生き方を探す旅
高校生活は「青春」に近づき、そして遠のいた。人を殺した過去を持つ僕が、大学になんて行っていいのかな。社会なんかに出ていいのかな。もう誰も死なない、殺さないように…。
【仁哉真柊】
あれから三年が経った。僕は魁成実業大学に通う大学生になり、焼肉屋でバイトも始めていた。三年前に僕は恋人を殺した。まあ、恋人という関係になったのは二十分くらいだけど。それでも彼女は僕の恋人だった。だった?いや今も恋人なのだろうか。もう彼女はこの世にはいないんだけどな…。
大学はやはり高校とは違った。勉強目的で入った人と友達と遊びを謳歌する目的の人とが極端に分かれている。僕はというと、どちらの派閥にも属さない無所属になっていた。僕の周りの人間は不幸になるのだろうかと考える日もあった。でも、やっぱり、友達というのはいつの間にかできてしまうものなのだ。科目が同じでたまたま席が隣だったやつが話しかけてきた。
「うっす!俺蒼明ってんだけどお前名前何?」
うっわ、チャラい、苦手なタイプ…
けどまあ話しかけてきてくれたし、一応は返事しないとな。
「あー、僕は真柊って名前です。」
「はえー真柊ね、珍しいななんか!」
声がでかい。講義室にいるみんなが僕らに視線を送る。
「よく言われます。」
「え苗字は?」
「仁哉です。」
「めっちゃいい名前やんひろやまなと!」
「…ありがとうございます。」
「なあなんで敬語?同い年だべ」
大袈裟に笑いながら言う。多分陽キャだ。いや絶対に陽キャだ。僕とは真反対の人間がどうして僕に話しかけたんだ。君の周りにもっと一軍っぽい人いるだろ!
「ああ、わかった、じゃあタメで…」
「いいね~!ちょライン交換しよ!」
言われるがままに交換したラインには『谷口蒼明』のアカウントがあった。アイコンはサングラスをかけた自分と友達のツーショットで、背景は大勢で焼肉を囲んでる写真、やっぱり陽キャだ。ステメには「スノボ行きてぇ」と。
そんな事をしているうちに教授っぽいおじさんが入ってきた。騒がしかった講義室が少しだけ静かになる。
「えーみなさん、はじめまして。情報の授業を担当する『木村峡』です。私の授業では主にパソコンを使いますので、持参するのを忘れないように。それから―」
教授が自己紹介と授業の説明をしているのを左腕の肘をついて聞いていると、今度は左隣に座ってた女子が小声で話しかけてきた。
「あの、アイフォンの電源ってどうやって切るんですか?」
顔を見るとすごく恥ずかしそうだった。どんだけ機械音痴なんだ、という言葉を飲み込んで教授に気づかれないように最小限の動作で教えた。
「電源ボタンと音量上げるボタン長押しで出来ますよ。」
そう言うと女子はすぐに実行し、できた事を確認してから「ありがとうございます!」と、ペコペコと頭を下げた。
(つい最近アイフォンに変えたのかな…)
と考えていたら、教授がプロジェクターを取り出しスクリーンにスライドを映し出した。この教授の第一印象としては、嫌いかもしれないな。頑固そうだしスライドを見る限りでも難しい単語ばかり使って自分のペースで話す。はあ、もう嫌いな先生ができてしまった。
【原川雫玖】
真稜高校の卒業式はあまり泣かなかった。というか泣けるほど仲の深い友達もいなかったししょうがない。ああでも一人だけ親友って呼べる人はいた。『櫻木真耶』だ。真耶は私の事をなんでも知ってるし、登下校もずっと一緒だった。三年生でクラスが離れてしまったがそんなことお構い無しにずっと一緒だった。でも大学は違うとこに行ってしまった。私は魁成実業大学に、真耶は紋亭法科大学に行った。これもしょうがない、お互いに将来の夢は違うんだし。
初日の講義室は騒がしかった。みんな友達を作ろうと必死に話しかけている。
(私も乗り遅れたらまずいかな…)
と思っていると、左隣のショートヘアの女の子に声をかけられた。
「ねえねえ、なんで経営学取ったの?」
と、ニヤニヤしながら聞いてきた。何か面白い返答を期待してるのか?と思ったが正直に答えた。
「将来自分で飲食店を開きたくて!」
「え!すご!え何料理にすんの?」
「んーまだ決めてないけど…フランス料理とか作ってみたり?」
「やば!今度うちにも作ってよ!」
「お!任せろ!」
一応教授が来るまで会話は繋ごう。
「名前なんて言うの?」
私が聞くと彼女はまたニヤニヤして
「え、当ててみ~?」
と無理な問題を出してきた。いやむずすぎるだろ。
「え〜、りさとか?」
「ぶー!」
「じゃあ、あや?」
「ぶー!惜しいな!」
「…まや?」
「ぶー!まやっていい名前だな…」
全く分からなかったから親友の名前を出してみた。確かに真耶はいい名前だと思う。
「正解は、『春宮綾乃』でした〜!うちさ綾乃って名前嫌いなんよねえ」
「いい名前だと思うけど?」
「いや、在り来りすぎてつまらん!」
変な理由で自分の名前に納得いってない様だ。気持ちは分からなくもない。
綾乃「そっちは名前なんての?」
私「…当ててみ?」
今度は私から問題を出した。自然とニヤッとなる。きもいな自分。
「うわ!そうきたか…」
綾乃は右手で唇を抑えて少し考えたあと、ハッとした様子で
「しずく!」
と叫んだ。少しびっくりした。大声にも当てられたことにも。
私「え!なんで当てれたの!」
綾乃「ふっふっふ…。資料集の名前欄に書いてるのが見えたのさ!」
と自慢げに私の前にある資料集を指さした。あ、ほんとだ、名前書いてる表紙が見えてた。
私「うわ、観察力」
綾乃「すごいべ!名探偵なれるかも…」
私「なれちゃうじゃん…」
綾乃「あ、あれ教授じゃん!スマホ使えなくなる前にインスタだけ交換しとこ!」
私「たしかに!」
講義室に教授が入ってきて、そのまま自己紹介と授業の説明を始めた。そういえばスマホの電源切ってない。親から電話とか掛かってきたらやばい。でも私は高校を卒業してからアイフォンにしたから電源の消し方わからんし、こうなったら友達作りも含めて綾乃ではなく右隣の無愛想っぽい男の子に聞いてみよう。
いや、この人のことは知ってるんだけど…まだいい。
「あの、アイフォンの電源ってどうやって切るんですか?」
男の子は少し驚いた様子で、でも丁寧に教えてくれた。
(あー絶対機械音痴だと思われた。)
と思いながら「ありがとうございます」と頭を下げた。
【仁哉真柊】
一限目が終わり二限目の準備をしている時、また左隣の子が話しかけてきた。
「あの、さっきはありがとうございます!お名前聞いてもいいですか?」
さっきはあまり顔を見れなかったが、今回はしっかりと顔を見て話した。
「仁哉真柊です。あなたは?」
「原川雫玖です!同じ科目ですね、仲良くしましょう!」
ずいぶんと明るい性格のようだ。原川………
「ラインかインスタ交換しましょ!」
と提案され、とりあえずインスタを交換することにした。インスタ、何も投稿してないしストーリーズも上げてないがなぜか入れてる。前はよく萌結とDMを使って話していた。萌結はラインよりインスタ派だったからだ。ラインでは晴斗とか陽依とかと繋げていた。でも今は二人とも消えている。陽依は海に行ったあの日以降、なるべく事件のことを思い出さないように僕から消した。晴斗は僕が脱獄した時に見たら消えていた。そしてインスタにいる萌結は、まだ残っていた。最後会話が三年前の七月となっている。どうしても消せないんだ。思い出なんだ。
出されたQRコードを読み取ると「しずく」と書かれたアカウントが出てきた。
「それ!私です」
と僕のスマホに手を伸ばし勝手にフォローを押された。心の奥のほうでもやもやした感情がある。インスタには萌結以外女子はいない。(こんなことしたら浮気とかになるかな…)と考えてしまう。
でもいいだろう。死にたいと言ったのは彼女だし、殺したのは僕だし。
そんなこんなで一日目は谷口蒼明と原川雫玖という二人と友達?になれて終わった。二人とも明るい人達だったし初日にできた友達だし、大事にしないとな。
【原川雫玖】
家に帰ればそこは地獄。だからなるべく帰りたくはない。講義室から出てスマホを開くと、「お母さん」から大量の不在着信が来ていた。それを見た瞬間顔が暗くなるのが自分でもわかった。お父さんはいない。私が幼い時に事故で死んだ。頭上から工場用の鉄棒が落ちてきたらしい。高二の弟の『原川弘明』は私とは違って陽キャだ。お母さんは超過保護な癖に機嫌が悪いと暴力を振るってくる多重人格者、でも元からではない。ある日をきっかけにこうなってしまった。弘明はよくこんな親の元で友達に囲まれる生活できてるな、すごい、尊敬だわ。
「はあ、帰りたくない…」
気付けばそんなことを呟いていた。重い足を動かして玄関まで来た。世界で一番外から開けたくない扉だ。でも開けないと、寝る場所がない。
扉を開けるとすぐお母さんの声が響いた。いや、お母さんとも呼びたくない、『クソ親』とでも呼ぼうか?
「おかえり、なんで電話出なかったの?心配したんだよ?帰り一人でしょ?」
うるさい、帰ってすぐこれとか精神が持たない。
「母ちゃんそんな心配しなくていいって、姉ちゃんもう大学生やん!」
弘明のフォローもあってクソ親はすぐ静かになった。私はすぐ自分の部屋に駆け込みベッドに倒れた。本当ならこのまま寝てしまいたい。寝れば早く明日が来る。でもさすがにご飯もお風呂もなしでは寝られない。お風呂に入るために一階に降りるとクソ親が洗濯物を畳みながらこっちを見てきた。弘明は自分の部屋に行ったらしい。弘明もクソ親の事が嫌いだ。私はクソ親を横目に風呂場へと向かった。
風呂から上がるとラップのかかったご飯が置いてある。クソ親はテレビを見ていた。
(リビング占拠すんなやクソが)
と心の中で愚痴りながらラップがかかったまま部屋に戻る。ご飯もあいつが作ってるってだけで美味しくない感じがする。
「あーあ、死んじゃえばいいのに。いや、私が死んでもいいけど。」
【仁哉真柊】
講義が終わったあと少しだけ建物内を探索した。自習で使えそうな落ち着いた雰囲気の部屋とか高そうな機械が沢山置いてある部屋とか、さすが大学だ。そして気づけばほとんど人が居なくなっていた。
「流石に長居しすぎたか、帰ろ。」
大学から出ると雫玖さんが壁に寄りかかってスマホを見ているのが見えた。こんな遅くまで残ってるなんて、雫玖さんも探索してたのかな?と思ったが多分違うな。話しかけようか迷ったが、自発は苦手なタイプだし辞めておいた。気づいてないふりをして前を通った時、
「はあ、帰りたくない…」
と雫玖さんが呟いた。横目で見ると講義室で話してた時とは別人かのように暗い顔をしていた。きっと何か事情があるのだろう。でも僕には関係ない。もし本人が僕に相談してきたら、その時はちゃんと向き合ってあげるつもりだ。でもこっちから事情を聞くのは倫理観に欠けるだろう。これも言い訳なのかな…
二日目もかわらず授業を受けていた。生徒たちは教授によって態度を変えているようだ。優しそうなおじいちゃんの教授の授業では隣の人と話してたり机の下でスマホを弄ってたりと自由だが、厳しめの若い教授の授業はちゃんと受けている。そこだけは高校と変わらなかった。右隣の蒼明を見てみると、うつ伏せに寝ていた。左隣の雫玖さんは、昨日ほどではないが暗い顔をしていた。
お昼になり大学にある食堂で一人でカレーを食べていると、蒼明が数人連れて同じテーブルに座った。
「お前カレー食ってんの!いいなあ俺最近金欠すぎてやべえよ」
と言いながら持参したサンドイッチを食べている。他の人たちもおにぎりとかコンビニのパンとか、持参してる。僕はお金に余裕がある訳ではないが焼肉屋でバイトしてるし、時給もいい方だから……
蒼明たちは「外で食べてくるわー」と言い行ってしまった。一人で課題の論文を書きながらカレーを食べていると、雫玖さんが向かいの席に座ってきた。
「何やってるのー?」
と微笑みながら聞いてきた。
僕「課題の論文だよ、明後日までだし早めに終わらせたくて。」
雫玖「ああ!そんなのもあったねぇ」
僕「雫玖さんも終わらせないとだよ」
雫玖「さん付け?同い年でしょもう友達だよ!」
僕「わかった、雫玖、機械音痴だったよね?」
そう言うと雫玖は照れながらジトーっと目線を送った。僕はすぐ目線を逸らした。
昨日からずっと思っていた。雫玖の顔は萌結そっくりだ。目元や鼻の形、髪の毛が少し茶色いのも同じだ。それに、「原川」という苗字…まさかな、まさかそんなこと、そんな馬鹿げたこと……
「ねえ真柊って彼女さんとかいる?」
ドキッとした。呼吸が一瞬止まる。
「……うーん、わからない」
「わからない?」
「うん。今はもういないんだよ。」
「どういうこと?別れちゃったの?」
「いやそうじゃなくて、この世に…」
「ああ、そっか、ごめん」
「大丈夫。」
目の前にいる人が萌結に見えて仕方がない。もう居ないのに、殺したのは僕なのに…
雫玖「大切な人がいなくなる気持ち分かるよ。私も高一の時に双子の妹を亡くしてね――」
【原川雫玖】
私には双子の妹がいた。名前は『原川萌結』。萌結は高校一年生の夏の終わりくらいに同級生にナイフで刺されて死んだ。大切な妹だったのに殺されたんだ。その日からクソ親はクソ親になった。その同級生っていうのが、今目の前にいるこの人。少し無愛想で、でもどこか優しさを感じるこの男子。
(真柊は私が萌結の姉だってこと知らないだろうな。萌結は誰にも家族のことを話したがらなかったし。)
別に怒りがある訳でもない。真柊自身も殺したことは後悔してるらしいし、萌結のことをちゃんと忘れないでいる。根は悪い人じゃなさそう…
「大切な人がいなくなる気持ち分かるよ。私も高一の時に双子の妹を亡くしてね…」
そう言うと彼はまっすぐこっちを見つめて小さく「えっ」と声を漏らした。
「同級生に殺されたんだって。大切な妹だったからすごく悔しかったなぁ」
ああ、こんな発言匂わせか、でも殺したのは君なんだからいいよね。
真柊「あ、あのさ、その妹って、名前は…」
私「……原川萌結」
真柊は予想よりも驚いていなかった。多分私が姉だってこと勘づいてたのかな、でもこれで確信したでしょ?貴方の目の前にいる人は、貴方が殺した「恋人」の姉なんだよ。
恨みとか悔しさとかをぶつけたい訳じゃない。でも自然と強い思考に囚われていく。でもさ、誰だってそうでしょ?大切な人を殺した犯人が目の前にいたら少しは詰めたくなるものでしょ?
「ねえ、なんで殺したの?」
私の問いに少し戸惑いながらも、しっかり目を見て答えてくれた。
「彼女は「死のうと思うんだ」って僕に言ってきた。でも死に方が思いつかなかったらしくて、それで「死に方を探す旅」に出ようって提案してきた。でもその時の彼女はとても活き活きしてて、死にたいなんて思ってるようには見えなかったんだ。彼女は居場所がないって言ってた。それは僕もだった。だから旅に出ることに賛成した。水も食料も尽きた時、海の見える茂みで彼女はナイフを取りだした。僕だって死んで欲しくなかったんだ。でも彼女は本気だった。止めることは出来ないって思った。彼女は僕にナイフを刺して欲しいって言ってきた。それが彼女の、萌結の最後の願いだと思った。だから僕が刺した。僕が殺した―」
意外だ。萌結の方から殺しを頼んだなんて。萌結はそこまで真柊を信頼して、好いてたんだな…。
【仁哉真柊】
なんとなく想像はしてた。でも半分は信じれなかった。僕自身心のどこかで、萌結の事を忘れられたら楽になるのかなって考えてた。考えてしまってた。なのにもうそんな事言えないじゃないか。目の前にいるこの女子が萌結の姉だって知ってて忘れることなんてできない。いや待て、なんで忘れようとしてる?忘れない為に告白した、付き合った、なのになんで?なんで……
頭が混乱し自然と涙が溢れた。泣いている感覚はしない。そんな僕を雫玖は無表情で見ていた。
【原川萌結】
私の家庭は母子家庭の三兄弟だ。中二の弟と、高一の私と、同じく高一の姉がいる。お父さんは私が小さかった頃に事故で死んだらしい。お母さんはいつも優しかった。私たちに心配かけたくないんだろうな。でも、私は家族のことが好きじゃなかった。母子家庭ってだけで「可哀想」とか「お父さんなんていない方がいいよ」とか、そういう言葉が胸に刺さる。だからどんなに仲のいい人にも、信頼してる人にも、家族のことは絶対に言わないようにしてる。たとえ、仮に彼氏ができたとしても……
家族が嫌いだから家にいたくない。でも学校にも行けない。陽依は私が殺したから、行ったら絶対仲間はずれにされたり陰口を言われる。先生も味方してはくれないだろう。
(真柊と晴斗だけは味方でいてくれるかな…)
なんてわがままも考えた。多分二人は本当に味方になってくれるだろう。でもクラスメイトで陽依と仲が良かったのは二人だけじゃない。その人たちからは鬼のように責められるに違いない。だから行かなかった。
ある日、家にいたらこんなニュースが流れてきた。
《先日十三時頃、○○県△△市の吾妻高等学校で、生徒である仁哉真柊君が同じクラスの朝西翔君をナイフで刺し、殺害しました。――》
「え…」
思わず声を漏らした。真柊が殺人?しかも翔くんを?なんで?殺しちゃったの?同中……
「私と一緒じゃん。」
決めた。旅に出よう。「死に方を探す旅」に。でも一人は嫌だ。真柊を誘おう。きっと着いてきてくれる。だって、
『お互い居場所はないから。』
【原川雫玖】
朝起きたら萌結はいなくなっていた。家族総出で探したし、警察も捜索願いを出してくれたが、見つかることは無かった。次に見たのは腹部にナイフが刺さったままなのになぜか笑顔でいる萌結の姿だった。犯人はとってもバカなのか、それとも焦ってたのか、刺さってるナイフの持ち手から簡単に指紋を取ることができた。取った指紋は犯人のはもちろん、萌結のもあった。それも争った形跡とかじゃなく、しっかり持ち手を握っていた。
「刺した時、どう思った?」
せっかく犯人が目の前にいるんだし、現実面会だ。
「ナイフを受け取る前から後悔してた。そもそも旅に出ること自体断ればよかったってね。でも戻れなかったし…刺した時はなにも思わなかったよ。人をナイフで刺すのは初めてじゃなかったからかもだけど、でも―」
「でも?」
食い気味に聞く私をチラッと見てまたすぐ視線を逸らす。
「でも、辛かった。苦しかった。…殺して欲しかった。」
少し沈黙が続いたあと、空気をぶった斬るように
「じゃあ、もうすぐ授業始まるし僕行くね。」
と言って真柊は食堂から出ていった。
今日の昼は一気に進展したな。もう解決済みの事件を掘り起こしてるような感覚だ。昼に話してた話の内容だって傍から見たら普通じゃない。これからの自分の首を自分で絞めた感じもするな…
なんて考えながらわざとゆっくり帰ってると、綾乃からDMがきた。
綾乃:[写真]これ食べに行こう!!
写真を見ると最近駅前に新しく出来たカフェのメニューで、色んな種類のフルーツがグラスいっぱいに盛られていて如何にも学生をターゲットにしてるようなものだ。
私:美味しそうすぎない?
綾乃:でしょ!?明日うちバイト入ってないから明日がいいんだけどどうかな!!
私:明日ね!いいよ〜
よし、これで明日は帰りを遅くすることができる。家に長くいないで済む。こういう楽しいことももちろん増えたけど、だんだんと悩み事も増えてるな…綾乃にも今日の昼のこと話そうかな。
少し急ぎめにキャンパスに向かっていると、ポッケに入れてたスマホが鳴った。
真耶:久しぶり、元気?
私:うん、元気だよ!そっちは?
真耶:まあまあかな。友達なかなかできないや
私:そっか、私もまだ数人しかいないよ。
真耶…最近お互い忙しくて会えてないからか、文面からも元気がないのが伝わってくる。真耶は前々から鬱病を患っているということを言っていた。本当かは分からない。でも元気がある時と無いときでのテンションの差が大きいのは事実だ。時々「死にたい」とも言っていた。でも信じてない。
私:急に連絡してきたけどなんかあったの?
真耶:んー、しず、会いたい
私:いつ空いてる?
真耶:土曜日にバイト入ってるから日曜日とか。
こうして私たちは次の日曜日に会うことにした。
放課後、正面玄関で待ち合わせていた綾乃と合流して駅前のカフェに向かった。向かってる道中は教授の愚痴や恋愛話、バイトのやらかし、そういった会話を永遠としてた。カフェに着いて送られてきた写真のメニューを注文する。運ばれてくるのが見えたがやっぱり色とりどりで綺麗…。
綾乃「やば!めっちゃでかいこれ食べ切れるかな!」
私「どうだろう、でも美味しそうだし案外いけるかも」
綾乃「うちもフルーツは大好きよ!」
そう言いながら、どこからが一番映えるかを吟味している。
(私もストーリー載せとくか、真耶に見せたいし)
適当に決めた角度から撮った私の写真と違って、綾乃の方はすごく美味しそうに撮れている。流石だ…
写真を撮り終えて食べながら、昨日の昼のことをどう伝えようか迷った。というか伝えるかどうかも迷った。
(伝えないでおこう。綾乃と真柊は話したこと無さそうだし、巻き込む必要もないもんな。)
【仁哉真柊】
今日は土曜日だからか、店内はかなり混んでいた。僕の担当は肉や野菜のカットと店内の清掃もたまにしてる。バイトを始めてからもう3ヶ月経つが、未だに慣れないこともある。
「三番卓のオーダー入りました」
同じバイトの人が大声で叫ぶ。
真耶「真柊くんお肉!」
僕「はい、これです」
真耶「おー、切り方上手くなったね!」
僕よりも2ヶ月先にこの店でバイトをしている同い年の真耶先輩はバイト中ずっと明るく対応しててすごいと思う。それにすごく優しいし話しやすい。
最後の客のラストオーダーも終わって片付けに入っていると、真耶先輩が話しかけてきた。
真耶「今日もおつかれ!もう結構業務覚えてきてるね」
僕「もう3ヶ月も働いてるんで」
真耶「いや私5ヶ月だけど全然覚えられないよ!」
僕「そういうもんですかね」
真耶先輩は言動は明るくて能天気だけど、表情は真顔だったり少し口角が上がってるだけみたいなことが多い。だからそれが素なのかどうかも僕には分からない。
焼肉屋から出て家に帰る途中蒼明から電話がかかって来た。
蒼明『ま〜なと〜今暇か?』
僕「今バイト終わったとこ」
蒼明『あね!今遥貴ん家で遊んでんだけど来る?』
僕「んー今日は遠慮しとくよ、休日だからお客さん多くて疲れちゃった…」
蒼明『おーそっかそっか!お疲れさん!また誘うわ〜』
遥貴って言うのはこの前蒼明と一緒に食堂に来てた人のうちの一人だ。正直行っても良かったけど、連日の非日常的な出来事が重くのしかかる。この休日はゆっくり休もう。
家に着くと体の力が一気に抜けていくのを感じた。無意識に足をベッドへと運んでいる。そしてそのままベッドに倒れ込み、気づいたら深夜の二時を回っていた。
「やば、寝落ちてた。風呂入んなきゃ…」
帰ってきたのは十時半くらいだったっけ、風呂も入らずに寝たせいでベタベタしてて気持ち悪い。お風呂を沸かすのもめんどくさかったからシャワーで済ませることにした。
「お腹空いた…」
体を拭いてから冷凍パスタをチンする。自炊する気力なんて残っていない。パスタを食べ終わってすぐベッドに戻り、再度眠りについた。
【原川雫玖】
「懐かしいね、昔よくここで斎藤さん家の犬と遊んでた。」
高校の通学路の途中にあった小さな駄菓子屋の前で、真耶が静かに笑いながら言った。
「真耶、どうして会いたかったの?」
数秒目を瞑る。長い髪の毛が風でたなびいている。白いワンピース姿の彼女はどこか子供のように見えた。
真耶「しず、ストーリーのパフェ?あれ美味しそうだったね。」
私「ああ、あれ駅の近くだよ。食べたいの?」
真耶「……いや、大丈夫。」
私「…そう。」
真耶「…私ね、好きな人いるの、バイト先に。」
急に意外なことを言われ動揺する。
真耶「真柊くんっていうんだけどね、その人もしずと同じ大学らしいんだよね、会ったことある?」
好きな人がいるってだけで意外だったのに、よりによって真柊…ていうかバイト先同じなんだ、初めて知った。
私「待って待って、バイト先同じなの?会ったことあるもなにも、席隣だし私からしたらめちゃくちゃ関わりある人だよ。」
真耶「え!?羨ましい…」
変な誤解を生んでいる気がする。
私「関わりっていうのは悪い意味もあるよ。」
真耶は不思議そうな顔をしてきた。
私「真耶に恋愛は六十年早いよ。」
真耶「そんなことない!おばあちゃんになっちゃうよ!」
思ったより元気そうでよかった。文面では疲れてる感じだったから少し不安だったけど安心した。
こんな会話をしながら近くの洋食屋でご飯を食べていると、クソ親から電話がかかってきた。
『雫玖!今どこ?すぐに病院に来て!弘明が、事故にあったの、その、早く来て!』
電話に出た直後に早口で言われ、理解が遅れた。クソ親はかなり取り乱していた。そんな事より心配なのは弘明だ。もう誰にも死んで欲しくない。私は真耶に端的に事情を説明して店を飛び出した。病院まではなかなかの距離だったけどそんなのお構い無しに走る。初夏の日差しが眩しく感じた。病院に着いた。カウンターの人にも事情を話し、すぐに病室に入れてくれた。包帯で全身をぐるぐる巻きにされた弘明と、暗い顔でこっちを見るクソ親、その横に医者と看護師。最悪の光景と言ってもいいだろう。
「御家族の方ですか。事故の内容から説明しますと、自転車に乗っていた所を右側からトラックに跳ねられたそうです。弘明さんの様態は重症です。肋と右足、右腕を骨折していて、内臓破裂も起きています。緊急で施術して骨を固定したり止血などを施しましたが意識は戻っていません。」
医者は表情を変えずに淡々と伝えてくる。そりゃそうだ、今生死をさまよってる弘明だって、この人からしたら一患者に過ぎないんだもんな。そう思った瞬間怒りが込み上げてきた。クソ親は涙ひとつ流さずに弘明をじっと見ているだけ。
医者が病室から出ていくと、クソ親はか弱い声で言った。
「もう、休日に外出はしないで」
「は?」
【仁哉真柊】
日曜日は案の定何もせずに終わった。起きたのは十三時だしそこからご飯食べて動画やら本やらで時間を潰して寝たのは二十二時。こんな生活でいいのか…なんて考えたくもない。
講義室に入って席に着くと、雫玖が話しかけてきた。
雫玖「ねえバイト先に真耶って人いるでしょ」
僕「え?ああ、いるけど、なんで知ってるの?」
雫玖はニヤッと笑った。
雫玖「私の中学からの親友なのさ」
僕「え、そうなの?知らなかった。」
雫玖「真耶、バイト先でどんな感じ?元気?」
僕「うん、結構明るい印象だけど…」
僕がこう言うと、雫玖の表情は難しくなった。嬉しいのか悲しいのか、読み取るのが難しかった。
放課後は蒼明たちと、僕のバイト先である焼肉屋に食べに行く約束をした。だからちょっとだけ、放課後が楽しみだった。今日はシフトが入っていない。それに社員が一人につき他五人まで割引になる社員割制度を導入しているおかげで、僕達四人は全員分が割引になるのだ。蒼明たちとお肉を焼きながら話をしていると、真耶先輩が僕たちの卓にビビンバを届けてくれた。蒼明の顔が少し赤くなる。これは暑いからでも酔ってるからでもない。まあお酒は年齢上飲めないが…恋だ。蒼明はよくこの焼肉屋に来てくれている。その度に真耶先輩が好きだということを話していた。普段は業務で忙しくて蒼明を観察する暇はなかったけど、今日は僕もお客側なので幾らでも観察できる。真耶先輩が横を通る度に明らかにチラチラ見ている。
蒼明「俺決めたわ、ここで働く!」
秒速でそんな事を決めたりもしている。ただこの決断は僕からしても嬉しい。友達と同じ職場なのはメンタル的にも助かるし、蒼明からしても好きな人と同じ職場なのはいい事だろう。
僕「そうしな、恋の発展があるかもだし」
蒼明「だよな!まじ真耶さん可愛すぎるもん誰かにとられちゃいそう。真柊、見張ってて。」
僕「なんで僕なんだよ、僕は興味ないのに…」
蒼明「興味無いとか言うな!?」
楽しい。友達数人とこうやってワイワイするのはいつぶりだろうか。海に行ったあの日以来かな。楽しい時間はあっという間に過ぎる。気づけば夜の二十三時を回っていた。大体二時間半くらい滞在してた。支払いを済ませて店を後にした。
『んじゃまた!』
と、それぞれ家に帰った。
授業中は態度だけ真剣だし休憩時間も蒼明たちといるか一人で課題をしてるかの二択、それでも大学は高校とは違う楽しさがある。でも、高校で起こったことは非日常的すぎて逆に楽しかったとも思える。知ってる限り友達が三人死んだ高校生活。僕の周りは不幸になりやすいのだろうか。僕は疫病神かなんかなのだろうか。大学では何事もなく終わりたいと思う一方、何かまた悪いことが起きる予感がしていた。そしてその予感は見事的中することとなった。
真耶先輩が死んだ。死因は夜道での通り魔による犯行だった。勤務時間を終えて店を出て十数分後に刺されたそうだ。
「ああまただ。また死んだ。」
“誰も死なない”大学生活はこんなにも早く途切れた。
【原川雫玖】
目の前にいる真耶は日曜日の時とは違って冷たかった。起きてと叫んでも起きることのない彼女は綺麗な死に顔で棺に入っている。お経が響き、場の空気は重くなっていく。
日曜日、真耶と食事をしていた私はクソ親からの電話に出て、そこで弘明が交通事故にあったことを聞き、自分の食べた分のお金を置いて急いで病院に向かった。その時に真耶には事情を説明してはいたが、結果的に置いていく流れになってしまった。そしてこれが最後の別れになってしまったのだ。もしあの時弘明が事故にあってなければ、もしクソ親から電話がかかって来なければ、もし私が病院に向かわなければ、真耶は私に何を話していたのだろうか。真耶は私に言いたいことを言えずにこの世を去った。私もまだまだ言いたいことはあった。なのに、なのに…
「早すぎるよ…」
これからどうしようか、完全に生きる希望を失った気がした。真耶が死んだからだけじゃなく、クソ親の束縛やら弘明の事故やら、ここ最近の不運は計り知れない。
「やっぱり私は疫病神なんだな。」
それからもクソ親は休日の外出や夜道で一人で歩くことを禁止したりとどんどん私を閉じ込めるようになり、大学生活初の夏季休暇に入った。といっても休みなのは四日間だけだ。弘明は怪我も良くなってもう元気に遊びに行ったりしている。
「なんで私だけダメなの、弘明は高校生だからいいってなに?大学生の私はなんでダメなの?そんなんだから萌結は死んだんだよ……」
ああ、誰か私を連れて行って…
【仁哉真柊】
真耶先輩のいない店内はいつもより格段に静かだった。一番話しやすい先輩がいなくなってから約一ヶ月ほど経ったがまだ慣れない。大学の方は夏季休暇に入り講義がない日が四日間続く。今日のバイトは昼から夜の二十二時、閉店までだ。終わったらちょっと遠いけど雫玖に会いに行こう、そう決めていた。
雫玖は真耶先輩が殺された日から今日までずっと元気がなかったり拒食症になったりと健康面での被害が出るほど落ち込んでいた。大学内でもあれから一回も笑った顔を見ていない。こんな僕が慰めに行くのもキモイかもしれないけど、僕にとっては雫玖は深い関わりのある人だしこれくらいする権利はあるだろう、きっと。だって、もう死なせたくないから。
そしてもう一人心配なやつがいる。蒼明だ。蒼明もあの日以降あまり元気がないみたいだったが、相変わらずうちの焼肉屋にはよく来てくれた。そのせいで金欠なんじゃないのかな…
バイトが終わって雫玖の家に向かった。今の家からは地下鉄で四駅離れたところにあり少し遠かった。でも一度だけ行ったことがある。脱獄してそのまま走ってここまで来た。あの時は深夜の二時くらいだっけ、彼女の部屋だけ明かりがついてて、それで僕は石ころをベランダに投げて―
いや、あの日のことを思い出すために来たんじゃない。今日は、萌結を殺す為じゃなくて雫玖を助ける為に来たんだ。ただここで一つ問題がある。正面からインターホンを押してしまえば親が出てくるかもしれない。雫玖はやけに家に帰ることを嫌っていた。もしその原因が親なのであれば、実の娘を殺した殺人犯がノコノコと家を訪ねてきたら真っ先に警戒し、雫玖に事情を聞くに違いない。それは雫玖に負担をかける事になる。だからなるべくバレないように雫玖を外に出したい。そう思いながらふと二階のベランダを見上げる。時刻は零時を回っていた。萌結の部屋には明かりがついていない。しかし、反対側の窓からは光が漏れていた。
(もしかして…)
僕は石ころを探し、明かりがついている部屋のベランダに投げた。カーテン、後に窓が開き、雫玖が部屋着のまま現れた。あの時と似た視界に一瞬頭が混乱し息が詰まる。途端、雫玖と目が合った。
「え、え!?真柊!なんでいるの?」
姉妹揃ってやっぱり声が大きい…。僕が人差し指を口に当てると雫玖はハッとして手で口をおさえた。少しして着替えた雫玖が玄関から出てきた。
その時、今度は僕が、雫玖を抱きしめていた。
【原川雫玖】
時刻は深夜零時を過ぎ、日が変わっていた。パソコンでなんとなく「死に方」なんて調べていた。バカだな、死ぬ勇気なんて元から無いくせに。萌結も同じ気持ちだったんだろうな。だから真柊に殺してくれって頼んだんだろうな。ああ、私のところにも来ないかな、殺してくれる人…
ベランダで軽めの音がした。
(死神でも来てくれたのかな〜)
なんて考えて外に出てもただ石が落ちてるだけだった。つまんな、と思いふと道路を見ると、見覚えのある人影があった。その影は死神のようにも、救世主のようにも見えた。
「え、え!?真柊!なんでいるの?」
と、思わず大きな声が出る。それを聞いた真柊は静かに!とジェスチャーをする。なぜかわからないけど素早く白いワンピースに着替えてクソ親にバレないようにそっと玄関を開けた。そして真柊へ駆け寄る。
「私を殺しに来たの?」
とからかおうとした矢先、真柊は私を抱きしめた。急すぎて頭が真っ白になる。真柊の腕の力がだんだん強くなり、そして弱くなる。無言のまま、周りの音が何も聞こえなくなる。気づけば私は泣いていた。わめき声が住宅街に響く。それでも真柊は泣き止ませようともしてこない、受け入れていた。
「旅に出よう、『生き方を探す旅』に。」
真柊の提案に頷いた。こうして私たちは街灯の少ない道を歩き始めた。
住宅街を抜けると少し大きめの道路に出る。深夜にもかかわらず車通りが多い。
「将来の夢とかある?」
急に聞かれて一瞬固まった。
私「一応ね、飲食店開きたいな。」
真柊「そうなんだ、料理好きなの?」
私「うん。」
真柊は私の手をしっかり握って振り向かずに私を連れて行っている。大通りを道なりに進むと海が見える。明かりがないから波は見えないが波の音はよく聞こえる。ガードレールを乗り越えて海に近づいた。深夜一時半、私たちは無言のまま浜辺を歩き続けた。
【仁哉真柊】
夜の海は僕にとっては嫌な場所だった。高校生活を失った場所だから、「陽依の場所」だから…。
僕「萌結に姉妹がいたことは知らなかった。」
雫玖「そりゃそうでしょ、萌結家族のこと嫌いだったし、私もだけど。」
僕「確かに、家族のことは話してなかったな。」
浜辺は進んでいけばそのまま線路沿いに出るようになっていた。雫玖が泣いていることは振り返らなくてもわかった。
波打ち際にクラゲが漂流していた。透明できれいなクラゲが。
「クラゲってね、死んだら海に溶けるんだって。そしてまた新しい命として蘇るんだよ。」
雫玖は垂れた目でそう言った。その目はまるで、死んだ妹を見ているかのようだった。萌結…転生とかして今もどこかで幸せに暮らしていて欲しい。殺したのは僕なのにな…
砂浜を出て海沿いの道をずっと歩いた。僕らはお互いに車の免許は持っていなかったから歩くしかない。今は深夜二時十五分、そろそろ眠くなってきた。雫玖もウトウトし始めている。
僕「どこかで休もうか。」
雫玖「んん、ああ、うん。じゃあもうちょっと行ったらトンネルあって、その先に「海花駅」っていう駅があるからそこで寝よう。」
僕「海花駅、わかった。」
十分くらい歩くと短いトンネルに入り、抜けるとすぐ駅があった。花が植えてあり、屋根とベンチだけの簡易的な駅だ。もちろん無人だが明かりはついている。雫玖は半分寝てる状態だったのでベンチに横にさせ、僕はベンチの側面に寄りかかって目を閉じた。
僕「おやすみ、雫玖」
雫玖「おやすみ、真柊」
【原川雫玖】
日が海面を照らし、海はいっそう青々としている。鳥と虫の聲で目を覚ました。起きてすぐ昨日のことを思い出した。いや、今日のことか…。私はもう帰る場所が無くなったんだった。太陽の眩しさに思わず左手で光を隠した。
「はあ、わたしたちって、ほんとばかだよね…」
音にならない声で呟いた。クソ親の隔離のせいでしばらく外で運動してないせいか、足が筋肉痛になっている。それに昨日泣いたせいで目は充血してるんだろうなあ。
私は重い身体を起こし、床に倒れて寝ている真柊をじっと見つめた。きれいな寝顔だ。顔は整ってるほうだし、穏やかな性格の人間、まともな大学生活を送れていたらモテてたんだろうな。ああでも忘れてた、殺人犯だもんね。それも自分の彼女を殺すほどの凶悪犯。この旅は、いったいどうなるんだろうね。
立ち上がって海の方へ歩く。太陽は出ているが天気は曇りのようだ。昨日からお風呂に入ってないから全身がベタベタする。潮風が長い髪を揺らす。後ろから足音が聞こえた。
私「起きたんだ、おはよ」
真柊「うん、おはよう」
腰を抑えながら隣に立ち、大きく伸びをした。
真柊「お腹空いたでしょ、なんか食べるもの調達しないとね。」
私「ちょっと進んだらコンビニあるよ、そこで買お!」
真柊の顔を見るとなぜか元気が出る。独りじゃないって感じがして…。私たちは手を繋ぎ、海沿い、線路沿いを歩き始めた。
大体十五分くらい歩き、コンビニに着いた。中は、むしろ寒いくらい涼しい。
真柊「食べたいの、なんでも言ってね」
私「え、ほんとにいいの?私結構大食いだよ?」
真柊「いいよ、買ってあげるから」
私「多分、この先も真っ直ぐ行くんだったらもうコンビニとかはないから、ここである程度買っとかないとだね。」
真柊「そうだね。」
こうしてコンビニでの買い物を終えた私たちは、また元の道へと戻った。これから進む道はコンクリートではなくなり、砂利道になっている。それに山を登るように坂道だ。
真柊「結構急な坂だね、足元気をつけてね」
私「ん、ありがと。」
二人とも息が上がり汗をかいて、それでも進んだ。もう車どころか人の気配すらなく、完全に森に入った。
私「完全にけもの道だねえ」
真柊「そうだね」
私「ねえこれどこまで行くの?目的地って…」
真柊「目的地はないけど、目的は雫玖が生きたくなるまでだよ。」
真柊と一緒にいると死にたいという感情すら忘れてしまう。でも多分、独りになればまた死にたいって思うんだろう。だから今はこの人と一緒の方が私のためだ。
【仁哉真柊】
足場の悪いけもの道を抜けると廃墟が見えた。もう電波は届かないから調べられないけど、形的に発電所のだろう。休むにはちょうどいい場所だ。
僕「ここでちょっと休憩しようか、歩き疲れたでしょ」
雫玖「いいね!昨日からずっと歩いてるから足痛い…」
コンクリート製で朽ちた建物だが、机や椅子は少し残っていた。水が流れる音も微かに聞こえる。川が流れてるらしい。
雫玖「川の音聞こえる、ベタベタだし入りに行こ」
廃墟内でご飯を食べて充分休憩してから僕らは音のなる方へ歩いた。ほとんど勘で歩いたけど、ちゃんと川に着いた。流れは穏やかで底が見えるほど透き通っている。でも結構深いみたいだ。谷に囲まれた地形で、上を見上げると古くなった今にも倒壊しそうな橋が架かっていた。
雫玖「うわあすごい、天然のお風呂だね!」
僕「そうだね、水風呂だけど」
彼女は突然、僕の目の前で服を脱ぎ始めた。よく考えれば服を着たまま入る方がおかしいのかもしれないが、ただの友達、しかも異性の前でこうも簡単に服を脱げるだろうか。
雫玖「どうしたの?脱がないの?」
動揺で固まる僕に平気な顔で聞いてきた。目のやり場に困って彼女の足元を見る。靴下すら脱いで本当に何も身にまとっていない。もちろん人は僕以外にいない。
雫玖「あれ、もしかして初めて?」
僕「な、なにが?」
雫玖「こーゆーの。」
初めてだ。腰あたりまで水に浸かった彼女はどこか子供のようだった。萌結の笑顔とすごく似ている。さすが双子だな。双子と言っても瓜二つという訳では無いけど、やはり言動は似ている部分が多い。別に、もう何をしても恥ずかしくはないんだ。服を脱ぎ捨てて川に飛び込む。その水しぶきが彼女にかかった。たった二人の笑い声が森に響いた。
来ていた服を水に浸し、岩場に干す。太陽は出てるし気温も三十度を超える真夏日だ、すぐ乾くだろう。その間僕らも裸のまま岩場に座る。お互い普通のフリをしているが、まだ緊張を感じていた。
雫玖「真柊はさ、まだ萌結の事を自分の彼女だと思ってる?」
僕「…うん。」
雫玖「じゃあ、私の事萌結に見える?」
僕「……たまに見える時がある。」
僕の言葉を聞いてから少しして、雫玖は「ふふっ」と笑った。僕は思わず彼女の方を見た。体育座りをし、濡れた長い髪をいじりながら優しい笑顔をする彼女から目が離せなかった。
「ねえ、ちゅーしよ?」
え?っと声を出す前に彼女は唇を当ててきた。柔らかい感触に思わず目を閉じる。人とちゅーをしたのは初めて…いやキスでいいか。キスをしたのは初めてだった。萌結を殺す前にキスしとけば良かった、なんて考えたこともない。でも、無意識に心臓が早打ち、裸を見せ合うのとは違う緊張を感じる。顔が遠ざかる。彼女は静かに笑った。
「これは、萌結の分ね。」
【原川雫玖】
何時間だろうか。いくら真夏日とはいえ長時間裸でいたら風邪を引きそうだ。それにしても、長いちゅーだった。言葉では「萌結の分」って言ったけど、四割くらいは私のも含まれている。それは、この旅を提案してくれた感謝もあるし、少しの“好き”という気持ちもある。妹の彼氏に何やってんだ私。萌結が生きていたら私の事殺しててもおかしくないな。
未だ困惑気味の真柊を横目に、岩場に干してある服を手に取る。もう完全に乾ききっていた。私は自分の服を着て、それを見た真柊も服を着る。気づけばもう夕方終盤だった。
私「今日はさっきの発電所で寝よっか」
真柊「うん、そうだね。雨とか降っても凌げそうだし。」
私たちは廃墟に戻り、歩き疲れた身体を休めた。
真柊「そういえば、昨日の深夜に親に内緒で家出たけど、もう探されてるのかな?」
私「どうだろう、多分捜索はされてると思うけど…。でも、親のラインはブロックしたし、弟の孔明には[遊びに行ってくるだけ]ってラインしといたけどあの親はそんなこと信じないだろうなあ。」
真柊「そっか…いいね、遊びに行ってくるだけ。」
私「え?」
真っ暗で周りが見えないほど夜が更け、カエルやらコオロギやらが鳴り止まない。発電所はどこか不気味ではあったが疲れがそれに勝ってしまい、私たちは深い眠りに落ちた。
何もかもを捨てて、投げ出してきたこの旅は、私にとっては新鮮で、真柊にとっては懐かしいものなのだろう。私はもう死ぬ気でいた。生きる価値も希望も未練も何も無かったから、いつ死んでもいいと思ってた。でも、人生は生きながらでもリセットすることができるんだね。死ぬことだけが楽になる道だと思い込んでたよ。でもまだ生きたいとは思ってない。“その時”の私次第では、死んじゃうかもなあ。
【仁哉真柊】
あんなに疲れててすぐ寝落ちたのに、なぜか目が覚めた。辺りはまだ暗く、昼間ほどではないが虫の声が鳴り響く。目覚めてすぐ、隣で寝ていたはずの雫玖がいなくなっていることに気づいた。その瞬間に胸になにか、ざわめきを感じる。おかしいよな、だってただトイレしに行っただけかもしれないのに…。僕はほぼ直感を信じて、昼間行った川に走った。水が穏やかに流れる音が一帯を支配する。ふと、橋を見上げた。辺りには明かりが無いから星空もよく見える。橋の中央らへんに白いワンピースがなびいている。それは、雫玖だった。そこには今にも飛び降りそうな雫玖の姿があった。柵の外に足をかけ、両手を離せばすぐに落ちそうだ。
「そこでなにしてる!」
僕の叫び声が静かな森を起こしてしまったかのように、風で葉がなびく。暗くて顔は見えないが、目が合った気がした。
まだ疲れが残ってる足を無理に走らせて橋の入口をくぐる。雫玖の顔が鮮明に見えるようになる。ハイライトのない目で足元か、その更に下を眺めていた。
「飛び降りる気か…?」
僕の問いに少し時間を置いて、顔を少し上に向けて答えた。
「その気だった。真柊が来る前に終わらせようと思ってた。なのに、起きるの早いなあまったく笑。まあでも、本当にその気だったらこんなに夜中じゃなくてもよかった。ねえ真柊、結局さ、私死ぬのが怖いんだ。自殺なんてもっと簡単だと思ってたし、いつ死んでもいいと思ってたし、この旅も最終的には死ぬ気だった。なのに、何でだろう…」
「私、まだ生きたい。」
雫玖の涙が“代わりに”暗闇へと落ちていく。出始めた朝日に照らされて、まるでダイヤモンドみたいな宝石のようにオレンジ色に輝いた。
「私、自分の人生に必要以上に制限をかけてたみたい。家族に縛られて、友達とか周りの目とかに気を取られて、自分のことを考えてなかった。真柊、私を解放してくれてありがとう。何にも縛られなかったこの数日、私は本当の私でいられた気がする。」
「萌結も真耶先輩も、雫玖の傍を離れた訳じゃない。もちろん僕もだ。だからさ、もしまた辛くなって、自分が嫌いになって、死にたくなったら、また僕のところにおいで。そしたらまた旅をしよう。『生き方を探す旅』を。」
見慣れた街に帰ったのは昼過ぎだった。夏季休暇をほぼ全て旅に使った僕らは「休暇」という言葉とは裏腹に疲れ切っていた。全身が筋肉痛で、汗で体はベタベタしている。
「さて、どうしよっか?」
彼女の問いに、唇を舐めて返事をしようとした時、遠くから男二人が歩いてくるのが見える。服装的にあれは、警察…
「すみません、お名前をお伺いしてもいいですか?」
二人のうち少し肥満体型気味の一人が聞いてきた。僕は言葉に詰まった。だってここで名前を告げたら、僕らは、彼女は、現実に戻される。家には帰らせないようにしないと…。
「原川雫玖です。こっちが仁哉真柊。」
「え。」
そんな簡単にバラしていいのか?分かってないのか?僕らが捜索されてるのは知ってたはずだ。
「いいよ私、家に帰るよ、弘明のことも心配だし。それに私はもう死なないよ。」
“もう死なない”という言葉に異常に安心した。
僕は君の姉を助けた。けど分かってる、これでチャラだなんて言わない。僕は今までに一人の幼馴染と一人の恋人を殺した殺人鬼で、でもそんな僕を好いてくれた君が僕は大好きだ。過去には戻れない。過ちを正すことはできない。それでもさ、君と同じ人間はもう要らないんだ、萌結。
夏季休暇が終わり、生徒たちがダルそうにキャンパス内に入っていく。僕はみんなとは違う意味で身体がダルかった。
蒼明「おいお前心配したんだぞ!バ先行っても「無断で休んでる」って言われて、お前が無断で休むわけないって思って信じてなかったけど何があったん?お前なんかやつれてね?どうしたんだよ!」
久しぶりにこんなに明るい声を聞いた…。
僕「ちょっと、四日間動きっぱなしで、ちょっと疲れた。」
蒼明「まじか、肉体労働とかか?良くねーぞ体に」
僕「大丈夫、もうしないよ。」
『もうしない。』心の中で復唱する。
左隣に座ってる女子は、疲れが取れてないのか、ぐっすり眠っていた。