063.弟
「う~ん。これぐらいかな。」
黒炎をドリルの形にして、地面に溝を掘っている。
縄を隠せればいいので、それほど深くなくていい。
土が重いと引っ張れなかったらいけないし。
縄は藁を撚って作ったものだ。
10本ずつの束を捻じっていったものだが、
これがかなり頑丈だ。
もう少し本数を増やしても良かったけど、
今でも5cmほどの太さがある。
これ以上になると、縄じゃなくて綱だな。
期待した強さがあるので、そこまでは必要ない。
溝は縄の太さほどで、軽く土を被せて縄を隠した。
夜だから大丈夫だろうが、
目立たないように、周りの地面も荒らしておく。
深夜になって、織田軍の撤退が始まった。
目の前を織田軍が撤退していく。
信長を一目見てみたかったが、夜の暗さもあって、
そうかなという一団はあったけど、
離れたここからは、顔までは分からなかった。
オレのいるところは、八幡神社から少し入った、
敦賀の西、越前と若狭の境の山だ。
葛葉は国吉城寄りの山の中に隠れさせている。
朝倉と浅井の軍勢は、まだ、敦賀に到着していない。
松明の動きで、遠くからでも軍の動きが分かる。
織田軍は急いでいるが、まだ行軍に余裕がありそうだ。
道なりに撤退していたが、
途中から山を抜けようとする軍もあった。
国吉城の前面に山があった。
撤退しやすくするために、
海沿いに進む軍と山の南側に進む軍とに分かれたのか?
鎧が揃っていない、貧乏そうな軍が通っていく。
「急げ、急げ。ゆるゆる急げ。」
聞いたことのあるような大声が聞こえてくる。
旗指物を掲げてないので、藤吉郎の軍なのか分からない。
まあ、紋なんて知らないんだけど。
急げと言うが、声に急いだ様子はない。
他の軍は粛々という感じだったが、
この軍は遊びに出掛けているような軽い感じがある。
その後も、何隊かが通り過ぎ、
最後の軍が遠ざかって行こうとした時、
地響きのような音が近づいてきた。
黒尽くめの3騎が走り抜けていった。
(何だ?)
月明りがあるが、遠くを見るには暗い。
まだ、白んでくるまでには時間がある。
目を凝らした。
道の向こう、田んぼの向こうに、
火の玉のようにポツポツと明かりが見えてきた。
(あれは松明か。
あっ、朝倉・浅井軍だ!)
松明と地響きがどんどん平野を近づいてくる。
最後尾は、若狭に出るか、出ないかのところだ。
山を登っていた織田軍の松明が一斉に消えていっている。
(さっきの3騎は、織田の斥候か。)
朝倉・浅井の軍が到着したのを知らせたんだろう。
それで、松明を消した。
しかし、このままでは、後続の軍は追いつかれそうだ。
地面から20cmほどの高さに急いで縄を引っ張った。
縄は、買ったくつ下を留めているタグピンのように、
両端に枝を括りつけ、2本の木の間にはめた。
(これで!)
急いで、その場を離れる。
黒炎で飛び上がり、木の上を滑るように進んだ。
(少し下っているところに仕掛けたから、
夜だし、縄に気づきにくいだろう。
気づいても、軍がピタッと止まれるわけはない。
後ろは、前の馬で前方が見えないから。
それに、そもそも、時間稼ぎが目的だから、
止まれたとしても、勢いをそげれば目的は達する。)
騎馬はそもそも勢いが大事だ。
勢いがあるのとないのとでは、大きく違うはずだ。
300mくらい進んだところで、
後方から騒ぎが聞こえてきた。
松明が、仕掛けたところに多く集まっているってことは、
上手くハマったということだろう。
その間に、織田軍はどんどん姿を消していっている。
松明を消したといっても、わずかには点いている。
その時折見える明かりが、それを教えてくれた。
「これだけ離れたら織田軍は大丈夫かな。」
一度、止まった軍を、もう一度、進ませるのは大変だ。
高速道路の渋滞のメカニズムを見たことがあるけど、
あんな感じだろう。
それと違うのは、密集した軍隊だということだ。
車間距離を取っている車でも、ブレーキを踏まれると、
後続もブレーキを掛けて、連鎖的に遅延が発生するのに、
今回は、急ブレーキで事故が起こったんだ。
「どうだった?」
「上手くいったみたいだ。」
「それは良かった。」
葛葉にクロをつけていたので、無事、合流できた。
そのまま、国吉城の南の山中で待機する。
朝になってから、藤吉郎の陣を探した。
臨戦態勢なので、捕まえられそうにもなりながら、
6つ目に何とか探り当てた。
(まー、まあ、仕方ない。)
地面に座るように命令された。
イラっとしたが、どかっと腰を下ろした。
兵士に槍を向けられた。
ムッとするが、これも仕方ない。
「あ、兄者!」
転げるようにと言った方がいいかもしれないぐらい、
慌てて駆けつけてくれたであろう藤吉郎は、
オレの様子を見るなり、
「槍をのけぬか!」
と、兵士に怒鳴った。
さすがに声が大きいだけはある。
なかなかの迫力だ。
「久しぶり。」
「兄者も変わらずで何よりだ。
いや、兄者たる人とこんなところで話もない。
ささっ、こちらに来てくれ。」
藤吉郎が折り畳みイスを勧めてくれる。
幕が四方に張られた、多分、本陣と言われる場所だ。
藤吉郎となった日吉は、相変わらず、涙もろいらしい。
オレを向かい合うなり、涙をあふれさせた。
「こんなに兵を率いるようになったんだな。」
「あれから、いろいろ、ありました。」
本陣に入った時には、何人かいたけど、
藤吉郎が人払いをした。
人払いした陣幕の中は、他にもう1人いるだけだ。
ただ、人払いしたといっても、陣幕は薄い布。
待機している人の影が見えているんだけど。
「兄者、これに控えているのは、小一郎じゃ。
我らが弟。よしなにしてもらいたい。」
我らが?
そうか。義弟の弟は、必然的に弟になるのか。
オレは控えていた武士を見る。
荒事には向きそうもない、人の良さそうな男だ。
ただ、少し強情そうな口元をしている。
小一郎秀長。豊臣政権ナンバー2。
こいつの死が豊臣政権の終わった日とまで言われた。
「静馬だ。よろしく頼む。」
「こちらこそ。兄者。」
「それで、どうして、こんなところに?」
「場所は言えないが、近江の辺りに住んでいるんだ。
おまえが気に掛かるから、織田家の動きを見ていた。
その織田家が京から若狭に向かった。
若狭に兵を入れていた朝倉と戦になるだろうと思った。
そうしたら、浅井の動きがおかしいじゃないか。
これは危ないぞと思って、ここまで来たんだ。」
今いるところは、
国吉城の周辺に朝倉・浅井が攻めてきたら、
殲滅しようと待ち構えている藤吉郎の陣だ。
国吉城は朝倉軍をずっと撃退してきた堅城だ。
それに加えて、織田軍が陣を敷いて待ち構えている。
朝倉・浅井が攻めてくるわけはない。
藤吉郎が聞いているところだと、
敵は金ケ崎城と疋壇城に本陣を置いているらしい。
敦賀に入ってきた織田軍を挟み撃ちにしたいのか?
こっちはこっちで攻めてきてほしいし、
相手も相手で攻めてきてほしい。
にらみ合いの状態なので、いたって平和だ。
藤吉郎は「今回はここまででしょう。」と言った。
そうなんだ。
退却戦がなかったんだ。
金ケ崎の戦いって有名なはずなんだが、
オレが仕掛けたあれだけが唯一の戦いだ。
それもそのはず。
朝倉・浅井軍の本軍が到着したのは、明け方近くだ。
急いで来た軍が、そのまま合戦できたりしない。
大休止と隊形を整える時間が必要だ。
それに、相手が逃げずに待ち構えているんだから、
この若狭に進軍してきたりしない。
攻めてくると、挟撃の利点を失う。
そのため、敵のいない中、
15kmもないくらいを4時間程度、歩いただけだ。
退却ではなく、撤退。
藤吉郎の順番が後方だったのは、
新参者で序列が低かっただけのようだ。
信長はというと、
一気に攻められなくなり、やる気を失くした信長は、
軍を置いて、先に自分だけ帰ったらしい。
オレは罠を説明した。
「何と!あれは兄者が!」
「おお!助かりました!」
やはり、あの軍は藤吉郎の軍だったようだ。
最後尾に近かったので、
敵軍に追いつかれるかもと焦っていたようだ。
そういう状況だったので、
後ろを振り返り、振り返り、撤退していた軍の多くが、
オレの罠によって追撃をあきらめた敵軍を目撃している。
「兄者、織田に仕えないか?」
手土産としては十分だと思うし、殿も喜ぶが。」
オレは少し笑う。
「前にも言ったが、オレに戦はムリだよ。」
「でも、十分な手柄ですよ。」
「なら、おまえの手柄にすればいい。
オレはおまえを助けに来ただけだ。」
また、藤吉郎が涙をあふれさせる。
どうしたもんかと、秀長と苦笑した。
「それで、今日は泊っていってくれるのか。
陣中で、それほどのもてなしはできないが。」
「涙を拭くか、話すか、どっちかにしろ。
オレも困っているが、小一郎もびっくりしている。」
藤吉郎が手拭いを出して、顔を覆った。
それに微笑みながら、
「悪いが、待たせている者がいるんだ。
里に嫁も待たせているから、早く帰らないと。」
「嫁が。おめでとうござる。
儂にも過ぎた嫁がいましてな。
これがまた良くできた嫁で。」
「ああ。聞いた。おめでとう。
祝いに行きたかったんだが、何かとあってな。
それに、聞いた時には日も経ってたし。
たしか、おねという名前だったか。」
「よく知っておるな、兄者。美人じゃぞ。」
「それなら、オレの嫁も負けてないぞ。」
2人で顔を見合わせて笑った。
藤吉郎が別れてからの話や近況を話してくれる。
オレも他愛もない農作業の話をした。
「さてと。そろそろ、行かないと。」
「もう行くのか。まだまだ、話したりないというのに。」
「また会えるさ。
おまえの噂が聞こえてくるのを楽しみにしている。
小一郎もまたな。」
小一郎が頭を下げた。
「本当に織田に仕えぬのか?」
「悪いな。今回はおまえが危ないと思ったから来たが、
その・・・な、
縁あって拾った子とオレを助けてくれた里がある。
その里は古くからの生業があってな、
それもあって、どの大名にも仕えない。
嫁もその里の子だから、織田には仕えないよ。」
多分、違うことを考えたと思ったので、
忍びではないと付け加える。
ついでに言えば、盗賊の類でもない。
「そうか。残念だ。」
「悪いな。でも、オレにはおまえもいる。
何かあったら、助けてやろうと思うくらいの弟がな。
オレが生きていたら、また、会おう。」
「ああ。兄者。」
藤吉郎は、また、泣きながら、オレの手を取った。
小一郎も手を添えてくる。
二人に強くうなづいて、陣を後にした。
「もう良かったのか?」
「ああ。待たせたな。葛葉。」
オレは山の中に待たせていた葛葉と合流した。
気が薙ぎ倒されているので、何かあったな。
葛葉は泊ってくると思っていたらしい。
何も言わず、一晩、ここで待つ気だったのか。
こいつ、かわいいな。
「猪が襲って来たんだ。」
金剛拳が薙ぎ倒した木を見ていると、
葛葉が説明してきた。
離れたところで血抜きをしているらしい。
猪一頭のために倒した木3本か。
「葛葉は浅井が攻めてくるって分かってたのか?」
浅井が攻めてくることについて説明した時に、
驚いたようでないのが引っ掛かっていた。
「そうだろうとは。」
「なんで?」
「里では、各地の大名の成り立ちや他との関わり、
今の勢いについて教えられる。
小さな里は、世がどうなっていくかを読めなければ、
駄目だからだ。」
「そういや、こういう話をすると、
みんな、すごく興味を持って聞くから、
何でかなと思ってたんだよな。」
葛葉がうなづいた。
「討伐衆は、討伐の最中にいろいろなことがある。
魔物を追って、余所の領地に入ってしまうとか、
敵対する大名家に魔物を追い払ったりしてしまうと、
余計な火種になるから、かなり教え込まれる。」
「なるほど。」
オレはそういう教えは受けたことがない。
必要ないと思われているのかな。
だが、大きな歴史は知っていても、来歴は知らない。
家同士の婚姻関係とか、これまでの協力関係とか、
ゲームに出てきていない領主なんて、お手上げだ。
城にいると思ってた武将が小さい砦にいることもある。
共通して言えることは、雑魚だと思ってた人が、
名前が出てるだけ、すごいんだということだ。
「浅井は六角から攻められると朝倉を頼った。
自分は助けられておいて、
朝倉を見捨てることはできないと思う。」
そうかな?
そうだったら、戦国時代になってないんだよな~。
とは、口が裂けても言えないが、
おそらく、他の要因があったように思う。
義理と人情を軽く見るわけじゃないし、
この時代に全く無いとは言えないけど、
重視されるなら、下克上なんてないんだよな~。
浅井自体が下克上した家じゃん。
どっちにつく方が得か、考えてただけじゃないの?
ただ、葛葉がこう考えてたということは、
そう考えたという線も捨てれないんだよな。
誰もが損得で生きてるわけじゃないもんな。
「一乗谷に行くのか?」
もう忘れかけてた。
信長と一緒と言うと怒られるかもしれないが、
必死でここまで来たのに、肩すかしを食らったから、
藤吉郎と会えたし、小一郎も見ることができたし、
もういいかという気持ちが大きい。
それに、男女2人というのは目立ちそうだ。
旅人自体は珍しくないだろうけど、
旅は気軽にできるものではないし、
この服装なら、近所の人だと思ってくれるだろうか。
今の服装は、小袖に軽衫だ。
この時代の一般的な服装だ。
かるさんと聞くと、
スリムパンツを想像するかもしれないけど、
この時代は着物なので、下に履くのは袴だ。
ひざ下を絞った鳶職のズボンを想像してもらえばいい。
ま、労働者だしね。
隠れるところのない平地の道ではなくて、
目立たないように山中を進みたいが、
金ケ崎城から疋壇城の間に警戒網が張られているはずだ。
特に、一乗谷に行くには、金ケ崎城の付近を通る。
厳戒態勢の中に入っても、普段の様子は見れないだろう。
「いや、残念だが、帰ろう。」
「せっかくここまで来たのに」という思いはあるけど、
無理は禁物だ。また、機会はある。
移転予定地にも、ちょこちょこ、寄るだろうしな。
里に戻ってきた。
三郎さんと目が合った途端、目を逸らしてしまった。
三郎さんが「んん?」という顔をする。
「旦那様、お疲れでしょう。足をお拭きしますね。」
「私が。」
「えっ!? ええ・・・」
佳月さんが驚いたような顔をしている。
葛葉が裏手に回ろうとする。
多分、桶に足を洗う水を汲んでくるつもりなのだろう。
三郎さんも怪訝そうな顔をした。
2人の様子で気づいた。
(いつもの葛葉なら、しない行動だ。)
家々によって違うのかもしれないが、
水を用意してくれるのは、迎えてくれた側だ。
それも、佳月さんがオレの世話をしたいというのがある。
井戸で洗ってから、家に入ればいいじゃんと思うが、
何だったら、玄関の横に洗濯機や風呂があれば、
部屋を汚さずに済む。
しかし、それでは家長を、
それも、頭領をお迎えするという観点ではどうなのか?
というのが、佳月さんの考えだ。
そのため、世話焼きの佳月さんが、
オレのために用意した水を片付けながら、
葛葉も使用するというのが、今までの流れだった。
「ん~。んん~。」
三郎さんが意味あり気に顔を寄せてくる。
何だか、後ろめたく感じて、目を逸らしてしまう。
「んん~~~。」
回り込んでくる三郎さんの顔から目を逸らす。
佳月さんがハッとした顔をした。
女のことは女の方がよく分かると聞いたことがあるが、
葛葉も側室なんだから、全くやましくないはずなのに、
ついつい目を逸らすのが男ってやつなんだな。
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