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055.西へ

「い、たたたた・・・」


やっと解放された。

この里があんまり居心地が良いものだから、かなり舐めてた。

思えば、どの人もオレにかなり甘かった。

上手く行き過ぎて浮かれていたというか、

確かに、調子に乗ってたところはある。


それにしても、

巳の刻くらいから午の刻くらいまでだから、

一刻だよ。一刻。

一刻って2時間だよ。

いや、もっと優に余ってたはずだ。

3時間に違いない。


もうね、足がね、感覚がないのよ。

最後の方なんて、(しび)れどころか、痛みが出てきて、

それを超えたら、足の感触がなくなったのよ。

激痛から鈍痛に変わってきて、

足の裏がぶよぶよというか、

皮膚の上に薄い保冷剤があるような感じ?

むくんでるような、そんな感じ。

それで、立とうとするんだけど、

足首が来ないのよ。こっちに。

ひざから下が、完全に自分の足じゃないのよ。

生まれたてどころじゃない。

何だったら、前に向いて曲がるんじゃないかと思うくらい。

一生懸命、もんだら、


(ぐ、ぐぅぅぅ~)


キタキタキター!

ギャー、イテー!

この血が通ってる感が痛い!


「そんな体たらくでは、拝謁(はいえつ)など、とてもとても。」


なのに、紫乃さんがため息をつく。


(鬼か、あんたは!)


授業でやったか、遊びだったかは忘れたけど、

そりゃ、確かに、ほぼ、あざらしの動きだよ。

みっともないのはオレが一番分かってる。

が、ここから逃げるのが最優先だ。

何とか、はいずりながら、縁側に出る。

草履が。触れただけで痛い。

背中にまで電流が走ってくる。

それに、履こうにも足首から下が動かない。


「あっ!」


庭に東平さんが入ってきた。

あんたには、言いたいことがあるんだ!


「東平さん!」


しかし、足の感覚が戻っていない。

全然、立ち上がれない。

東平さんはオレの方に歩いてきた。

そして、オレの肩をポンポンと叩き、

ゆっくり左右に首を振ると、フッと優しく笑った。


(何だ、それ。)


ちょっと、カッとなった。

オレはあんたの奥さんのおかげで大変なんだ。

東平さんがオレに背を向けようとする。


「ちょっと、東平さん!」


オレは何とか立ち上がった。

また、東平さんはオレの肩をポンポンと叩き、

ウンウンとうなづくと、フッと優しく笑う。


(だから、何なんだって!)


東平さんは玄関の方に回って行ってしまった。


「いや、ちょっと!」


東平さんに気を取られていたことで、

歩けていると言えないが、足を前に出すことはできた。

わずかに感覚が戻ってきた気がする。

庭から出ようと、必死で足を前に出す。


「頭領。」


背中から、里長に声を掛けられた。


「お客だよ。依頼だ。早くおいで。」


「分かった。」


仕事だ。仕方ない。

オレは逃げてきた部屋に戻ることになった。

座敷に座っている東平さんは、

オレの視線を避けて、向かいの壁を見続けていた。



*---*---*---*---*---



「なあ、藤五。」


「どうした?」


あれから虎太郎とは呼べていない。

目の前の人の好さそうな顔が虎太郎とは結び付かない。


「これでいいんだろうか?」


藤五は何も言えなかった。

このままではいけないと思っているが、

起請文に血判したことが重く響いている。


「おれは、厄介払いされるくらいならと、村を出てきた。

 こんなところで盗賊になるためじゃない。

 食えないおれたちが、食えない村人を襲うのは、

 おれは、おれはな・・・」


「ああ。そうだな。」


藤五も分かっている。

恨みのこもった目が、何度も夢に出てきた。

その度に、夜の闇に怯えている。


「おれたちは運ぶだけだ。

 人を殺してもいなければ、刀だって持っちゃいない。」


「そんなことじゃないって、分かってるだろうが。」


また、藤五は黙った。

どう言おうと、盗賊の一味は一味だ。

襲われる者からしたら、何が違うというのか。


「おれはどうにかして抜ける。」


「しかし、起請文が。」


虎太郎も顔を歪ませた。

やっぱり、起請文は怖いと虎太郎も思っているんだろう。

しかし、虎太郎は大きく頭を振った。


「今も地獄にいるようなもんだ。

 いまさら地獄に落ちたって、どんな違いがあるんだ。

 おれはよ、ここんとこ、

 家の隅で震えてる人たちの顔や、

 泣き叫ぶ女の声や殺された人の声で、眠れないんだ。」


気づいていた。

自分がうなされて目が覚めた時、

隣で虎太郎もうなされていた。

おれだけのはずがない。


「ん?何だろう?」


2人のいる森の中にまで、騒ぎが聞こえてきた。

何かあったのか、大勢が集まっているようだ。


「行ってみよう。」


藤五と虎太郎は、騒ぎの方に駆け出した。


「わしは高野の使いだぞ。」


「じゃあ、おれは釈迦(しゃか)の使いだ。わっはっはっは。」


「そいつはいい。おれも菩薩(ぼさつ)の使いだ。」


恵信は何も感情を表さぬ表情で見据えていた。


「おぬしらは延暦寺の者どもか?

 座主(ざす)とは顔見知りの仲だ。

 高野の恵信が来たと、そう取り次いでもらえまいか?」


「その襤褸(ぼろ)でか?座主と知り合いとは大きく出たな。

 おれは地獄の閻魔(えんま)と顔見知りだが、

 おまえのようなやつが高野の使いには見えないぞ。」


「大僧都の御文を持参しておる。

 おぬしらのような者が邪魔をしても良いものではない。」


恵信は盗賊としか見えない者たちに囲まれていた。

恵信は粘り強く話しかけるが、

盗賊たちは一向に通そうとしない。


「い~や、ここはおれたちの縄張りだぜ。

 この場所を守れって言われているんでな。」


「何と?」


「まあ、いいから、帰んな。

 気の毒だが、ここは関所なんだ。

 通すには、ここを治めるやつの許可がいるんだぜ~。」


「ほう。それはどなたかな?」


「おれだよ。」


「ぎゃははは!」


男はにやにやと小馬鹿にしたように笑う。

周りの男たちも一緒になって馬鹿にしたように笑った。


「帰んな。おれがいる限り、ここは誰も通さねぇ。」


恵信は腹を立てたりしない。

この程度で心を乱すような、やわな修行はしていない。

だが、違うことに衝撃を受けていた。


(盗賊にしか見えないが、

 このような者が叡山を守っているというのか?)


比叡山は京と近江の境目にある。

京の北を押さえることが位置にあるのはもちろん、

琵琶湖の西、京に至る道を押さえることができる。

しかし、比叡山は戦のためのものではない。

その開祖、最澄の頃より学問の最高峰であり、

修行をする者にとっての聖地であった。


(おそらく、空いた庵に住み着いた者どもだろう。)


修行のための庵が、長い間に山中にいくつも建てられた。

しかし、主人がいなくなり、空き家になった庵もある。

どうしたものかと恵信が考えていた時、

男どもの向こうから声が掛かった。


「この騒動は何事だ!」


盗賊たちの後ろから、それらしい格好の男たちが現れた。


(山法師か。法衣を着ているが、この者らと変わらない。)


だが、高野山とて変わったものではない。

園地の管理や徴税を行う、行人の一部は者は、

元々は、寄進された土地を守るための自衛手段だったが、

時に、学僧と(いさか)いを起こすなど、

一時、手をつけられない状態だった。

ただ、高野山の場合は多少、マシであった。

より過激な者は根来寺に行くからだ。


「どこの門徒だ!」


「高野の使いにて、恵信という。

 座主に取り次いでもらいたい。」


山法師は眉をひそめた。

うさんくさそうに、恵信の上から下までを眺める。

盗賊の言うように、襤褸を(まと)う姿は、

乞食には見えるが、坊主には見えなかった。

ただ、目だけが爛々(らんらん)と光っている。


「訳あって、当分は、御山へ取り次げぬ。」


「何か、大事が?」


「そうではない。これ以上は問答無用。」


そう言うと、山法師は来た道を帰ってしまった。

恵信は呆気にとられて、口を開けなかった。

盗賊たちが(はや)し立てる。


「ほれ、みたことか。御山は大事な時なんだよ。」


「何か知っているのか?」


「おまえには関係ないことだ。

 ええい、無理なもんは無理なんだ。さっさと帰りな!

 ぐずぐずするんなら、叩き出すぞ!」


恵信はこれまでと思った。

何も知らない相手と押し問答しても仕方がない。

それ以上は言わず、恵信は山を下り始めた。


(それにしても。)


恵信は思う。

1万と言われる山法師の下に盗賊がいるのであれば、

有象無象の衆といえども、馬鹿にできない数になる。

叡山の高僧たちが道を誤るとも思えないが、

人が集まれば、違う考えに至る者も出てくる。


(これは報告が必要だな。)


恵信が山を下りようと足を踏み出した時だ。


「お願いがございます。」


男が2人、足元に飛び出してきた。


「おれは藤五。こっちは権蔵です。

 お坊さま、お助けください。」


2人は恵信の足元にひざを折って座り、両手で拝んでいる。


「仏ではない身に、拝まれても困るのだが。

 ここはまだ目があろう。少し歩くか。」


しばらく歩いた後、手ごろな石を見つけたので恵信は座った。

後を黙ってついてくる2人にも、石に座るようにうながした。


「さて、迷いを断つのも僧の務め。

 何に困っておるのかな?」


藤五がこれまでのことを説明する。

恵信はうなづいて聞いていたが、聞き終わると笑った。


「起請文など、要は心構えじゃ。

 起請文を書いたとき、神が出てきたかな?

 神の声が聞こえたりしたのか?」


「いいえ。」


「そうであろう。神も仏も人を救うものじゃ。

 悪事のためのものではない。

 そうであれば、起請文など、初めから無効のもの。」


「では、神を恐れずともよいのでしょうか?」


「善きことをするのに、何ぞ、神が咎めることがあろうか。

 もし、それがあるなら、神ではない。

 悪鬼の言うことなどに耳を貸すことはない。

 神も仏も、善き道を進もうとする者の味方じゃ。」


「おお。」


「ありがたや。」


涙を流し始めた2人を見て、恵信は微笑んだ。


(とかく、この世はつらいことが多すぎる。)


2人は一心に祈っている。

それをしばらく眺めた後、恵信は立ち上がった。


「お待ちください!」


権蔵が悲壮な表情で口を開いた。


「まだ、何ぞ、あるのか?」


「われらもお連れ願えませんか?」


藤五は驚いた。

しかし、それが一番いい考えだと思った。


「何と。おぬしらを?」


「ここにはいられません。でも、寄る辺もない身です。

 ここをされば、また、同じか、死ぬしかありません。」


「ついてくるということは、得度をするということだ。

 それは分かっているのか?」


「分かっています。」


恵信は目を閉じた。

自分について来なくても、生きていくことはできるだろう。

2人の顔を見た。

素直な目をしている。

これも何かの縁ということであろう。


「分かった。では、ついてくるがよい。」


2人は涙を拭いて、立ち上がった。



*---*---*---*---*---



「おお、恵信。久しいのう。」


「役目を果たせず、申し訳ございませぬ。

 小僧都からお預かりした大僧都の御文、

 座主に渡すこと、かないませんでした。」


眞覚は笑った。


「何の。およそのことは沢厳より聞いておる。

 向こうが受け取らぬというのであれば仕方ない。

 さほど、内容とて、協力しようというだけの手紙じゃ。

 協力がかなわぬとて、

 各々が役目を果たせば良いことじゃ。」


恵信は平服した。

また、眞覚は笑った。


「弟子を取ったそうじゃの。」


「いえ、弟子ではありません。

 共に仏の道を進もうとする友です。」


「弟子で良いではないか。頭が固いのぉ。

 そういうところが、おぬしもまだまだよ。

 弟子がいることで、初めて師になるのだ。

 師になってから弟子を取るのではない。

 弟子に教えられて、師になっていくものだ。」


恵信は頭を下げた。


「大僧都、その2人の話なのですが、

 どうやら、叡山は座主が代わるやもしれぬとのこと。」


「この大事な時にの。」


眞覚は沢厳を見た。


「叡山の座主は、皇子が就きます。

 また何かあるのでありましょう。

 ただ、心ある座主かによって大きく変わりましょうな。」


「その通りだ。だが、叡山は叡山に任せる他あるまい。

 我らには我らのできることをするまでだ。」


「それについて、高野を出る許可をいただきたいと。」


「また、旅に出るのか。」


「はい。西へ。」


眞覚は恵信を見た。

気負うこともなく、穏やかな目だった。

眞覚はうなづいた。

頭を下げると、恵信は部屋から出て行った。


「あれも良い目をするようになった。」


沢厳はうれしそうに笑った。


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