに姉は、私を可愛がってくれた。


暁生に意地悪された時も大抵、姉が助けてくれた。


はとこの暁生は、四歳から小学校卒業まで私の家で暮らしていた。


私は、暁生のことが大嫌いだった。


両親の前での暁生の振舞いは模範的だったけれど、私に対しての態度は、最悪だった。


幼稚園の用具入れに閉じ込められた時、血相を変えて探しにきた姉が暁生に平手打ちを食らわしたことは今でも忘れられない。


姉は暁生の首根っこを掴んで、頬をピシャリと叩いた。


暁生は姉のことが大好きだったから、それ以来、暁生と私は犬猿の仲になった。


ハーフの暁生は全体的に色素が薄く、幼稚園の頃は周りの子達に敬遠されがちだったが、小学校へ上がると、垢ぬけた容姿のせいで逆に人気者になった。


私は仲の良い友達とつるみながら、平穏に過ごしたかったのに、暁生が私をからかうせいで、散々な目に遭った。


暁生の取り巻きの子達からよく嫌がらせを受けた。


六年生の時、仲良しだった美弥と暁生のせいで、仲たがいした。


腹の虫が治まらなかった私は、家に帰ると、暁生の頬を引っ叩いてやった。


姉がしたみたいにありったけの力を込めた。


「美弥に何言ったの。」


私は、強い口調で詰め寄った。


「俺と仲良くしたいなら、楓と口利かなければ考えてやるよって言っただけだよ。的場の奴、本気にしたんだ。はは、ひでえ。」


愉快そうに笑う暁生が、悪魔に見えた。


頭に血が上った私は、気がつくと、怒鳴っていた。


「ひどい。あんた、最低。そんなに私が嫌いなら、どっかいけばいい。私の前から消えればいい。」


興奮していた私は、自分がどんなに残酷なことを言っているのかちっとも分かっていなかった。


暁生の顔は、まるで死人みたいに青白くなった。


間違いなく暁生を傷つけていたけれど、その時の私は暁生に謝る余裕がなかった。


暁生も傷ついた方がいいと思っていた私は、無言のまま、その場を走り去った。


それからしばらくの間、私は、暁生の姿を見るたび、何か復讐されるのではないかとビクビクしていたけれど、暁生は何もしてこなかった。


それどころか、暁生は私に全く無関心になった。


無視と呼べるほどではなかったけれど、以前のように私にかまってくることがなくなった。


小学校を卒業すると、暁生は寮のある私立の学校へ進学し、私は地元の公立中学へ進学した。


私と暁生の道は、すっかり分かれたはずだった。


少なくとも、去年の冬まではそうだと思っていた。


去年の暮れに両親は交通事故で亡くなった。


受験生だった私は、姉夫婦の家に住まわせてもらったが、新婚の夫婦の家に高校進学後も居候を続けるのは、なんとなく気が引けた。


一人暮らしをしたかったが、生真面目な姉が許してくれるはずもなく、困っていたところに矢吹真一氏からの手紙が届いた。


父親のいとこである矢吹氏は、私に全寮制の学校へ入学できるよう口を利いてくれるという内容だった。


暁生が通っていることや生徒がお金持ちの子息ばかりだということも知っていたけれど、私は矢吹氏の申し出を受けることにした。


学費のことは心配しなくてもいいと書かれていたことが、一番の理由だった。


姉は、少し泣いた。


でも、私は考えを変えなかった。


結婚した姉が大切にすべきなのは、もう私ではないことは分かっていたから。









霧雨が止むんだ頃、私を乗せたタクシーは、大きな鉄製の門の前で停車した。


コンクリートの高い塀の向こうは、鬱蒼と生い茂る木々が見えるだけで、校舎どころか建物さえ見当たらない。


(これが学校なの)


私の困惑した表情に気がついた運転手のおじさんは、小さく笑った。


「驚いたでしょう。すごく敷地が広いんですよ。でも、心配しないでください。ちゃんと、寮の前まで送りますから。」


そう言った後、タクシーを降りたおじさんが鉄門のすぐ脇に取り付けられているブザーを鳴らした後、何か告げると、大きな門は鈍い音を立てて解錠した。


「ここから、五分ほど走ります。」


おじさんの言葉を合図にタクシーは私立浅見野学園の敷地へと踏み込んだ。


昼間なのに暗い森を眺めていると、またおじさんが口を話しかけてきた。


「浅見野学園の生徒なら、お客さんも社長令嬢とかですかね。」


「まさか。」


私は、途方もない勘違いを強い口調で否定した。


しかし、おじさんは、別の意味に取ったようだった。


「じゃあ、お医者様の娘さんとか。」


私は、首を強く横に振った。


「違います。私は、お金持ちなんかじゃありません。事情があって、この学校へ通うことになっただけです。」


「じゃあ、シンデレラストーリーですね。」


おじさんは、粘り強いタイプらしかった。


そうかもしれませんねとげんなりした声で答えたら、おじさんはなぜか、大きな口を開けてわははと笑った。


「さあ着きました、シンデレラ。王子様が待っていますよ。」


赤いレンガ造りの建物の前にタクシーを停めたおじさんは、代金を払うと、またしても聞くに堪えない勘違いの言葉を残して去っていった。


タクシーを降りた私の目に映ったのは、王子ならぬ天敵だった。


長い手足をもてあますように組んで建物の壁に寄り掛かっていた人物は、私を見るなり、憎たらしいほど端正な顔を歪めた。


「遅い。」


三年ぶりに再会したはとこ殿は、想像通りの素っ気ない第一声を発した。


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